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3-7

「本日から、午後の修行の一部は星読(ほしよみ)たちに混じって行いましょうね」

 精気の扱いにある程度慣れたある日、桜香(おうか)が言った。


 緊張を孕んだ彼女の声に、弥胡(やこ)はぐっと姿勢を正す。弥胡が天招(あまね)の巫女であることを秘匿しなければならない以上、体外に向かって神通力(じんつうりき)を行使する星読たちに、違和感を持たれてはならない。


「あなたの能力のうち、星読の巫女として不自然でないのは念聴(ねんちょう)千里眼(せんりがん)です。もし万が一、誰かに触れてその人の過去の記憶を垣間見てしまっても、決して相手に悟られてはなりませんよ」

「はい」


 念視(ねんし)の神通力と視えるものは同じだが、対象に与える感覚は真逆になるので、弥胡の補魂(ほこん)の性質が露見する危険が最も高い。


「わたしくは鬼鎮(おにしずめ)の巫女ですから、今回の星読の修行には参加できません。ですので、あなたのことは指導役である三明に頼んでありますから、修行中はあの子のそばにいるといいですよ」


 三明の神通力は透視のため、もし彼女が力封じの腕輪が解除されている状態で弥胡に触れたとしても、本当の所属先は分からないと聞いて安堵した。


「今回の、ってことは、いつかはあるってこと?」

「星読の中には、鬼鎮を戦闘において補佐する神通力を持つ者もいます。三明がいい例ですね。透視は諜報活動においても、戦闘においても有用な力ですから」


 間者として敵方に忍び込み、鍵の付いた場所で保管されている密書などを読んだり、戦地においては鬼鎮と組んで、どこに敵が潜んでいるかを事前に教えたりするという。


「あなたも、天招と公言していれば鬼鎮と組んで戦闘に参加することもあるのですが、今のところは、諜報系の訓練と任務だけになるでしょうね」


 そこで弥胡は違和感を覚えた。自分が天招の巫女であると露見した時、周囲の悪意から身を守るために星読を装っていると、以前桜香は説明していた。


 しかし、合意もなしに権力と武力を笠に着て弥胡を拐かした連中が、果たして平民の小娘のことを、それほど気にかけるものなのだろうか。


 天招は希少だが、星読は珍しくもなく、所属員が多い。天招は諜報と戦闘両方に対応可能だが、星読には戦闘に向く能力が少ない。とすれば、後ろ盾のない平民の弥胡が周りから虐げられようが、天招として戦闘に放り込んだ方がよほど神庁にとっては有益なのではないだろうか。


(――何か裏がある)


 じっとりと桜香を睨め付けても、彼女は涼し気な顔をしているだけで、心の内を表面に出さない。桜香と数日過ごしてみて分かったが、相手に感情を悟られまいとするのは、彼女の性質というよりは貴族の習慣であるらしい。もっとも、力封じを解除した状態では桜香の心の機微も弥胡には筒抜けになるのだけれど。


 しかし、これ以上情報がない今は、様子を見ることしかできないだろう。

 モヤモヤした思いを胸の奥に押しやり、桜香に連れられて上位巫女棟を出た。


 渡り廊下を進み、屋敷中央の一番大きな建物を通り過ぎる。ここは執務棟で、主に役職についている巫女や巫覡(ふげき)が執務を行ったり、定例会議や作戦会議などが行われる重要な建物らしい。至る所に衛兵が配置されていることがこの棟の重要性と機密性の高さを雄弁に物語っていた。執務棟の回廊を進むと再び渡り廊下を通り、訓練棟にたどり着いた。


 今までは桜香の私室で訓練が行われていたので、弥胡にとっては初めて来る場所だった。回廊に面した壁は黒塗りの格子状になっていて、上半分が持ち上げられて風が通るようになっていた。中には大きな広間があり、等間隔で円柱が何本も立っている。


 弥胡たちが足を踏み入れたのは、大勢の巫女・巫覡が集まって袿と水干を着た上位者の話を聞いている最中だった。上位巫女が何か説明している間静かに控えていた上位巫覡が桜香に気付き、足音を立てずにこちらへ近寄ってきた。


