熟練の二刀流剣士(30歳)、一刀流の方が強いことに気づいてしまう。
「新太、俺は今朝気づいてしまったんだ………………二刀流は、一刀流より弱い」
俺、稲石新太は師匠の言葉に驚愕した。
「何を言っているんですか、師匠!? 二刀流が弱いわけがないじゃないですか! 師匠の刀は史上最強ですよっ!」
幼い頃から二刀流を使いこなし、百年間卒業者を出していなかった名門道場の卒業試験を十歳で突破し、刀の塔の頂点にまで上り詰めた天才刀使い。それが善岡勇師匠(齢:三十歳)だ。
二本の刀を自在に操る姿は美しくも狂暴で、俺はそんな師匠の剣技に惚れて弟子入りした。
「確かにそう思っていた。昨日まではな。けど、刀は一本の方が強い。それが真理だったんだ」
師匠は浅い皺のある渋い顔に、これまで見たことの無い自虐的な表情を浮かべる。
「いや、そんなわけないじゃないですか! だって、師匠言ってましたよね!? 二刀流は刀を二本使えるから、二倍強いんだって! 一刀流に負ける道理はないって!」
「半分だ」
「はい?」
「半分だったんだ…………二刀流の強さは……」
俺は師匠の言葉の意味が分からず、首をひねる。
「いやいやいや。刀が二倍になってるのに、なんで強さが半分になるんですか?」
「いいか、新太」
師匠は立ち上がり、両手を広げて見せる。その立ち姿は凛としていて、無防備なように見えて一部の隙も無い。
「刀を握る手は二つしかない。この二つをどのように使うかという話だ」
「ええと、だから、通常は一本の刀を両手で支えますけど。師匠の場合はそれぞれ一本の刀を片手で……」
「ほら、半分じゃないか」
俺は師匠の言いたいことが分かり始めていた。
冷汗をかきながら、無言で先を促す。
「通常は一本の刀を両手で握る。刀を扱う力の強さは、これが最大なんだ。しかし、俺は愚かにも、刀を片手で扱っていた」
俺は師匠の言葉に衝撃を受けた。
なぜ俺も師匠も、これまでこんな簡単なことに気付かなかったのか。
確かに両手をバラバラに使えば、力は分散されてしまう。一本の刀を扱う力は半分になってしまう。
「俺は刀が二本あれば二倍の強さになると信じていた。正直、理屈はあまり深く考えていなかった。その方が強そうだからという理由で、子供の頃に刀を握ったときから、ずっと二刀流で稽古をしていたからな。
…………しかし、大人になった頭で冷静に考えてみると、どう考えても弱い……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
脳を高速回転させて、状況を整理する。
確かに師匠の言葉は正しいように聞こえるけど、それだと師匠の強さの説明がつかないじゃないか。
「例え力が半分になっても、右手と左手を足したらイチになるじゃないですか。総合力は変わらないのでは?」
「片手で刀を支えるから、手にかかる負担は二倍になっている。刀の速さは、どう考えても、両手で握った方が速い。当然、威力も強い」
「いやいやいや! 師匠の刀の威力は片手でも十分じゃないですか! 一般人は一刀流の方が強いけど、師匠の技術なら、二刀流の方が強いんですよっ! 大木だって斬れるんですから、自信を持ってくださいっ!」
「あれを見ろ」
師匠は庭を指さした。
その先には、真っ二つに割れている岩がある。
まるで丁寧に磨き上げたかのような、綺麗な断面が二つ見える。
「今朝、一刀流でなんとなく振ってみたら斬れた」
「………………」
「一刀流は一度も修行したことないのに、頑丈で有名な『鉄岩』を、素振り用の刀で斬れてしまった」
「単純に腕が上がったからでは? 二刀流でも斬れたりとかは……?」
「もちろん試したが、斬れなかった。というか普通に刀が折れた」
