3-18
お月見の続きです。
月明かりが庭を照らしているため、夜だというのに周りが良く見えた。岩や石が上品に配置された庭には竹垣で囲まれている。竹垣の向こうには竹林があり、背後に山が黒く見えた。
てっきりこのまま庭で月を眺めるのだと思いきや、ダウィルは弥胡に団子を持たせると横抱きにして宙に浮かび上がった。黒く擬態されていた目が鮮緑の炎に取って代わる。
「うえええ」
腹の奥が浮くような感覚に思わず奇声を上げてダウィルにしがみつく。彼はお構いなしにぐんぐんと上昇し、宿の屋根の上に降り立った。
「ここの方がよく見えるでしょう?」
「うん。確かに、目線が高いね」
ダウィルは屋根に腰を降ろすと、隣に座ろうとしていた弥胡を引き寄せて脚の間に座らせ、背後から抱えるように腕を回してきた。
先ほどは目覚めたばかりでぼんやりしていたが、はっきりと意識がある今、男女間では通常あり得ない密着具合に羞恥心が煽られ、顔が熱くなる。
「ちょっ、ち、近いんだけど」
「ええ~、だって、ここ弥胡が住んでいる仙王津より寒いでしょ。まだ本調子じゃないんだから、くっついてないと風邪ひいちゃうよ」
腕をぐいぐい押してみたがびくともしない。ダウィルの飄々とした様子に何だか恥ずかしがっているのも馬鹿らしくなって、されるがままになった。
濃紺の空に淡い金色の真円がぽっかりと浮かび、秋を告げる虫の音と、肌を撫でる冷たい風が、怒涛の出来事で荒んだ心を撫でていく。
任務に失敗したというのに、こうして今ここに生きているのが、あまりにも弥胡にとって都合が良すぎて、これが現実であるという実感が湧かない。
もしかして、自分はまだ夢を見ているのではないか。
試しに頬をつねってみると、何故かべとついている。
「ああ、それ、冬成が軟膏を塗ってくれたんだよね。痣になってるんだって」
「冬成、様が」
ふと脳裏に三明の顔が浮かんだ。彼女は冬成に助けられて以来、密かに彼に憧れていたっけ。
(わたしが故意に帰らないんじゃなくて、捕まって帰れない場合、あの女は三明をどう扱うんだろう……)
何とか脱走して帰還したとして、快く迎えられるとは到底思えない。例え春宮殺害に成功していたとして、口封じに殺されるか、「わたくしは関係ありません」と弥胡に罪をなすりつけて切り捨てるつもりだったのだろう。
しばらく鬱々とした気分で月を見上げていると、ダウィルが団子を掴んで弥胡の頬に押し付けてきた。団子に軟膏がついてしまうので、止めてもらいたい。
「……あの、そこは口じゃないよ」
「あれ、ここからだと見えないから、外しちゃった。はい、あーん」
弥胡は団子を受け取ろうとするが、ダウィルは頑として手放さない。諦めて口を開け、給餌を受け入れた。案の定、軟膏が付着してしまったのか、微妙に苦い。
「おいしい?」
「微妙」という感想を吞み込んで、無言で頷くと、彼は片手で団子を複数掴み、今度は自分の口へ運ぶ。
「あんまりいっぱい詰め込むと危ないよ」
「うん、ふぁひふぉーぶ」
口に団子が入ったまま喋るので何を言っているのか分からないが、きっと「大丈夫」というようなことを言っているのだろうと解釈した。
「人間は、ああいう月を見ると、綺麗だなあって思うんでしょ?」
「そうだね。人にもよるけど。わたしはそう思う」
「ふふっ、そうなんだね! 満月、綺麗だなあ!」
ダウィルは弥胡グッと抱き寄せた。彼の発言に違和感を覚えたが、背中が彼の硬い胸に押し付けられて、たちまち何に引っ掛かりを覚えたのか頭から吹き飛んでしまった。
(相手はわたしを犬か猫みたいに思ってるんだから、ドキドキするだけ無駄だ。落ち着け、わたし!!)
弥胡が葛藤しながらぎゅうぎゅに抱きしめられることしばし。団子が全てなくなると、ダウィルはあっさりと立ち上がった。
「さぁて、そろそろ空栖たちとおしゃべりしに行こうか」
――とうとう、春宮と対峙しなくてはならない。
弥胡は緊張で手が冷たくなるのを感じながらも、口を硬く引き結んで頷いた。
今まで弥胡の住んでいる地域を「四辻の治める領地」とか、「都からほど近く」としか表現していなかったのですが、改めまして、四辻領の仙王津という地域です。