 巫覡と桜香は互いに一礼すると、小声で挨拶を交わした。

「こちらが昨日お話しした、弥胡です」


 巫覡は弥胡に向き直ると、値踏みするように全身を見回した。彼の眉間に寄った皺に嘲りが透けて見えて、思わずムッとして鼻に皺を寄せる。


「では、お預かりする。……ついて来い」

 巫覡は顎で広間の方をしゃくるとすたすたと歩き出した。


 桜香は困ったように眉尻を下げたが、良く励め、というように小さく頷き、回廊へ去っていった。

 仕方なく、弥胡は早足で巫覡の後を追って広間に入った。

 四方八方から無遠慮な視線が飛んできて、思わず身を竦める。途中から参加した弥胡は否が応でも目立つらしい。

 巫覡は弥胡を三明の隣に座るように言い捨てると、先ほど控えていた場所へと戻っていった。



「それでは、これから力封じを解除していきます。解除が終わったら、それぞれの能力に分かれるように」


 上位巫女はそう言うと、傍らで控えていた先ほどの感じの悪い巫覡に目くばせする。二人は並んで広間を歩き始めた。どうやら、力封じを解除して回るようだ。


 その場に座ったまま順番を待っていると、三明が弥胡を振り返った。

「わたしはこれから透視仲間と集まって修行なんだけれど、弥胡は何の神通力を持っているの?」

「えっと、念聴と、千里眼……」

 弥胡は居心地悪く呟いた。何となく目が泳いでしまうのは、これまであまり嘘を吐いたことがないからだ。


 三明は驚いたように目を瞠った。

「あなた、複数の能力持ちなのね! すごいじゃない!」

「……そうなの?」

「そうよ。ここには神通力持ちばかりが集められているからあまり実感が湧かないんでしょうけど、そもそも神通力を持っている事自体のが珍しいのよ。複数の能力持ちなんて、更に少ないから重宝されるわよ」


 弥胡はふうん、と相槌を打つに留めた。実際は複数の能力を持っているわけではなく、補魂の性質故にあたかも三種類の神通力が使えるように見えるだけなのだが、念視ができることも、補魂の性質があることも三明には言えない。


「複数の能力があるなら、修行する日を分けるよう言われると思うわ。今日は念聴、次回は千里眼といった風にね」

 話しているうちに三明と弥胡の力封じを解除する番が来た。


 上位巫女が弥胡の腕輪に触れた途端、部屋中に露骨な敵対心や、好奇心、猜疑心など、様々な感情が渦巻いているのを肌で感じるが、倒れるほどの不快さは感じなかった。最近では桜香の精気を大量に吸引しているせいで麻痺してきたのか、感情酔いを起こすことが少なくなっているのだ。補魂の性質があることを星読たちに悟られてはいけないので、体調不良にならないのは都合がいい。


 力封じを解除した巫女に、念聴と千里眼の能力がある旨を伝えると、三明が言った通り、修行日を分けるように言われた。今回は念聴の修行に参加する。


 三明と別れて念聴の能力者が修行する壁際の一角へ向かった。庭に面して格子の上半分が上げられて、外が見える。すでに十数人が集まっていて、弥胡が近づいてくるのに気付いた何人かは、不快そうに顔を歪めた。


「見ろ、あいつ、念聴の能力者みたいだぞ」

「特別待遇で、午前中は余所で修行をつけてもらってるって、本当なのかしら」

「フン、いいご身分だな。チビで痩せ過ぎだし、どうせ平民の出身だろう?」


 ひそひそ声で話しているつもりで失敗しているのか、弥胡に聞こえるように話しているのかは分からないが、流れてくる感情からするに、十中八九後者だろう。


(別に、わたしが頼み込んで特別待遇にしてもらっているわけじゃないのに)

