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今さらダイエットを始めても、もう遅い。

「文也ってさ、湯田さんのことまだ狙ってんの?」

 宅飲みの最中、ビール缶を数本空け程よく酔いが回ってきた頃に家主の秋男がそう切り出した。

「そうだけど? ちなみに来週一緒に映画行く」

 事実なのですんなり肯定し、追加情報もおまけすると「あー……そっかー」と妙に歯切れが悪い。酒の場なのにちっとも楽しくなさそうだ。

 アルコールの力を借りても言いにくい、明るくない話題。となれば思い当たる節なんて一つしかなく、単刀直入に聞く。

「もしかして秋男も湯田狙い?」

 湯田律子。顔は片手で掴めそうなほど小さく、手足なんて棒のように細いのに、胸はしっかり大きくて……とオレたち社会学部二年生の間ではかなりポイントが高い子だ。そんでもってなんとなくオレに気があるような気がする。さっきの約束も自慢半分で実は教えた。

 そういう諸々の事情から正解だと確信してたのだが。

「ちっげーよ! ちげーけどさぁ……ほら、文也って女子に雑なときがあるじゃん? だからいつか刺されるんじゃないか、心配っつーの? してるんだよオレは」

「オレがいつ雑だったんだよ」

「……安本さんとか」

 って古い話題を。

「安本とかなっつ! うわー、久しぶりに思い出したわその名前」

 中学から高校・大学まで同じ秋男が口にした名前が引き金となって、一気に当時の記憶が蘇る。こうして改めて振り返ってみると……。

「確かに昔のオレひっでー」

 オレとしては秋男と一緒に笑い飛ばすつもりで口にしたのだが、今日の友人は酒が入ってるのにとことんノリが悪い。否定どころか肯定もせず、机の上で缶を握ったままずっと神妙にしている。

 そうして一口だけ酒を呷って、言葉を選ぶように少し間を空けて口を開く。

「あんまり自分本位になるなよ」

 飲んでる最中説教はご法度だろうが、秋男が酔えばやたらめったら口うるさくなるタイプでない。真面目に忠告してくれてるんだなと分かれば素直に受け止められた。




 ほろ酔い気分で寝につく。今日は秋男の部屋に泊まることにしたので雑魚寝だ。暗闇に包まれて何もすることが無くなると、脳裏に過るのは安本のこと。

 安本……下の名前はなんだっけ。とにかくその安本とは、中学時代ごくごく短期間付き合った。向こうが告白して、オレがフッた形だ。

 ぽっちゃりめの安本は、正直タイプでもなんでもなかった。ただ次の彼女を一から探すのは手間だし、つなぎの相手くらいになら丁度いいかと告白をOKしたのだ。巨乳だったし。

 そんでまあやること適当にちゃちゃっとやって、やっぱな~なんか違うよな~みたいな違和感が着々と蓄積されてきた頃、隣のクラスの鍋山からアプローチされるようになって。顔もこっちの方が断然タイプだったんで、いいじゃんいいじゃんってよく誘われてはつるんでいた。

 その日も放課後、鍋山を含んだ男女数人で遊ぶためまとまって移動していた。生徒でごった返す中、その細い声を聞き逃さなかったのはオレにとって安本にとって幸か不幸どちらだったのか。

「い、井岡くん」

「あれ、安本じゃん」

 かばんのショルダーストラップをスカートの前でぎゅっと握る安本に気付いたオレは、正直しくじったと歯嚙みした。だってこれから絶対面倒くさい。が、気取られないよう軽い調子で名前を呼ぶ。押しの弱い安本は、オレが「悪いことなんてなにもしてませんが?」という態度をちょっと披露するだけで表情を硬くした。

「一緒に帰ろう」

 だけど安本は気丈だった。オレをこっちの輪から引き離そうとしてくる。

 鍋山や秋男たち複数の視線を受けて顔をやや伏せたとおり気まずさはあるんだろう。でも安本は彼女らしく振る舞おうとする。

「わり、今日はこっち優先させて」

「でも、今日は一緒に映画見るって……」

「そうだっけ?」

 とぼけても引き下がる様子はない。待たされていらついてきたんだろう隣の鍋山がクイと制服の袖を引っ張って、波風立てずに対応する気が一気に失せた。楽しいことや気持ちいいことだけしていたいのに、なんでこんな不快な思いをしなきゃいけないのか。

「あー、安本。前から思ってたんだけどさ、別れようぜオレたち」

「どうして!?」

 普段の安本からは想像できない音量にびっくりしつつ、適当な言い訳を探す。

「オレ、太ってるやつタイプじゃないんだよね」

「そ、それなら私頑張って瘦せるから! だからそんなこと言わないで!」

「今さらダイエットを始めても、もう遅いって」

 割かし最低なことを言うオレに追従した鍋山の甲高い笑い声を覚えている。秋男の、「こいつマジか」って勢いよくこっちに向けた顔の見開いた目も。でも、安本がどんな表情をしていたのかはきれいさっぱり忘れてしまった。

