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この神波国には、芽苦という果実がある。たくさん棘があって見た目が悪く、独特な匂いを持っているうえに味も悪いことから、役立たずのことを「芽苦」と呼ぶ。
芽苦が腐ってさらに手に負えないものになったという意味で、「腐芽苦」は厄介者や狂人を意味する蔑称として使われる。
牢番の男が一歩、また一歩と遠ざかるにつれ、少女――弥胡を蝕んでいた嫌悪と苛立ち、怒気は徐々に薄れていく。彼女はホッと嘆息して身体の力を抜いた。
薄暗い居房の中で何とか寝返りをうち、仰向けになった。呼吸が乱れて苦しい。
さきほどから酷い眩暈がしていた。目をぎゅっと瞑って深呼吸をし、緊張を和らげる。すると、先ほどまでは拾えていなかった物音が耳に飛び込んできた。
外は嵐でも来たのか、風がうねり、牢の建物全体がガタガタと音を立てて軋んでいる。雨が建物に叩きつけられる轟音が響く。
「よ、い……じ」
安らぎを求めて無意識に手で周囲を探る。しかし、触り慣れた獣は傍らにいない。
――ああ、そうだった。また、独りになってしまったのだ。
疲労と絶望で、視界がじわじわと闇に浸食されていく。
「九重ばあ、宵慈……」
もう会うことができない、大切な存在。
口の端がひくひくと引き攣り、眦から涙が零れた。
「会いたい……あい、たいよ……」
掠れた声で呟いた言葉は、弥胡の意識と共に、じんわりと闇に溶けていった。
***
弥胡はこの地域の漁師の六番目の娘として生を受けた。
生まれつき体が弱くて癇が強い子だったらしい。昼も夜も泣き続け、乳を与えても、おしめを取り替えても機嫌が直らなかったと聞く。人に囲まれている状況では特にそれが酷かったそうだ。
弥胡が成長するにつれ家族が推測したことは、弥胡の癇の強さは、他人の感情や苦痛に同調し、あたかも自分のものとして感じてしまうのではないかということだった。要するに、感受性が強すぎて手に負えない子供ということだ。
誰かが怒れば同じように怒り、笑えば笑う。目の前に病気や怪我を負った者があれば、弥胡の身体にも同じ症状が現れる。物心つく頃には、もはやその時に感じているものが、自分の感情であるのか、誰か別人の感情であるのかわからなくなっていた。
家は貧しく、食べるのがやっとで、子供でも両親の手伝いをしなくてはならない。浜辺で地引網を引っ張ったり、魚の仕分けをする際には、他の漁師の家族も大勢いて、その分流れ出てくる感情も多様になる。
大漁に歓喜する母親たち、喧嘩して負け、悔しさで泣く子供、父親に叱られて拳骨を落とされる痛み……。感情と苦痛は渦を巻いて、弥胡を飲み込んでいく。喜怒哀楽がひっきりなしに入れ替わる状況に、次第に心身共に不調をきたし、ついには家の中に引き籠って網の修復などの内職や家事を手伝うことしかできなくなった。
そして不幸なことに、成長するにつれて、別の症状も現れ始めた。聞こえるはずのない遠くの音が聞こえたり、人や物に触れると、対象に起こった過去の出来事が脳裏に浮かぶようになってしまったのだ。
この国では、普通の人間では持ちえない特殊能力を持つ者は妖人と呼ばれ、忌み嫌われている。次第に家族は弥胡の正体を疑い始めた。
船酔いのような症状に悩まされ、家の隅で蹲る弥胡を遠目に、両親や姉たちでヒソヒソと話をしていたのを覚えている。
「弥胡は物の怪憑きだ。きっと、母ちゃんの胎の中で、狐に憑かれたに違いねえ」
「わたしのせいだって言うのかい? いいや、きっと、父ちゃんが海で神さんの祟りを拾ってきちまったんだ。それで弥胡は呪われた!」
「もしかして、わたしたちの留守中に、家に妖人が来て、弥胡は生き血を啜られたんじゃない? それであの子も妖人になってしまったんだ」
家族は弥胡を恐れ、最低限の食事を与えて放置するようになった。物の怪憑きがいることを近所に知られるのを恐れ、決して弥胡を家から出そうとしなくなった。
人並に働くこともできない幼子など、貧しい平民にとってはごく潰しの邪魔者でしかない。積極的に危害を加えるようなことをしなかったのは、まだ弥胡に対する愛情が残っていたからなのか、弥胡に巣食うとされる物の怪を恐れてなのか、今となっては分らない。
――それでも、弥胡は家族に生かされていたのだ。十歳の夏、山へ捨てられるまでは。