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「最近、風邪流行ってるらしいよ」「結局さ、風邪っていつも流行ってるよね」

「しばらく会わない」


 風呂からあがってみればメールの受信を知らせるランプが点滅していた。バスタオル片手に髪を乾かしながら、ベッドからスマホを拾い上げる。宏明からだった。

 文面は簡潔。「しばらく会わない」の一文のみ。突然かつ一方的な宣言に、呆然と画面を見つめるしかできなかった。

 ベッドに鉛のような体を転がす。スマホを握りしめ、ともすれば直視を拒否したくなる頭を必死に回転させた。

 一体何がいけなかったんだろう? 思い当たる節が正直なくて、途方に暮れる。

 宏明とは、ここ最近会えていない。年度末から年度明けが彼の会社では一番の繁忙期だそうで、次の約束は更新されずにいる。前回のデートで、何か気に障るようなことをした? と回想してみるも、それで今更こんなメールを送ってくるのはいまいち腑に落ちない。

 なら、今、宏明にこんなメールを送らせるような出来事があったのだろうか? 天井と向き合って答えをひねり出す。

 例えば、会社ですごくかわいい子が宏明にモーションをかけても、自己申告されない限り私には知る由もない。仮に知り得たとして、どうこうすることも不可能だ。恋愛は一から十まで相手の動向を把握すれば良いものではない。でも、自分の知らない恋人の時間が長く流れていれば、正直不安と疑惑の種になる。同棲せず、別々の会社勤めの社会人同士の辛いところだ。

 直接本人に聞くのが最善だろうけど、情けないことに返信する勇気も電話をかける度胸もなかった。目を通したか否か相手に一目瞭然のラインでなくて良かったと感謝するくらいだ。このまま知らぬ存ぜぬを貫き通せば、少しでも長くいられるだろうか。

 その日は無理矢理にでも早めに寝ることにした。頭まで布団を被って、余計なことを考えないで済む睡魔の訪れを待った。



 翌日、もやもやを抱えたまま出社した。世間では風邪が流行り、予防も兼ねて人員編成をしたのはつい最近だ。おかげで社内の人数が普段より少ない。


「あれ、林さんも風邪ですか?」


 デスクに着席すると、向かい合わせの立川くんに声をかけられた。昨日まではつけていなかったマスクが心配された原因だろう。

 昨晩のたったの一文を引きずり、今朝の目覚めは最悪だった。布団の中でごねるように寝返りを打ち、いつもより出勤の準備も遅くなった。降下した気分ではとてもメイクをする気にはなれず、スッピンをごまかすためと本来の利用目的とは別の意図で着用した。


「いや、私は別に……もってことは、他に誰か風邪なんですか?」

「社長は今日それで休みだそうですよ。あと、伊川さんとか田口さんも」

「多いですね」

「最近、風邪流行ってるらしいですし」

「結局さ、風邪っていつも流行ってますよね」

「それは言えてる」


 ひとしきり雑談を交わしてから、手元の書類とキーボードに集中する。今日のフロアは社員も来客も少なく、電話も滅多に鳴らない。作業は中断されず順調にサクサク進んだ。おかげでよそ事を思い出す暇もない。

 しばらく仕事に没頭していれば、内線の電話を終えた立川くんに話しかけられた。


「そういえば今日、飲み会あるんですけど、林さんも来ます?」

「こんな時期に?」

「こんな時期にだからそうです。景気づけというか、精進落としというか。まあ、大量に人連れてお店に行くわけにもいかないので、近場で色々買って会議室の窓全開にしてやるそうです」

「なるほど……」


 キーボードを叩く手を止め呟き程度に感心してから、もう一言を添える。


「行こうかなぁ」


 途端、「えっ」と驚きの声がパソコンの向こうであがった。立川くんは機器の隙間を縫って顔を上下左右にちょっとずつ固定して、視線を合わせようとしてくる。


「珍しいですね。林さんが参加するの」


 宏明に疑われるようなことも嫌がられるようなこともしたくなかったので、今までは極力そういった集まりは避けてきた。が、気晴らしにはうってつけかもしれない。


「まあ、気分転換?」

「もしかして、なんかあったんですか? ……その、彼氏と」


 顔はうまく見えないが、声の調子や間の取り方で気遣ってくれるのが伝わる。とはいえ直球な質問に、あまり楽しい話題でもないので曖昧に返事をした。


「ならっ」


 これまでの会話と明らかに違う必死なトーンで立川くんは声を張り上げた。あろうことか席まで立って、こちらに切羽詰まる顔が丸見えだ。幸い人も少なく、張り上げたと言っても二人の間でのことなので必要以上に目立ってはいない。とはいえびっくりしたので、つい見たこともない表情を凝視してしまう。


「おれ、林さんの次の候補になりたいんですけど……」




***


「しばらく会わない」


上司が席を外した隙に、メールフォルダを開いた。宛先は紗和。見咎められないよう手短に文を入力する。使う媒体はどれだろうと、必要な連絡はすぐにするのがデキる営業の鉄則だと先輩に教えこまれたが、この世の道理だと肝に銘じている。

 今日も今日とて残業だ。出社する社員の数をやむなく減らしたので、その分の業務を引き受けることが増えた。負担は増えるだろうと覚悟はしていたが、結構ハードな日々である。

 世間では、けったいな風邪が流行っている。元々営業職で、医療機関への出入りも多いので毎年有休を消化してインフルエンザの予防接種を受けてはいた。しかしこの風邪の場合、ワクチンもまだ完成していないような有様なので、もしもの場合を考慮して泣く泣く紗和との接触を減らすことにした。

 いつこの風邪が終息するかの判断を下すには、今の時点では時期尚早らしい。普段売上額や契約件数といった明確な目標を追っているだけに、終わりが見えないというのは想像以上に気が滅入る。

 ああ、早く紗和に会いたい。

これも一種のコロナ禍。


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