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冷やし中華はじめました。

 一つのしくじりからもうこの国にはいられない、と身の危険を悟った一龍(イーロン)は国境を越え海をも越えとうとう某国へと逃げ果せた。

 木の葉を隠すのなら森の中。幸いにも街にはチャイナタウンが築かれており、異国の土地に紛れる苦労は少なかった。

 極々普通の市民として穏やかに暮らす。抗争や豪遊三昧だった頃とは打って変わった日常に、誤魔化しようもない幾種もの不満がうずたかく一龍の胸へ積もっていくまでそう時間は必要なかった。

 例えば気温。とにかく暑いの一言に尽きる温度だった。これで夏本番じゃないから恐ろしい。

 一龍の右手には二の腕から手首にかけてタトゥーが彫られている。一頭の龍のまわりに二つの星が輝く名前にあやかったデザインで一龍もとても気に入っていた。しかしここでは己の後ろ暗い過去を明かしかねない。あまりにも悪目立ちするので外出の際は長袖を着用し隠すよう気をつけていた。

 しかし連日の酷暑にそれも厳しくなりつつある。身バレ防止と暑さ対策を天秤にかけると今のところ前者に傾くがいつ後者に傾いてもおかしくない。そんな拮抗具合だから最近は出かけること自体控え、時間を持て余し気味だ。

 そして一龍が暑さ以上に許せないのがメシの不味さだった。濃い、薄い、水っぽい、油っぽい、焦げている、生焼けである。

 一龍は自他共に認める料理通だ。部下のみならずボスにだって何度も自慢の腕を振るってきた。そんな一龍だからここでは何を口に入れても最低の気分になること請け合いで、食事時や空腹がどんどん憂鬱になる。間食も含め食べ過ぎることの多かった母国では考えられないことだった。

 最初はみんな自分と同じように嫌々ながら食べているのだと思った。しかし違った。この国の連中は旨いと本気で信じて食事を済ましているのだ。こんなレベルの料理を一日三食口にするなんて、奴らはどうかしているのではないか。正気を疑ったのは一度や二度ではない。

 しんどい暑さ。外出の回数を減らし退屈な毎日。不味いメシを避け外食もしなくなったが、さりとて食うものが無いのは困る。

 とうとう耐え切れなくなった一龍は、ある決断をする。




「チャイニーズマフィア双星(シュワンシン)会の(ジュウ)一龍だな! お前を当該国における人身売買・麻薬密売の容疑で逮捕する!」

 不躾な乱暴者の来訪は突然で、驚く暇もなく一龍は警察に取り囲まれた。

媽的(くそ)! チクった野郎は誰だ! ぶっ殺す!!!!」

 口汚く叫ぶ一龍に、やれやれと言わんばかりに同僚と肩を竦めた一人の警察がスマホの画面を見せる。再生された動画のタイトルを読むより先に、流れ出した陽気な音楽に聞き覚えのあった一龍はハッと固まった。


『中国人の我が教える本場凉麺の作り方~冷やし中華はじめました~』


 サッと視線を走らせ確認したタイトルはやはりつい先日アップロードしたばかりの最新動画だった。

 一龍は自炊と暇つぶしを兼ね、更に祖国の料理のおいしさを広めるべく最近料理動画を投稿し始めたのだ。

 挨拶もなく初手から冷やし中華作りが始まる。画角に収まるのは包丁、まないたなどの料理道具に食材と男らしき手元のみ。まさか声だけで正体を見破ったわけでもあるまい。

 疑問がそのまま顔に出ていたのだろう。スマホを持ったまま男は哀れみ半分呆れ半分に告げた。

「お前は覆面ユーチューバーのつもりで活動したんだろうが見ろ。この手のところ」

 動画を停止かつ拡大し、料理人らしく腕時計を外し袖を捲った手元を見せられる。

「この龍は、正しくお前のタトゥーだろ?」

 室内、それも左側からの撮影だったのですっかり気が緩んでいたらしい。一瞬だが確かに警察の言う通り、一龍と判別するには充分特徴的な証拠がそこには映りこんでいた。

冷やし中華、凉麺、冷麺、みんな違ってみんな旨い。


いいねありがとうございます。


6/13

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