16 発狂 (挿絵あり)
惑星連盟軍は私が乗っている旗艦に攻撃出来たが、状況は改善していない。
むしろ状況は悪化し、彼らの司令部は混乱の極みにあった。
頭を抱える参謀が「もうだめだ……」と呟いている。
集結させた残存艦隊で決戦を挑むべきだと主張する司令官も居る。
中には地球軍に対して降伏するべきだと、降伏工作を始めようとしている参謀も居る。
そんな様子を、私は艦橋で感じていた。
既に私は不可視化した大量のドローンを敵艦隊に潜り込ませているが、それだけではない。
惑星連盟の星々にも不可視化したドローンを転送しておいた。
そうして、この世の全てを私は観察していたのだ。
(ああ、彼らは今、必死に戦っている。
決して勝てないであろう敵に対して、勇気を持って、絶望しながら、神に祈りながら、生きたいと強く願いながら、必死に戦っている……。
憎しみの炎を心に宿した軍人が、壊れかけた主砲にしがみつき必死に反撃している。
家族の写真が入ったペンダントを握り締めた軍人が、誰も居ない廊下で泣き喚いている。
腕を失い、足を失い、辺りに己の血を撒き散らした軍人が、ケラケラと甲高い声で笑っている。
彼らは全員が必死に生き、人生を謳歌している。
その結果が、「これ」だ。
「これ」こそ、君達の得た結果だ。
「これ」が君達の……、そして先ほどの男の覚悟の結果だ)
私は右腕を掲げた。
掲げられた細い右腕には大きな破片が突き刺さり、破片は反対側に突き抜けていた。
傷口からは心臓の鼓動に合わせてドクドクと大量の血が流れ出ている。
傷口から流れ出る血によって、地球軍の真っ白な軍服が赤く染められていく。
そして上着もズボンも赤く染まり、徐々に足元に血だまりが作られていく。
(ナノマシーンを使えば簡単に止血できるが……、……私はしたくない……。
流れ出た量と同量の血を作り出し、血を流し続けよう……。
……あああああぁぁ……、……痛い……、……苦しい……、……寒い……。
これが……、彼らの想いなのか……)
ゆっくりと掲げた右腕から、暖かい血がポタポタと顔に滴り落ちる。
私は頬を伝う血を、ゆっくりと舌で舐め取った。
そして私は「彼らの感情が詰まった己の血」を柔らかい舌でじっくりと味わい、彼らの想いを感じとったのだ。
「あああ!! 感じる!!
彼らの突き刺さるような憎しみを!!
彼らの燃えるような怒りを!!
彼らの凍えるような恐怖を!!
彼らの暗黒の如き悲しみを!!
血の味と共に! 私の心の中に彼らが土足で入ってくる!!
まさに彼らは戦っている!!
必死に戦っている!!
あああ!! 死なないで欲しい!!
美しい君達よ!! 誇り高い君達よ!! 穢れの無い君達よ!!
どうか! どうか!! この戦いで死なないでくれ!!
君達の一瞬一瞬全てが! 私の心を惹きつけて離さないんだ!!
あああああ!! しかし!! 私には出来ない!!
全力で戦う君達相手に手を抜くなんて!! そんな無粋な事出来ない!!
私は持てる全ての力を出して戦わなくてはならない!!
それが君達を更に!! 更に輝かせる!!
美しさに磨きをかける!!
どうか! どうか! この絶望的状況を生き抜いてくれ!!
どうか! どうか! 必死の覚悟で死ぬまで戦ってくれ!!
叶う事なら!! 私も君達と共に歩みたい!!
君達と肩を並べ! 強敵に立ち向かいたい!!
共に育ち! 共に愛し合い! 共に死にたい!!
だが出来ない!! 出来ないんだ!!
それは大量の純水に一滴の汚水を混ぜるような行為だから!!
私の力が私を守り! そして私を閉じ込める!!
