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荒神遊記 ー天招く巫女と鮮緑の嵐ー  作者: 柏井猫好
3. 嵐を喚ぶ乙女

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3-4

「夜は大分涼しくなってきたね」


 夕餉を終えて自室へ戻る途中、弥胡(やこ)は吹き抜けた風に目を細めた。

 階級順に食事の時間が決まっているため、下位の巫女である弥胡が夕餉を食べ終わる時には、すでに辺りが暗くなっている。


 桜香(おうか)に自分の意志で他人の精気を奪う方法を習ってから数日、午後には欠かさず修行をして、大分精気の扱いにも慣れてきたところだ。


「そうねえ。やっと夏が終わるわね。わたし、暑いのは苦手だし、秋は美味しいものがたくさんあるから、秋が一番好きな季節なのよ」

 一緒に回廊を歩いていた三明(みあけ)がほうと息を吐く。

「毎年、夏の終わりには都の南部でお祭りがあるのよね。毎回すごい賑わいで、出店もたくさんあって、本当に楽しいんだから。今日あたりがそうじゃないかしら」


 色々思い出しているのか、口から涎が垂れそうな顔でうっとりしている。それほどまでに美味い食べ物があるのかと、少し羨ましくなった。


「三明は都の商家出身なんだっけ?」

「ええ。大陸との交易を許された、結構な大店(おおだな)よ。わたしはそこの三女」


 弥胡はふうん、と相槌を打った。大陸と交易が許可されることが何を意味するのかは分からないが、三明の口調から察するに、大変名誉なことなのだろう。


「うちは昔から大陸と交流があったから、外国語にも精通している人間が大勢いるし、わたしの髪も御覧のとおりよ」


 三明は皮肉気な笑みを浮かべて、まだ湿り気を含んでいる茶褐色の髪を背後に払う。意味が分からず、弥胡は首を傾げた。


「三明の髪の毛と大陸って、何か関係があるの?」

「まあ! あなたって、本当に何も知らないのねえ!」

 三明は呆れたような声を出した。

「わたしの髪が赤っぽいのはね、私の祖母が大陸の商人の娘だったからよ。商談のために父親と一緒にこの国へ来た時に、都で商人だった祖父と出逢って、見染められて……その、道ならぬ恋をしたのよ」


 弥胡にとっては初耳だったが、この国では外国人との婚姻は禁じられているらしい。とはいえ、人の心にまで枷をつけることはできず、外国人との間に子供をもうけたりする事例はあるようだ。


 神波国(かんなみのくに)では「女は男に従うべき」という価値観が根強いため、男が外国人女性を囲うことは世間も大目に見るが、その逆はかなり厳しい立場に置かれるそうだ。そういう意味では、三明の祖父は男だったのでまだ境遇がマシだったというべきか。外国人女性を妾としたが、彼女以外に妻を娶ることもなく、肩身の狭い思いをしながらも生涯仲睦まじく過ごしたという。


「紆余曲折あったけど、混血であるわたしの父が商家を継いで、今に至るってわけ」

「そうなのか……。家族はその、今は大丈夫なの?」 

「父や叔父は『いかにも』って見た目だから、苦労したみたいだけれどね。孫の世代になると、見ただけでは混血だって分からないみたい。姉弟は皆黒髪で、赤っぽいのはわたしだけだし」

 三明は自嘲するように顔を歪めた。

「髪以外に、わたしには神通力もあるじゃない? とんだ腐芽苦(ふがく)扱いだったけれど、わたしをここへ送ることで厄介払いできて、家族はせいせいしてるんじゃないかしら」


