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荒神遊記 ー天招く巫女と鮮緑の嵐ー  作者: 柏井猫好
4. 神々の棲まう地

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4-9

 問題の焼け跡に行く前に、休憩がてらお茶と軽食を摂ることになった。神庁(じんちょう)では食事は基本的に一日二回だが、皇子ほどの貴人になると、三回食べるようだ。しかも、その内容は毎度平民である弥胡(やこ)の度肝を抜くほど贅沢なものであるが、生まれながらにして高級品ばかり食してきた春宮本人にとっては至って普通の献立らしい。


 聖域で飲食をするわけにもいかないので、聖域の外にある宿泊施設に引き返した。東風野(こちゃ)で見かける家屋と同じように窓や戸口を木彫りの飾り枠で囲ってあるが、床が高くなっているのが特徴的だ。


 阿凛(ありん)によると、細かな刺繍や彫り物は魔除けのお守りで、衣服や装飾品に施すことで病魔を防ぎ、家屋に取り付けることで悪運が侵入できないようになると信じられているそうだ。それを聞いた自称民俗学者のダウィルが興奮して文字通り目を輝かせたが、慌てて両手で隠したので、阿凛に見られずに済んだ。


「それで、彼の地はここから遠いのだろうか?」


 春宮(はるのみや)は獣の毛皮を敷いた飴色の長椅子にゆったりと背をもたらせながら、ヤギの乳を混ぜた茶を口に含んだ。江吏族(えりぞく)の伝統的な食文化は彼の口に合うようで、小麦粉に胡桃と干した果実を入れて焼き、蜂蜜を染み込ませた茶菓子をあっという間に平らげてしまった。春宮に供される前に毒見として弥胡も少し食べさせてもらった。平民にはまず手が出ないほど貴重な食材がふんだんに使用されているため、緊張して味がよく分からなかったのだが、口の中が痛くなるほど甘かったことだけ覚えている。もうこの先一生食べることはないだろう。


「ここから一刻ほど歩いた所に最近発見された焼け跡がございます」

 阿凛は空になった器をちらりと見やり、茶菓子のおかわりをそっと差し出した。


「ふむ。焼け跡はいくつもあるとのことだが、段々と聖域の端まで近づいてきているということだろうか?」

「それが、そういうわけでもないのです」


 阿凛は頬に手を当てて困ったように目を伏せた。

「一番最初に異変に気が付いたのは、数か月前に聖域の見回りに来ていた一団でした。聖域の北部で小規模な火災があり、幸いにも雨ですぐに鎮火されたのですが、精気の気配に聡い者が焼け跡に残された神力(しんりき)を察知しまして、これは自然に発生した山火事ではなく、神によるものだと結論付けられました」


 通常、人間は森林や滝のそばなど、自然の精気の溢れる場所では何となく心地よいと感じることはあっても、他の人間や精霊、神々の精気を感知することはできない。


 しかしごく稀に精気を色で視ることができたり、気配を感じ取ったりできる者がいる。特殊能力ではなく、あくまで「他者より勘が鋭い」という認識のため、神庁で登録はしていない。特に江吏族の神の血を引く者に多いとされるが、全員に備わっている能力ではないし、翠陵(すいりょう)の民にも「勘が鋭い」者は生まれるという。


「荒ぶる神が山火事を引き起こすことは珍しいことではないため、その時は特に気に留めていなかったのですが、その後も同じような火災が度々発生したのです」


 火災が発生した場所はばらばらで、その荒神(あらがみ)が目的地に向かっているというよりは、当てもなく彷徨っている印象を受けたそうだ。


「しかしながら、ここ最近では火災の規模と頻度が増えてきているのです。おまけにその荒神のものと思われる咆哮や地響きなども同時に確認されています」


 阿凛は神妙な面持ちで春宮を見た。彼は何度か小さく頷く。

「何か不機嫌に思うことがあったのか……。何にせよ、鎮めることが可能なのかを確認せねばならんな」


 その場に何ともいえない緊張感が走るなか、弥胡の隣に立って控えていたダウィルがぽつりと呟いた。


「荒神、ね」


 皮肉気な声色に驚いて見上げると、彼はうっすらと嘲笑を浮かべていた。


(ダウィル……?)


 不穏なものを感じて辺りをこっそり伺ったが、幸いなことに、彼の様子に気付いたのは弥胡だけだったようだ。


 弥胡の視線に気付くと、ダウィルはそれをいつも通りの柔らかい笑みに塗り替えた。彼は口の動きだけで「どうしたの?」と訊いてきたが、弥胡は「何でもない」という意味を込めて小さく頭を振った。



 休憩後、一行は阿凛の案内で最近発見されたという焼け跡へ向かった。

 苔むした木々の合間を縫って進み、その場所へ近づくにつれ、鳥や虫の鳴き声が少なくなっていくことに気付く。


「こちらです」


 到着した先で目にしたのは、異様な光景だった。

 円形に黒く焦げた大地が広がっている。その延焼範囲はかなり広く、端に立つと反対側の端に生えている木が弥胡の前腕くらいの長さに見えた。中央には深く抉れた窪みがあり、そこから放射線状に吹き飛ばされたように、炭化した木々の残骸がそこここに散らばっていた。


「まるで何かが爆発したような……」


 春宮は冬成(とうせい)を伴って中心部の一段と窪んだ箇所へ下りた。彼の背丈ほどの深さがある。阿凛と彼女の側近も下りようとしたのだが、何か考えがあるのか、春宮はそれを固辞した。


 弥胡は窪みの外から、難しい顔で何やら話している二人を覗き込んだ。落ちないように気を遣っているのか、背後からダウィルが腕を回してきて、やんわりと弥胡の身体を抱き留めている。


 しばらくして何らかの合意に至ったのか、春宮は冬成と頷き合い、やおら弥胡を振り仰いだ。


「弥胡、ここへ参れ」

「はい」


 返事をするや否やダウィルに抱え上げられた。彼はそのまま窪みへ飛び込むと、ふわりと優雅に着地し、突然のことに硬直していた弥胡を地面に降ろした。


「殿下、何か御用でしょうか?」


 春宮は自分の足元を顎でしゃくった。

「お前、ここに触れて念視せよ」

「は?」

「この窪みは最近できたということじゃから、まだ荒神の精気が残っておる可能性が高い。天招(あまね)であるお前なら、思念を拾い上げることが可能じゃろう?」

「……はい。できると思いますけど、その、いいんですか?」


 橘に脅されていたとはいえ、弥胡は補魂で春宮たちを襲った前科がある。信用してもらえるのは嬉しいが、やんごとなき身の上のお方にしては少し不用心にも思える。


 しかし春宮は一片の迷いもない眼を向けてきた。

「よい」

「……畏まりました」


 弥胡は肩を竦めて冬成を見上げる。力封じの腕輪は上位の者でなくては制御を解除することができない。

 冬成が腕輪に触れると、途端に締め付けられていた感覚が失せる。普段は気にならないほどに慣れてしまった感覚だが、こうして精気の制限を解除されるとやはり開放感がある。


 春宮の足元へしゃがみ、煤けた土に触れた。


 深呼吸して、指先に意識を集中する。ほんのりと温かいものが流れ込んできた。肉体を介さない精気は清水のように澄んでいる。


 精気が身体の中心へ向かって流れ出した途端、眼裏にちらりと影が過る。その姿を捕らえようと瞳を閉じた。

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