2-3
「おい、腐芽苦、お客様だ、顔を上げろ!」
翌日、弥胡がまた床に伏せていると、無遠慮な牢番の声がした。
弥胡は声の主を睨みつける。この男も、所詮宵慈を殺した奴らの仲間なのだろう。無理やり人を拐かしてきたくせに、罵詈雑言を浴びせてくるだけの粗野な牢番たちに辟易していた。胸を焦がすような怒りと憎しみが湧き上がる。
――どうにかして、宵慈の仇を取ってやりたい。
しかし、人間の感情を吸引したり、ごく稀に視界や聴覚、記憶を「盗る」しかできない弥胡は、無力以外の何ものでもない。
できるのは、ギリギリと奥歯を噛み締めて反抗してやるくらいだった。
「いつまでボサッとしてやがる!」
牢番はイライラと格子を蹴りつけた。流れ込んできた彼の苛立ちのがあまりの不快で顔顰める。ここに押し込まれてからというもの、酷く感情が乱れ、吸引の制御がしにくくなっている。
声の方に視線を移すと、格子の向こうに大人が数人立っていた。牢番が掲げている灯りが逆光となり、相手の顔は良く見えない。
「ふうむ、これが、例の子供かえ?」
「はい、左様です、巫女様」
誰かが格子の前で屈んだ。衣擦れの音がしたかと思うと、額に冷たいものが触れて、反射的にビクッと身体が揺れる。ややあって、触れているのが誰かの指であることが分かった。柔らかくしっとりとした、労働を知らない指だと思った。
「巫女様、このような不潔な者に触れては――」
「静かにおし」
巫女と呼ばれた女の威厳のある声に、牢番の男が押し黙る。
すると、触れていた指先から、じわじわと温かいものが額に流れ込んできた。
「あああっ!?」
頭の中をかき回されているような酷い不快感に身を捩る。格子からもうひとつ手が伸びてきて、弥胡の顎を掴んで、身動きを封じた。
「やめて、放して!!」
力の入らない手で拘束を振りほどこうとしたが、大人の力には全く歯が立たなかった。
「おとなしくしろ!」
怒声と共に、棘のような怒気が胸を穿つ。苦しくて眦から涙がこぼれ落ちた。
永遠とも数秒とも感じられる時間の後、巫女は唐突に手を離した。
肩で荒い息を繰り返す。瞬きをするのも億劫なほど疲弊していた。
――今のは、一体、何だったのか。
額に指が触れただけで、あれほど酷い苦痛を与えるこの巫女は、一体何者なのだろう。
「これは、これは……。ふふ、よい拾いものをしたようじゃ……」
ボソッと呟いた巫女の声は、愉悦に染まっていた。
巫女は満足気に頷きながら立ち上がる。懐から紙を取り出し、汚物に触れたように、指先を拭った。
「この子供を湯殿へ連れてゆけ」
「はっ!」
言い終えると、巫女はゆったりとした足取りで出入口の方へ歩き出した。裾の長い着物が擦れる、シュッシュッという音が遠ざかっていく。
巫女が見えなくなると、牢番は格子を開錠し、居房の中へ入ってきた。両脇に手を入れられ、力強く引き上げられる。
「ふーっ、くせぇガキだ。おら、さっさと歩け!!」
牢番は弥胡を小突きながら廊下へ押し出す。そのまま彼に引きずられるようにして出入口へと向かった。