 ――腐芽苦の子。

 弥胡はぎゅっと眉を顰めた。

 他と違うということがどんな弊害をもたらすのか、弥胡も身をもって知っている。


 湿っぽい空気になったのに気付いたのか、三明が慌てて明るい声を出す。

「やだ、何だか話が逸れちゃったけど、とにかく、お祭りはすごく楽しいわよ! わたしたちも中位の巫女になれば外出できるから、そしたら一緒に都へ行きましょうよ!」

「うん。……でも、わたしたちが中位になるのに、どれくらいかかるんだろう」


 弥胡の疑問に、三明は苦笑した。

「少なくとも五年はかかるでしょうね」

「そんなに!?」

 目を丸くした弥胡に、三明は首肯する。


「貴族ならもっと早く昇格するだろうし、任期もあるから数年で自由の身だけれど、わたしたち平民は一生ここで仕えるしかないし、よほどの実力がない限り、階級が上がったとしても中位までじゃないかしら。上位のほとんどは貴族で占めているから」

「……本当に、生まれた身分で一生が決まってしまうんだね。じゃあ、月夜(つくよ)も任期が終わればここを出るのかな? 月夜は下級貴族だったよね?」

「月夜はちょっと事情があって、わたしたち平民と同じ扱いなのよ」

「事情って?」

「余所の家のことだから、わたしからは言えないわ。詳しくはあの人に直接訊いて」

 そんな機会があるだろうか、と思ったが、敢えて口に出さずに頷いた。


「わたし、厠によるから、三明は先に部屋へ戻ってて」

「分かったわ。じゃあ、また明日の朝ね。あっ! あなた、ちゃんと寝巻に着替えなさいよ!?」

 お前はわたしの母親か、と言いたくなるのをぐっと呑み込んで、ひらひらと手を振った。



 用足しを終え、井戸で手を洗い、自室へ向かおうと踵を返したところで、不意につむじ風が巻き起こった。埃が目に入らないようにしっかりと目を閉じて両腕で顔を庇う。風が捻じれるビュウビュウという音が鼓膜に響いた。


 風が収まって目を開けた時、ふと香ばしい匂いが鼻を掠めた。涎を誘うその匂いには覚えがる。

(あれ、これって……)

 脳裏に燃えるような鮮緑の双眸を持つ男が浮かんだ。その時。


「やっほ~!」

「ひゃあっ!!」


 突如背後から聞こえた能天気な声に、弥胡は文字通り跳び上がった。

 バクバクする心臓を胸の上から押さえながら振り返ると、薄暗い中に煌々と輝く二つの緑色の光があった。


「ダウィル!?」

「正解~! 久しぶりだねえ。寂しかった?」


 相変わらず奇妙な出で立ちをしている。嬉しそうに目を細めながら手を振っていた。

 いそいそと至近距離まで来ると、ダウィルはおもむろに弥胡の顔を覗き込んだ。


「ふうぇえ!?」


 鼻と鼻が触れてしまいそうな距離に、思わず変な声が出る。

 山小屋にいた時に嗅ぎ慣れていた、森林のような匂いがふわりと鼻を掠めた。

 ぎょっとして身を引くも、離れた分だけ、ダウィルは距離を詰めてくる。そのままスンスンと鼻を鳴らしている。


(に、匂いを嗅いでる……!?)


 弥胡はれっきとした十四歳の乙女である。自分で言うのも何だが多感な年頃だ。いくら湯浴みしたとはいえ、自分より頭一つ分以上背の高い成人男性に身を寄せられ、匂いを嗅がれているという事態に一気に顔が熱くなった。


「ちょっと! あの、離れてほしいんだけ、ど……」

 羞恥に悶える弥胡などお構いなしに、ダウィルは頬を膨らます。

「嫌だよう! 何日会えなかったと思ってるの!? 変な虫がついてないか、きちんと確認させて!」

 匂いの強い虫など、この近辺に生息していただろうかと、内心首を傾げる。


「えっ、せいぜい数日だよね……?」

「ぶっぶ~! 七日ですぅ! 七日間も餌付けできなかったんだよ!?」

 ――七日は数日のうちに入らないのだろうか。おまけにまた餌付けと言っている。


 よく分からない理屈でむくれているダウィルに呆れつつ、弥胡は彼を見上げた。

 間近で見ると、本当に凹凸の激しい骨格をしている。見慣れたものとは顔の造りが違い過ぎて、この国の美男子の基準に当てはまるかは微妙なところだが、目鼻立ちは左右対称で整っているな、と思った。


