4-15
矢を薙ぎ払いながら転移した春宮と冬成を見届けて、弥胡は力を抜いた。と、同時に右肩に衝撃が走り、身体が前に傾ぐ。
「あっ!」
何事かと首を捻ると、右肩に矢が突き刺さっていた。着物が溢れ出た血を吸って赤黒く染まっていく。どうやら流れ矢に当たったらしい。よくよく見れば、弥胡の周りに何本も矢が突き立っていた。あれら全てが当たっていたらと思うと、ゾッと背筋が凍る。
脈打つような痛みに歯を食いしばりながらも周囲を注意深く見回すと、爆発で抉られた森の一本道から、燃え盛る炎の塊がゆらりと姿を現した。炎の中心は人の形をしている。全身が木炭のように黒く顔の造作はわからないが、両目の位置にぽっかりと穴が開いていて身体から発せられているものと同色の炎が漏れ出ていた。それはよろめきながらも両手で木々を掻き分け、二本足で地面を踏みしめるように歩いてくる。
(火の、荒神様――)
神々しいのか、それとも禍々しいのか、判別のつかない畏怖の念が内側からせり上げてきて、歯の根が合わないほど身体が震える。
「あ、荒神様じゃ! 退避せよ!」
弥胡のそばで座り込んでいた春宮の側近たちが悲鳴に似た声を上げた。動くことができる者は咄嗟に立ち上がり、地面に伏していた者たちを助け起こし、宿泊施設の方へ引きずっていく。
「おい、しっかりせい!」
「その子供は捨ておけ!」
側近の一人が弥胡の方へ駆け寄ってきたが、他の側近の鋭い声に足を止める。
「敵の手下じゃ、殿下に毒を投げつけおった!」
「なっ……!」
射殺さんばかりに弥胡を睨みつけると、彼は踵を返して他の負傷者の元へ駆けていった。
――敵の手下……。
弥胡は唇を噛み締めた。
あの時、自分が何をしたのかは朧気にしか覚えていないが、春宮に痺れ毒を放ったことは間違いない。
自分でもどうしてあんなことをしたのか分からないのだ、春宮の側近が弥胡を敵の一味として警戒するのは当然のことだ。
荒神は一歩、また一歩と近づいてくる。
押し寄せた焼けつくような熱気に、弥胡は肩の痛みも忘れて後退った。あと少し間を詰められれば酷い火傷を負うだろうと直感が告げている。
文字通り燃え盛る双眸が弥胡を捉えた瞬間、荒神はカッと目を見開いた。真っ黒で何もなかった口の位置に横一文字の亀裂ができ、笑みを作るように弧を描いた。
「ひっ!」
喉の奥から押しつぶした悲鳴が上がった。あまりの不気味さに全身が総毛だつ。
荒神は「ウゥゥゥ」とか「アアァ」といった意味を成さない音を発しながら弥胡へ向かって手を伸ばす。
皮膚がチリチリした痛みを訴え出した。
――もはや、ここまでか。
諦観に目を瞑った時だった。
「――おいたはそこまでだよ」
地を這うような声が耳朶を打った。
ハッとして見上げると、熱風に黒髪を靡かせたダウィルの背中があった。
彼は弥胡を背に庇うように立ちはだかって、少し離れた位置にいる荒神と対峙している。
「お前はお呼びじゃないんだ。――聖域へお帰り」
落ち着いた声で言うと、ダウィルは犬でも追い払うように、荒神に向かって右手を振った。その刹那、木々をなぎ倒すほどの突風が吹きつける。森のへりから宿泊施設の敷地に身を乗り出していた荒神は、蝋燭の火が吹き消されるがごとく、即座に掻き消された。
ダウィルは唖然としていた弥胡を振り返る。
「あれ? 弥胡、肩から矢が生えてるよ?」
ダウィルは子供のようにひょいと弥胡を抱き上げた。
「ああっ!!」
肩から脳天に向かって突き上げるような痛みに悲鳴を上げて顔を顰める。
「あれ、血が出てる。もしかして、誰かにやられたの?」
「そう、だけど」
荒い息を吐いて言葉を続けようとしたとき、耳が剣戟の音と怒声を拾った。
(――そういえば、殿下たちは!?)
痛みに歯を食いしばりながらも首を巡らすと、少し離れた所で派手に炎が噴き上がるのが見えた。じっと目を凝らすと、背の高い男と、彼よりすこし背が低い男が数人に囲まれて攻防戦を繰り広げているのが分かる。
「ダウィル、殿下が!」
ダウィルは弥胡の視線の先を見やると、呑気に頷く。
「うん、空栖だね。何か襲われてるけど、どうしたんだろう?」
「た、助けに行かなきゃ!」
「え? 何で?」
弥胡は面食らってダウィルの顔をまじまじと見つめた。彼は本気で意味が分からないといったように、首を傾げている。
「何でって……、殿下はこの国の皇子様で」
「うん。だから?」
「だ、だから、助けないと。悪い人に命を狙われているんだよ」
「まあ、そうだろうね。皇位継承権があるわけだし。邪魔に思う人間もいるだろうね」
よくあることだ、とダウィルは何度か頷く。
「そうだよ! だから、わたしたちが助けないと!」
「え~、何で? 僕には関係ないし、均衡が崩れるから、あまり人間の情勢に関わりたくないんだよね」
弥胡はあっけらかんとしたダウィルの態度に、酷く困惑した。これまで春宮はダウィルに対して好意的だったし、ダウィルも彼と親し気に接していたはずだ。それなのに。
弥胡にとって、春宮は自国の皇子であるだけではない。彼は刺客として送られてきた弥胡を無下に扱うでもなく、むしろ痩せ過ぎで成長不良の彼女に親身になってくれた情に厚い人物だ。三明を救ってくれた恩もある彼が危機に陥っていたのだから、当然助けてあげたい。
それに、弥胡が痺れ毒を放たなければ、苦戦することもなかっただろう。
(殿下に何かあったら、わたしのせいだ……!)
