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「ほれ、これも食え。あと、これと、これと、それも滋養に良い。少しばかり肉がついてきたようじゃが、まだまだお前は年頃の娘にしては細すぎるからの」
目の前の卓を眺めて、弥胡はげんなりとした。いかにも高級そうな食材で作られた数々の料理が所せましと並べられている。
丸い卓の向こう側には、襟元を寛げた春宮が高価そうな椅子に座っていた。重厚な飴色の木で作られた椅子で、肘置きには細かい文様が彫り込まれ、背もたれと座る部分には革が張られている。
彼は手ずから料理を取り分け、どんどん弥胡の目の前に並べていった。
やんごとない身の上であるにも関わらず、春宮は堅苦しいことが嫌いなようだった。道中も「お前は監視対象じゃから」と言って弥胡を自分と同じ部屋で食事させたし、今も給仕の侍女も下がらせてしまっている。通常であれば側仕えが主に相伴して食事をするなどとんでもないことで、処罰されても文句を言えないはずだ。
春宮は本来なら冬成も同席させたいのだろうが、彼は護衛であるため、主と同時に食べることはできない。今も春宮の背後で涼しい顔をして立っていた。ちなみに、他の護衛は部屋の外を護っている。
弥胡はダウィルの膝に抱きかかえられた状態で椅子に座っている。彼は毎度弥胡に給餌をしたがり、どんなに拒んでもしつこく膝に乗せてくる。そのうち抵抗する気も失せてしまい、成人男性に抱えられた子供が大男と向かい合って食事をしているという、傍から見れば何とも異様な光景が当たり前になってしまった。
下位の巫女、おまけに平民に過ぎない自分が何故貴人と同じ食卓についているだろうかと考えると胃が痛くなってくる。おまけに、粗食で育った上に小食の弥胡は、どう考えてもこんなに食べられない。
「はい、あ~ん!」
ダウィルがいつもの通り、意気揚々と弥胡の口に食べ物を突っ込んできた。四角く茶色いそれは、甘味と塩気があり、少々ざらついた舌触りの不思議な食感だった。
「……これ、何ですか? 食べたことないです」
弥胡の怪訝な反応に、春宮はポカンとした。自らも同じものを口運んで咀嚼する。
「何じゃ、いつも食っておるのと同じ味じゃ。お前、蘇を食ったことがないのか?神庁でもたまに食事に出てくるじゃろう」
「いえ、神庁でも食べたことないです」
「そういえば、私も神庁では蘇を供された記憶がありません」
冬成は今思い立ったというように目を瞬いている。実家で食べることはあっても、神庁に入ってからは食べていないらしい。
聞けば、蘇は牛の乳を煮詰めて作られているらしい。牛の乳は高級品だ。どうりで平民の弥胡に馴染みがないはずである。
黙って高級な味を堪能していると、こちらをじっと観察していた春宮が、自分の皿をぐっと押してきた。
「気に入ったのか? わしの食いかけでよければやるぞ」
「いえ、結構です。他にもたくさん食べるものがありまブフェ!」
まだ話している途中でダウィルが再び給餌してきたので、変な音が出てしまった。
春宮は何とも生温かい目でそれを見ながら酒を飲んでいる。人を肴にしないでほしい。
「ダウィル、話してる最中に口に入れないでほしいかな」
「そっか。ごめんね? おいしい?」
「うん、美味しいよ」
「ふふっ、良かったあ!」
ダウィルは鹿肉を煮込んだものを箸で摘まみ上げ、浮かれた様子で弥胡の口元へ運んでくる。
「ご飯食べ終わったら、湯浴みをしようね。景色を見ながら湯に浸かれる湯殿があるんだって!」
「……ダウィル、何回も言うけど、わたしはもう、男の前で肌を晒していい年じゃないんだよ」
給餌は何度断っても無駄だったのでされるがままになっているが、湯浴みに関しては弥胡も決して譲らなかった。山間部と言うこともあり、ここへ来るまでに何度か温泉に入る機会もあったのだが、一緒に入ると言ってきかないダウィルを叱り飛ばし、何とか湯殿への乱入は防いできた。
「ええ~、何で? 僕が男の身体に擬態してるから? だったら、女の身体ならいいでしょ?」
「……そういう問題でもないんだけど」
いくら見た目が女になったとしても、弥胡はダウィルを完全に「男」として認識している。ガリガリの洗濯板とはいえ、己の裸を見られるのには抵抗がある。
「そういう問題だよ! 僕は今日こそ絶対に、弥胡と湯浴みするからね!」
ダウィルは言うなり立ち上がり、艶やかな黒髪の女へと変化した。顔つきは他者の目があるときに擬態している男のものと似て平凡だが、何かこだわりがあるのか、胸部と臀部の肉付きがやたらと良い。
その色気に、弥胡は衝撃のあまり硬直した。
(本物の女じゃないのに、不公平だ……!)
思わずたわわに実った果実のような胸を凝視していると、ダウィルは自慢気に両手でそれを持ち上げてみた。
「どう、これなら恥ずかしくないでしょ? うふん、おねえさんが背中を流してあ・げ・るっ」
片目を瞑りながら、接吻するように唇を突き出して「チュッ」っと音を出す。
「ダ、ダウィル殿! 殿下の御前で破廉恥な……!!」
冬成の慌てふためいた声でハッと我に返る。
「と、とにかく、ダメなものはダメ!」
ダウィルは胸を持ち上げたままの恰好で眉尻を下げた。
「どうしても、ダメなの?」
「うっ」
しょぼくれた大型犬を思わせる姿に思わずたじろぐ。頭に犬耳の幻が見える。
成り行きを見守っていた春宮が半眼で二人を見ている。
「神に性別はないし、性欲もない。いいではないか、一緒に湯浴みするくらい」
弥胡はぐっと唇を噛む。内心、もういいかとも思っていたが、ここで折れては、今度は厠に同行したいなどと言い出しかねない。
「ダメったら、ダメ!」
心を鬼にしてピシャリと言い放つと、ダウィルは両手を両脇に下げ、しょんぼりと項垂れた。