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「第二皇子殿下が兵を引き連れて東風野に侵攻しただと!?」
もたらされた凶報に、冬成は弾けるように立ち上がった。椅子が床に倒れてガタンという音を立てる。
顔面蒼白で部屋に飛び込んできた伝令係は床に膝をつき、荒い息を整えている。そばにいた侍従が湯冷ましを飲ませてやると、彼は肺の空気が全部抜けるのではないかというほど長い息を吐いた。
伝令によると、前日の深夜、住人たちが寝静まった東風野に何の前触れもなく火矢が降り注いだ。人々が逃げ惑う中、突如現れた第二皇子の旗印を立てた兵団が雪崩れ込み、消火作業で警備が手薄になった隙をついて棟梁である弐泰の屋敷を襲撃した。激しい交戦の末弐泰は捕らえられ、東風野は陥落したという。
「何ということだ……!!」
冬成は手で顔を覆った。あまりのことに、全身から血の気が引いていく。
伝令係は震える声で絞り出した。
「第二皇子派の言い分は、『江吏族は第一皇子の暗殺を謀ったに飽き足らず、殿下の御身を拘束・監禁して質に取っている』ということです。明らかなる宣戦布告である、と」
「陛下は此度のことを許可されたのか?」
伝令係は厳しい顔で首を横に振った。
「いいえ、陛下に無断で強行したようで、現在情報を集めておりますが、朝廷も混乱を極めているようです……」
「春宮殿下が襲撃を受けてから、十日も経っておらぬではないか。瞬間移動の神通力と闇属性の神力を使わねば、ここまで早く、大勢の兵士を移動することなど不可能のはず」
大人数を移動させるには膨大な数の瞬間移動の能力者と闇属性の神力使いが必要になるため、旅団や兵団などは徒歩や騎馬での移動が基本になる。それにも関わらず、通常十二日程度かかる都から東風野までの道のりをこの短期間でこなしたということは、事前に春宮が襲撃されることを知っていたということに他ならない。もっと早く襲撃しなかったのは、「報せを聞いてからすぐ出立し、休む間を惜しんで行軍した」と主張して言い逃れができるギリギリの日数だからだろう。
(神通力や神力を使っての強行軍であったとしても、ここまで迅速に兵をまとめることができたのは不自然極まりない。やはり一連の騒動は夏宮殿下による姦計だったか……)
冬成はちらりと背後を見る。扉一枚隔てた奥の部屋では春宮が眠っている。襲撃から五日後には熱が下がり意識を取り戻していたが、食事や水分補給をしてはすぐさま眠りについてしまうということが続いている。
胸に苦いものが広がっていく。
「それで、東風野は今、どうなっている?」
「水属性の神力を使う者たちが消火に奔走しましたが、寝込みを襲われて初動が遅れてしまったため、東風野の四分の一ほどの民家が燃えております。焼け出された江吏族の民たちは『保護』という名目で一か所に集めらてれていますが、人質に取られたと見てよいかと。街のあちこちに第二皇子の兵が立って監視をしており、数日以内に春宮殿下救出と称して神々の棲まう地へ行軍してくるかと思われます」
「……救出。よくもぬけぬけと」
冬成は冷たいものが潜む声で独り言ちる。
第二皇子の目的は、重体に陥っていた春宮に秘密裏にとどめを刺したうえで、「第一皇子殺害に対する報復」を大義名分として掲げ、弐泰ら江吏族の統治者を処刑し、神々の棲まう地を含めた北江偉全土の掌握だろう。
「このような蛮行を、陛下がお許しになるはずがない。……夏宮殿下はよほど功を焦っておいでのようだ」
春宮に比べて神力が劣る夏宮は皇位継承争いで後れを取っている。何が何でも功績を上げたいのであろうが、今回の行軍は江吏族との共存を唱えている今上帝に正面から唾を吐く行為である。
室内は水を打ったように静まり返る。皆が皆、衝撃の事態にどう対応しようかと考えを巡らせているようだった。
「夏の阿呆めが……」
ガタンという物音と共に、掠れた声が耳を打った。
振り返ると、寝巻姿の春宮が寝室の扉にもたれかかるようにして立っていた。
「殿下!!」
冬成は慌てて主に走り寄って脇の下に肩を入れ、身体を支えた。普段は快活そうな顔は苦し気に歪み、額に脂汗を浮かべている。
「殿下、ご無理をなさいますな!」
