弥胡の成人の儀式 【2】
儀式が終わると、弥胡はダウィルと共に春宮の宮殿内で滞在している自分の部屋へ戻り、もう少し簡素な装いに着替えた。神庁から借りていた冠も返却する。
ダウィルにもらった檜扇だけはしっかりと持って、再び侍女に連れられて部屋を後にする。春宮が祝宴を開いてくれるらしい。
宮殿内の賓客をもてなす区画にある一室に通されると、弥胡は招待客の面々に呆気に取られた。
春宮、冬成、三明に月夜、そして神庁で座学を教えてくれていた桜香までいるではないか。皆、既に膳の前に座っている。
「来たか弥胡」
春宮は部屋の正面、金箔張りに植物と赤い烏を描いた屏風の前に置かれた畳の上に弥胡を招いた。畳の上には脇息が二つと黒い漆塗りの膳が二つ並んでいる。
「本日の主賓はお前と、夫であるダウィル殿じゃからな」
皇子である春宮よりも上の席に座るのは気が引けたが、せっかくの好意なので甘んじて受ける。
「そうじゃ。宵慈を呼んでもよいぞ」
「いいのですか?」
「無論じゃ。宵慈はお前の家族なのであろう? 先ほどの儀式は大神殿で、おまけに部外者も多かったが、ここは身内だけじゃ。遠慮せんでよい」
祝い事は家族全員でするものだ、と春宮は歯を見せて笑う。
「殿下……。ありがとうございます!」
弥胡にとって、宵慈は家族だ。それを春宮が理解してくれていたことが嬉しい。早速宵慈も呼んでやると、彼は勢いよく影から飛び出し、嬉しそうに尻尾を振った。
宵慈が弥胡の隣に伏せると、春宮はひとつ頷き、一同を見渡した。
「本日は弥胡の成人を祝う宴に参加してくれたことに、礼を言う。弥胡は先日、ここにおわすダウィル殿と婚姻の誓いを交わし、晴れて夫婦となった。これは、成人と婚姻両方の披露目となればと思うて開いた宴じゃ。心行くまで楽しんで欲しい」
春宮の挨拶を合図に、壁際で控えていた侍女たちがしずしずと酒の入った銀の片口銚子を持ち、酌をして回った。弥胡はやんわりと酒と断ると、代わりに果実水をもらった。
宴の席でも、ダウィルは相変わらず給餌をしたいらしい。弥胡の口に食べ物を突っ込み、咀嚼している間に自分ももぐもぐやるといった流れ作業を嬉しそうにこなしている。宵慈にはなにも供されていないが、十中八九後でダウィルから残り物をもらうのだろう。
「それにしても、お前がもう成人とはのう」
春宮は酒をちびちびやりながら、感慨深げに呟いた。
「以前よりは大分ましになったが、やはりまだまだ細っこいのう。ほれ、もっと食え」
「これでも結構肉がついたと思うのですが。着物の丈も、以前より短くなった気がしますので、順調に伸びていると思います」
「まあ、大陸の者はやたらと肉を食うというからのう。あちらへ行けば、今よりもっと背が伸びるじゃろう」
大陸に行くということがいよいよ現実味を帯びてきて、弥胡は感慨深く春宮を見つめた。思えば、弥胡は刺客として殺害対象の春宮と出会ったのだ。第一印象は最悪だったろうに、親身になって色々世話を焼いてくれた彼には感謝しかない。
「殿下、それに、冬成様も。お二人には本当に、お世話になりました。お二人に対する感謝は、言葉では表しきれないほどでございます」
弥胡はなますを摘まんだ箸をぐいぐい突き付けてくるダウィルを、やんわりと制して二人に向き直り、膳から少し離れて深々と叩頭した。
「礼にはおよばぬ。国を追い出す結果になってしもうたのは申し訳なく思うておるが、生涯を神庁で過ごすよりも、お前には野を駆ける風のようにのびのびとした生活の方が性に合うのではないかと思う。達者でな」
「神庁では、私がもっと周囲に目を光らせておけば、其方をあのような辛い目に合わせずに済んだやもしれぬ。私が至らぬばかりに、其方には申し訳ないことをした。あちらでも息災に過ごすのだぞ」
「はい、殿下、冬成様。ありがとうございます。お二人への御恩は、決して忘れません。……阿凛様にも、きちんとご挨拶がしたかったです」
「あ~、ここだけの話だが」
春宮はあらぬ方向を見て頬を掻いた。
「実は、阿凛殿をわしの正妃にする方向で、江吏族側と調整が進んでおるのじゃ」
「えっ!? 本当ですか!?」
弥胡は目を爛々と輝かせた。ダウィルの精気がまだ体内に溜まっているせいもあり、文字通り鮮緑色に輝いているのだが、春宮と阿凛が夫婦になればいいのにと常々思っていたことが実現するかもしれないとあって、興奮で一層目が光る。
