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3-13

 それから、何がどうなったのか、全く覚えていない。

 ふと我に返ると、弥胡(やこ)は光の一筋さえない闇の中で膝を抱えて座り込んでいた。


 ――もしかして、わたしは死んだのだろうか。


 一瞬そんなことが頭を過るが、尻に感じる冷たくて硬い感触に、まだ自分は生きていているのだと悟り、安堵と同時に絶望した。


 あのまま全てが終わってしまっていたら、どれほど良かっただろう。あのまま消えてしまえたら、自責の念に苦しむこともなかったのに。


 目を開けているのか閉じているのかすら分からない闇の中、脳裏には涎を垂らしてこと切れた男の青白い顔と、がらんどうの濁った瞳、傍らに転々と倒れる屍が浮かんでくる。


 弥胡は強く唇を噛み締める。鉄臭い匂いが鼻孔を突いたが、気にするような余裕もなかった。


(わたしは、何てことを――!)


 山小屋で宵慈(よいじ)が弥胡を守ろうとして兵士を襲い、結果的に殺してしまったが、あれは殺さなければ殺されていた状況での正当防衛だった。あまり罪悪感を感じなかったのは、あの時は全てが唐突で、兵士の死を視認することもないまま宵慈に意識を持っていかれたため、正直言って、彼のことはあまり良く覚えていないことが大きいだろう。


 しかし先ほどの相手は自分にとって無害で、ましてや彼らは抵抗する術すら持っていなかった。決して己の意思で彼らの命を奪ったわけではないが、あんなに惨いことが自分のせいで起こってしまったということが恐ろしくて堪らない。


 じっとしていられず、額を両ひざに押し付けたまま、身体を前後に揺する。喉がぐっと詰まって、眦から熱い雫が溢れてくる。


 自分の力なのにどうすることもできなかった。身体の自由を奪われ、尊厳を踏みにじられて、道具のように利用された。


 ――悔しかった。それ以上に、怖かった。


(……あの人たちは、どんなに苦しかっただろう)


 文字通り、死ぬほどの苦痛だったに違いない。そして、その苦しみは自分が与えたものなのだ。これは、弥胡が未来永劫背負っていかねばならない罪だ。それでも――。


「赦して、赦して……」


 喉から押し出される掠れた声に応える者は、もうこの世にいないのに、それでも繰り返し請うことしかできなかった。




 それほどそうしていただろう。

 ギイッと戸が開く音と共に光が一筋飛び込んできて、闇に慣れた視界を焼く。

 反射的に腕で目を庇って顔を背けた。


「よう眠れたかえ?」


 感情の伺えない声に、弥胡はのろのろと顔を上げた。

 淡黄色の袿を着た(たちばな)が手燭を持って立っていた。彼女は狐目を更に細める。


「其方には、これから特別な任務についてもらう」

「任務……?」

「そうじゃ。これから其方には、秘密裏にある人物を始末してもらう」


 ――シマツ……。

 頭の中で橘の言葉を反芻する。一拍遅れて意味を解し、全身に悪寒が走った。


「なっ……!! 始末って、こ、殺せ、ってこと!?」

「いかにも」

 弥胡は頭が捥げて落ちそうなほ強く首を横に振った。

「い、嫌だ! 絶対に、嫌だ!! あんな酷いこと、二度とするもんか!」


 あんなに恐ろしいことを、もう一度やれと言うのか。

 身体が震え、弥胡は己を掻き抱いた。


 橘は袖で口元を隠し、ほほほと嗤う。

「既に四人を屠っておいて、何を今更」


 ぎくりと身体が硬直する。

「山小屋の兵士と昨夜の三人を無慈悲に殺めておいて、今更善人を気取るのかえ? 血に塗れた手でもう一人殺めたところで、何も変わらないであろう」


 ねっとりとした声が耳を犯す。ゆっくりと鼓動が速まり、掌に汗が滲んだ。


 ――わたしのせいで、既に四人も亡くなっている。


「だとしても、これ以上は、嫌だ……」

 絞りだした声は語尾が掠れて聞き取りづらい。


 しばらくの沈黙の後、橘がフンと鼻を鳴らした。

「では、仕方ない。其方の違背については、姉巫女に責を負うてもらおうかの」


 橘が踵を返す衣擦れの音がした。


 ――姉巫女……


 三明(みあけ)のそばかすだらけの顔が頭に浮かぶ。

 愕然として顔を上げると、橘がにんまりと顔を歪めていた。


「なっ……、三明は関係ないだろう!?」

「関係ないものか。妹巫女が命令に従わないというのであれば、その落とし前は姉巫女がつけるのは当然のこと」

 弥胡はギリッと奥歯を噛んだ。


 肉親でもない三明のために傀儡になる義理はない。しかし、口やかましいけれど面倒見のいいあの巫女に対して、弥胡は友情のようなもを抱いている。簡単に見捨てたりできない。

