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氷河時代の葬式

作者: 汐風鈴

 俺——ルカワアラタが住むS市T区はとある理由で最近、世間で注目の的になっている。単に言えば超常現象の多発と断言しよう。


 魔法少女。


 邪智暴虐の限りを尽くす怪物集団が道中を闊歩する中で彼女らがたびたび登場し彼らを成敗する、という一連の流れがあるらしい。インターネットでは正義のヒーローが悪の組織を滅ぼすために戦っているだの集団幻覚だのフェイクニュースだの十人十色な見解が飛び交っているのだが、俺からしてみればどれも信じがたいものであった。


 俺が『あった』と表現したのは信じざるを得ない状況に遭遇したのだが、それはその光景を見たからでもその少女らの正体を耳に入れたからではない。ただ、俺の母が溢れる光の中でイタイコスプレ衣装を身に纏ったからである。


「アラタ()()()、お店開けていいわよ」


「うす」


 厨房の方から聞こえる声に薄い返事をして、入口に置いてある『喫茶GiRa2(ギラギラ)』の看板をひっくり返して『closed』を『open』に変える。店内に戻ると先ほどの声の主であるハナさんが顔を出していた。


「いつも言ってますがちゃんはやめてください。『くん』か『さん』、嫌ならば呼び捨てでもいいですから」


「えぇ、でもぉ。アラタちゃんは、アラタちゃんなんだよ。ユキメちゃんに似て可愛いんだから……」


 ハナさんは母の元同僚である。母が所属していた組織は例に外れず魔法少女と戦っていたらしく、彼女含め俺に受け継がれた力はその証と言えるだろう。発現した当時は扱えずにいた氷の力だが今では文字通り体の一部のように自由に扱えるものなのだから人生捨てたものではないのである。


 そんな意に反してこの水晶のような輝きを持つそれを眼中に入れると否が応でもあの吹雪の中の寒さのように鋭くも暖炉を囲んだ時のように暖かい瞳を思い出してしまうのだからなんとも言えぬのだ。


「今日は平日だからアラタちゃんは席に座ってゆったりしていていいよ」


 どうせだからあの日を思い出そう、幸福など生まれない話を。





 始まりは偶々、魔法少女と組織との戦闘に巻き込まれた時である。


「おい兄ちゃん、早く逃げたほうがいいぜ。どうなってもしらねぇよ!」


 煌々と照る三人の少女を見つめるアラタは、彼女らに背を向け逃げる住民の一人に警告を受けるもアラタにはそれが一切耳に入らなかった。それはあり得ない光景を見たからである。


 ガラスの破片が頬を掠めたことで危険を察知したアラタはすぐさま建物の影に隠れて目視のため顔を出す。


 やはりおかしい。大体、彼女らは巨大な敵を倒すことが多いのだという。(出自元:大学の友人)しかし、この場ではそうではない。魔法少女らと対峙しているのは一人の女性であるのだ。その女性は奇しくもどこかで見たことのある身長、スタイル、何を言っているか定かではないが声質も似ている。


「母さん……。どういうことだ?」


 銀の風が体から体温を徐々に奪っていくのを感じる。手の震えを抑えるようにして左手で右腕を掴み、右手の人差し指でシャッターを切り、それを確認するとカメラの周りに霜がまとわりついているが問題なく撮れているようだった。


 好奇心に誘われて、遮蔽物を伝うようにして彼女らに近づく。20mほどの距離でやっと、彼女らの会話を耳に捕えることができた。


「あなたもJA−CKの人なんでしょ?絶対に騙されないわ!」


「話を聞きなさい、あなたたちが危険に晒される理由はないの。JA-CKのことは私が引き継ぐからあなたたちは大人しくしてくれない?」


 話を聞く限り、魔法少女への説得は難航している様である。友人が鼻息を荒くしながら話していた『魔法少女の容姿は小学生から中学生のそれである』ということは真実である他ない。


