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2-7

「もうっ、まだ寝ていたの!?」


 キンキンと煩い声が耳をつんざき、弥胡(やこ)は飛び上がった。慌てて周囲を見渡す。

 既に日は昇っているようで部屋の中は明るい。戸口を見やると、三明(みあけ)が憤慨したように腕組をしながら弥胡を見下ろしていた。


 三明はずかずかと部屋の中に入ってくると、床に座った。ぼんやりと畳の上に座っていた弥胡を横目で睨む。

「わたしはあなたの姉巫女なんですから、あなたより上の立場なの。床へ座りなさい」


 弥胡はうんざりして小さく溜息を吐いた。畳の上を這って床へ下りると、三明の前に正座した。

「わたしは巫女になった覚えはないんだけど」

「んまあ、生意気ね! 昨日桜香(おうか)様に言われたでしょう? あなたに選ぶ権利はないのよ」


 三明はそばかすだらけの顔を赤らめて鼻に皺を寄せた。しばらく弥胡を睨んでいたが、胸を逸らして言い放つ。

「わたしは、あなたの指導役を任された、三明です。十三歳、星読(ほしよみ)の巫女よ」


 昨日出会ったばかりだが、弥胡はすでにこのやかましい少女が苦手だった。星読だか干し柿だか知らないが、仲良くするつもりはないので、放っておいて欲しい。


「そう」

「そう、じゃないわよ! あなたも名乗りなさい。何歳なの?」

「弥胡。十四」 

「年上だったの!? てっきり十一歳くらいかと」


 幼い頃から貧しい食生活なので、年齢より幼くみられるようだ。年下の三明の方がよほど肉付きがよく、娘らしい体つきをしている。


 目を丸くしていた三明は、気を取り直すかのように咳払いして、背筋を伸ばした。

「とにかく、今日からわたしがここでの生活を教えてあげますから、早く覚えること。巫女の基礎知識や修行に関しては、桜香様から教わると思いますから、後で桜香様のお部屋へ伺うように」


 弥胡が無言で見返していると、三明はイライラした様子で頭を掻いた。

「あなた、返事くらいしたら!? 山奥にいたって聞いたけど、狼にでも育てられたのかしらね、礼儀ってものを知らないの!?」

「人攫いに礼儀正しくしろっていう方がおかしいでしょ。それと、わたしは十までは人里にいたよ。それからは妖人に育てられた」

「昨日の話を聞く限り、あなたも悲しい目にあったんだと思うけれど、わたし個人があなたに何かしたわけじゃないわ。それなのに、わたしに八つ当たりするのは理不尽だと思わないの?」


 三明の言うことは正しいのだろう。だからといって、何もかもを失って日も浅い弥胡はそんな風に割り切ることができない。憎むことで、やっと心の均衡を保っていると言ってもいい。


 むっつりと黙って床を睨んでいると、三明がまた溜息を吐いた。

「とにかく、身支度くらいなさいな。棚の上の箱に櫛が入っているでしょう? それで髪を(くしけず)りなさい。あと、寝るときは寝巻に着替えなさい。着物と袴がぐちゃぐちゃじゃないの」


 弥胡はしぶしぶ櫛で髪を梳く。寝ぐせで髪が絡まって、櫛が途中で止まってしまうので、力任せに引っ張っていたら、三明に櫛を取り上げられた。

「もう! 髪は女の命って言うでしょう! 乱暴にしないの!」

 言いながら、毛先の方から徐々に梳いていってくれる。髪の手入れが終わると、今度は弥胡の着物と袴を整えだした。

 小うるさい母親のようだと思いながらも、その手際の良さに感心する。


「これでよしっ! さ、行くわよ」

 弥胡の世話を終えると、三明は立ち上がって戸口へ向かった。弥胡が座ったままなのに焦れたのか、振り返って声を荒げた。

「もう! 顔を洗いに行くから、手拭いを持ってついてらっしゃい! 手拭いは行李の中に入っているでしょう?」


 井戸で顔を洗うと、三明は弥胡を大広間に連れていった。唐紅や蜜柑色の袴を穿いた男女が大勢集まって床の上に置かれた膳の前に座って食事をしていた。


「ここで一日二回、朝餉と夕餉が出るの。階級によって食事の時間が決まっているから、気を付けてね。わたしたちは下位だから、朝五つと、暮れ六つの鐘が鳴ったらよ」

 昨晩は夕餉が部屋まで運ばれてきたが、謹慎中でもない限り、自分でここまで食事に来る決まりらしい。


 紺色の袴の女から膳を受け取り、空いている場所まで移動する。

 弥胡は三明の隣に座って、膳に向き合った。雑穀米、なます、焼き魚が並べられている。山小屋でも、牢でも雑穀米と漬物程度が多かったので、朝から魚が食べられるとは思わなかった。


 もそもそと食事を口に運んでいると、目の前に座っていた唐紅の袴の少年が、じっと弥胡を見つめているのに気が付いた。切れ長の目に涼やかな顔立ちは女子(おなご)に好かれそうだが、左の頬に十字の傷があった。年頃は十五歳くらいだろうか。この国では男女ともに十五歳で成人とみなされるので、「少年」というのは適切ではないのかもしれない。