 それを知ったうえで脅してきているのだ。たまたま指導役につけられただけの、まだ成人もしていない少女を人質に取るとはどこまで卑怯な連中なのか。


 怒りで目の前が真っ赤になり、射殺さんばかりに橘を睨め付けた。

「卑怯者!」

「そのような顔をするでない。其方にとっても悪い話ではない故。()や」

 そう言って、橘は戸の外へ身を滑らせた。


 弥胡は強張る身体を叱咤しながら立ち上がり、よろよろと後に続く。


 廊下に出て初めて、弥胡は自分が窓のない小部屋に閉じ込められていたことに気付いた。どうやら、あの後、茫然自失していた間に押し込められたらしい。


 廊下で待機していた衛兵に一つ頷くと、橘はゆっくりと歩き出した。


 しばらく行くと、堅牢な格子がはまった一角が見えてきて、思わず鼻白む。

 格子の前には二人の衛兵が立っていた。その数歩手前で橘が立ち止まる。

 橘は弥胡を振り返り、口の両端を吊り上げる。よく手入れされた白い手を優雅に持ち上げて、牢を指さした。


「これに見覚えはないかえ?」


 弥胡は身を乗り出して、示された先を覗き込む。

 格子の向こう側に、灯りを受けてキラキラと光を反射するものがある。鎖が擦れるような音がした。

 既視感に、ドクンと鼓動が大きく跳ねた。


 自分でも気付かないうちに牢に走り寄っていた。格子に手が届く前に、衛兵の一人に行く手を塞がれる。中を覗き込んで、硬直した。

 格子の向こう側に、青味を帯びた銀の毛並みの狼がいた。口枷をされ、首に巻かれた鎖で床に繋がれている。


「――よい、じ……?」

 弥胡は目を瞬いた。


 狼のやわらかそうな耳がピクリと動き、黒い双眸が弥胡を見返している。尻尾ははち切れんばかりに揺れていた。喜んでいるのだ。


 ――間違いない、宵慈だ。生きていた。生きていてくれた。


 最後に見た、赤黒い血で毛が染まった姿が眼裏に蘇り、目が熱くなった。ボロボロと涙が零れ落ちる。

 胸の奥から歓喜が湧き上がって震えた。


「宵慈!!」


 衛兵を押しのけようとしたが、逆に肩を突き飛ばされた。

 弥胡が床に転がると、宵慈は低い唸り声を上げた。

 橘はゆっくりとこちらに近づいていくる。


「妖獣の力は封じてある故、こやつはここから逃れられぬ」


 宵慈の前脚に銀の輪が見えた。巫女と巫覡(ふげき)が装着している力封じの腕輪と同じように見える。十中八九、精気を制御するものだろう。あれでは、宵慈は影に隠形して逃げることはできない。


「宵慈をどうするつもり!?」

 弥胡は橘をに睨みつけた。

「其方にはこの妖獣を返してやろう。これと共に任に当たるように」


 弥胡は目を瞬いた。一体どういう風の吹きまわしだろう。

「どういうつもり……?」

「何じゃ、嬉しくないのかえ? ようやく再会できたのであろう」


 意図が読めず、弥胡はじっと橘の表情を探る。こういう時に精気を吸引できないのが悔やまれる。


 くつくつと笑いながら、橘は扇で弥胡の顎をすくい、目線を合わせてくる。

「その代わり、わたくしの命に背いたり、脱走するようなことがあれば、即座に其方の姉巫女の首を刎ねる。あれにはわたくしの手の者を四六時中貼りつかせてあるでな」


 弥胡は屈辱と憤怒に顔を歪めた。


 ――こんなやつの意のままに操られるのは非常に不愉快だ。けれど。


(三明は、(はなぶさ)からわたしを庇ってくれた)

 見殺しには、できない。

 怒りで頭が茹りそうだ。掌が切れて血がにじむほどきつく拳を握りしめる。


「……やれば、いいんだろう」

「ふふふ、いい子じゃ。それでは、妖獣を伴い、わたくしの間者と共に目的地へ向かうように」

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