この右腕の痛み! これこそが君達の想いの結果だ!!
絶対超えられないはずの壁を越えた!! 君達の想いの結晶なんだ!!
なんて素晴らしいんだ!!
この瞬間! この空間! 私以外の全てが全力で輝いている!
頭が吹き飛んだ軍人も!
胴体が千切れた参謀も!
分子レベルまで分解された総司令も!
私の死を願う連盟の人々も!
地上で自決した神官達も!
私の勝利を願う新人類達も!
君達は全てが愛おしい!! もっと近くで感じたい!!
もちろん! もちろん!! それが叶わぬ夢だという事は分かっている!
そんな無粋な事をしては! 美しい君達が穢れてしまう事も分かっている! 理解しているんだ!!
それでも!! それでも!!
いつか!! いつか!! もっと近くで君達を感じたい!!
いつか!! いつか!! 美しい君達に触れたい!!
ああ!! 苦痛と困難と喜びと悲しみに満ち溢れた君達の生こそが!! この世界で最も汚れなき存在なのだ!!」
腕から流れ落ちる血が薄暗い司令室を満たし、司令室は赤い水の溜まったプールのようになっていた。
血は膝にまで達する量であり、旗艦の砲撃に合わせてタプンタプンと血面は揺れる。
そんな赤く鉄臭いプールの中心で、私は真っ赤な軍服を身にまといながら踊り続けた。
私がターンをするたびに、飛び散った血が壁や天井に新しい模様を作り出している。
コンソールやディスプレイは既に血で赤く染まり、怪しく輝いていた。
私は踊りながら、己の右手に突き刺さっていた破片を引き抜く。
その瞬間、私は歓喜とも、悲鳴とも取れる絶叫を発した。
そして右手からは、これまでにない勢いで血が噴き出す。
穴の開いた長袖の隙間からは綺麗なピンク色の肉が垣間見え、その肉の先には純白の骨が見える。
私は恍惚の表情を浮かべながら己の右腕を見つめると、またもや激しく踊り、歌い始める。
血によって朱に染まったディスプレイは、次々に宇宙の塵となっていく連盟戦艦の姿を映し出している。
連盟戦艦が沈むたび、私は己の血を口に含み、己の血を、そして彼らの想いを存分に味わった。
赤く染まった顔に微笑を浮かべ、祝福とも、呪いともとれる言葉を囁き続ける。
そして私は微笑を浮かべたまま、そして歌うように囁きながら、狂ったように踊り続けた。
「ああ! 地球からも!! 宇宙からも!! 私を想う人々の激情を感じる!
憎しみ! 怒り! 復讐心! 恐怖! 悲しみ! 不安! 妬み! 僻み! 感謝! 恍惚! 愉悦! 絶望! 失望!
何故こんなにも!! 彼らは常に私の心を惹きつけるのだろうか!?
私の体が! 心が! 宇宙全体に住む人々に惹きつけられて!! バラバラに惹き裂かれそうだ!!
今! 宇宙に住む全ての人々が私を想っている!! 私だけを想っている!!
遥か遠くの星々に住む人々は、私の死を願っている!!
惑星連盟艦隊は、私に対して死の恐怖を抱いていてる!
新人類は私の戦いに恐れおののいている!!
特別神官達は私の勝利を願っている!!
今! 私は宇宙の中心に存在している!!
強烈な快楽! 殺人的な愉悦! 絶頂にも似た感覚!!
ああああ! 狂いそうだ!! 狂ってしまいそうだ!!
いっそ狂ってしまいたい!!
狂い! 狂い続け!! そして君達と共に生きたい!
美しい君達を穢したい!!
愛おしい君達をこの手で握りつぶしたい!!
必死に生きる君達を心の芯まで愛撫したい!!
この胸で君達を抱きしめ! この世で感じられる全ての快楽を感じさせたい!!
狂えばそれが出来る!!
