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3-17

 ゆらゆらと何かに揺られているような気がする。

 ――船の上……?


 父の船に最後に乗せてもらったのはいつのことだったろう。感情酔いで臥せっていることが多かったから、ほんの数回しか乗せてもらったことはないのだけれど。


 魚がたくさん獲れた時の父の誇らしげな顔を見るのが好きだったのに、今はもう、どんな顔っだったのか、どんな声で弥胡(やこ)を呼んだのかすら思い出せない。


 身動ぎしようとしたが、身体が鉛のように重く、指の先すら動かすことができなかった。


 ――何故、こんなに怠いのだろう。

 何か、大切なことを忘れている気がする。何か……誰か――。


 霞がかかったようにぼんやりとした頭で考えていると、暗い水面に吸い込まれるようにまた意識が沈んでいく。



 月も星もない闇色の空の下、弥胡は川原に立ち尽くしていた。どこにも灯りがないのにも関わらず、何故か目の前がはっきりと見える。


 ――行かなくてはならない。……でも、何処へ?


 弥胡は一歩前へ足を出す。草履が小石を擦って、ジャリッという音がした。

 目的地は分からない、しかし、前へ進んで行かなければならないという強迫観念にも似た思いに突き動かされ、一歩、また一歩と進んで行く。


 ふと、何かに躓き、足を止める。のろのろと足元を見ると、ボサボサの黒髪の男が倒れていた。青白い顔には赤黒い塗料で文様が描かれている。目は虚無を映し、青紫色の唇からは大量の唾液が滴っていた。


「ひいっ……!!」


 思わず跳び退ると、今度は踵が何かに引っ掛かって尻もちをついた。尻の下に感じる冷たいくて硬いものの正体を見た途端、飛び退いた。女の死体が無造作に転がされていた。


「いやあ!」


 足をもつれさせながらも立ち上がる。ふと気が付くと、何もなかったはずの川原には数えきれないほどの骸が散乱し、正に死屍累々たる有様だった。


「嫌だ、止めて! 止めて! いやああ!!」

 泣き叫びながら両手で顔を覆う。


「どうして、あなたが泣くの?」

 不意に、聞きなれた声が耳を掠めた。


 恐る恐る指の隙間から声の方を見ると、灰色の岩の上に、白い顔にそばかすが散った少女の頭部が置かれていた。茶褐色の髪はさんばらに切られ、生ぬるい風になびいている。


 がくがくと身体が震えて、奥歯がカチカチと鳴った。呼吸が苦しくなって、喉が喘鳴を立てる。

 「――三明(みあけ)……」


 三明は濁った眼でこちらを見ながらひび割れた唇を動かした。ごぽりと血泡が零れる。

「あなたがわたしを殺したのに」



 ビクンと身体が痙攣して、意識が浮上する。

 微かに身動ぎすると、指先に柔らかな布を感じた。

(――今のは、夢……?)

 全身に汗をかき、心臓が苦しいくらいに激しく脈打っている。

 三明の恨めしそうな声音が耳にこびりついて、離れない。


 気持ちを落ち着けようと、深く息を吐く。ふと背中に回された温かい腕を感じ、弥胡は自分が布に包まれて、誰かに抱えられていることに気が付いた。

 重い瞼を持ち上げ、緩慢な瞬きを繰り返す。燈台の灯りがぼんやりと周囲を照らしていた。


「あれ、気が付いた?」

 穏やかな声に視線を上げると、燃えるような鮮緑の双眸が顔を覗き込んでいた。


「ダ、ウィル……?」

 かさかさの唇から漏れた声は酷く掠れていた。

「ちょっと待ってね。白湯があるから」


 そう言うと彼は身体を傾ける。そばに置いてあった盃を掴むと、弥胡の口にあてがってくれた。ゆっくりと丁度いい温度の湯を口に含んで湿らし、嚥下する。


 何度かに分けて盃の白湯を全部飲み切ると、弥胡は辺りを見渡した。見慣れない調度品が置かれた部屋で、部屋の隅に燈台が一つ置かれている。反対側の壁際には畳が敷かれ、ダウィルがその上に胡坐をかき、壁に寄りかかっている。弥胡はそんな彼の膝の上に抱きかかえられているようだ。