「ああ。じゃから、お前が別れを言いたがっていたということは、わしから伝えておく」
「ありがとうございます。……あの、殿下たち、北江偉から帰ってくる直前に何かありました?」
春宮は苦い薬でも飲んだかのように顔を顰めた。
「……まあ、なんだ。色々とな。これ、子供がそのように大人をからかうものでないぞ!」
「お忘れですか、わたしは成人したので、もう子供ではありません」
にやりと笑って返すと、春宮は耳を赤くしてそっぽを向いてしまった。
「桜香様! お久しぶりでございます」
皆がひとしきり食べ終えると、弥胡は席を立って桜香のそばへ寄った。彼女はそっと弥胡を振り返ると、ふっと頬を緩めた。
「弥胡。ええ、本当に、久しぶりですね。色々辛い目に会ったと聞きましたが、元気そうで安心いたしました。成人ならびに婚姻おめでとう」
「ありがとうございます」
桜香に最後に会ったのは、夏と秋の気配が混じり合う季節だった。橘に攫われたので、当然自分の状況を伝えることはできなかった。
弥胡の拉致に関わった英も、反逆に与したとして処刑がきまっているそうだ。
「桜香様にご迷惑はかからなかったのでしょうか? その、わたしの所属のことで、色々と橘様から無茶を言われていたと伺っております」
桜香は困ったように眉尻を下げる。
「まあ、あなたのせいではないのですから、気に病む必要はありませんよ。確かに一時は拘束されておりましたが、幸いにもわたくしは、謀については何も聞かされておりませんでしたので、無罪放免となりました」
聞けば、桜香の植野家は、謀反で失脚した上級貴族の穴埋めのため、この度中級から上級貴族に昇格したのだとか。また、神庁を司っていた四辻家は一族郎党処刑となるたため、冬成の国満家が後釜についたそうだ。
冬成の為人を見ても、責任感が強くて誠実なことがよく分かる。そんな冬成を輩出した国満家なら、神庁をきちんと管理してくれるのではないだろうか。
桜香は懐から薄紅色の袋のようなものを取り出して、弥胡に差し出した。
「これは、わたくしからあなたへの餞別です。御夫君と末永く仲睦まじく過ごされますように」
それは櫛をいれる御櫛入だった。中には精緻な彫刻が施された木の櫛が入っている。
「ありがとうございます。大切にします」
「三明、月夜。今日は来てくれて、ありがとう」
「おう。成人、婚姻おめでとう」
「おめでとう、弥胡!」
私的な集まりだからなのか、三明と月夜は普段の着物に唐紅の袴ではなく、それなりの貴族家の子息子女が着ていそうな上品な着物に身を包んでいる。
「二人はわたしを助けに、南部まで来てくれたんだよね。それについてもお礼が言いたかった。二人とも、ありがとう」
「よせよ。俺たちは指令を受けて、あくまで神庁所属の巫覡と巫女として任務を遂行したに過ぎねえよ。なあ、三明?」
「そうよ。それより、体調は大丈夫なの? その、まだ目が……」
三明は言い辛そうに自分の目を指さした。以前にも火の荒神に魂を食われそうになった時、神の精気が抜けるまで瞳がずっと輝いていた状態だったため、弥胡本人と春宮たちは今の状態にさして違和感も危機感も覚えていない。
しかし、三明と月夜は弥胡が補魂の性質を持つ天招の巫女であることも最近知ったばかりなので、色々と心配してくれているようだ。神の精気が抜ければ元に戻ると説明すると、二人とも目に見えてホッとしていた。
「しっかしなあ。こんな洗濯板が、人妻ねえ。相手は女の色気になんて、興味のかけらも抱かない神で良かったなあ」
月夜はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。この男は、出会った当初からから色々と失礼過ぎる。
「月夜! 何てこと言うのよ!」
三明は顔を赤らめて月夜を睨んだ。「これだから男は」とブツブツ文句を言っている。
三明は上座でもしゃもしゃと棗を食んでいるダウィルをちらりと見やったあと、笑みを堪えるように顔を強張らせながら、弥胡の耳に口を近づけてきた。
「で、どうなの?」
「どうなの、って?」
「んもう、鈍いわねえ! 弥胡はダウィル様のどういうところに惹かれたの?」
想い合っているからこそ妻問いを受けたんでしょ、と言われて、弥胡は困ってしまった。ダウィルのことは間違いなく愛しているが、彼に対する想いが恋情であるのか、家族愛なのか自分ではよく違いが分からないのだ。