正常な精神なんぞ捨て去り! 私は狂人になってしまいたい!!!
ああああ! しかし出来ない!!
私は狂えない!! 狂いたくても! 私の脳は狂わないように作られている!!
どんな状況下でも意識を保ち続けてしまう!!
私の力が私を守り! 私を縛り付ける!!
目の前にある宝石に触る事も出来ない!!
こんな地獄! こんな天国!!
あああ!! 神よ!!!
何故! 私を作り出したのか!?
何故! こんなにも愛おしい彼らを作り出したのか!?」
答えてくれ!! 神よ!!!!!」
……誰も、私の問いに答えることはなかった。
私は己の血で全身を赤く染めながら、真紅の司令室で狂ったように踊り続けるのだった。
連盟戦艦は、次々に沈んでいく。
特別神官達は、我先に毒を飲み自決していく。
宇宙に住む人々は、地球の消滅を願っている。
地球に住む人々は紫色の空を見上げながら恐怖している
そんな世界の中心に、私は存在している。
絶対的な力を持ち、それと引き換えに生きる喜びを失った私は存在している。
既に連盟艦隊は消滅している。
連盟艦隊の後方に展開していた連盟補給艦隊は撤退を始めていが、足の遅い補給艦にはまともな武装も装甲板も無い。
そして私の乗る旗艦には、撤退中の補給艦隊から大量の通信が送られてくる。
「私は補給艦隊司令だ! 我が艦隊は地球軍に対して降伏する!! 受諾して欲しい!! 頼む!! 受諾してくれ!!」
「助けて!! 助けてください!! お願いします!! 攻撃をやめてください!!」
「もう抵抗しない!! 頼む! 頼む!」
「私達は非武装なんだ!! 許してくれ!! 勘弁してくれ!!」
「連盟条約に基づき!! 捕虜としての待遇を!!」
「わっ! 私は奴隷でも! 何でもやります!! だから命だけは!!」
そして無線機の向こう側では、軍人達が悲鳴の声を上げ続けている。
「こんな事になるなんて!! なんで!! 私はここに来てしまったんだ!!」
「誰か助けてぇ!! 助けてくれぇ!!!」
「早く出力を上げるんだ!! 全速で逃げろ!」
「物資を捨てろ!! 馬鹿!! 全部だ!! 全部捨てるんだ!! 少しでも船体を軽くしろ!!」
「畜生が!! 何が無敵連盟艦隊だ!! もう連盟は終わりだ!!」
……そんな彼らの言葉を、私は聞いていた。
必死に命乞いをする声や叫びを、私は天井を見上げ、完全に脱力した状態で聞いていた。
傷口は既に塞がれ、穴の開いた袖からは透き通るように白い肌が見える。
先ほどまで激しく揺れていた血面も、今は赤い鏡のように静かだ。
時折、ポチャンと音を立てて天井から血が滴り、血滴は血面に小さな波紋を作り出す。
血の波紋は壁にぶつかる度に反射を続け、そして血面はまた鏡のようになる。
そんな赤い鏡の中心に、だらりと脱力した状態で、赤く染まった私は幽鬼の如く存在している。
「恍惚」「快楽」「絶頂」
そんな感情が混ざり合った表情をした私は、必死に撤退する補給艦隊を血が滴る指で指差し、ささやくように命じた。
「全力で……彼ラに……攻撃を……開始しナサい……。……彼らヲ……一人残らズ……殲滅シなさイ……」
雑音の混じった言葉に従い、人工知能は最適な陣形を作り出すと、持てる全火力を補給艦隊にぶつける。
そんな地球軍の猛攻撃の前に、補給艦隊は成す術も無く壊滅してしまった。
次々に沈む補給艦を見ながら、死んでいく軍人達の想いを感じながら、私は赤く染まった顔を、ゆっくりと歪ませる。
この時、一瞬ではあるが、私は念願であった「狂う」事が出来たのだった。




