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3-19

少し遡って、弥胡が目覚めた頃の空栖たちの様子です。

 宿の一等高級な部屋の中、三枚重ねた畳の上で脇息にもたれながら、空栖(からす)は本日何回目か分からない大きな溜息を吐いた。広々とした室内には皇宮より数段質は落ちるものの高級な几帳や、着物に香を焚きしめるための香炉、黒漆に螺鈿を施した棚などが置かれ、心地よい空間になっている。


 空栖は黒漆に蒔絵を施した角盥(つのだらい)に張った湯に足を突っ込みながら愚痴をこぼした。

「しっかし、疲れたのう……。色々ありすぎて嫌になるな。わし、呪われておるのではなかろうか?」


「縁起でもないことを仰らないでください!」

 そばに控えていた冬成(とうせい)が顔をしかめてピシャリと言い放つ。


「でなければ説明がつかんじゃろう。子供に襲撃されたかと思えば、神がふらふらやって来て『遊びに来ちゃった』と宣いおる」

 空栖は眉間を揉みほぐしながら遠い目をした。




 襲撃の後、冬成に弥胡(やこ)を抱えさせて宿場町まで移動すると、宿にダウィルが現れた。

 何の前触れもなく宿の窓から入ってきた彼は、無邪気に笑いながらひらひらと手を振った。


「やっほ~、空栖、冬成! 遊びにきちゃった!」


 てへっと舌先を出して笑う神に驚愕し、二人とも目を剥いていると、彼は畳の上に寝かされていた弥胡を抱き上げた。


「うちの子がお世話になったね。今は眠っているのかな?」

「ダウィル殿、何故ここに?」

「ん? 急に弥胡がすんごい距離を移動したから、どうしたのかなと思って。どうやら僕のあげた精気の塊も使ったみたいだし、何かあった?」


 空栖はダウィルを刺激しないように、慎重に言葉を選びながら状況を説明した。

 公務の道中に弥胡を含めた刺客に襲われたこと、追い詰められた彼女が神力を使ったこと、意識を取り戻したら彼女に話を聴きたいこと。


 ダウィルはふむふむと話を聞いていたが、説明を終えると、興奮したようにパチパチと手を叩いた。


「うわぁ、何それ! まるで芝居小屋の演目みたいだね! 僕も見たかったなあ!!」


 まるで幼子のようにはしゃいでいる。空栖は彼の見当違いの発言に胸がざわついた。


「その、お怒りではないのか?」

「怒る? 何で?」

「ダウィル殿は弥胡を殊更愛しく思うておられるのだろう? 頬に痣を拵えていることもそうだが、誰かが彼女を暗殺者に仕立て上げ、人を殺めさせようとしたことに何も感じられないのだろうか?」


 ダウィルはポカンとしている。首を傾げて、目を瞬いた。


「頬の痣で死ぬわけじゃないし。それに、人間って殺し合うのが好きでしょう?」

「――は?」


 今度は空栖が唖然とする番だった。ちらりと横目で冬成を見ると、彼も想定外の返答に目を丸くしている。


「人間っていつの時代も、どこの国でも、何かと理由をつけて殺し合ってるじゃない。戦ともなれば、より多く殺すほど偉いねって褒められるんでしょ? だから僕、てっきり殺し合いは人間にとって遊戯のひとつで、楽しんでるんだと思ってたんだけど、違うの?」


 こちらに問いかける鮮緑の双眸が、急に感情を失ったように見えた。まるで崖から深淵を覗き込んでいるような、何ともいえない不気味さに背筋が粟立つ。


「――そう解釈されても仕方がないのかもしれぬ。しかし、人間(われわれ)は決して、好き好んで殺し合っているわけではない。お互いに譲れぬものがあって、仕方なしに力で相手を屈服させる場合もあるし、己の大切なものを守るために戦わねばならぬ時もある」


 口が乾いて喉が貼りつきそうになるのを、必死に唾を呑んでやり過ごす。

 ダウィルはふうん、と事も無げに頷いた。


「そっかぁ、勉強になった! ところで、弥胡の意識が戻ったら話を聴きたいってことだけど、それまで僕が弥胡のお世話していい?」

「……承知した。ただ、他の者の前で大陸風の姿でいらしては騒ぎになる故、人目のある場所では他の姿に擬態していただけぬだろうか?」


 ダウィルは嬉しそうに頷くと、いそいそと黒髪黒目の平凡な男の姿に変化し、弥胡を布でくるんで抱え込んだ。


 ――まるで幼子がお気に入りの人形を抱いているようだ。

 空栖はダウィルの様子に小さく息を吐く。


 言われたことは分かったようだが、本当の意味で理解したとは言い難い。

 ダウィルは肉体を持たぬが故に痛覚もない。だから弥胡が負傷したという事実は理解できるが、それが彼女の心身にどのような苦痛と影響をもたらすか想像すらできない。

 人が殺し殺される様を目撃したことはあるが、彼自身に寿命がないので、その残酷さと理不尽さを自身に置き換えて考えられない。


 いくら人間を観察したところで、本当の意味で彼が空栖の言ったことを理解することはできないのかもしれない。そう思い至り、虚しくなった。これが「神」と人間の埋められない溝なのだろう。


 翌日、山をもう一つ越え、現在滞在している山間部では比較的大きな街に到着したのだが、道中もダウィルは凡庸な男に擬態し、弥胡を抱えたまま行儀よく馬に乗っていた。

 そして宿に着くなり、「今夜は満月だから、弥胡が目覚めたら月見をしたい」と言い出したので、逃走しないことを条件に好きにさせることにしたのだ。




  空栖がぼんやり思い返していると、冬成の普段より固い声が耳に響いた。

「……それにしても、先ほど拝謁した際、私の目にはダウィル殿は弥胡の境遇を少しも気にしておられないように見えました。弥胡を構うことに固執しているのは明らかですが、一体、何があの御方の逆鱗に触れるのでございましょうか」


 冬成の疑問はもっともだ。ダウィルは弥胡に執着しているのだから、てっきり彼女が虐げられたり、意に染まぬ行動を強要されれば激怒するのではと思っていたのだ。しかし、予想が外れた今は、神を怒らせぬよう予め対策をとることもできない。


「お前が弥胡を抱えておっても悋気を起こさなかったしのう。まあ、神に男女の情があるかは甚だ疑問ではあるが」


 空栖の目からすれば、あの神は幼子が飯事(ままごと)に興じるように、「人間ごっこ」をしているようにしか見えない。幼い子供がひどく気まぐれであるのと同様、興味の向いた時だけ赤子に見立てた弥胡に構っているような――。


 部屋に沈黙が訪れた。互いにしばらく考え込む。 

 冬成はふと何かに気付いたように眉間に皺を寄せ、窓へ近寄った。そっと外を伺って、ハッと息を呑む。


「殿下、弥胡が目覚めたようでございます」

「真か」


 空栖が角盥から足を上げたので、冬成は足早に歩み寄り、手拭いで空栖の足を拭う。窓へ取って返し、再び外を伺った。


「はい。ダウィル殿が抱えて飛び上がっていきましたが、団子を持っていたので、本当に月見をするようです」

「そうか、では、もう少ししたら来るであろう。来たら起こしてくれ」

「承知いたしました」


 空栖は鬱々とした気分で畳に寝転がった。

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