 ルカワヒメノ。独身女性にして俺の母親、つまりシングルマザーな彼女は血縁のアラタでさえ未知な部分が多い。幼い頃から帰省とは無縁で祖父母の存在さえ知らず父も口伝てだけなのだ。逆に俺もそれに違和感を覚えることはなかったしそれが普通なのだろうと錯覚し今もそうである。


 今、俺は母という雑誌の袋とじの中身を垣間見ようとしているわけで、彼女の秘密を嘘を方便を解読しようとしているだけなのだ。


「私たちは絶対に騙されない! 二人とも、行くよ!」


「「「スターダスト・フィナーレ!」」」


 その掛け声に合わせて放たれる光は心の警報の間隔が狭くなっていくほどに神聖かつ強大で恐怖心を煽るものであった。死の宣告と言い換えても良い。


「母さ——」


 俺の母を呼ぶ声が腹に空気を戻すことによって途切れる。


 その光が収まると同時に母の肉体は自由落下を始め、小鳥の雛が巣から溢れる様にして地に身を叩きつけるのだ。少女らの方はまるでゴミムシを扱うように目もくれず去っていく。アラタは彼女らの凱旋に目もくれず、砂埃をかき分けて目的の人物に向かう。


「母さん、何がどうなって……って、救急車! 救急車呼ぶから、それまでの辛抱だから」


「あ、アラタ。いいわ、もう保たないってわかるの。誰もこんな話を信じたりしないわ」


 アラタが抱き抱える母は今までにない穏やかな柔らかい笑みを浮かべ、息子のただ一人の血縁の頭に手を添える。母は頬に伝ったアラタの一筋の涙を拭うと彼の左腕を弱々しく握り、らしくない語りを始める。


「私は昔、違う子だけど魔法少女と戦っていたの。今じゃ考えられないぐらい酷い名前の組織でね、彼女らのせいで解体させられて命からがら逃げてきたんだ。組織の仲間と共にね。いやぁ、あの時は楽しかったなぁ。若気の至り(?)みたいな感じでね、こんなこと息子に話すことなんてないけど」


 悪は滅びたはずなのに雨が止まない。ルカワアラタの腕には母親の首に下がっていた妙に冷たいペンダントだけが残っている。



 母親がいなくなったとして、生活は変わってくれない。一応、ルカワヒメノは失踪扱いになったのであるが、ただ、いなくなっただけだ。


 昨夜は宙ぶらりんなまま床に着き、その気分を持ち越して起床することになった。昨日は寝巻きに着替えぬまま就寝したため、『シワになってるだろうな』と脱衣所に向かう。しかし、鏡の前に立つも自分の姿を確認すると足が張り付いたように動かなくなるのだ。


「は?」


 葡萄酒色の、爬虫類のような肌に太い腕と黒い爪。下半身には佩楯はいたて草摺(くさずり)の様なものがついており肌と同質になっている。頭部はトリケラトプスのようだ。しかして、自分が怪物になってしまったことが頭が冴えていくほどに現実の輪郭がくっきりとしていく。


 驚いた。驚いたが半分嬉しい。母は俺に何かを遺してくれたのだ。ペンダントだけじゃない、遺伝子をもらったのだ。永遠に消えることはない。


 一回、二回。


 瞬きをすると昨日のアラタの姿に戻った、まるで幻覚だったかのように。それでも足元には自分の足よりも一回り二回りも大きい足跡が残っているのだから真実なのであろう。


「母さんは何者なんだ?それに父さんだって、何も知らない」


 今日はいつもより静かだ。


 今日は講義を取っているわけでもないので母のことを知るという名目上、自室に向かった。アラタは一寸の躊躇いもなく机の引き出しや本棚に手を伸ばすことにした。


「これって」


 アルバム、日記、女児向けの玩具の様な端末など常人が持っていそうなものから母の秘密足り得るものまで探せば探すほど掘り起こせてしまう。棚から引っ張り出した日記の方にも点々と母の組織時代の情報が書かれており、母についてはもちろんさっきの俺の豹変についても記載があった。


 なんとか一旦の状況を理解することができたことで空腹を思い出し、適当にバターを塗ったトーストを牛乳で流し込む。いつもの癖でテレビのスイッチを入れると見覚えのある光景が画面に映っていた。


