バテたくてバテたんじゃないからね。
「おい起きろ! クリーメンス!」
友人の枕元に立ち、骨の位置がよく分かるようになった肩を無遠慮に揺する。
「イェーヌスか……今日は何……?」
目も開けず唇を大儀そうに動かし来訪の理由を聞いてくるから、「今日は漁業組合の集会だろ」と、暗に迎えにやって来たことを告げる。
「集、かぃ……」
未だ不明瞭な発音で言葉を紡ぐクリーメンスが再び寝こけないよう見張るが、さすがに今日くらいはしゃんとしないといけないのが分かっているのか何度も目を瞬く。
オレとクリーメンスは真珠漁で生計を立てている同業者同士だ。同じ河で何年も顔を合わせてきた馴染みで、オレのお袋の葬式に参列してもらったこともある。それくらいにはお互いもういい大人なんだが、ここんところクリーメンスの生活態度は目に余るものがあり、まるで子供の世話でもするかのように彼の家に足繫く通うようになった。この部屋だって最早「勝手知ったる」だ。
「そうか、集会か……」
「また遅くまで飲み歩いてたのか?」
無気力な体がのっそり起き上がり、髪に指を差し込みながら寝癖を整えるクリーメンスの有耶無耶な口調がはっきりしてきたのを認め会話に繋げる。
「いや、昨日は……寝てたな。多分。ずっと」
昨日の記憶さえ曖昧な彼は、何軒もの飲み屋をはしごして初対面の奴らと赤ら顔で陽気に歌い明かしたたり真冬の河に裸足で突っ込み唇を真っ青にしながら真珠貝を探し出したり、そうかと思えば終日眠り続け食事も仕事も疎かにし……ととにかくやることなすこと目茶苦茶だった。具合が良いのか悪いのか、それすらも傍目には分からない。恐らく……本人にも。
「テーブルに飯置いといた。それ食ったら出るぞ」
「ありがとう」
クリーメンスがベッドから細っこい足を下ろしたところでカツン、コツンと硬い音が弾けた。正体は何かと床に目をやれば、いくつかの真珠が転がっていた。慌てて足元から遠ざかるそれを一粒拾い上げる。
「おい、クリーメンス。これは?」
部屋から出ようとした彼を慌てて呼び止め、親指と人差し指で挟んだ真珠をズイと差し出し問い質す。
自分が取り扱う商品だからよく分かる。こいつは上物だ。
振り向いたクリーメンスがなんて答えるのかハラハラしながら待つてば、目を細め焦点を合わせそれが何か確認した彼の返事は予期せぬものだった。
「ああ、マーガレータだよ」
「マ、マーガレータって」
それは、半年前に亡くなった彼の幼い妹の名前だった。
「名前が一緒だからね。それをマーガレータだと思って添い寝してるんだ」
マーガレータ。愛らしい花の名前と同じ響きだが、実は語源は『真珠』を意味するのだとかつてオレに教えてくれたのは、妹を溺愛する目の前の兄だった。
オレとしてはどうしてここに真珠があるのか教えてほしかったのだが、開示された理由に忠告も忘れ口を閉ざす。
今年に入ってから、国内で採れた真珠は全て王室への売却が真珠漁業法で義務づけられた。大層身に余る取引先だが安く買い叩かれているのが実情だ。そうしてきらびやかな宮殿に納品した真珠で装飾された冠を戴冠し女王が統治を始めたのだから笑えない。
今オレが拾った宝石は、色・形・大きさ何をとっても申し分ない一級品だった。滑らかな表面には七色の淡い光が宿りまるで未完成の虹のよう。転がったことからも分かるとおり正円で歪みもない。
純白の花から滴り落ちた雫とも無垢な悲しみから流す涙とも譬えられそうな美しさだ。
淡水産貝の約千個に一個は真珠が入っているとされる。そのうち装飾に使用できるほど高品質のものは更に千に一粒といったところだろうか。そんなに貴重なものが一つどころではない。二つも三つもコロコロと……。
