8 天啓を得た男
特殊部隊が帰還せず、そして魔物が死滅していない現状から、各国は彼らの敗北を知った。
最早、世界中どの国にも魔王討伐に割ける戦力は残されていない。
各国は自国に迫る魔物の対処で手一杯だったのだ。
そして、新人類はお互いに手を取り合うことを止め、自国の利益を追求し始める。
そんな世界において、人々は圧政に苦しみながらも国に頼るしかなかった。
もし国の外に出ようものなら魔物の餌食になってしまうからだ。
既に新人類は物流網や情報網の大半を失っている。
一部の海に面した国は海路で貿易を続けたが、世界を変える程の力にはならなかった。
更に最近では海にも魔物が出没する事も増え、国家間の貿易は縮小し続けている。
新人類は衰退の一途を辿るしかなかった。
……とある男が国を追放されるまでは。
男は夢を見ていた。
光り輝く世界の中で、彼は呆然と立ち尽くしている。
「ここは一体どこだろうか?」
不思議そうな表情を浮かべる男は、周囲をキョロキョロと見回す。
すると彼は遠くに一人の少女を見つけ、驚愕した。
「まさか!! あのお方は!!」
そこに佇む少女の髪と瞳は銀色に輝き、肌は大理石のように白く、服は不思議な輝きを発していた。
その姿は、まさに聖書に描かれた女神そのものであったのだ。
男は急いで少女に駆け寄ると、その場に跪く。
そんな男に、女神は語りかけた。
「貴方に加護を授けます。この世を正しなさい。女神信仰を復活させなさい」
女神の言葉を聞いた男は地面に頭をこすりつけながら、
「承知いたしました!! 必ずや! 必ずや! 世界を正してご覧に入れます!」
と叫ぶのであった。
次の瞬間、暗く汚い地下牢で男は目を覚ます。
彼は周囲を見回し、今見たのが夢であったと認識した。
すると彼は己の体を這いずる毒虫を払い落として立ち上がる。
そして体を震わせながら、
「私は天啓を得た!! 私は天啓を得たのだ!!!」
と叫び、縄で縛られた両手を天井に掲げて力強く宣言した。
「女神様! 私は必ずや世界を正してご覧に入れます! どうか! どうか! 今しばらくお待ちください!」
そして男は汚れた床に跪くと、女神に対して一心に祈り始める。
そんな彼の姿を、周囲の人々は生気の無い瞳で見つめるのだった。
「さっさと出ろ! ゴミムシどもが!」
役人が怒鳴ると、不衛生な地下牢から貧相な体を引きずるように男達が出てきた。
男達の体には拷問の跡が残り、片腕を無くした者や、両目を抉られた者も居る。
彼らは教会の関係者達だ。
女神が魔王とされる現在においても、僅かながら女神を信仰する人々が存在する。
その大半が元教会の信徒や神官達だ。
先の戦争から生き残った彼らは地下に潜って女神信仰を続けたが、各国は彼らを悪魔信仰者と呼んで徹底的に弾圧した。
そして信徒や神官達は捕らえられ、拷問され、最後には処刑される運命だったのだ。
この日も、彼らは処刑されることが決まっていた。
彼らの処刑方法は通常とは異なる方法が用いられる。
それは「国外追放」という処刑方法だ。
城壁の外には魔物が蠢いており、武装した軍隊ですらも生き残る事は困難だ。
そんな場所に彼らを追放し、魔物に処刑させる。
これは、
「大好きな魔王の糧になれるのならば、魔物のエサになることも本望だろう」
という嫌味に満ちた処刑方法だった。
ボロボロの体を引きずりながら、男達は門を目指して行進させられる。
沿道の人々は罵声と共に石を投げつけ、背中を丸めて歩き続ける彼らに石が当たる群衆は歓声をあげた。
そんな中、「天啓」を得た男だけは背中を丸めることもなく、真っ直ぐに前を向いて歩き続ける。
そして彼は自分達に罵声を浴びせる人々を見つめると、
「女神様、愚かなる人々をお許しください」
と小さく祈る。
しかし、彼の小さな祈りは罵声にかき消され、誰の耳にも届かなかった……。
終に門の前に男達はたどり着いた。
すると兵士達がニヤニヤと笑いながら、国外追放用の小さな扉を開ける。
そして男達を次々と外の世界に蹴り出した。
男達が国の中に戻る事はもう出来ない。
魔物が潜む平原を抜け、森を抜け、山を登り……、彼らは前進するしかないのだ。
追放された男達が歩み始めると、城壁の上から兵士達がゲラゲラと笑いながら石を投げつける。
「ほら! 大好きな魔物が歓迎してくれるぞ!」
「嬉しいだろう! 魔王様に会えるかもな!」
「よし! 頭に当たった! 今日は何か良い事が起こるかも知れん!」