『こちらが例の現場です! 普段は車や人が賑わう国道ですが、現在は閑散としています。一体、何が起こったのでしょうか』


 手元のリモコンをすぐに手に取ってテレビの電源を落とす。ソファの方に手持ちのそれを放ってため息を吐く。もう目元が潤むことはなく、心に黒い何かが溜まっている感じがする。


 抵抗もせずに母は殺された。正体不明の少女らは多分正義感に駆られて手を下したのだろう。母は死に、同時に目標も雲散霧消してしまった。ハンモックに揺られているような気分である。


「俺はどうすればいい」


 プラスチック製のブラシと歯が擦れる音が脱衣所の方まで届いて反響する。ドロドロになっていた口内を一新し、ミントの爽やかな香りが鼻腔をくすぐってくれる。先程、朝食を食べたばかりだが気づけばもう昼時である。


 心が追いついても脳内の整理はつきそうもないので散歩に出ることにした。昨日とは反対側、線路に沿って数駅ほど歩くとショッピングモールが顔を露見させる。


「おや? おやおやおや、先輩じゃないっすか、いつにも増して悲観そうな顔してますね」


「ああ、まあな。フルハシ、お前はこんなところで何してんだ。JDってやつは駅の方で買い物するものだと思ったんだが」


「それはそうっすけど、今日は一家で買い物って感じなんすよ。ショッピングモールに来ても何もやることなくて、ブラブラしてる感じっすね」


 幸運なことに、お料理サークルの後輩にばったり会うことになった。なってしまった。フルハシイヲリ——大学において二つ下の後輩にあたる齢十九の女子である。顎ぐらいの長さの加工された金髪は根元が少し黒くなり始めてプリンを連想する。


「それでそれで、先輩はここであにしてるんすか?」


「まあ、何というか。その……自分探し?」


 俺の返答にフルハシはカラカラと決して小さくない声で笑い声を上げ、背中をバンバンと叩いてくる。


「自分探しにしては近すぎっすよ。……なんかあったんすか?」


「まあな。それも最悪のやつだ」


 今でも少し足が地についていない感覚がある。ついつい、存在意義とからしくもないことに頭を回してしまっているのだ。


「それ、聞いてもいいっすか?」


「ああ、まあ、うん。いいけど」


 宙ぶらりんなまま空返事をしてしまったことを後悔しながらも、フルハシに連れられて無駄に値段の高いカフェチェーン店に足を運ぶのだった。


 空返事をしてしまった自分にも非がある。せめて真っ直ぐ、虚言まじりの事情を説明すると彼女は腕を組み、うんうんと唸るか頷くかしてから口を開いた。


「それで母が失踪してしまったと。何ともまあ、触れづらい話題っすね」


「ああ、だから一つ。質問に答えて貰えばいい、それだけだ」


 目の前の彼女は首を傾げるもアラタはそれを気にもせずに続ける。


「例えば、あくまで例えの範疇での話だけど。フルハシは最愛の相手が目の前で傷つけられたらどうする?」


「そりゃあ、何かしらやり返してやろうとは思うっすよ。思うけど、多分アタシにはできそうにないので誰かに任せますよ」


 その誰かというのは多分真っ直ぐしたものなのだろう。弁護士とか司法とか、根が真面目なのだからそういう正規に従って動くのだ。それに比べてルカワアラタはどうなのだろう。曲がりくねり、一晩で腐ってしまった事勿れ主義な俺はあの少女らを許すことなど到底できないのだろう。


