表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/103

1-3

 老婆の名前は九重(くのえ)といった。弥胡(やこ)と同じ、人間ならざる能力を持って生まれ、若い頃から人目を忍んで山奥で暮らしているという。

 宵慈(よいじ)は九重の相棒で、妖獣(ようじゅう)と呼ばれる生物らしい。妖人(ようじん)と同じく、通常の獣にはない特殊な能力がある獣を、妖獣と呼ぶそうだ。


 九重は弥胡の事情を聴くと、皮肉な笑みを浮かべた。

「妖人の他に鬼だとか、物の怪憑きだとか、色々な呼称があるが、わしらが忌み嫌われる存在ということに違いはない。嫌われ者同士、ここに住んだらいい」


 ――忌み嫌われる存在。


 胸の奥が石でも詰め込んだように重くなった。家族にとって厄介者だったのは理解しているが、改めて自分は誰にも望まれない子供なのだと思い知らされる。


「父さんと母さんは、わたしを腐芽苦(ふがく)だって言ってた」

「……そうか」

「……九重ばあも、わたしが妖人だと思う?」


 九重に差し出された椀を啜って、思わず顔を顰めた。薬湯だというが、びっくりするほど苦かった。ちびちび舐めるようにして飲む。


「さてな。これはあくまでわしの推測じゃが、話を聞く限り、お前さんは他の生き物が発している精気に、無意識のうちに干渉しているようじゃ。それがお前さんの妖力(ようりょく)なんじゃろう」

「精気……? 妖力?」

 眉を顰める弥胡を一瞥して、九重は土間に寝そべっていた宵慈を振り返る。

「精気というのは、自然から発せられる気のことじゃ。この山にも、草木や土の精気が満ちているし、人間も、獣も、妖人も妖獣も、全て身体の内側に精気を宿している。精気は感情や体調によって日々波長を変え、身体から放出されているのじゃ」


 九重の言葉が妙に腑に落ちた。弥胡は経験上、感情が他人から流れてくるのを知っている。あれは感情そのものではなく、感情によって変調された精気だったのか。


「妖人が使う、人間にはない能力のことを妖力と呼ぶ。わしは妖人じゃが、妖力は使えん。せいぜい、人間と比べて体力があるくらいじゃ。それでも、瞳が光ってしまうので、幼い頃に精気の放出を抑えるように訓練したんじゃ。お前さん、わしの感情を感知できるかい?」


 言われてみて、ハッとする。そういえば、先ほど山で会ってからこれまで、九重の感情は押し寄せてこなかった。意識してみると、ほんのりと警戒している気配を感じるが、心身を蝕む毒のように強烈なものではなかった。


