めでたいけれど、ご祝儀貧乏。
「おかえり」
「ただいま」
キッチンでサラダ用のトマトを切っていると、陸人がダイニングのドアを開けた。いつもより早い帰宅に驚いたが、明日のために急いで仕事を片付けてきたのかもしれない。
「明日の分のお金下ろしてきたから確認して。テーブルにあるよ」
「おー悪いな」
「いえいえ」
包丁を扱う手を止めず手短に用件を伝えれば、料理中の夕希の背後を通り過ぎて直に続くリビングへ向かいながら陸人も答えた。食卓と異なり足の短いローテーブルに封筒が二通見える。銀行名が印刷されたほうを手に取って中身をあらためると、折り目のない綺麗な紙幣が三枚。もう片方の封筒は、赤と白を基調とした祝儀袋だ。
「あと、スーツはラックね」
「さんきゅ。なぁ、アレどこだっけ」
「あー、確かそっちの棚の、小さい引き出しのはず……」
食事の前にさっさと事務作業を片付けようと、めったに使わない筆ペンの在りかを曖昧に問う。それでも長年付き合っているだけあり伝わったようで、果たして夕希の言う通りだった。元々は陸人が一人暮らしをしていた部屋だが、いまや夕希のほうが家主より家のあれこれを把握している可能性が高い。
明日、陸人は友人の結婚式に出席する。しかし時間の都合がなかなかつかず、結局在宅ワーカーで比較的時間の使い方が自由な恋人に、ピン札の用意もクリーニング屋からのスーツの引き取りも任せてしまった。今度お礼に何か贈ろうと、表書きと中袋をしたためながら思案する。
今月の結婚式の参列予定は、夕希が一回、陸人が二回だ。立て続けの祝い事に、ジューンブライドの恐ろしさを思い知った。
「しっかしおめでたいとはいえ、こうも続くと懐が痛むねぇ」
同棲を始めてから立派に家計を預かる夕希が、味噌汁をおたまで味見しながらぼやく。
喜ばしいのはもちろんだが、祝儀袋の中身は決して安くはない。今日の物価高において三万円は色々削りに削って出すに近いが、慶事ゆえ相場も崩れにくい。既に確定している今月の出費にうっかり本音が漏れてしまった。友人のハレの日を祝えない狭量な奴と思われただろうか。一抹の心配が夕希の胸に現れるが。
「なら、俺達も回収するか」
「は?」
同意するでも咎めるでもない陸人の言葉に、鍋の様子を見ていた夕希は振り返る。と、既に彼は寝室へ続く扉の向こうに姿を消していた。なんだなんだとコンロの火を止めて陸人を待つと、ほどなくして戻ってきた。手には小さな箱を携えて。
目の前に立っている陸人はうやうやしく箱を手のひらに乗せ差し出す。夕希は、その紺色の布張りの小箱の中身が超能力者でもないのに分かるような、やっぱり分からないようなで、若干混乱していた。「なに? それ」と聞くのは白々しいだろうかと妙な気遣いが発動して、黙って向こうの出方をうかがうに留まる。
同じく無言の陸人が丁寧に蓋を開けると、現れたのは銀の指輪だった。夕希の予想が当たってしまった。
「俺と結婚してくれ、夕希」
「……以上が私のプロポーズ秘話です」
「で、実際清算できたの?」
「全っ然。でも人生の清算が済んだよ」
「あー、あんた自分の苗字も仕事も嫌いだったもんねぇ」
プロポーズの日は日付が決まっているわけではないので早々にネタにする。
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