「うーん……。そうだなあ。最初は、変わった人だと思ってた。神様だって知らなかったし」
弥胡は三明に、二人のなれそめについて話して聞かせる。出会いが神庁に入る前に入れられていた牢であること、神出鬼没で、会うたびに餌付けされたこと。一緒に北江偉に行くことになって、一気に二人の距離が近くなったこと。
最初は、何か目的があるのではないかと疑っていたし、子供のように無邪気で一風変わっているなとしか思っていなかった。それが、森林のような彼の匂いを嗅いだり、密着するとドキドキと落ち着かなくなったのは、火の荒神に襲われたところを彼に救出されてからではないだろうか。
「素敵! 分かるわよ。自分の危機を救ってくれた殿方なんて、好きにならないわけないわよね」
弥胡の話に、三明はうっとりと頬を染めた。彼女の頭の中でどんな妄想が繰り広げられているかは分からないが、多分その三分の一も「素敵」な要素はなかったと思う。
「わたしから見ていても、ダウィル様は弥胡に夢中だものね。女はやっぱり、想われる方が幸せだと、わたしは思うのよ」
「まあ、そうかもしれないね」
この国では貴族や商家の婚姻は親が決める。男は婚姻後も側妃や妾を持っても咎められることはなく、むしろ奨励されるくらいだが、女はそうはいかない。平民の場合はお互いの同意があって初めて夫婦となるが、その場合でも夫の浮気は「悪い癖」程度で済まされるが、妻が浮気しようものなら大醜聞である。夫が自分に愛情を向けてくれなくても、女は耐え忍ぶしかないのだから、想われる方が幸せという三明の意見はもっともだろう。
「三明は、誰かいいなと思う人はいるの?」
弥胡はちらりと月夜を見ながら訊いてみた。
「そうねえ。素敵だなと思う方がいても、わたしは平民の巫女だもの。誰かと夫婦になって添い遂げるなんて、夢のまた夢だわ」
諦観の滲む顔で微笑む三明に、心が痛んだ。
弥胡から見て、三明と月夜は何だかんだお互いを特別に思っているように見えるのだが、三明の言うように、平民の巫女・巫覡は一生を神庁に拘束される。いくら二人が想い合っていても、どうにもならないことなのかもしれない。
新しく神庁を管理することになった国満家なら、恩情をかけて平民同士でも夫婦になって家庭を持つことを許してくれる日が来るかもしれない。
冬成は月夜の能力を買っているし、月夜を近くで見ていれば、冬成でも彼と三明のために何かしてあげたいと思ってくれる可能性はある。
それにしても、こんな風に誰かと恋だの夫だのについて語り合う日がくるなんて、九重を失くして山小屋で宵慈と生活していた時は想像すらできなかった。
弥胡は三明と月夜を見る。
二人は、弥胡が神庁に入ってから何かと気にかけてくれた。特に三明には色々と迷惑もかけたし、本当に世話になった。
(二人が幸せになれる日が、来るといいな)
「三明、月夜。二人は色々わたしに教えてくれて、頑なだったわたしにも向き合ってくれたよね。本当に、感謝してる」
月夜は照れたように頭を掻いた。
「よせよ、俺は特に何もしてねえし。礼なら三明にだけでいい」
「もうっ、わ、わたしだって、桜香様のご指示に従っただけなんだからねっ! お礼を言われるようなことじゃないんだからっ!」
三明は相変わらずツンツンしているが、照れ隠しが見え見えだ。
「二人にはもう会えないだろうけれど、大陸からずっと、二人の幸せを祈ってるから」
「弥胡……」
三明の眦に光るものがある。彼女は弥胡の肩に手を置くと、自分の方へ引き寄せた。
「もうっ! あなただって、幸せになってくれないと、わたし、許さないんだからっ!」
「ありがとう」
小刻みに震える背中を抱き返す。
辛いことも多かった。けれど、これだけははっきりと言える。
「皆に出会えて、わたし、幸せだった」
「あーもー、湿っぽいのはなしにしようぜ。ほれ、飲め飲め」
月夜は耳を赤くしながら酒を差し出してくる。
「あ、わたしは果実水がいい」
「なんだよ。お前、やっぱり成人しても中身は相変わらずお子様じゃねえか」
「余計なお世話だよ」
和気あいあいとした空気が部屋を満たす。
別れを惜しむかのように、この日の宴は夜遅くまで続いたのだった。
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