よく見ると、岩から少し離れたところに、無残にも折れた練習用の刀が放置されていた。
刀が折れて、心も折れて、そのまま回収すらしなかったんだな……。
「で、でも、別にこれまで二刀流で勝っていたんだから、いいじゃないですか! 二刀流の何が悪いんですか!? これからも二刀流で戦いましょうよ!」
「これからは一刀流で戦う」
「それがいいと思います! これからは一刀流で戦いましょう! 師匠なら一刀流で最強になれますよ! その意気です!」
師匠があまりにも落ち込んでいるので、急な手のひら返しをしてしまった。
正直、今回発覚した事実に気付かなかったフリをして、今後もこだわりの二刀流を貫いて欲しい気持ちはある。
しかし、弱いと判明した二刀流を使い続けるのも、師匠としては辛いものがあるだろう。
「なあ、新太…………そもそも、なぜ俺は二刀流にこだわっていたんだ?」
「ええと……以前、師匠に尋ねたときはこうおっしゃっていました」
俺は尊敬する師匠の言葉をメモに残し、暗記している。
あのときの師匠は酔っていたが、俺の質問に深い回答をしていた。
「……『二刀流は、箸と同じだ。あるいは、草鞋と同じだ。常に二つで一つ。それが和の心というものだ』」
師匠の言葉を一語一句そのまま伝えると、室内に沈黙が流れた。
「お前はそれで納得したのか?」
「………………」
「納得したのか?」
「いえ、正直、意味がわからないと思っていました……」
気まずい空気が流れる。
師匠は「だろうな」と小さく呟き、俺に背を向けて庭を眺める。
小さく見えるその背中に、俺は勇気を振り絞って声をかける。
「で、でもっ! 師匠はこれからは一刀流で戦えばいいじゃないですか! 二刀流であれだけ強かったんだから、一刀流に変えれば天下取れますよ!」
「損した気がする」
「はい?」
「俺はこのレベルに到達するまで、二刀流で三十年修行してきた。けど、最初から一刀流で修行していれば、半分の年数でこのレベルまで到達していたはずだ」
「まあ、そうかもしれませんが……そんなこと言ったって時間は返ってきませんから……」
「俺は今後、一本の刀を握るたびに『最初から一刀流で修行してればなぁ』と後悔するだろう」
師匠は小声で愚痴を言い始めた。
これまで過去は振り返らない感じのかっこよさを醸していたのに……。
「師匠! 何をグチグチ言っているんですか! 修行の年数が無駄になったわけじゃないでしょうっ! 後悔するなんて師匠らしくないですよッ!」
突然の大声に驚いたのか、師匠は俺を振り向いた。
「そんな風に後悔していたら、師匠の業物の刀が泣きますよ! 師匠が持っている二本の刀は、どちらも一生遊んで暮らせるくらいの価値がある名刀ですよね! それは、師匠が普通の幸せよりも、刀使いとしての強さを求めた証拠じゃないですかっ!」
師匠は棚に置いていた二本の刀に目を向ける。
名刀――『五月雨』と『深若葉』。
どちらも師匠が大切にしていた、この世に二つとない名刀だ。その価値は金貨百枚でも足りない。手に入れたくても、手に入れられるようなものではない。
「師匠は誰よりもひたむきに強さを求めていましたッ! 俺は、そんな師匠に憧れていたんですッ! だから、幻滅させないでくださいッ! 師匠が今すべきことなんて、ひとつに決まってるじゃないですかッ!」
「新太……」
瞳に穏やかな色を浮かべた師匠へ、俺も穏やかな声音で語り掛ける。
「そう、師匠がすべきことは、二刀流に費やした歳月を後悔することではないんです。前を向いて、次への一歩を踏み出すことなんです。だから、お願いします……」
俺はその場で土下座して、生涯をかけるつもりで、全身全霊をこめてその一言を叫んだ。
「一刀流にするならッ! 『五月雨』か『深若葉』ッ! どっちか一本俺にくださぁあああああああいッ!」