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 九重(くのえ)は他にも、食べられる山菜、木の実、きのこ、薬草の見分け方や、保存食の作り方などを教えてくれた。宵慈(よいじ)に付き添われて川に魚を釣りに行ったり、小動物を狩ったりして、徐々に山での生活に馴染んでいった。


 九重は薬草で簡単な薬を調合し、月に一度、まとめて山の麓まで売りに行く。人里で家族に遭遇してしまう恐れがあったため、弥胡(やこ)は最初の頃、山小屋で留守番をしていたが、次第に九重に同行するようになった。人里で精気の吸入を抑える修行もかねてのことだったが、やはり周囲にいる人数が増えると、それだけ吸い込む精気も多くなる。気分を悪くして歩けなくなることもあったが、家族と暮らしていた頃に比べればマシだと感じた。


 二人が山を下りる際は、必ず宵慈が同行した。人目に付く場所では影に潜伏している。宵慈は妖獣だが、使える妖力の頻度には限りがあるらしい。そのため、常に妖力を使うのではなく、山では弥胡と同じように歩くことが多い。しかし、弥胡の具合が悪くなったり、九重の膝が痛むときは、妖力で一緒に影から影へ跳んで移動してくれるので、とても助かった。


「宵慈は何ていう種類の妖獣なんだろう?」

 ある日、弥胡は薬草を採取しながら、傍らで寝そべっていた宵慈に訊ねてみた。

 宵慈は首を傾げただけで、もちろん、弥胡にはそれが何を意味しているのかは分からない。

「さてね。見た目は狼じゃが、わしにもよく分からん」

 数歩先で採取をしていた九重がぶっきらぼうに答える。

「九重はいつから宵慈と一緒にいるの?」

「わしがまだ娘だった頃にここへ逃れてきてからじゃな。もう何十年も一緒におる」


 獣の寿命は人間より短い。妖獣でなければとっくの昔に死んでいるだろう。

 弥胡は宵慈の首をそっと撫でた。数日前に一緒に水浴びをしたからか、毛がふわふわしていて気持ちがいい。宵慈もうっとりと目を細めた。


「九重ばあも、宵慈と同じくらい長生きなのかな」

「わしは年相応に老いているから、宵慈のようにはいかんじゃろ。もう、随分と老いぼれた。いつ迎えが来ても驚かんよ」


 九重の言葉に、胸が苦しくなった。弥胡はもう、これが自分の感じている不安であると理解している。

 ――わたしは既に、誰かと生きる喜びを知ってしまった。一度知った喜びを失うのは、きっととても辛いはずだ。

 九重が死んでしまったら。そのときに感じる喪失の痛みはどれほどなのか、考えるのも恐ろしかった。


「九重ばあ、長生きしてね。宵慈とわたしを置いていかないで」

 九重は目を丸くした。ややあって、くしゃりと笑う。

「無茶を言うんじゃない。わしが死んでも、宵慈と二人で生きていけるだけの知識は教えてやるから、しっかり覚えるんじゃ」


***


 弥胡が十三歳になった年、朝晩の冷え込みが厳しくなってくる季節、九重は急に体調を崩した。寝ている時間が徐々に多くなり、弥胡は九重に代わって山を下り、暖かい季節に乾燥させておいた薬草で作った薬を売るようになった。


 九重の身を案じ、心が不安定になった弥胡は、入り込んでくる精気の制御に苦労した。行き交う人々の感情は泥のように身体にこびりついてくる。


 その日も、弥胡は市で薬を売った帰り道で具合を悪くし、道端で屈みこんだ。

(うう、吐きそうだ……)

 酷い眩暈と頭痛がする。しばらく目を瞑ってじっとしていると、頭上で声がした。


「おう、嬢ちゃん。こんなところで何してんだ?」


 ゆっくりと声の主を見上げると、いかにもガラの悪そうな男が三人、下卑た笑みを浮かべながら弥胡を見下ろしていた。

 宵慈は影に隠形してもらっているので、傍目には少女が一人でいるように見えるだろう。さきほど薬を売ったところを見られていたのかもしれない。

(まずい、銭を奪われるかもしれない……)

 弥胡は思わず、懐に入れた財布を着物の上からギュッと押さえた。


「何でもない」

 何とか膝に力を入れて立ち上がった。よろよろと歩を進めると、三人のうちの一人が弥胡の肩を掴んだ。

「おいおい、具合が悪そうだなぁ。俺たちゃ親切だから、介抱してやらあ」

「大丈夫だから」

 手を振り払おうとすると、男はチッと舌打ちをした。弥胡の腕を背後で捻り上げる。

「痛っ……!」

 あまりの痛みに目の前に星が飛んで見えた。抵抗しようと身を捩っても、男はびくともしない。

「いいから、来いや!」

「こんな小汚いガキでも、女郎小屋に売れば酒代くらいにはなるだろう」

「へへ、いいねえ」


 男たちがげへげへと笑い声を上げたとき、ドン、という衝撃があった。たたらを踏んで地面に倒れ込む。驚いて振り返ると、宵慈が弥胡の手を拘束していた男の足首に噛みついていた。


「うわあああ! お、狼だ!」

「何でこんなところに……!!」


 辺りは一瞬で混乱に陥った。あちこちから悲鳴が聞こえる。

 宵慈は三人全員に体当たりしてなぎ倒し、弥胡をちらりと横目で見やる。彼の意図を汲んで、弥胡は小さく頷いで立ち上がる。


(宵慈、ありがとう……!)

 混乱に乗じて、できる限り速足でその場を後にした。


 歯を食いしばって山へ入り、へとへとになって座り込む。すると、上手く影を伝って戻ってきていた宵慈は姿を現し、鼻先を弥胡の脇腹に押し付けて労ってくれた。


「ありがとう、宵慈。おかげで助かったよ」

 頭を撫でてやると、彼は嬉しそうに目を細めた。


 何とか逃げたはいいが、しばらくは山に留まった方がいいだろう。誰かに顔を覚えられていたら厄介だ。宵慈とは無関係を装ったが、狼が出没したとあっては、警吏が周辺を巡回する可能性がある。妖人と妖獣であると知れたら、最悪、殺されるかもしれない。


「九重ばあの分も、しっかり働かないといけないのに。まったく、自分が情けない」

 宵慈の心配を感じ、笑顔を取り繕って、彼の胸の毛並みを撫でる。

「宵慈、大好きだよ」

 ぺろりと頬を舐めてくれる。きっと、「僕も弥胡が好き」と言ってくれているのだろう。そうであって欲しい。


 優しくて、愛しい妖獣()


 ――もし、九重が死んでしまったら、わたしが宵慈を守ってやらないと。

 そんなことが頭に浮かび、咄嗟に首を振って、考えを打ち消した。


(縁起でもない! まだ、大丈夫。九重ばあは絶対に良くなる)


 自分に言い聞かせて、宵慈を振り返る。

「さあ、早く帰ろう。九重ばあが待ってるから」

 宵慈は「クゥ」と小さく鳴いた。

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