 顔を見返すと、彼はにやりと笑った。

「お前が、昨日入ったっていう巫女か?」

「……巫女になった覚えはないけど」

 弥胡が無愛想に答えると、彼はくつくつと笑い出した。

「ははは! いいね、生意気だねぇ!」

「ちょっと、月夜(つくよ)! 大きな声出すと怒られるわよ!」

「何だよ三明。こいつの指導役になったからって、随分張り切ってるじゃねえか」

「ちょっ! は、張り切ってなんかないんだからっ!」

 三明は頬を赤くして弥胡から顔を背ける。つんつんしているが、照れているのが丸分かりだった。


「で、お前はどこに配属されたんだ?」

「配属?」

「弥胡の配属先はわたしも聞かされていないけれど、後で桜香様が教えてくださると思うわ」

 月夜は、ふうん、と観察するように弥胡を見る。

「俺は鬼鎮(おにしずめ)所属で、月夜ってんだ。袴の色で分かると思うが、神通力(じんつうりき)使いだ」

「神通力? 袴の色に何か意味があるの?」

「所属や持ってる力によって色分けされているんだよ。俺たち神通力使いは唐紅、蜜柑色は神力(しんりき)使いの色だ」


 他の部署にも色の違いあるそうだが、弥胡たち下位の者と直接関わりがあるのは紺色で、これを穿いているものは特殊能力のない只人で、巫女・巫覡の生活を補佐する雑仕局(ぞうしのつぼね)の所属だそうだ。言われてみると、昨日の湯殿の女たちは紺色の袴を穿いていた気がする。


 ――どこかで『神力使い』という言葉を聞いた気がする。

(あれ、たしか、あの緑の目の……、ダウィル、だっけ?)

 それがどんな内容だったかは、理解していなかったのであまり覚えていないが、確かに彼は「神力使い」と言っていた。


「神通力? 神力?」

 弥胡が首を傾げると、月夜は片眉を上げて非難するように三明を見やった。それを受けて、三明は慌てたように首を横に振る。

「まだ何も教えてないのよ! 昨日はこの子、不貞寝しちゃったんだもの、そんな暇なかったわ。それに、神通力と神力については、この後桜香様が教えてくださることになっているのよ」


 月夜は声を上げて笑うと、雑穀米を口にかき込んだ。

「へっ、不貞寝ね。こんな所にゃ来たくなかったって面だな。見たところ貧しい平民のガキのようだが、ここじゃあ一日二度の飯にありつけるんだ。外よりマシだと思うぜ」

「……弥胡は十四歳よ」

 三明の言葉に、月夜は口の中のものを盛大に吹き出した。米粒がべしべしと弥胡の顔にぶち当たって不快極まりない。


「お前、そんな見た目で俺とひとつしか違わないのか! 年が明ければ成人だろうに、貧相だな! まるっきり洗濯板じゃねえか!」

 大きなお世話な上に、胸を見ながら失礼極まりないことを遠慮なく言ってくれる。この男、相当いい性格をしているようだ。


 無言で彼を睨め付けながら、着物の袖で顔を拭うと、横から三明に手を止められた。

「もう! 懐紙を使いなさいよ!」


 食うにも困るような生活を送っていた弥胡には懐紙が何かすら分からなかったが、三明が懐から紙を取り出したので、きっとあれがそうなのだと思った。牢で会った巫女も持っていたから、ここでは常に持ち歩くものなのだろう。


「へえ、力封じの腕輪はもう着けられているんだな」

 月夜が目を眇めて、顔を拭くために持ち上げていた弥胡の左手を見た。

「この腕輪が何か、知ってるの?」

「そりゃ、知ってるさ。巫女と巫覡(ふげき)は、腕輪で精気の扱いを制御されるからな。飼い犬に噛まれちゃ堪んねえってことだろ。もちろん、俺も着けられてる」

 月夜は自分の左腕を持ち上げて、手首に装着された銀色の腕輪を見せつけた。


 横目で三明を見ると、確かに、彼女の左手首にも銀色の腕輪があった。ここでは常にこれを装着しないといけないのだろうか。そう訊くと、三明は頷いた。


「これを外す許可が出るのは、修行中か任務中だけね。月夜みたいな念力(ねんりき)使いが力を自由に使ってたんじゃ、危険でしょ。こいつは特に血の気が多いし」

「チッ、人聞きが悪いこと言うなよ」

「念力?」

「念力っていうのは、手を触れないで物を動かしたりする力のことよ。ここに入ってきた当初、月夜は口論相手を念力で吹っ飛ばしたことがあるって自慢していたもの」

「おいおい、ありゃあ、市井にいた頃の話だろうが」

 三明と月夜は、三年前にここに来た同期なのだという。三明は都の商家の娘で、月夜はこの粗野な口調からは信じられないが、下級貴族出身なのだそうだ。


(手を触れないでものを動かす……? もしかして)

 あの日、兵士に跳びかかった宵慈(よいじ)は、まるで何者かに羽交い締めにされているかのように、宙に浮いた状態で静止していた。あの兵士の中にも念力使いがいたのではなかろうか。

 苦いものが胸の中で広がっていく。

 弥胡は三明と何やら話している月夜をじっと睨みつけた。

 月夜が宵慈を害したわけではない、頭では理解していても、心が追いつかない。身の内を焼くような怒りに顔を歪ませる。

 ――赦さない、赦さない、赦さない……!!


「そこな三人、いつまで話しているつもりだえ!」

 突如聞こえた声に、ハッと我に返った。声の主を振り返ると、淡い桃色の袿を羽織った女が回廊からこちらを睨んでいるのが目に入った。


「も、申し訳ございません!」

 三明は残りの朝餉をかき込むと、膳を持って立ち上がった。弥胡も急いで食事を終える。どうやら片付けも自分でやらないといけないらしい。膳を受け取った場所のすぐそばに控えていた紺色の袴の女に膳を返すと、三明は弥胡を連れて回廊を急いだ。

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