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3-1

 神波国(かんなみのくに)は大陸から海を隔てて東に位置する島国でありながら、千年以上の歴史を誇り、豊かな自然と独自の文化で発展を遂げた帝国である。


 その身に神を降臨させた当時の第三皇子が皇位を次いでから八百有余年、今上帝は三代目の皇帝として君臨し、神々の恩恵を受けたこの国を治めていた。


 皇帝の住まう皇宮は、都の北端、険しい山脈に背を預ける形で鎮座している。その敷地は広大で、皇帝と直系子孫の居住区をはじめ、政治を取り仕切る朝廷の置かれた区域や、皇帝・皇族を守護する近衛隊が駐在する区域、神々を祀る神殿など、国の中枢機関が集約している。


 ここでは年に四回、名だたる貴族が集まり、定例会を開いては国の行く末について協議していた。夏も終わりに近づき、秋の気配が感じられるこの日も、四大貴族を筆頭に議会を招集していた。


 大広間には貴族の当主数十名が集まり、御簾で区切られた正面の一段高い場所に向き直り、夏の間に発生した事柄について報告していた。


 御簾の内側の中央には、四角い台座に四本の柱を立てて、上から帳を垂らした御帳台(みちょうだい)が置かれ、中の椅子に皇帝が座している。御帳台の左隣には第一皇子、右隣には第二皇子が座って、読み上げられる陳情に耳を傾けていた。


 脇息に頬杖をついてあくびをかみ殺していた第一皇子の空栖(からす)は、議題が自らの婚姻に移ると、精悍な小麦色の顔を思い切り顰めた。


春宮(はるのみや)殿下におかれましては、何かと理由をつけて、正妃候補との見合いをのらりくらりと躱しておられるが、そろそろ身を固めていただき、立太子されることを家臣一同心待ちにしておりまする」


 第一皇子派の筆頭、国満(くにみつ)家の当主が声高に奏上すると、そうだそうだと追従する声が上がる。

 皇帝と実母以外が皇族の名前を呼ぶことは不敬とされ、二人の皇子はそれぞれの住まう宮を冠して、第一皇子が「春宮」、第二皇子が「夏宮(なつのみや)」と呼ばれている。


(――またその話か)

 空栖がうんざりと溜息を吐くと、すかさず第二皇子派の筆頭、四辻(よつじ)家当主が異を唱えた。


「これはこれは、春宮殿下が皇太子とは、一体どなたが決められたのかな? 陛下はまだ後継者を指名しておられなかったはず」

「いかにも!」

「夏宮殿下はすでに正妃を迎えられておる。夏宮殿下こそ皇太子にふさわしいのでは?」

 騒がしくなった場内に、シャンと鈴の鳴る音が響く。途端に水を打ったような静けさがその場を制した。


「どちらが余の後継にふさわしいかは、追って協議すればよい。――本日の朝議はこれをもって閉会とする。皆の者、ご苦労であった」

 皇帝の穏やかな、しかし逆らうことを許さない威厳に満ちた声に、一同が平伏した。


 御帳台に向き直り床に額づいた空栖は、父帝が衣擦れの音と共に退出するのを聞き届けると、身を起こしてその場を離れた。


 聊か優雅さに欠ける、どたどたという足音を響かせながら春宮の自室へ戻ると、空栖はすぐさま持っていた(しゃく)と冠を放り投げ、黒い袍の襟を寛げた。


「は~、相変わらず堅苦しいのは苦手じゃあ」


 ぶちぶちと文句をいいながら、黒の漆塗りに螺鈿の施された長椅子に着ているものを脱ぎ散らかすと、部屋に控えていた侍女が、眉間に皺を寄せながらも手早く衣装を回収していく。


 空栖は高貴な身分にも関わらず、私的な空間には最低限必要な人手しか置きたがらない。それを熟知している侍女は、片付けを終えると一礼して去っていった。それと入れ違いになるように、扉の外から来訪を告げる声がした。


「殿下、国満が次男、冬成(とうせい)が罷り越しましてござりまする」

「入れ」


 絹の褥が敷かれた寝台の上に寝そべっているところに、冷淡な顔をした冬成が入室してきた。空栖の姿を認めるなり、軽く息を吐いたのを見るに、「殿下ともあろう方が、お行儀が悪いですね」とでも言いたいのだろう。


「何じゃ、冬成。何かあったのか?」


 空栖が平均的な男性よりも頭一つ分大きな身体を起こすと、寝台の前まで来た冬成が、その場に正座して、彼を見上げてきた。


「何かあったか、ではござりませぬ。本日の朝議では、殿下の正妃について議論されたというではありませぬか」

「あ~、いや、議論はしておらんぞ。お前の親父が『見合いして、さっさと嫁を娶れ』と言うておったところを、四辻の豊徳(とよのり)が程よい助太刀をしての、有耶無耶にしてくれたんじゃ」