「先輩、何しようとしてるんすか?」


「何もしないさ、何も。俺のことは知ってるだろ」


 俺が立ちあがろうとした時、天井の方から爆破音と共に振動が全身を貫通する。


「早く逃げろ!」


 テーブルに手をつけた俺の叫びに衝撃によって倒れた皆がフリーズするものの、立ち上がって出口の方に押し寄せていく。


「フルハシ、お前もだ。早く逃げろ」


「先輩はどうするんすか?!」


 フルハシはこちらを見ながら何かを訴えてくるがショッピングモールの揺れる音に遮られ何も聞こえないでいる。


「用事ができた。必ず戻るから、安心してくれ」


 置いていた小さめのバッグを手に取ったフルハシは惨状に背を向けて走っていく。俺はそれを気にも止めず、吹雪を纏いあの人ではない姿へ変貌させる。


 目と鼻の先では狼男とバラを纏った女が少女たちと交戦しておりその奥では一人の男が腕を組んでいる。


 どいつもこいつも。どいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつも、我儘が過ぎる。


 海を割るが如く力強い一歩を踏み締め、一瞬で彼らの間合いに入り込む。


「な、なん——」


 狼男と青の少女と黄の少女の間に入ると彼・彼女は息を呑んで一歩退く。そのせいでバランスを崩した狼の頭を手刀で飛ばす。


「キャーーー!」


 俺は悲鳴には目もくれず、今度は薔薇女と桃の女の間に割り込み、女の方の腹を貫く。あっけなく、二人の同類は塵となって消えていく。一掃を終えると直立に戻り、少女らの方を振り向く。


「あなた、何者? どうしてそう、残酷なことができるの?」


 合わせて三色の少女らが集合しこちらに武器を構える。


「お前らだってやってることは同じだろう。血が出るか否か、殺しているに間違いはない。酷くなければ殺していいのか、罪悪感が感じなさそうなやり方であればいいのか? いいなぁ、お前らは奪う側で正義感に浸れて」


「……なんの話かさっぱりなんだけど! それに私たちはあなたと初対面のはずだよ」


 ああ、俺はそうさ。俺が勝手に認識しているだけ、それだけだ。


「昨日、銀髪の女性がお前らの活動を止めよう、いやこれだと誤解を生むか。その奇抜な格好をして悪を打ち倒すという行動を止めようとしただだろう」


「ああ、いたわね。私たちを騙そうとした女」


 先程まで吐瀉物を吐き出しそうにしていた青の少女が格好をつけるようにピシャリと言ってのけた。


「騙す、か。お前たちが正義にかこつけて勝手にそういうことにしただけだろう。そんなことはどうでもいい、貴様らの犯行動機に興味はない。彼女は俺の母親だ。俺の母親はお前らが殺した。その非道を俺が許すわけにはいかない、目には目を歯には歯を、だ。俺はお前らを殺す。お前らもお前らが活動する原因となった組織も殺す。それだけだ」


 俺はずっとダンマリしている黄色の方に手を突き出す。黄色の疑問を浮かべる間もなく、四肢に氷が纏わりついていく。


「何これ何これ! ねえ、何。何なの、答えてよぉ。ねぇ、ねえってば! ね、え……」


 黄色の四肢だけでなく全身に駆け回ることでやっと桃と青の瞳孔が絞られ、頬が引き攣っている。


 氷像になった彼女をひと蹴りで粉々にすると刹那の後に息を呑む音と地に氷が落ちる音だけが響く。


「今のは母が持っていた能力だ。アイスエイジと呼ばれていたらしいが、今はどうでもいいことだ」


 どうでもいい情報をつらつらと並べると今度は青が煽るように口を動かす。


「あなた、今までの奴らとは違うのね。全く愉快に思ってなさそう」


「葬式で笑う奴などいないだろう。……覚悟はできたか?」


 地を震わせながら一歩を踏み出す怪物は桃の前まで前進する。彼女の真後ろに分厚い氷を形成し、彼女の鳩尾を大きな足で踏みつけるようにして氷に叩きつけると桃の腹は車に轢かれたバナナのように平になり、崩壊した氷の上に倒れてしまう。


「が……ぐはぁ」


 地に臥す少女は口元に吐血するとそのまま目を閉じ、ファンシーだった髪色は栗色に戻っていく。


「ナナ、ナナァ! あぁ、あっ、ああ」


 先程まで見下ろすような態度を取っていた青は腰を抜かし、俺の方を見上げる。彼女の方を振り向くと青は股のあたりから黄色い水溜りを作り、それはほんのり湯気をあげる。


 俺はその惨めな姿に戦意喪失とみなし、つま先をはじめからこちらの様子を監視していた白銀の髪をなびかせる男の方へ向ける。


「これ、もらうぞ」


 彼女の腰に携えているポーチのようなものから青い宝石をむしり取る。すると、青は少し遠くに転がっている屍と同様に黒髪の少女に転身し、白目を剥く。そんなことは羽虫のように無視し、アラタは本命でない方のポーチを放って宝石の方は右手の拳の中に入れる。


