米津玄師 2023 TOUR/空想 札幌2日目の感想(セトリネタバレ無し)
誰かに会うことで、泣く自分を想像できない。
いや、敢えて『空想』できないと表現しよう。
テレビ番組なんかでよく見かける、突然推しが目の前に出てくるサプライズ。そこで感涙する老若男女。
それを見て、自分は流石に泣きはしないだろうと思っていた。
加齢と共に、穿き古したパンツのゴムみたいに緩くなった涙腺を持つ自分でも、まさか泣きはしないだろうと。
自分が泣くのは、親族や友人が亡くなった時と、『金色のガッシュ!!』を読んだ時くらいなものだ。
そもそも自分は、ライブ初参加では無い。2019年の『脊椎がオパールになる頃』が初参加となる。
なのでもう、自分は「米津玄師は実在する」ということを知っている。
しかし、前々回のライブは憎き虎狼なウイルスにより中止となり、その次のライブは試される大地では開催されなかった。
つまり今回は当選回数で言えば3度目、参加回数で言えば2度目のライブとなった。
外にまで続く長い百鬼夜行……ではなく発券待ちの列に並び、座席は何処になるかとドキドキしながら待っていた。
ここに来られただけでも僥倖で、アリーナ席なんて贅沢は言わないと友人と話していたのに、発券されたチケットにはアリーナ席、しかもかなり前の方であることが書かれていた。これは夢か、ゆめうつつか?
興奮のあまり、思わず席の場所が書かれている案内板の写真を撮ったら、係の方からそれはそれは丁寧に削除してくださいと注意を受けてしまった。本当にごめんなさい。
削除後には撮影可能なポスターを撮りに撮り、反射で写り込む自分のことも気にせず、跳ね返る自分に指を立ててやりたい気持ちを堪え、それはもう撮影した。
そして、チケット発券の時点でわかってはいたが、本当に近い。流石に目の前ではないが、少なくとも脊オパの時より格段に近い。そして隣には花道が。
ここを通るの? 米津玄師が?
会場はスモークで霞み、冗談みたいに暴れ狂う心臓の音はうるさく、何故か私は手を合わせて拝んでいた。祈りの所作とは、こうして自然に生まれたものだったのかもしれない。
気が付けば非常口の灯りさえ消えていて、完全に真っ暗になりライブは始まった。
演出についてもこれ以上触れないので、どうか安心してほしい。ネタバレ希望の方はこんな駄文を読まず、もっと綺麗に上手に簡潔にまとめられたブログや文章をお読みください。
1曲目の前奏が流れ、本人が現れて歌を歌った瞬間。
私は泣いた。
誕生と同時に消えてしまいたいと泣いた、あの時以来の涙だった。
前回よりも近い席だった、ということもあるのかもしれない。
とにかく私は、サプライズでもなんでもなく、確定で推しが出てくる演出で大号泣してしまったのだ。
もう手拍子も手を挙げることも、あの名前はわからないけど何かを掴んで投げるみたいなムーブも不可能だった。
迷子になった幼子のように、自分の服の裾を握りしめて、これ以上涙を出したら目の前が滲んでしまうぞと言い聞かせていた。
周囲から見れば、さぞノリの悪い客に見えただろう。
ライブというのは、参加者もまた雰囲気の一部となる。その場に固定された楽器と言い換えても良い。良くなかったらごめんなさい。
しかしそれでも、自分にはどうすることもできなかった。手や腕を動かすためのリソースが、自分の脳には不足していたのだ。
それでも、目の前の光景をひたすらに網膜に焼き付けることはできたので、自分の脳だとか視力が大変低い眼球なんかを労って差し上げたい。偉かったね。
これを書いている時点ではツアーはまだ終わっていないし、自分自身がセトリを見ない派なのでそれらのネタバレも一切しないが、それでも言いたい。
私はしばらくの間、少なくとも5曲目が始まる前までは涙が止まらなかった。どうしようもないまんま、涙が出ていた。感情制限が上手くいかない。
しかしそこは流石というか、彼はいつまでも私のことを泣かせておくような男では無かった。
嬉しくなったり悲しくなったり、楽しくなったりまた泣いたりと、実にせわしのないライブだった。私は現代の妖怪だったのかもしれない。
しかし、天狗にはならないように気をつけなくては。
とにかくセトリ、演奏、演出、MC、その他ありとあらゆるライブを構成する全てが良かった。
私の貧相な語彙では語り切れないが、しかし尊いだとかヤバいだとかで自分だけの、そう私だけが感じたことの全てを表現するのは、陳腐でチープで失礼だと思った。
なので、この文章を書き連ねることとなった。日記だとか備忘録だとか、そんな大層なものではない。
ひとつだけ言えることは、冗談でも誇張でも比喩でもなく、私はこの日のことを一生忘れないだろう、ということだけだ。
彼の作り続ける美しいものを、これからも『空想』しながら楽しんでいこうと思う。