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月夜に降り注ぐ月光は、遠い日の歌声をまだ知らない ~とある大国の貴族令嬢のわたくしが、隣の国に嫁ぐことになりました。わたくしと王子さまが別れるまでの物語~

作者: Alice

 今夜は、とても月が綺麗な夜でした。雲ひとつなく夜空には幾億の恒星が輝き、それはダイアモンドに当てた光のように散らばって、互いが互いを彩りあい、共鳴しています。窓を開ければ動きを失っていた空気が踊り始め、淀んでいた草花の匂いを巻き上げ、マリーゴールドの匂いが強く香り、檸檬の香水と交じりあいました……。


 ここは栄華を極めたとある王国の上流貴族、リーシュ家の所有するお屋敷です。そしてこの部屋は、その家の一人娘であるわたくしの自室。優しい風が吹き抜け、たまにお父様の音楽隊が奏でる心地よい音楽が微かに響くのです。それは周りの派閥争いや醜い蹴落としあいを忘れられ、わたくしがわたくしで居られる唯一の場所でした。


 ここに居られる間は貴族として生まれ、美しくも醜い社交界という花園に凛と咲く一輪の薔薇ではありません。どこにでもいる平凡な少女になることが出来るのです。それは、生まれにながらに期待という名の重荷を背負って生きてきたわたくしにとって、“幸せ”そのもの……。


 しかし、そんな道端に咲く一輪の花のような些細なものでも、永遠に続くものはないのです。不幸なことに、わたくしは王国の上流階級という煩わしい因果がまとわりついた地位に立つものです。お家の血を繋ぐためには誰かとまぐわい、子孫を残すことが大切。それは、貴族の娘として生まれたわたくしの逃れられない運命……。


──そう、私は明日。遠い国に住む顔も知らない婚約者のもとへ嫁ぎにいかなければいけないのです。


 顔も知らない誰かと結婚することも、いずれはこの家で得たものを名にもかも捨ててどこか遠いところに嫁がなければいけないことも、全ては昔から分かっていたものです。しかし、わたくしは……どうしても嫌だったのです。だって、私には彼がいるから……。


「やっと見つけた」


 不意に吹き込んできた強い夜風が、月光に照らされて光輝く髪の毛を揺らします。わたくしは、ゆっくりと窓に背を向けて扉の方へと視線を向けました。するとそこには僅かに開いた扉が見え、その手前には身なりの良い服装をしたわたくしと同い年くらいの青年……愛しき人が立っていました。


「あら、王子さま。夜遅い時間ですのによく来てくださいましたね」


 わたくしは胸の奥から沸き上がってくる感情にそっと蓋をして、彼……いいえ、王子さまに言いました。すると王子さまは少し空いていた扉を完全に閉め、いつもと何ら変わらない微笑みをわたくしに向けます。


「ああ、ちょっと聞きたいことがあってな……」


「三十分で終わらせてくださいまし。明日の朝、わたくしは早くでないといけないので」


 わたくしは、なるべく平常心を装って言いました。心の中で溢れてしまいそうな悲しみに気がつかないふりをしながら。しかし、王子さまはそうではありませんでした。いつもだったらすぐに帰ってくるはずの、おちゃらけた……優しい声が、帰ってこないのです。


「どうされたのです?」


 とうとう耐えきれなくなったわたくしが王子さまに尋ねます。すると、


「なぁ、本当に行ってしまうのか?」


 と、王子さまがわたくしに疑問を投げ掛けて来ました。わたくしは、当たり障りのない程度に言葉を返します。


「えぇ、残念ながら……決まっていることですので」


「そうか……」


「あなたと会えなくなってしまうのは辛いことです。しかし、わたくしは育ててくださったお父様やお母様にご迷惑をおかけするわけにはいかないのです」


「そう……だよな」


 重い沈黙がわたくしと王子さまの間に流れました。聞こえるのは自分の心音と、呼吸音。そして、外から聞こえる鈴虫の歌声だけでした。それに、心のなしか王子さまの笑顔に影が差したようにも見えます。それは、白く大きな雲がこの地球を照らす太陽を隠してしまったときのように、部屋全体にも暗い雰囲気が広がります。


「なぁ、もしよければ歌を歌ってくれないか? お前が昔に聞かせてくれた歌を」


 王子さまが、数秒の沈黙のあとに言いました。はっきりとした言葉で言いました。


「その程度でよければ、喜んで」


 わたくしは、自分の出せる限り一番優しい声を王子さまに投げかけます。王子さまはその声を聞いて安心したのか、近くにあった椅子をひいてお座りになられまました。私は、そのようすを確認してからゆっくりと、大きく息を吸い込んでお腹の辺りを膨らませます。そして、古い時代の偉大な祖先が作った詞を、優しい旋律にのせて歌い始めました。


~~~

風は鳥の翼となり

空は鳥の旅路となる

花の歌は命を伝え

命の声は時を動かす


歌え、命の続く限り

私の声を大空に届けよう

あの日の思い出も

あの日の歌声も


巡り巡るこの世界に

祈りと平和を捧げましょう

~~~


「どうだったでしょうか?」


 歌終わって一息ついたあとに、わたくしは王子さまに問いかけました。


「いつも通り、素晴らしいものだったよ。もうこの歌声が聞けなくなる、というのは寂しいものだな」


「聞いてくれる人がいなくなるのもさみしいものです」


 わたくしが率直に思ったことを言うと、王子さまは少しだけ悩んだそぶりを見せられます。数秒後、王子さまはわたくしの瞳をまっすぐみつめて言いました。


「……もし俺が、全ての地位を捨てて君と二人でどこまでも遠いところに一緒に逃げようといたら、ついてきてくれるか?」


「いいえ……それは難しいでしょう。わたくしは……先程言った通りお父様やお母様に御迷惑をおかけするわけには行きません」


「そうだったよな。ごめん、そんなこと言って」


 王子さまが、哀しそうに微笑みます。わたくしは、少しだけ戸惑いを覚えました。先程までは何となく曖昧なものだったその感情が、今ははっきりと伝わってくるからです。しかし、ここで黙っていてはいけないと頭が指示をしてくるのです。そしてわたくしはいいました。とても小さな声でいいました。


「王子さま、今日はとても星が綺麗な夜ですね」


「ああ、とても月が綺麗だな」


 その言葉を聞いて、満足したかのよう王子さま人はわたくしの部屋をあとにされました。わたくしも、王子さまのいなくなった部屋を数秒眺めたあと、少しだけ隙間があいている扉をゆっくりと閉めました。


 明くる日、わたくしはお父様やお母様やお世話になった使用人たち……そして、王子さまに見送られて屋敷を後にしました。馬車に揺られて、新たな土地へと向かうのです。寂しい気持ちを心の奥底に封じ込めて……。


 ふと窓の外を見ると、広々とした草原にぽつりと一輪のマリーゴールドが自生しているのが見えました。花言葉は、変わらぬ愛。会えなくなっても、王子さまを愛し続けるであろう私にぴったりのものなのでしょう。

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