 弥胡はイライラしながら彼らを横目で睨め付け、集合場所の端の方に座った。


「見た? こっちを睨んでたわよ」

「下賤の生まれが、生意気な! 我々に挨拶にすら来ないなんて」


 弥胡の態度が気に食わないのか、彼らの棘のある声が大きくなる。口ぶりから察するに、貴族出身なのだろう。 


 こうなると、意地でも挨拶なんてしてやりたくなくなるのが弥胡だ。今まで碌に他人と関わってこなかったせいで、初対面の相手にどう接すればいいか分からないので、できれば他人に関わりたくない。

 相手が中位か上位なら嫌々挨拶にも行ったろうが、貴族だろうが相手は同じ下位なので放置を決め込むことにした。出自にかかわらず、同じ階級であるうちは建前上は同等の扱いになるはずなのだ。


 あらぬ方向をじっと見据えて唇を嚙み締めていると、白茶の袿を羽織った巫女がやって来て両手をパンパンと打ち付ける。


「静粛に!」


 その場が水を打ったようになると、彼女は厳めしい顔で全員を見渡した。弥胡が視界に入ると、皮肉気に口の端を持ち上げる。


「おや、新参者がようやくお出ましになったかえ。念聴と千里眼の使い手だというが、どれほどのものか、お手並み拝見といこうかのう」


 クスクスという嘲笑と侮蔑の感情がさざ波のように押し寄せる。

(感じの悪い女。名前を知らないし、こいつのことは『白茶』と呼ぼう)


 弥胡は憮然としながらも、彼女に向かって頭を下げた。桜香に散々叩き込まれた慇懃な口調で述べる。

「弥胡と申します。ご指導ご鞭撻(べんたつ)のほど、よろしくお願いいたします」

 白茶はフンと鼻を鳴らすと、正面へ向き直る。

「通常通り、わたくしが順番に回っていくので、あの的近くの巫覡たちが何を話しているのか、内容を聞き取り、述べるように。わたくしが来るまでは個人で練習しておきなさい」


 言いながら、訓練棟から離れた庭に置かれた、白地に黒で二重丸が絵描かれた的の方を示す。そのそばには白い水干を着た中位の巫覡が何人か横一列に並んで待機していた。かなり距離があるので、大声で叫んでいたとしても聞き取るのは難しいだろう。


「それでは、始め!」

 白茶の掛け声とともに、その場の全員が的の方向へ向き直る。


 弥胡もそれに倣って体の向きを変え、的の一番右に立っている巫覡を見据えた。呼吸を整えて集中すると、地引網を引く要領で巫覡の精気を己の体内に引き込んだ。


 すると、低い男の声が脳内に木霊する。


『本日の朝餉には茸の汁物が出た。私は茸があまり好きではない……』

「ふぶっ!」


 巫覡の口調が情けなくて可笑しい。弥胡は腹筋に力をいれて、必死に笑いを堪えた。

 次は隣にいる男を標的にしてみる。桜香との修行のおかげで、精気を引き込む対象を変えるもの容易にできるようになった。


『牛が一頭、牛が二頭、牛が三頭……』


 こちらは、何を言えばいいのか思いつかなかったのだろうか、牛の数を一から十まで繰り返し数えているようだ。時折、ふう、と溜息を吐く音も聞こえる。


 三人目に標的を移そうかと思った時、強めに肩を叩かれた。眉を顰めて振り返ると、白茶が扇を手に持って、臭いものでも堪えるかのような顔で弥胡を見下ろしていた。どうやらあの扇で肩を叩かれたらしい。


「お前は右から五人目の巫覡の声を聴きなさい」

「畏まりました」


 弥胡は指定された巫覡の精気を引き込んだ。


『秋の気配が色濃くなってきた今日この頃、いかがお過ごしであろうか』

 ――誰かに宛てた文の出だし部分を読み上げているようだ。


「『秋の気配が色濃くなってきた今日この頃、いかがお過ごしであろうか』と申しております」

 白茶は「ふむ」と面白く無さそうに顔を歪めたが、それ以上は何も言わずに去っていった。失敗すればいいと思っていたのは彼女の感情からも、態度からも明らかだ。


 ――いちいち癇に障る女だ。面倒くさいことこの上ない。

 弥胡は軽く息を吐くと、次の標的を見据えた。

かなり長くなってしまったのですが、切りのいいところまで入れました。

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