今日がいちばんうきうき。
花を買った。最寄り駅までの途中にある花屋を利用したのは、引っ越して大分経つがこれが初めてだった。この町にいる間一度も赴くことはないと思っていたのだが。
歩道に面した店構えで、地面にはたくさんのバケツが並んでいた。その中で咲き誇る明るいオレンジのバラの群れが一際目を惹いた。
帰宅して、さあ生けるぞといそいそ玄関で靴を脱ぎながら我が家に花瓶が無いことを思い出した。慌てて風呂場で木桶に水を張り生花を浸す。応急処置を終え一息ついて己の浮かれ具合に苦笑したが、悪くはない心地だった。
オレンジ色の小さな花が目に飛び込んできた時、ハッと胸を突かれたようだった。この感覚には覚えがあった。
食卓や玄関に飾れば、きっと素的だろうと足元に視線を落としながら暫く花のある景色を夢想していたら、店員に声をかけられた。親切な彼は、初めて花を買おうとする男にも丁寧に接客し、花の特徴や長持ちのさせ方を教えてくれた。洋燈の中心のような色味はどんな場所でも明るくするようで、数輪購入したのだった。
店外はもちろん店内も所狭しと花が陳列されていた。ポットでずらりと整列したパンジーとサクラソウ。枝をひょろりと伸ばす鉢植えの正体が桜だったのにはおどろいた。若木はこんなに頼りないのか。
どれもこれも見聞きしたことのある季節の植物に囲まれ春を実感する。名前しか知らない花の姿かたちにふれるのは小さな喜びだった。
春の息吹は満ちているが、まだ、四月ではない。君が妻になる、四月では。
バラを目にしたとき、君を思い出した。「この人しかいない」と見合いの席で見初めた君のように、かわいくて、きれいで、明るくて。胸の中に水晶の破片が散らばって煌くような、まばゆい感動が再び湧きあがった。
脱衣所で軽く手足を拭いてから居間へ向かい卓子から距離を置いて部屋全体を概観する。室内の雰囲気と花と調和して、君に良いと思われる花瓶はどんなだろう。硝子? 陶器? 白? 縹?
頭の中ではこれ以上イメージが具体的にはならず、楽しみはとっておこうと花瓶の購入は翌日にした。
初めて、自分のためだけの花を買った。明日は花瓶。君との婚約が決まってから、御馳走が並び極上の音楽が奏でられる舞踏会に参加したように、毎日心が躍っている。些細なことで心が浮つく。そんな今日を重ね続けて、君が妻となる遠い四月を待っている。
木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな/前田夕暮
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