兵士に笑われながらも、男達は傷だらけの体を引きずるように動かし、歩き続ける。
すると平野の向こうから魔物が現れ、男達に襲い掛かった。
「ヒィィィィィイィイイィィ!!」
「ぎゃああああああああああ!!」
「誰か! 助けてくれえええええ!!」
男達は痩せ細った体を必死に動かし、何とか魔物から逃げようと走り始める。
しかし、そんな彼らを魔物達が逃すはずがなかった。
ある者は鋭い爪で背中を切り裂かれ、ある者は首を食い千切られ、ある者は体をねじ切られ、ある者は踏み潰された。
平原は男達の血や臓物で赤く染まり始め、悲鳴は断末魔へと変わっていく。
そんな様子を兵士たちはニヤニヤ笑いながら眺めていた。
「おお! 仲が良さそうじゃないか!」
「流石は悪魔信仰者だ! 初めて会う魔物とも簡単に友達になれるようだな!」
「いいぞ! もっと速く走れ! 右だ右! 右に行け! ……くそっ! あのバカ!足を食い千切られやがった!」
「やった! 賭けは俺の勝ちだ! だから言ったろ? ああいう奴は直ぐに死ぬんだよ! 夕飯はお前のおごりだ!」
「……クソ……。……3分くらい逃げ切れよクズ野郎が……」
そして兵士達は愉快なショーを思う存分楽しむと、ゲラゲラと笑いながら城壁を後にする。
本来なら生存者が居ないことを確認すべきなのだが、彼らはそれを怠ってしまった。
いつもなら魔物達が去った時、そこには誰も生き残っていないはずであったのだ。
しかし、一人だけ男が生き残っていた。
男は地面に跪き、祈りの姿勢のまま動かない。
そんな彼に魔物が近寄るが、魔物は彼の匂いを嗅ぐと興味無さげに立ち去ってしまう。
平原には、他の女神教徒の血で汚れた男だけが残された。
少しして祈りを終えた男は立ち上がり、平原を進んだ。
そして男は薄暗い森に辿り着く。
森の中はまさしく魔物の巣窟と呼ぶに相応しい場所であり、大小様々な魔物が蠢いていた。
「これは……なんということだ。まさか世界がこれ程までに犯されているとは……。おお、女神様。無力な我が身を許したまえ」
そして男は少しの間だけ祈ると、森を進んだ。
森に住む魔物達は男をジッと観察したが直ぐに興味を無くし、それぞれの活動を再開する。
そんな森の中を、彼はズンズンと進んで行くのだった。
男が森に入り、二日が経った。
食事時になると男は周辺の木々から木の実を集め、火を起こして料理を始める。
彼は素手で地面に穴を掘り、そこに葉っぱを敷き詰めて水を入れてから木の実を放り込み、そして焼けた石を穴の中に落とした。
これで簡易の鍋が完成し、簡単な煮物を作れる。
水が沸騰した事を確認すると、石を取り出してから大きな葉っぱで蓋をし、硬い木の実が柔らかくなるまで男は待った。
すると、家のように大きな魔物が木々を押しのけながらノソノソと近寄って来たのだ。
どうやらこの魔物は男の行動に興味を持ったらしく、大きな鼻で料理の匂いを嗅ぎ始める。
しかし、ヨダレを流しながら物欲しそうな目をする魔物に対して、男は無視を貫いた。
そして彼は頃合いを見計らってアツアツになった木の実を取り出すと、葉っぱの皿に乗せて食べ始める。
「ホフッホフッ。これは美味いな」
物欲しそうな目をしている魔物を完全に無視しながら、男は木の実を食べ続ける。
そして腹が一杯になった彼はゴロリと横になり、スヤスヤと眠ってしまった。
男は運が良かった。
彼がいる場所は魔力カスの浄化がほぼ終わった場所であり、先ほど食べた植物魔物の実にも魔力カスは殆ど残っていなかったのだ。
むしろ、この森の中は町中よりも魔力カスによる汚染濃度は低い位だった。
スヤスヤと眠る男を見た魔物は、残念そうな顔をしながらノソノソとその場を去るしかなかった。
それから数時間して男は起き上がり、軽く伸びをしてから歩き出す。
彼の瞳には、確固たる決意の光があった。
(この森を抜け、山をいくつか越えれば別の国があるはずだ。
その国に行き、何としてでも民衆の目を覚まさせねばならない。
これは、天啓を受けたる己に課せられた使命なのだ)
男は魔物の発生源が女神で無い確信していた。
この世界には真の魔王が存在し、そやつが魔物を作り出しているのだと確信していたのだ。
(真の魔王はその姿を見せず、さも女神様が魔物を作り出していると民衆に誤解を与え、信仰を弱めようとしているに違いない!
これは全て! 真の魔王の作戦なのだ!)
