インゲンを鮮やかに茹でる君。
キッチンから鼻歌が聞こえる。彼氏の家で流行歌とはいえ別れの歌をチョイスするのはどうかと思うが、ゴキゲンにこしたことはないので口には出さない。
手料理をセットにしたおうちデートをしたいとかねてからの希望を唱えたら、菜摘はあっさり了承してくれた。夢見がちなプランでためらっていたが、だったらもっと早く伝えれば良かった。
そんなこんなで迎えた憧れのシチュエーション。オープンキッチンなので、時々菜摘の手元がテーブルについてものぞける。
具体的なメニューは完成してからのお楽しみということで教えてもらえなかったが、視覚と嗅覚から春の味覚の大集合だろうとだいたいの予想がつく。
流しに立つ菜摘が茹で上がったインゲンをナベからザルに移し流水で冷やす。銀色の網の中で鮮やかな黄緑色が転がる。お湯にかけただけでちょっとくすんだ緑色から眩しい黄緑色に変化するのだから不思議だ。キッチンに立つのは魔法使いなのかもしれない。野菜特有の苦みを感じるにおいまで同じ色をしているようだ。
恋人が他でもない自分のためにあったかいご飯を作ってくれる。これ以上ない幸せに、結婚したらこんな感じなのかな~と浮かれた空想が頭をよぎりテンションは上がる一方。いかんいかん、陽気なのは窓の向こうだけで結構だ。
一人キッチンに立ち眺めるナベの底、沈むインゲンは菜摘がふるまってくれた時と比べくすんで見える。
菜摘とはあのあと、ほどなくして別れた。おれがフラれる形だった。
うーん、なんでだろう。別れの理由も色鮮やかに見えない理由も思いつかないまま火をとめる。ついでに茹で時間も分からない。やはり菜摘は魔法使いだったのかもしれない。
……という話を、勤務時間中、だんだん飽きてきた入力作業の片手間に隣の席の同僚にふった。おれの元カノが作った方が、やっぱ色々うまいんだよなー、なんでだろうな、と。あのインゲンは結局歯ごたえのないプランプランの緑色の棒に成り下がったというオチを添えて。
同僚も自分の経験を挙げて同意してくれた。「やっぱり女の人の方が得意なんだろうな」。
この話はこれでおしまい、と打ち切ろうとしたとき、隣ではなく目の前のデスクから予期しない声が聞こえた。
「それ、女の人が料理が得意っていうより」
この島の紅一点である後輩からだ。
「伊藤さんが愛されてた証拠ですよね」
「え、どゆこと?」
愛されてたなんて聞き捨てならないフレーズに大きなMacの画面越しに彼女に食いつく。愛されてたなんて、だったら何故おれ達は破局を迎えたのか。
「インゲンって、茹でる前に下擦りしないときれいな緑色に見えないんです。味を整えるためでなく、見映えのためだけに一手間加えてくれるなんて」
下擦りって何? といううかつな発言は慎んだ。
「愛情以外のなんでもないと思いますよ。私なんて彼氏のためにリンゴの皮剥くのだって面倒くさくて嫌ですもん。ついてても食えんだろ、って」
「いやさすがにそれはどう……」
「気付いてお礼の一つ言ってくれれば、まだやる気にもなるんですけど、それも無いし」
同僚(先輩)の発言を遮る彼女を注意できない男二人、思わず目を合わせ黙りこんでしまった。
「先輩の元カノは綺麗な料理だって喜んでほしくて覚えたかもしれない。最初から料理が得意な人なんていませんから」
自宅のキッチンで作業を手際よくこなす菜摘の後ろ姿がよみがえる。しかし、彼女がどんな手順で何をしていたのか手元の具体的な映像は再生されない。何度も見ていたはずなのに。
唯一鮮明なのは。あの日の黄緑色が目に痛いくらい強烈にまぶたの裏を突き刺してきた。
ノートに書いたのよりかなり加筆しました。
私はリンゴの皮どころか、ジャガイモやニンジンの皮もよっぽどでないかぎり剥きません。
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