自責の念に眦に涙が浮かび、じわりと視界が滲む。
「お願い、ダウィル。今のわたしは精気を制御されてて、補魂は使えない。だから殿下を助けて」
涙を手の甲で拭って、強い意志をもってダウィルを見つめた時だった。
ドンと突き上げるような揺れを感じ、焦りが強くにじむ冬成の「殿下!」という声が聞こえた。痛みも忘れて顔を向けると、春宮が空中に投げ出されたまま、何者かに念力で押さえつけられているところだった。黒ずくめの刺客が彼のがっしりとした体を斜めに斬りつける。黒々とした血しぶきが夜風に舞い、春宮は地面に吸い込まれるように落下していった。
衝撃の光景に、弥胡はヒュッと息を呑んだ。
「殿下――!!」
冬成の絶叫が鼓膜を揺らす。
地面に叩きつけられた春宮はピクリとも動かない。冬成は何とか春宮を守ろうとしているが、一度に数人に襲われているため、近づくこともできないようだった。
先ほど春宮を斬った刺客が着地するや否や春宮に覆いかぶさり、どめを刺そうと刀を振りかぶった。
「殿下! 殿下ぁぁ!!」
「……あ~あ、もう」
弥胡が叫声を上げると、ダウィルは彼女を抱えていない方の手の人差し指を冬成たちの方へ向けた。指先から迸った閃光が途中で枝分かれして、春宮と冬成に襲い掛かっていた数名の刺客だけを射貫く。一瞬遅れて「バァン!」という音が鼓膜を貫くと、彼らは糸の切れた傀儡のようにその場に崩れ落ちた。
間合いを図って攻撃の隙を伺っていた残り十名ほどの刺客は、それを目撃するなり怯んだように後退り、悲鳴を上げながら一目散に走り去ったり、瞬間移動で姿を消した。
冬成は何が起こったのか分からないというように、茫然と足元に倒れた刺客たちを見下ろしていたが、我に返ったように春宮の傍らに膝をついた。
――間一髪、助けられた……。
恐怖に強張っていた身体から力が抜ける。
(今のは、雷? ダウィルは風が主属性みたいだけど、副属性は光なのかな?)
弥胡は自分を抱えている男の顔をまじまじと見つめた。いつもはへらへらと緊張感のない彼の顔が、何だかものすごく頼もしく見える。
ダウィルは弥胡の視線に気づくと、蕩けるように顔を綻ばせる。涙と血で濡れた弥胡の頬に唇を寄せた。
「弥胡が僕にお願いしてくれたのは初めてだからねっ。今回は特別だよ?」
「あり、がとう……」
「んふふ。どういたしましてぇ」
ダウィルは弥胡を抱えたまま、鼻歌を歌いつつ冬成に近づいていく。
冬成はこちらに気付くと一瞬警戒したように身体を強張らせたが、弥胡の様子を見て肩の力を抜いた。
痺れ毒の影響が残っているのか、膝を立てたまま、立ち上がることはできないようだ。
「やっほ~、冬成。『荒神』はフーッってしておいたよ」
「かたじけのうございます、ダウィル殿。……今のも、その、ダウィル殿が助けてくださったでございましょうか?」
「そう。僕の副属性でちょちょいってね!」
ダウィルはフフンと自慢気に顎を上げる。
「左様でございましたか。誠に、何とお礼を申し上げればよいか」
「他でもない弥胡のお願いだから聞いてあげたんだよ! 感謝は弥胡にしてよね!」
ダウィルの言葉に、冬成は複雑な表情を浮かべて弥胡を見た。
「殿下! 冬成殿! ご無事か!?」
宿泊施設の方から春宮の側近数名が走って来た。
「大至急、殿下の手当を!」
「はっ!」
彼らは流れるような手つきで春宮を抱えて運んで行った。冬成は入れ替わりで来た者たちに刺客の捕縛、現場検証と証拠の収集を指示を出す。荒神によって発生した火災は阿凛たちが鎮火作業に当たっており、ほぼ消し止められたとのことだった。
「弥胡。どういうことなのか、後で詳しく説明してもらいたい。しかし今はその傷を手当することを優先させよ」
弥胡は口を引き結んだ。自分にもよく分かっていないのだから、どう説明したらよいのだろう。しかし、何となく自分が誰にとっても危険な状態に置かれているのではないかということだけは察していた。
「冬成様、わたしは多分、誰かに操られていました。今もそれが持続しているのか、自分でも分かりません。ですからどうか、わたしをどこかへ閉じ込めてください」
切々と訴える弥胡に、冬成は難しい顔をして頷いた。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