こんな事を男は本気で信じ込んでいた。
そして彼は、天を見上げて宣言するかのように呟く。
「女神様、ご安心下さい。必ずや私が民衆を目覚めさせ、信仰を復活させます」
そんな男の直ぐ脇を、巨大な亀の魔物が通り過ぎる。
その亀は魔法国家を滅ぼした亀の内の一匹だった。
亀は男を見下ろしたが、特に興味も示さずにノッシノッシと歩き去った。
「……やはりな。どうやら私には女神様の加護があるようだ。
おおおお!我らが守護神様!
慈悲深き貴女様のお心に感謝致します!」
そして男は祈りの姿勢をしたかと思うと、急ぎ歩き出す。
そうなのだ。
この男は、
(私には女神様の加護がある。
だから魔物は襲って来ないのだ!)
と信じている。
これは揺るぎない信仰心持っているからこそ、女神さまに頂けた力だと男は考えていた。
そして人々が信仰を取り戻せば、女神様に本来の力が戻ると信じていた。
更に男は、
(いつの日か復活した女神様が真の魔王を倒して下さる!)
と確信していた。
その為には世界に真実を広め、一刻も早く女神信仰を復活せねばならないと男は決意しているのだ。
そんな男の足には自然と力が入り、魔物がはびこる森をズンズンと進んで行く。
その足取りには、勇ましさすら感じられるものがあった。
私はドローンを通して男の背中を見つめ、クスクスと微笑む。
(もちろん、彼は天啓など得てはいない。
彼は夢を見たに過ぎない。
何か特別なことが彼の身に起こったわけではないのだ。
むしろ「私」が出てくる夢は極めて一般的な夢であり、今現在も多くの「私」が新人類の夢の中に現れている。
そして夢の中で「私」を見た大半の人は飛び起き、恐怖に体を震わせている)
私は椅子に深く腰掛け、用意された茶を味わう。
その間も、男は薄暗い森を迷いなく進んでいく。
(興味深いことに人が認識している「真実」と実際の「現実」は異なる場合がある。
人は目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味わって、肌で触れることで世界の「現実」を認識している。
しかし、個々人が認識している「真実」というのは当人の頭の中にしかない。
例えるならば、当人の置かれた環境が劣悪な「現実」であったとしても、本人の脳が幸せを感じるのならば「真実」は幸福な環境となるのだ。
そして大半の人は「真実」と「現実」の間にある矛盾に苦むことになる。
人々は苦しみ抜いた末、両者を疑って検証し、更には実証することで新しい認識を得て成長していく。
その一方で「真実」を妄信し、「現実」を否定し続ける人もいる。
そういうタイプの人は周囲から得られる情報の全てを否定し、ただただ己が「真実」の中で生き続ける。
正しく彼は「真実」の中に生きるタイプだ。
彼にとって「私」は世界の守護者であり、真の魔王は世界の破壊者なのだ。
例え周囲が彼に「現実」を教えようとも、彼の「真実」が変質することは決してないのだろう)
男は額から汗を流し、痩せ衰えた手足を伸ばして森を進み続けている。
(そして奇跡的な確率で偶然は重なり、彼の「真実」を裏付ける根拠となってしまった。
彼は生まれながらにして魔力臓器が無いため、魔物に襲われることが無い。
これは数十万人に一人の割合でしか生まれる事のない奇形の一種である。
未だに新人類は魔物が生まれる原因や人を襲う理由を理解していない。
その為、彼の身に起こった偶然に気が付くことが出来ないのだ。
更に偶然は重なり、彼が生まれ育った場所は都市部から離れた村だった。
そして戦争で教会が負けた後、彼は人気のない場所を点々と移動していたのだ。
結果、彼は魔力カスの影響を殆ど受けずに育つことが出来た。
まさに偶然が重なり、奇跡となったと言っても過言ではないだろう)
魔物が蠢く森を進む男の瞳には、狂喜的な輝きが宿っている。
(……旧人類が神託者と呼んでいた人たちの大半が、彼と同じく「真実」に生きる人たちだったのかもしれない。
偶然が重なり、それが「真実」を信じる根拠となり、「現実」を変えてしまった人たちなのかもしれない。
……だとするならば、旧人類の神託者達の生き様を私は知りたかった。
そして彼らの内に秘められた「真実」を、この身で感じたかった……)
私は小さく頬を染めると、彼の瞳を見つめた。
「……ああ……、君の怪しく輝く瞳のなんと美しいことか……。
……歪んだ確固たる意思、盲目的な熱意、狂喜的な信仰心……。
……そんな「真実」が重なり合い、君の瞳は魅力的に輝いている……。
君の「真実」は「現実」を変えるかもしれない。
君の「真実」は「現実」を変えられないかもしれない。
……しかし、しかし、しかし……。
……どのような結果になろうとも、私は君の輝きを愛し続けよう……。
……美しく魅惑的な君の人生を、私は見守り続けよう……。
……愛しい人よ……、……美しい人よ……。
……君の「真実」に、多くの困難と幸福のあらんことを……」
そして、私は瞳を閉じた。




