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1-7

宵慈(よいじ)、あと、もう二匹ばかり欲しい」


 その日、弥胡(やこ)と宵慈は、小屋からほど近い川に魚を獲りに来ていた。

 宵慈は水面をじっと見つめる。黒い双眸に日の光が反射して、キラキラしている。魚が数匹近寄ってくると、バタバタと尻尾を振って、身構える。素早い身のこなしで水に顔を突っ込み、出てきた時には口に二匹の魚を咥えていた。


 自慢気に弥胡を振り返ると、褒めてくれ、と言わんばかりに鼻を鳴らした。その様子があまりにも微笑ましい。

「ありがとう。今晩の夕餉と、干して保存しておく分もあるね! 流石、魚獲り名人! ……あれ、人じゃないから、名獣? 名妖? とにかく、上手!」

 耳の裏の毛をわしゃわしゃと掻いてやる。

 ついでに水瓶に補充するための水を汲んで、小屋へ帰る。

 獣道を進んで、小屋が見えてきたところで、宵慈が急に立ち止まった。鼻をひくひくさせ、警戒するように小屋の方をじっと見据えている。


「宵慈?」

 訝しく思って彼を振り返ると、顔を顰めて低く唸りだした。

 ただことではない雰囲気に、鼓動が速くなる。精気の制御を解くと、宵慈の強い警戒心が一気に弥胡の心を捉えた。


 宵慈の見つめる先に意識を集中すると、湿気を含んだ熱い風に乗って、警戒と緊張が、うっすらと漂ってくる。

(……小屋に、誰か、いる……!!)


 咄嗟に身を翻した時だった。

 何かが空気を切る音がしたと思ったら、次の瞬間には、弥胡の真横の木の幹に矢が突き刺さった。


「いたぞ!!」


 野太い声が背後から響いた。

 後ろを振り返ると、小屋から兵士が数人が出てきて、ものすごい勢いでこちらに走りだした。一人は弓に矢をつがえるところだった。


「子供は生け捕りにしろ!」

 物騒な言葉に身の毛がよだつ。弥胡は持っていた(ざる)と水桶を放り投げ駆けだした。

「宵慈、逃げて!」

 宵慈はすぐに弥胡に追いつくと、視線で「掴まれ」と言ってきた。影に逃げ込むつもりなのだ。弥胡が小さく頷いて、宵慈に手を伸ばす。


「逃がすか!」

 すぐそばで怒声が響いた。

 激しい痛みと共に首が反り返る。視界が回転し、身体が地面に叩きつけられた。

 何が起こったか分からずに目を瞬くと、視界いっぱいに武装した兵士が映った。兵士は弥胡の髪を鷲掴みにし、身体の上にのしかかっている。どうやら、この男に後ろから髪を掴んで引き倒されたらしい。


 力の限り抵抗すると、頬を叩かれた。焼けるような痛みに、目の前がチカチカする。

「暴れるんじゃない!」

 顔を歪めながら怒鳴る兵士はしかし、次の瞬間横から躍り出てきた何かに体当たりされ、視界から消えた。慌てて目線で追うと、彼は弥胡の傍らで、宵慈ともみ合いになっていた。


(宵慈なら、いつでも影に隠形して追ってこられる。時間を稼いでくれている間に、逃げないと……!!)


 必死に立ち上がって、震える足で歩き出すが、殴られたせいなのか、視界が揺れて真直ぐ進めない。何度も幹にぶつかりながら進んだところで、追いかけてきた別の兵士に背後から羽交い締めにされた。


「おとなしくしろ!!」

 抵抗しようにも、相手はびくともしない。

「放せ……!」

 身を捩って振り返ると、宵慈が複数の兵士に囲まれていた。

「宵慈! 逃げて!」


 宵慈だけなら、今すぐにでも兵士の影に跳び込むことができるはずだ。それなのに、彼は弥胡を守ろうとしているのか、必死に敵に食らいついていく。一人の喉笛を噛み砕き、血が噴き出す直前に身を翻し、高く跳躍して次の兵士に狙いを定める。


「クソッ!」


 飛び掛かられた兵士が忌まわし気に顔を歪めた。あと少しで牙が手首に届きそうになった瞬間、宵慈の体が空中でピタリと停止した。


「宵慈!?」


 宵慈は顔を歪めて抵抗しようとするが、びくともしない。まるで、見えない誰かが宵慈を持ち上げて羽交い締めにしているようだった。

 ――これは一体、どういうことなのか。


 胸の奥が不安でざわめく。震える声で叫んだ。

「逃げて、よい――」


 絶好の機会を逃すまいと、兵士の一人が宵慈の背後から刀を振りかざした。振り下ろされる白刃は、そこだけ時の流れが変わったように、妙にゆっくりに見えた。


「ギャウン!!」


 宵慈の悲鳴と共に、紅い花が宙を舞う。瞬きを忘れて茫然とその花弁が散るのを見て初めて、それが宵慈の血であることに気が付いた。


 空中で停止していた宵慈の体は、糸が切られたかのように、どさりと音を立ててその場に落ちた。

「宵慈――!!」

 駆け寄ろうとしたが、より一層強い力で押さえつけられる。


 宵慈の体からは血が流れ出て、青味がかった銀色の毛と、乾いた土をじわじわと赤黒く染めていく。


(ダメ、ダメ、ダメダメダメ……!!)


 全身から血の気が引いた。足元から震えが這い上ってくる。


 風が宵慈の血まみれの毛を、ふわりと撫でた。ピクリとも動かない、優しくて、愛しい弥胡の妖獣()

(ああ、まただ……)


 九重の分も、宵慈を守ってやろうと決めたのに。いつだって、自分は宵慈に守られてばかりだ。

 

「よい、じ……」

 喉の奥がギュッとなって、痛くて上手く声が出せない。


(わたしは、また、何もできなかった……)


 絶望が心を真っ黒に染め上げていく。

 ドクドクと駆け巡る血潮が耳を聾する。呼吸が荒くなって、視界がぼやけ、熱いものが頬を濡らした。


「いやああああぁ!!」

 嗚咽混じりに叫んだ直後、頭に強い衝撃が走り、弥胡の視界が暗くなる。


 ――助けてあげられなくて、ごめん。役立たずで……、腐芽苦(ふがく)でごめん。

「ご、め…」

 意識を手放す直前に唇からこぼれた声は、酷くかさついていた。

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