春を愛する人はどんな人。
ほんとうは、春がそんなに好きではなかった。彼と出会った大事な季節に違いないけど。
でも、「お前は桜の精みたいだね。きっと春が好きだろう」と遠い思い出をいつくしむ目を向けられたときから、春を好きになると決めた。
積もることもなく空へと還る桜はわけもなく物悲しい。涙の代わりに降る春雨はわびしい。音もなく首を落とす椿は不気味。移ろい実を成し得ない山吹に不安を掻き立てられる。
春に抱く胸がざわめくような感情を押し殺して、すべてを愛しているとふるまった。それは、季節をくれる彼の神託だったから。
秋を愛する人は、色づく葉のような鮮烈な美しさと豊かな内面で実りある人生を送るだろう。
夏を愛する人は、橘の花のように薫り高く、ときにその樹がつくる木蔭のように人を引き寄せ憩となるだろう。
冬を愛する人は、雪のような清らかさをもって枯れない松のようにとこしえに賛美されるだろう。
春を愛する私は、今を盛りと誇らしげに咲く桜のごとたおやかに生き、やがて己も気付かぬうちに花のさだめと衰え散るだろう。
それが、四季を割り振られ、彼に愛された女の宿命。
あー、紫の上が「春の上」と呼ばれる由縁となった春の町に実をつけない(=子を為さない)山吹が植わってるのは、光源氏の子を授からず自身の立場を強固に出来ない(出来なかった)示唆なのか。
山吹は「移ろう」の意味もあるから、ここに女三宮が来ること、光の関心が彼女に向く意味も兼ねるか。
紫の上は秋好中宮(梅壺女御)と違いどの季節が好きとは名言しておらず、春はあくまで光源氏が相応しいと与えた季節なのを考えるとより春の上である彼女の薄幸さが増すなぁ……。
@私のツイッターより
4/9