「君は何者だい? 急に現れては暴れて挨拶もなしとは寂しいじゃないか。感謝はするよ、忌々しい餓鬼を葬ってもらって。今日の僕はとても運がいい」


 ニタリと、形容できない悪意が牙を剥く。


 いともたやすく左腕が飛ぶ。俺が彼の部下を一撃で吹っ飛ばしたように接近してきた悪意は俺の懐に詰めてくるのだ。


 細く白い首を掴んで頭突きをする。一瞬怯んだ悪意にボディーブローをかまし、二階のアパレル店のウインドウを彼を使って破る。すぐに左腕の付け根を皿につけたサランラップのように氷で覆い止血する。


「アハハハハハハハハハハ」


 発狂とでも言って良いぐらいの笑い声がモール中で点滅する蛍光灯と共鳴するようにして光る。


 これ以上の傷は残念ながら受け付けられない。つまり、短期決戦である。彼が飛来して来る前に大股を開いて構えると思惑通り一直線に悪意が飛び込んできた。


「俺は別に今死んでも構わない。しかしだ。母が死ぬ要因を排除できなければ気が済まないだけ、それだけだ。完遂できれば地獄行きだって喜んで受け入れる。悪の跋扈も正義の登場も波乱万丈な展開なんていらない。俺は普通が続いて欲しかったんだよ」


 肉がちぎれ骨が軋む音がする。彼の部下と同じように、アラタは悪意の腹を貫いた。それと共に握っていた青い宝石がそこら中にある砂と同じように粉々になる。


「あはは、勝てそうにないのはわかってたよ。だから、せめて君を呪おう。ふふふ」


 口から黒い何かを吐き出しながら悪意はそう呟く。そうすると悪意は両腕を真っ黒の蔦に変え、棘がついたそれをアラタの剛腕に巻き付ける。下半身の方からチリチリと塵に果てていくも彼は三日月のような口元で笑い、蔦から水墨画のような黒い炎が上がる。


 身体の一部を燃やすアラタはそれでも口から泣き言一つ漏らさず、ただ耐えるように食いしばるのである。それは徐々に胸、左肩、頭へと広がってついに全身を覆う。左腕の氷が解けるようではないが熱いのは変わらない。


「僕は恨むよ、君もあの少女たちも。僕はただ逃げただけなのに、ああ」


「関係ない、俺のテリトリーを害するものは老若男女関係なく殺す、それだけだ」


 終に主悪の根源は絶たれた。そこに残ったのは一人の女子高校生と黒い炎をあげる化け物だけ。再び、雨が降り始めた。


 雨は嫌いだ。



 次に覚えているのは目を覚ました時だ。青の女が放心状態でいるうちに姿を消し人の姿に戻るも片腕の欠損とあの不吉な男からの置き土産によって体力を奪われ意識を深淵に落としていった。


「ああ、起きたのね」


 見知らぬ室内。喫茶店やカフェのようなものを連想させるそこで起き上がるも白銀の幕のようなものが視界を遮る。


 奥の方から出てきた女性は温厚な雰囲気を出しているがなぜだか怒らせてはいけないものを感じる。一つ、不思議に思うのはどこかで見た顔だなということだ。


「私はハナよ、近くで倒れていたのを介抱したのだけれど。それ、どうしたの?」


 彼女はチラチラとアラタの身体を見たり目を逸らしたりを繰り返している。アラタは鬱陶しい目前のそれを避けて、自身のある方の腕を眺める。すると意識を失う前までとは違い、赤黒い火傷の痕が蔦のように巻き付いているのである。