 かかか、と笑う空栖に、冬成はがっくりと肩を落とした。

「助太刀、ではござりませぬ。我が父の奏上しました通り、殿下におかれましては、早急に身を固められませ。敵方につけ入る隙を与えてはなりませぬ」

「堅苦しい口調はやめろ、冬成。わしとお前の仲じゃろう」


 成人前、冬成が侍従見習いとして出仕してきた時に、初めて仕えたのが空栖である。皇帝を父に持ち、上級貴族の姫で、受肉した神から二世代目を母に持つ空栖は、当時も現在と変わらず、二十代の青年の見た目をしていた。女子と間違えられるような美少年であった冬成を弟分として非常にかわいがり、彼も随分空栖に懐いていたというのに。


「あの頃はかわいかったのう……。『僕は、春宮殿下に一生お仕えします!』とか言って、目がキラキラしておったのに、何じゃ、そのふてぶてしい面は」

「……昔のことを蒸し返すのは、おやめくださいませ」

 冬成は眉間を揉みながら、疲れたような声を出した。

「それで、いかがされるのです? 先日も守門(すもん)家の姫との見合いをすっぽかしたのでしょう?」


 空栖は小指で耳をほじりながら遠い目をする。

「あー、あれな」

「あれな、ではございません。どうなさるおつもりですか? 殿下のお立場上、永遠に独り身を通されるわけにもいかないでしょう。何処かに見染めた女子でもいるのですか?」

「そういうわけではない。ただ、政略で打算塗れな婚姻が面倒なだけじゃ。わしは別に、子を残さんでも、養子を迎えればいいと思うておるし」


 空栖の言葉に、冬成は目を吊り上げた。

「何を仰います! 夏宮殿下は大した神力(しんりき)も持っておられぬ上に、四辻の傀儡でございます! すでに正妃との間に御子もおられますし、今のままでは四辻の申した通り、あの御方が帝位に着いてしまいますよ。そうなれば、たちまち大陸から戦を仕掛けられてしまうでしょう!!」


 夏宮こと第二皇子斗貴(とき)の母親は、空栖の母と同じ上級貴族の姫だが、受肉した神から三世代目だ。そのため、斗貴は空栖より明らかに神力が弱い。皇族にとって、神力の強さは国を守護する力に直結する。そのため、皇帝の妃に迎える姫にも神力の強さが求められる。


 しかし、今は皇族の中に神力の強い姫がいないばかりか、有力貴族の姫も似たり寄ったりで、斗貴の正妃も三世代目だ。そのため斗貴の子供はほとんど神力がないらしい。


「愚かなことじゃ」

 空栖は苦笑した。

 彼の声が低くなったことに気が付いたのだろう、冬成の呆れ顔が一転、真剣なものになる。


「わしは常々言うておるがのう、冬成。神々、いや、精霊に頼りきりなこの国に未来はないと思うておる」

「それは……」


 空栖は昔から、「神々」の気まぐれな性質に危機感を覚えていた。人の理の外側にいる彼らは何を不機嫌に思うか分からない。過去には人間と「契約」して加護を与えた神が、些細なきっかけで豹変し、人々を蹂躙する荒神(あらがみ)となって地方都市一つを滅ぼした事例が記録に残っている。


 神を受肉させ、神力の強い皇族を残そうと躍起になっている家臣たちは、契約という名の元に神々を縛り、人間のいいように利用できると思い込んでいる。


 ――何と滑稽なことか。


 国土と民を守る立場である以上、朝廷が精霊の本質を見極められないのでは、「滑稽」では済まされない。判断を誤る代償はあまりにも大きいのだ。


 故に、空栖は皇族の神力を強化するのではなく、積極的に大陸と外交を進めて連携を取る政策の「開国派」を公言している。空栖の考えに賛同するものは多いが、猛反発する者も少なくない。「保守派」を名乗る彼らは第二皇子を支持する派閥を作り、空栖と敵対しているのが現状だ。


 それを理解しているが故に何も言えず、俯いた冬成をちらりと見やり、空栖は立ち上がった。両腕を持ち上げて大きな体躯を伸ばすと、窓を開けて夕暮れに染まった空を仰いだ。


「まあ、そう難しい顔をするな。何でも、都南部では今夜、祭りが行われるらしいではないか!」


 空栖は軽い足取りで漆塗りの几帳で仕切られた部屋の奥にいくと、いそいそと平民風の着物に着替える。その様子を苦り切った顔で見つめる冬成を振り返り、にやりと口の端を吊り上げる。


「ほれ、どうせお前も付いて来るんじゃろう? 楽しまねば損じゃ」

 冬成は諦念し、この日何度目かしれない溜息を吐いた。


「……お供いたします」

登場人物が増えてきましたね……。用語も多くなってきたし、用語集と登場人物をまとめたものを作ろうか検討中です。

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