 ダウィルは弥胡の視線に気が付くと、ほにゃりと頬を緩めた。例のごとく肩布の中を探り、笹の葉に包まれた鶏肉の串焼きを差し出す。どうやら、香ばしい匂いの正体はこれだったらしい。


「長いことごはんあげられなくて、ごめんね? ひもじかった?」

「いや、ここでは毎日二食出るし、さっき夕餉を食べたばかりで、うぶっ!」

 前回同様、言い終わらないうちに串ごと鶏肉を口に突っ込まれて、思わずえずいた。


 涙目で睨むと、ダウィルは串を弥胡の口内に差し込んだまま、悪びれる様子もなくにこにこしている。

 弥胡は串から鶏肉を一欠片かじり取ると、ダウィルの手を押し返した。彼はむき出しになった串を見て不思議そうに首を傾げた。


「弥胡は肉だけ欲しいの?」

「……串は食べられないでしょ」

 ふうん、と納得いかないような声を出しつつも、ダウィルは鶏肉を丁寧に串から外していく。指が脂でギトギトになってもお構いなしだ。弥胡は咄嗟に口を覆って、さらなる給餌を拒否した。


「もういらないの? 弥胡はもっと太らないとダメだよ」

 弥胡は複雑な気持ちで自分の身体を見下ろした。


 ここへ来てから毎日きちんとした食事にありつけているので、少しずつではあるが、肉がついてきたと思う。……胸は相変わらず絶壁だけれど。それでもやはり、三明や他の同年代の巫女に比べれば痩せ過ぎで、身長も低い。


「さっき夕餉食べたから、お腹がいっぱいなんだけど……」


 やんわりと断ると、ダウィルが見るからにしょげた顔をするので、心が痛んだ。彼の頭に垂れた犬耳の幻が見えるのは気のせいだろうか。


 渋々手を差し出すと、持っていた鶏肉を全部載せられた。仕方なしに口に入れると、ダウィルの顔がパッと明るくなった。


 脂でぎとついた指を袴で拭おうとして、思い改める。染みが三明に見つかったら大目玉をくらうだろう。背後の井戸に戻って手を洗い、ついでにダウィルの指も洗ってやろうと彼を振り返り、驚愕に目を見開いた。


「なっ!?」


 ダウィルは鶏肉が刺さっていた串をぼりぼりと噛み砕いている。まさか、串が食べられないという意味が理解できなかったのだろうか。


「ちょっ、何やってるの!? ダメだよ!!」

 慌てて駆け寄って腕を引っ張っても時すでに遅し。ダウィルはギザギザに噛み砕かれたであろう串を嚥下したところだった。


 声にならない悲鳴を上げて、慌ててダウィルの頬を掴んで口を開けさせた。暗がりにも白いと分かる歯が綺麗に並んでいるだけで、舌も口内も血が出ている様子はないが、如何せん暗くて良く見えない。


「痛いところはない? ああ、でもどうしよう。喉とか臓腑が傷ついているかも」

 慌てふためく弥胡を、ダウィルはきょとんとした顔で見返していた。

「僕に痛覚はないから、よく分からないよ」

 今度は弥胡がぽかんとする番だった。


 ――痛覚がないとは、どういう意味だろう。


「串は硬いし、尖ってるから痛くないわけないよね……? あれ、でも、神力(しんりき)が強いと痛くないものなのかな。最初に会った時も、魚の串焼きを食べていたよね?」

「あの魚は君にあげたから最後まで食べてないし、他にも串に刺さってたものもあったけど、全部食べたよ」

「それで身体に不調が出なかったって、ダウィルは一体、どうなって」


 ざわりと妙な感じがして、弥胡はそこで言葉を切った。

 ――桜香と精気の吸収について初めて修行した日、わたしは何に気付いた?

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