「じゃ、そーゆーことで」

 段々注目を集めてきたこともあってその場を離れたかったオレは、さっさと背を向け玄関を出た。

 安本はその後ぽつぽつ学校に来ない日が増え、学期が変わると転校した旨が担任から報告された。

 それきり。安本とは、それきりのはずだった。




「今日は楽しかった。ありがとうね、井岡くん」

 映画を見て、夕飯も食べて、湯田を送り届けた駅にて本日最後の会話が始まる。あんまりがっつかずここで別れたほうが無難だろうというのが一緒に過ごして感じた手応えから下した判断だった。意外にも、湯田は男慣れしてる雰囲気ではなかった。先日の酒がまずくなるような記憶にちょっと反省した結果でもある。普段よりもずっと丁寧に意識して女子と接した。

「オレも楽しかったからまた誘ってよ」

 にこやかに、穏やかにを心がけ、目と目を合わせる。逸らさずにっこり見つめ返されたのでこれはもう脈ありと言っても過言ではないだろうか。

「それじゃあ、ばいばい」

 ばいばい、と同じ挨拶を返そうとしてふわりと甘い香りが届く。今日何度も湯田からした香水のにおいだ。そうして、頬とも口の端とも言い難い場所に感じる温かさ。

 ――――湯田の、キス。

 恥ずかしいのか即座に背を向け小走りに改札を通っていく湯田。その後ろ姿にオレは勝利を確信するのだった。




「文也ってさ、湯田さんとどうなったの?」

「なんかいきなり連絡こなくなった」

 秋男の家で男二人の飲み会にて。働くようになってから会う回数は一気に減ったが、それでも秋男との縁はかろうじて繋がっており時たまこうして集まる。

「あー、そっかーなるほどな」

「何がなるほどなんだよ」

 大学時代の思い出話に花を咲かせるとして、よりにもよって選ぶのがなぜその話題なのか、オレにはさっぱり理解できない。

 あんな確定演出みたいなことがあったのに、オレは湯田とは結局付き合えなかった。なんか最近見かけないなと思い至り、教室を移動中の休み時間知らない男と腕を組んで歩く湯田を認めたのが最後だった気がする。つまり端的に言えば、オレは湯田の話をしたくない。

「多分、時効だから教えるけどさ」

「あ?」

「文也が狙ってた湯田さんって、安本さんだよ」

 安本って誰だ、とはならなかった。太り気味で、重そうな前髪をして、遠慮がちなオレの元カノ。

「はっあああああ!?」

 人んちでもう夜だってのについ大きな声を出してしまったが、しかたない。いや本当に。だって、だって。

「全っ然似てねぇじゃん! あと名前も違うし、さすがに冗談だろ?」

 そうだよ、騙されてやがんの……期待した返事は貰えず、秋男は俺ではなく机の上に視線を固定してぽつぽつ話し始めた。

「安本さんは親の離婚で転校したんだ。だからそのとき苗字が変わって、湯田になった」

「へ、へぇ」

「文也は忘れてるけど、ちなみに安本さんの下の名前も律子だったんだからな」

「マジ? マジ?」

「顔は整形で変えたから気づかないのも無理はないけどさ。でも体はなんもいじってなくて、自力で痩せたらしい」

「ちょ、ちょっと待て。それが本当だとして、なんで秋男がそんな詳しいんだ」

「入学式の日に声をかけられた。『第三中の江尻くんだよね、私が井岡くんと付き合えるよう手伝って』って。そのとき全部教えてもらった」

 オレが湯田を意識したのは二年になってから。でも彼女はそのずっと前から秋男と接触していた。それってつまり……。

「本人から聞いたことないけど、多分安本さんは、文也に会うため同じ大学に来たんじゃないかな」

 オレと同じ推理を口に出されごくりと唾をのむ。謎の緊張が体を襲う。湯田は「付き合いたいから」と理由を明かしたらしいが、厳密には違うのだろう。ここまで時間や金をかけて仕組んだのなら付き合って以降に目的があったと考えるほうが自然だ。

「安本さんの狙いは知らない。本当にただただ普通に付き合って楽しく過ごしたかったのかもしれない……中学時代はできなかったわけだし」

 ここでチクリと刺されたが、むしろこれくらいの痛みで済んで助かったのかもしれない。

「ただ、最後……もう協力しなくていいよって連絡がきたとき理由を尋ねたら、『井岡くんふつうに優しくて、本気で好きになっちゃいそうだから離れる』って」

「つまり、好きじゃないけど付き合おうとしたってことだろ……マジで湯田のやつ何するつもりだったんだ」

 背中に冷たいものが駆け抜け気分が悪い。

「でもよかったよ。文也が湯田さんのことまで雑に扱わなくて。多分文也が中学のときと同じだったら、湯田さんのその後の行動も変わってたんじゃないかな」

 思い出す。オレがあのとき湯田に分かりやすく親切にしたのは、確か今日と同じように秋男と飲んで、同じように湯田が話題にあがってたしなめられたからで……。

「オレ、今度お前になんか奢るわ……」

「そうしてくれ」

 机に突っ伏すオレと、この話は終わりと言わんばかりに一気にビールを飲み乾す秋男。

 湯田にも秋男にも裏切られてたわけだが、怒りは湧かなかった。多分、ていうか絶対、最初に裏切ったのはオレだから。

 最後のキスを思い出す。あれは彼女なりの許しの合図だったのか、それとも篭絡してオレを裏切り続けるための罠だったのか――――真実は神のみぞ知る。

裏切りの日とユダの接吻。


6/2

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