「ああ、気にしなくていいですよ。これはまあ仕方ないことですから、俺のせいですよ」


 俺の返答にクエスチョンマークを浮かべる目の前の彼女だが不審がられるのを防ぐため俺も自分の情報を開示することにした。


「俺はアラタ、ルカワアラタです」


「アラタちゃんって……ルカワアラタ。いや、男だったはずだけど。ねえ、ルカワヒメノって人は知ってる?」


「ああ、多分俺の母親でしょう。母と知り合いなんですか」


 ハナさんは母の同僚であったらしい。俺のことも言づてに知っているらしいがその内容を聞いていくごとに彼女の語尾弱いものになっていく。


「でもアラタちゃんって女の子よね」


「いえ、俺は男ですけど。どういうことですか?」


 俺はハナさんに腕を引かれ、喫茶店と繋がっている自宅の方へ向かう。背中を押され到着したのは洗面所。その鏡を覗くとハナさんの言っていたことは一目瞭然であった。


「は、はぁ? は、あはは。まじか」


 そこに映っていたのは男子大学生でも怪物でもなく、銀髪に碧眼の若い女性であった。ケアを怠った故に荒れていた肌や唇は果実のように潤っており、黒かったはずの髪はダイヤモンドダストのように白く煌めいている。顔立ちは母に似てシュッとしているが男だった頃と身長は変わらず180もあることと脂肪のついていない肉体から黙っていると男女に関わらず魅了してしまう何かを感じる。


「母親にそっくりだ。本当に、それだけだ」


 涙は出ない。


「俺の母、ルカワヒメノは死にました」


 まだ命を落とすには惜しい少女らに替わろうとし、勘違いされ殺された。


 俺は恨んだ。母を殺した人間をその要因を力を正義を悪を許すことなど到底できそうもなかった。


 少女らのうちの二人を殺し、敵対組織を壊滅させた。


 俺は、自分のしたことを後悔してはいない。悪いとも思っていない。


 でもこれはやってはいけない禁忌だったということだろう。今の状態を見るに天罰が降ったんだ。


 アラタは再度地面に身を預ける。


「アラタちゃんのことはよくわかったよ。私だってヒメノの死は悲しいよ。復讐だって否定はしない。でも、罰は受けるべきだ。だから、苦しいだろうが私はアラタちゃんを生かすよ」


「別に死ぬつもりはないですけど」


 俺はハルさんから目を逸らし、彼女の「それならいいんだけどねぇ」という言葉を聞き逃したふりをする。今はそれしかできない、したくないのだ。


「これからどうするの?」


「まあ、自宅に戻ろうと思っっていますが」


「でも、その姿でどうするの?」


 それは盲点だった。この姿じゃ誰もルカワアラタをルカワアラタだと気づかないだろう。自宅に戻れるかも危うい。


「とりあえず、母の遺品だけでも取ってきます。鍵はありますし、大家に言われても親戚ってだけいえば大丈夫でしょう。まあ、その後はなんとかしますよ」


 立ち上がって、店の方に戻り扉の前に立つ。

 

 声色や視界といった変化に違和感しか感じられず、心機一転とまではいかないが数日前の自分と比べて生まれ変わったような気分である。しかしそれは決してピカピカのランドセルを背負った入学式の小学生のようなそれではなく仮に形容するならばぬるま湯に使っているようなそんな気分だ。


「ちょっと待って、アラタちゃん。流石にそれは見逃せないわ。私が生かすって言った。死なせないって言ったから、ここに住みなさい」


 おっとりとした雰囲気を逸脱した声色で放つハナさんの誘いに俺はあっさりと首を縦に振った。





「ちょっとアラタちゃん、ちょっとは働く意欲を見せてよ」


「すいません、ちょっと清掃でもします」


 いくら時が経ってもこの感情からは逃れられず、母の死を引きずっている。自分でも笑ってしまうほど傑作だ。


 これまでの二十年を人生をキャリアを交友関係を投げ出して良かったのだろうか。と時たま足に黒い塊が絡まってくることがある。罪悪感ではない、もっと良い立ち回りができたのではないかと思う。ただ、それだけである。

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