「うっすらとは感じるけれど……」

 弥胡が首を振ると、九重は満足そうに頷いた。

「では、わしの推測が正しいということじゃろうな。宵慈の感情はどうじゃ?」

「人間ほど鮮明な感情は、宵慈からも感じないよ。もしかすると、今は心が落ち着いているからかもしれないけど」

「なるほど、妖獣は妖人ほど感情の揺れがないのかもしれんな」


 弥胡は宵慈の暗い双眸を見つめる。今は囲炉裏の光が反射しているので、元の色は分らないが、瞳自体が光っているわけではなさそうだ。


「妖人も妖獣も、精気を放出していると、瞳が光るの?」

「宵慈の瞳は鈍色に光るが、それは妖力を使っている間だけじゃ。わしは妖力を使えんので、抑えなければ常に光っているのかもしれんが……」

 九重はちらりと弥胡を見た。

「お前さんは精気を抑えているわけでもないのに、瞳が光っていない」

「うん……目が光るとは、言われたことはないかも」

「ならば、全ての妖人の瞳が光るわけではないのかもしれん。如何せん、わしら以外の妖人と妖獣に会ったことがなので、詳しくは分らんが」


 妖人も妖獣も、その辺をうろついているわけではないらしい。もともと数が少ないうえに、九重のように迫害を恐れて隠れているのではないか、とのことだった。


「そうか……。じゃあ、わたしは無意識のうち精気を放って、感情を拾ってたんだ……。九重ばあも、同じように拾っているの?」

 九重は渋面を作った。ややあって、首を横に振る。

「いいや、わしは今まで、他人の感情に同調したことはない。宵慈、お前さんはどうじゃ?」


 宵慈は名前を呼ばれるとピンと耳を立てて頭を上げた。仄かに好奇心が溢れた。「なあに?」というように首を傾げるのがたまらなく可愛い。


「宵慈もないようじゃな」

「……九重ばあは、宵慈の言葉が分るの?」

「言葉として理解しているわけではない。何となく、何を考えているか分る程度じゃ。これは、妖人としての能力というより、長年連れ添った相棒の勘じゃな。お前さんは宵慈の感情がある程度読めるようじゃから、わしよりも正確に考えを理解できるようになるじゃろう」

 宵慈は満足そうにフフンと鼻を鳴らすと、土間にぺっとりと顎を付けて寝そべった。

「宵慈は九重ばあの言うことを理解しているみたいだけど」

「そうじゃな。どういう仕組みなのかは知らんが。宵慈は妖獣じゃから、言葉を話せんというだけで、こちらの言うことは理解しているのかもしれん」


 宵慈は横目でちらりと九重を見た。その眼差しは温かく、信頼がふんわりと漂ってきた。何とも微笑ましい光景に、眩しいものを見たような心地がする。


 ――心がふわふわする……。


(これも、わたしの感じている、自分の感情なんだ……)

 何だか、口元が緩んでしまうのは、「嬉しい」からなのだろうか。


「お前さんが言っていた、他の妖力についてじゃが」

 九重の硬い声でハッと顔を上げる。


「お前さんが宵慈に憑いて見たという子供は、おそらくお前自身じゃ。遠くの音が聞こえたり、誰かの記憶が見えるというのも、恐らく誰かの耳や頭の中に憑いたのじゃろうが、正直、わしにはよく分からん。何せ、今まで自分以外の妖人に会ったことがないうえに、わし自身は妖力が使えないからの」

「えっ? わたし、あんなに小汚いの……?」

 自分の顔など、水面に映ったもの以外見たことがないので、初めて第三者から見た自分の姿に衝撃を受けた。


「貧しい家の子供なんて、皆そんなもんじゃろ。……さて」

 九重は部屋の住みに敷いてあるボロボロの茣蓙(ござ)を顎でしゃくった。

「今夜はもう遅い。お前さんはそっちで休め」

「いいの? あれは、九重ばあの寝床なんでしょ?」

「どこか探れば、もう一枚くらいあるじゃろ。疲れているだろうから、しっかりお休み。明日から、わしの柴刈りと薬草集めを手伝ってもらうぞ。働かないやつにおまんま食わせられるほど、わしは裕福でも甘くもないからな」

 眼光するどく言い放つ。九重の顔は憮然としていたが、言葉には優しさが滲んていた。


 九重の茣蓙に寝転んで、ぼんやりと考える。

 思えば、こんな風に、誰かの感情に心を乱されることなく、穏やかな気持ちで会話をしたのは、初めてだった気がする。これまで弥胡を相手にまともな会話をしようとする者はいなかったし、まともに会話ができる状態だったことが少なかったのだ。


 ふと、眦からぽろりと熱いものが零れ落ちて、弥胡は自分がどんなに他者との触れ合いに飢えていたのか、実感した。


 ――ああ、わたしは、嬉しいのだ。

 家族に見放されたのは悲しかった。でも、これで良かったのかもしれない。

 九重も宵慈も、世間から疎まれ、爪はじきにされたことがある。弥胡の気持ちを理解してくれる存在に拾われたのは、何という幸運だろう。


 ――この心穏やかな生活が長く続きますように。

 そう願わずにはいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