クリーメンスには法律に抵触するのではと言いたかったのだが……。友人がまともじゃない暮らしに身を落とすようになったのは、唯一の家族である妹の喪失からだ。泣いて泣いて泣き叫んだ方がよっぽど健全だろうに、クリーメンスの頬は一度も濡れなかったのをオレは知っている。彼女をこんな形で追慕する彼に強くは出れない。
「オレはこういうの、よくないと思う」
「そっか。そうだよね、そうだよな」
乏しいなりの遵法意識と精神衛生上の懸念からなんとか捻りだしたのは簡素な言葉。でもオレにはこれが精一杯だった。
それから暫く、クリーメンスと真珠の共寝は続いた。枕に載せられた真珠の数は少しずつ増えて明らかに法律違反だったが、咎める気にもなれなかった。
ある日いつもどおりクリーメンスを起こしてみれば、寝床に真珠が見当たらなかった。
「真珠、どうしたんだ?」
夏の盛り、上半身裸で寝ていたクリーメンスが寝ぼけ眼でオレを見上げる。質問の内容をぼんやり咀嚼しているようだ。
「食べた」
「は?」
「だから、真珠、食べた」
「ばっ……」
思わず口の中を検めようと顔を片手でひっつかんだが、よくよく考えなくても今食べたわけがない。昔なら貴族の間では真珠が薬として服まれていたのだ。緊急度は低いはずといったん息を吐いて意識的に落ち着き手を外す。
オレの乱暴なはたらきに頓着する様子もなくクリーメンスはにこっと笑う。
「真珠はマーガレータの魂だからね。ずっといっしょにいられるようにするべきだと思って」
剝き出しの腹を満足げに撫でさするクリーメンス。穏やかな物言いや晴れ晴れとした表情はいつぶりだろう。
人ってこんなに静かに狂えるのか。
俺は始めて友人に恐れを抱いた。
――――何人たりともこの村で死んではならぬ。
一見ふざけた法律だが、ちゃんと意味がある。
雪深いこの村で土葬すれば凍った死体に病原菌は生き残り、万が一猛暑にでもなって溶けた死体から菌が広がれば甚大な感染被害を引き起こしかねない。そのため村民は宗教に則った土葬を望むなら村から出るよう取り決められていた。代わりに火葬なら執り行える。
今、オレの目の前では舟を模した棺が燃えている。中に納められているのはクリーメンスだ。
あんなろくでもない生活を続けていたんだ。遅かれ早かれ死ぬだろうとは思っていた。その死体を一番に見つけるのはオレだろうとも。
燃え盛る炎が落ち着き、煙が晴れたのを見計らい棺を置いた台に集まる。骨を壷に納めるのが次の作業だが、クリーメンスに身内はいないので仕事仲間のオレがその役目を引き受けた。
大きい骨を入れてから灰を掻き分け小さな骨を探すと、白骨とは別の白が現れた。見慣れたその色に慎重に手を動かし取り出す。
「真珠……」
呆然と呟いたとおり、焼いた体から出てきたのは大粒の真珠だった。それが骨灰を浚えばいくつもいくつも覗いて見える。
まだ熱をもった宝石を手の平に乗せればすぐに片手一杯集まった。虹に成りそこなった真珠の山はうるわしい七色に輝き、灰塗れながら質の高さがうかがえる。
果たして体内に摂取した石が、消化もされず燃えもせず残ることなんてあるのだろうか。
きっとこれはマーガレータの魂。クリーメンスの涙。形を模さない奇跡の虹を、オレは女王に捧げようとは思えなかった。
真珠の日。
タイトルのわりに重くなってしまった。前日と内容が似てますね、反省。
なんとなーくノルウェーのつもりで書いています。本当にああいう法律が両方ともあるんですよ、現在でも。
いいねありがとうございます。
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