 ――確か、わたしは春宮(はるのみや)を襲撃して、冬成(とうせい)に捕まったのではなかったか。

 それなのに、どうしてダウィルに抱えられているのだろう。


「ど、どういう、状況……?」

 恐る恐る尋ねると、ダウィルはこてりと首を傾げた。

「ん? どういう状況って?」

「ダウィルはどうして、ここにいるの?」


 彼は心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。

「だってぇ、満月の日に逢引しようねって約束したのに、弥胡は屋敷を離れてどんどん移動しちゃうんだもん! 僕一生懸命追いかけてきたんだからね!」

「ご、ごめん……。でも、わたし、悪いことして捕らえらえれているはずなんだけど」

「ああ、空栖(からす)たちにはちゃんと説明したから、大丈夫だよ」

「空栖?」

「そっか、この国の皇族は、皇帝と親以外が名前を呼んじゃいけないんだっけ。えーっと、呼称は何だっけ。何とかの宮。第一皇子サマだよ」

「春宮、殿下? 知り合いなの?」

「ああ、そうそう、そんな呼称だったはず。都に観光に行った時に知り合ったんだ!」


 ダウィルは満足げに頷いたが、全く説明になっていない。弥胡は困って視線を彷徨わせた。


「えっと、約束破って、ごめん、ね」

 何を言ったらいいのか分からず、とりあえず謝罪すると、ダウィルは目を三日月形に細めた。


「ううん、大丈夫! 今夜が満月だから! 後でお団子とかもらって、外で食べよう!」

「え」


 意識を失う前は満月は翌日だったはずだ。ということは、弥胡は丸一日近く意識を失っていたことになる。


 ――三明は、どうなったのだろう。宵慈(よいじ)は無事に逃げたのだろうか。わたしはこれから何をされるのか。

 胸が不安でざわざわする。


「ダウィル、春宮殿下は、わたしのこと何か言っていた?」

「意識が戻ったら話が聴きたいって言ってたけど、お月見の後にしてっていっておいたよ」

 弥胡は目を白黒させた。刺客の尋問より月見を優先させるなんて、普通はあり得ない。

「そ、そうなんだ……。怒られなかった?」

「別に? いいよ~って言ってくれたけど?」


 十中八九そんな言い方はしていないだろうが、いくら皇族とはいえ、神を相手に文句を言えなかったのだろう。考えるだけで胃が痛くなってきた。

 まだ彼の目的が何なのかは分からないが、皇族まで彼の正体を知っているのであれば、自分も確認しておいた方がいいだろう。


 弥胡は躊躇いがちに口を開いた。

「――ダウィルは、その……。か、神様、ってことで、合ってる?」


 ダウィルは一瞬真顔になったが、すぐに相好を崩した。弥胡の頭頂部に頬を押し付け、高速で頬ずりを繰り返す。髪が巻き込まれて地味に痛い。


「正解~! 偉いねえ、ちゃんと言えたね! かわいいなぁ、かわいいなぁ!! はぁ、連れて帰って飼おうかな……」


 最後の方は小さく独り言ちたに過ぎなかったが、きちんと聞こえてしまい、弥胡はギョッと目を見開いた。


「かっ、飼う!?」

「あ、聞こえてた? ふふ、冗談だよぅ。今のところは」


 ――冗談に聞こえないから恐ろしいのだけれど。


 戸惑う弥胡を膝から降ろすと、ダウィルはおもむろに立ち上がった。陽炎のように姿が歪んだかと思えば、瞬く間に黒髪黒目の平凡な顔立ちの神波国(かんなみのくに)の青年が現れた。

 弥胡はヒュッと息を呑んだ。驚きのあまり声も出ない。

 茫然とする弥胡を尻目に彼は部屋の戸を開けて、ダウィルの声で廊下に向かって声を張り上げた。


「すみませ~ん! ちょっと頼みたいんだけどぉ!」

 しずしずと侍女らしき女がやって来て戸口で平伏した。

「はい、お呼びでしょうか」

「お団子ありますかぁ? よければいくつか欲しいんだけど」

「はい、ただいまお持ちいたします」

 侍女はもう一度頭を下げて戸を閉めた。


「良かったね! お団子あるって!」

 嬉しそうにこちらを振り向く男の顔をまじまじと見つめる。


「ん? どうしたの?」

「……ダ、ダウィルだよ、ね?」


 ダウィルは今気が付いたといわんばかりに手を打った。

「ああ、そっか! 弥胡には説明してなかったね。僕は精霊で実体がないから、どんなものにでも擬態できるんだよ」

「どんなものにでも?」

「うん。前にも猫の姿で弥胡に会いに行ったんだよ。干した果実をくれたの、覚えてる?」

「えっ、あの猫はダウィルだったの!?」

 ダウィルは得意げに鼻の下を擦る。


 あまりにも目まぐるしく色々なことが起こるので、情報過多で頭が痛くなってきた。弥胡は両手で顔を覆って俯いた。


 そうこうしているうちに侍女が団子を持って戻ってきた。ダウィルはそれを受け取ると、いそいそと弥胡に近づいてくる。


「具合はどう? 外へ出られるようなら、お月見したいんだけど」


 正直、そんな気分ではないが、ここまで楽しみにして準備までしてくれたダウィルの気持ちを無下にしたくない。


「うん、少しの間なら、大丈夫だよ」

「じゃあ、お姫様、お手をどうぞ!」


 そう言って差し出された手に、ぎこちなく片手を載せる。ダウィルは嬉しそうに顔を綻ばせると弥胡を外へ連れ出した。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱダウィルがいるだけでなんか安心するなぁ 更新ありがとうございます! 楽しく読ませていただいております。
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