「はっ、わしを誰じゃと思うておる。傷口などとっくに塞がったわ」
「無理に動けば、傷口が開いてしまいます!」
神の血を引く者は、そうでない者に比べて身体が丈夫だ。病にもかかりにくいし、傷も只人に比べて治りやすい。しかし、いくら神の血が濃い皇族だからといってあれほどの大怪我を負ったのだ、まだ体力が回復しておらず、室内を少し歩く程度はできても、この状態で夏宮を返り撃つことなどできようはずがない。
「戯け! わしがやらずして誰が夏を撃つのじゃ! 今回こそ、あやつの生意気な鼻っ柱を叩き潰してやらねば気が済まん」
「それでは、わたしたちも共に戦わせてくださいませ」
部屋の入口から涼やかな声が聞こえ、皆が一斉に振り返った。強い意志を湛えた瞳を水色に煌めかせながら、阿凛がゆっくりと冬成たちの方へ歩いてくる。
「立ち聞きした無礼をお詫びいたします。しかし、父が捕縛されたと聞きました。東風野も蹂躙されたとか。このまま黙って引き下がってはいられません。我々は誇り高き江吏族です。最後の一人まで戦い抜きます」
阿凛の鬼気迫る宣言に、春宮は力強く頷いた。
「此度のことは、我が弟が多大なご迷惑をおかけし、申し訳ない。必ずや私が東風野を奪還いたす故、お力添えを願いたい」
「はい。共に戦いましょう」
春宮は己を支えている冬成を見下ろす。
「わしが回復しておることは口外無用じゃ。未だ意識が戻らぬということにし、油断を誘うように。陛下へ密使を送り、討伐の許可と兵の一団を送ってくださるように、と嘆願せよ」
「御意」
冬成が春宮を長椅子に座らせると、彼は力を抜くように大きく息を吐いた。やはりまだ体力か回復していないのか、寝台から長椅子まで数十歩を歩いただけでも息切れがするようだ。
春宮が人払いをし、部屋には冬成と阿凛だけが残された。
「……して、弥胡に話は聴いたのか?」
「はい、それが、どうも暗示をかけられていたようで」
「暗示?」
冬成は弥胡から聴いたことや彼女の現在の処遇について丁寧に説明していった。
春宮は硬い表情で床を睨むようにしていたが、全て聴き終えると小さく舌打ちをした。
「まったく、何故に彼奴らはあのような子供にここまで惨いことをするのか」
為政者として、時に冷酷な判断を強いられることは春宮も理解しているはずだ。子供である弥胡を巻き込むことが国のためと判断したのなら、彼も躊躇なく彼女を利用するだろう。しかし、第二皇子は皇位継承者としての己の地位を確固とするために、非力な娘を利用しているに過ぎないことが彼には腹に据えかねるのだ。
「あの娘はどうしておる?」
「大人しく部屋で蟄居しております。……流れ矢で深手を負いましたが、幸い大事には至らず」
「そうか……。ダウィル殿もさぞ安堵されたことだろう」
冬成は疲れたように額に手を当てている主の顔をじっと見つめた。
「……殿下、此度の討伐ですが、ダウィル殿に助力を請いましょうか?」
「いや、その必要はない」
春宮は一切の躊躇を見せずにきっぱりと言い切った。
「これは、人間同士の戦いじゃ。人間だけで方を付けるのが筋というもの。それに、わしはこれ以上、人間の営みに神を介入させるのには反対じゃと常々言うておろう」
「はっ。私の浅慮でございました。申し訳ござりませぬ」
春宮はフンと鼻で笑う。
「よい。このような時こそ神頼みをしたくなるのが人の性じゃ。それより、弥胡はどこかへ隠した方がいいやもしれぬ」
あれ以来、弥胡におかしな様子は見られないというが、いつ何時また精神干渉を受けるかわからないため、春宮の周囲には置けない。かといって、春宮の目の届かない所にやってもまた第二皇子派の連中の手に落ちる恐れがある。
それまで黙って春宮と冬成のやり取りを聞いていた阿凛が口を開いた。
「それならば、わたしの別宅に連れて行ってはいかがかしら」
「阿凛殿の別宅?」
ええ、と阿凛は頷く。
「ここからしばらく行った所に湖があるのですが、その湖に浮かぶ島のひとつにわたしが夏の間利用している別宅があります。場所を知っているのはわたしが信頼するほんの一握りの者だけなので、夜陰に乗じて移動すれば、さほど目立たないのではないかと」
「――では、お言葉に甘えさせていただこう。冬成、秘密裏に弥胡を移動させる手配を整えよ」
「承知いたしました」




