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人間に降臨した神についての説明の続きです。
「受肉した神は、人間の肉体ながら数百年という寿命を得ます。神力も神が有していたものをそのまま駆使することができますが、子、孫と、世代を経るごとに寿命も神力も減っていきます」
皇族もこれに当てはまるそうで、今上陛下は、神を降ろして皇帝となった第三皇子の孫に当たるという。第三皇子が神を降ろしたのは実に八百年も前の話だというのに、その孫が現在も生存しているということに、驚愕を禁じえなかった。
「差はありますが、四世代目の子孫はほぼ人間と変わらないと考えてよいでしょう。わたくしは三世代目の神力使いですが、わたくしの息子は何の力もありませんでしたし、瞳も光りませんでした」
驚いたことに、桜香の年齢は七十三歳だという。どう見ても三十路にしか見えないが、それは彼女の寿命が百五十年程度で、肉体の老化も遅いからだという。彼女の息子は既に他界しているが、生きていたら現在は五十歳だったそうだ。
「一方で、神通力使いは瞳が輝きませんし、自然を操る力もありません。特殊能力は生まれた持ったものに限られ、修行によって新たな神通力を得ることはありません」
「じゃあ、わたしは神力は使えないけど、神通力は使えるってことだね」
桜香は例によって弥胡の言葉を丁寧に訂正し、復唱させた後、ゆっくりと頷いた。
「ええ、ですが、あなたは少し事情が異なります。弥胡、あなたは本当に希少で特殊な体質、『補魂』の持ち主です。補魂は神通力に分類されますが、あなたは条件次第で神力も使えるのですよ」
「……よく理解できない」
「まず、補魂とは何かを説明しましょう」
通常、精気は本人の意思に関わらず、体外に放出される性質があり、人と獣に差はないという。保有する精気の量は個々によって違うが、それぞれ体内に一定量の精気がある。
「例えるなら、甕のようなものです。甕の大きさには差がありますが、誰でも常に甕の縁までたっぷりと水が入っていると思ってください」
実際、神庁では、どれだけの精気を体内に蓄えておけるかを「甕の大きさ」という言葉で表現している。甕が大きければ大きいほど精気も増えるし、それに伴って使用できる神力・神通力もより強力で影響範囲も広くなる。
「わたくしたちは日々、甕の水を使うのと同じ要領で、精気を消費して生活しています。力を使うのにも精気を燃料にしていますので、一定量の精気を使ってしまうと、生命活動が優先され、力が発現しなくなります」
精気は湧き水のように、食事や睡眠をとることで体内で発生し、甕を満たす。甕には常に蓋がされていて、日常生活は側面に開いた小さい穴から水がちょろちょろと流れ出るようなものだ。しかし、神力や神通力を使用するときは、大きな穴から水がドバドバ出ているような状態になり、精気の補給が追い付かなくなるらしい。
「唯一の例外が、『補魂』の性質を持つ者です。補魂は甕の大きさに見合わないほど少量の精気しか生産できず、無意識のうちに周囲の精気を体内に引き込むことで、己の甕を満たそうとします。ごく稀に人にも獣にも補魂の性質を持ったものが生まれます」
甕の大きさが大きいほど必要な精気の量が増える。そのため、のべつ幕無しに周りの精気を吸引している状態が継続するらしい。
――思い当たることが多すぎる。
弥胡はごくりと唾を呑んだ。
どうやら、他者に同調してしまうこの忌々しい性質は、自分の身体が不足している精気を必死にかき集めたせいで起こる副作用のようだ。
「この補魂って、治せるものなの?」
「いいえ、補魂は生まれ持った性質で、病ではありませんから、治癒できません。方法が見つかっていない、と言った方が適切かもしれませんね。あまりに報告例が少ないせいで、未だに解明されていないことが多いのですよ」
「そっか……」
弥胡はがっくりと肩を落とした。この厄介な性質が治れば、どんなに暮らしやすくなるだろう。ふと、疑問が浮かんで、首を傾げながら桜香を見た。
「あれ、でも、あまり精気をつくれない体質なんだったら、どうして精気の吸収を抑えたり、この腕輪で完全に吸引を遮断しているのに、わたしは生きていられるんだろう?」
「微量の精気は通しているはずなので、完全に遮断しているわけではありませんが、わたくしが思うに、あなたは生命活動に必要な精気があってもなお、身体が不足と認識してしまうほど、甕が大きいのでしょう」
では、弥胡が自力で制御できていたよりも強力かつ強制的に制御をしているのが、この腕輪なのだろう。確かに、精気を完全に遮断してしまったら、人体に害が出そうだ。
珍しい体質なので、未だはっきりとは解明されていないそうだが、補魂体質の者は、生命を維持できないほど少量の精気しか生産できなかったり、他人の感情などに同調し、心身共に衰弱したりして、幼いうちに命を落とす者が多いと考えられている。弥胡のようにある程度成長した者が、意思の疎通が可能な状態で発見されることは奇跡に近いという。
――では、わたしは、運がいい方だったのだ。
これまで苦痛だらけの人生だと思っていたが、死んでいないだけマシだったらしい。ただし、その珍しい体質のせいでここにいるのだから、それを喜べばいいのか、嘆けばいいのかは分からないけれど。
「補魂の性質を持つ者は神庁では『天招』に配属されます。ですが天招については、また明日お話ししましょう。一度にたくさん詰め込んでも、覚えられないでしょうし」
弥胡は首肯した。正直に言って、明日までにどれほど覚えていられるか、自信がない。
「それと、あなたが天招の巫女であることは、誰にも言ってはなりませんよ」
「えっ? 何で? 三明も月夜も、自分の所属を言っていたけど」
「三明が所属する星読も、月夜が所属する鬼鎮も、人数が多く、さほど珍しいものでもありません。しかし、天招は現在三人しか所属がいませんし、補魂を快く思わない者も一定数います。誰かに聞かれたら、星読に配属されたとお答えなさい」
釈然としないが、桜香の表情は真剣そのものだったし、弥胡とて誰かに喧嘩を売られたり、意地悪をされるのは避けたい。
桜香は棚の上に置いてあった、いかにも高価そうな黒くて艶々した箱の中から、干した果実のようなものを差し出した。
「本日はよくがんばりましたね。ご褒美に、これを差し上げましょう。部屋でお食べなさいな」
――あからさまな「飴と鞭」だ。見た目が幼いから、菓子でも与えておけばそのうち懐柔できるだろうと思われているのだろうか。
弥胡は目を眇めながら、桜香の真意を探った。こういう時に感情を吸引できないのは不便だなと思う。
桜香はくすりと笑った。
「頭を使うと甘いものが欲しくなるでしょう? 明日はもっと色々詰め込まねばなりませんから、素直に受け取っておきなさいな」
「……あり、がとう」
弥胡はぎこちない手つきで干し果実をいくつか掴むと、そのまま懐に入れようとした。桜香はそれを無言で遮って、懐紙に包んで渡してくれた。どうやらお行儀が悪かったらしい。
穏やかな口調で、懐紙くらい持ち歩け。と言われ渋々頷いた。