純粋令嬢と腹黒王子
ごめんなさい。ちょっと長いです・・。
ラグレー公爵令嬢のベアトリスはなぜか一度死んだ記憶を持っている。
一度目の人生は幼い頃に決まった最愛の婚約者と結婚した。夫が自分を愛していなくても妃として大切に慈しんでくれたおかげで幸せな生活を送っていた。ただ隣国との戦争がはじまってから、穏やかな夫の顔に影が宿り、民を慈しむ王であった夫は失われていく命に苦しんでいた。ベアトリスは一人になると、表情が抜け落ち虚空を見つめる夫をこっそりと見ていた。そして出陣した夫の帰りを待つことなくベアトリスは病にかかり亡くなる。享年22歳。
ベアトリスは脳裏に浮かんだ光景に驚きながらも頬を抓ると痛い。最愛の婚約者の最後の顔を思い浮かべ夜空の星を見上げポタリと涙を一粒こぼした。
ベアトリスは最愛の人の悲しい顔は見たくない。そのためなら自分が隣にいなくても構わない。
16歳のベアトリスは決意した。
そして頭の中の記憶を呼び起こし策を立てる。
ただどんなに考えても一人で成し遂げるのは難しい。両国に戦争がおきないようにするために協力者をつくるために動き出す。
ベアトリスはすでに王子と婚約している。まず一番最初にやることは・・。
ベアトリスの妹のシンシアはお茶に招かれ、姉の突然の申し出に目を丸くする。シンシアは手に持つカップをそっと置いて、微笑みながらお茶を飲むベアトリスを見つめる。
「お姉様、本気ですか?」
「ええ。私は殿下との婚約を破棄したい。私はシンシアに殿下の婚約者になってほしいの。姉から妹に代わっても家としては問題ないわ。ただお父様達にお話する前にシンシアの気持ちを聞きたくて」
「お姉様は殿下のこと慕ってますよね?」
「もちろんよ。でも殿下にとって必要なのは私ではないの。シンシアなら殿下とも親しいわ。私よりもよっぽどお似合いよ」
「お姉様、まずは殿下に相談されたらいかがですか?」
「殿下はお忙しいから全て終わったらでいいわ。それに後ろ盾さえ変わらないなら気にされないわ」
シンシアを見つめるベアトリスの瞳に迷いもなく、冗談には聞こえない。すでに決意を固めているベアトリスの言葉に困惑しながら、嫌われ役は押し付けることを決める。
「お姉様、殿下からの申し出であればお受けします。ですが一度ゆっくりお話なされませ。お父様達に話す前に私に先に教えてくださいね」
ベアトリスはシンシアの了承の言葉に安堵し微笑む。聡明な妹なら愛しい王子のことを支えてくれる。そして王子なら大事な妹を幸せにしてくれるとも信じられた。ベアトリスが思い描く幸せな未来のために本人にとっては重要な一歩を踏み出したつもりである。
***
ベアトリスはいつもは至福の時間である王子とのお茶会の席に座り王子を待っていた。この席も今日で最後かと感傷に浸りながら。
王子はいつも笑顔で自分を待っている婚約者の顔が強張っていることに気付き向かいに座り優しく問いかける。
「ベア、なにかあったのか?」
「殿下、お願いがありますの」
「なにかな?」
ベアトリスは記憶と違い暗い顔をしていない優しい顔で自分を見つめる王子に微笑み、決意をさらに固めて口を開く。
「婚約者を私ではなくシンシアにしていただきたいのです」
「え?」
「もちろん手続きも国王陛下へのお話も私がします」
「ベア、もう一度言ってくれる?」
「手続きは私にお任せください」
王子は自分を慕っているはずの婚約者の言葉が聞き間違えでないと認識し、動揺を見せずに笑みを浮かべる。
「私は君を怒らせることをしてしまったかい?」
「殿下はそのようなこと致しません」
「まさか、好きな男ができたのか」
「私は殿下をお慕いしています」
王子はふわりと微笑むベアトリスに優しく言葉をかける。
「事情を聞かせてくれないか?」
「私は殿下の幸せのために生涯を捧げます」
「どうして婚約を破棄したいの?」
「殿下の幸せのためです」
「なら、そのままで」
「いけません。殿下、私はたくさんの幸せをいただきました。ですから今度は私の番です。シンシアは優秀です。身内贔屓に聞こえますが、きっと殿下のお役に立つと存じます」
「殿下申し訳ありません」
「私は失礼します」
ベアトリスは礼をして席を立ち、退室した。
王子はいつも幸せそうな顔で自分を出迎えるベアトリスの顔が強張っているので心配した。ベアトリスの憂いはどんなことでも排除するつもりの王子は、とんでもないことを言い出したベアトリスに困惑している。そしていつもなら自分が呼び出されても、用がすむまで、いつまでも待ち優しい言葉で労わってくれる婚約者の行動に言葉を失う。二人のお茶会の席で初めてベアトリスの背中を見送り、側近を呼び出しベアトリスのことを調べるように命じた。王子を呼びにきた家臣は冷たい瞳の王子に怯えながらも平静を装い用件を伝えた。
***
ベアトリスは王子との婚約者についての話し合いが終わったので次の行動に移っていた。
ベアトリスは父に隣国への留学を願ったが、婚約者の変更のようには上手くはいかなかった。
「ベアトリス、公務があるから許可できない」
「お父様、私よりもシンシアのほうが相応しいと思います」
「どういうことだい?もう王妃教育も終えただろう」
「私は殿下にふさわしくありません」
「理由は?」
「私では殿下をお幸せにできません」
ラグレー公爵は娘の言い分がわからなかった。ベアトリスは王家や貴族、民からの評判は良く、婚約への異議申し立ても一切囁かれていなかった。
「シンシアならできるというのか」
「はい。私の妹は美人で聡明で優しく、器も」
「シンシアへの賞賛はいい」
公爵はベアトリスが妹と王子への賞賛を始めたら止まらないことをよく知っていた。
「国王陛下には私が謝罪に伺います。お父様、お願いします」
「殿下はなんと?」
「なにもおっしゃいませんでした。殿下にとっては私でもシンシアでもどちらでもいいのです」
ラグレー公爵は娘と話すことを諦め王子に直接聞くことにした。ここまで話の通じない娘は初めてだった。
「留学は許可できない。まだベアトリスが殿下の婚約者だ。今まで通り公務に励みなさい」
「かしこまりました」
ベアトリスは部屋に帰り悩んでいた。
予定ではすでに、婚約破棄されて留学準備をすすめているはずだった。
戦争回避がベアトリスの目標である。そのためには隣国に行き、叶うなら隣国の王太子の婚約者におさまりたい。
穏便な婚約破棄なら醜聞にはならない。婚約者は無理でもどうにか近づいて、親しくなるつもりだったが隣国に行かなければ話にならない。
これからのことを部屋で悩んでいると、ラグレー公爵夫人と医師が部屋に入ってきた。
ベアトリスは気分は悪くないが強引に診察され、医師はベアトリスの全身を診察して首を横に振る。
「お嬢様のお体に異常は見られません」
「おかしくなったのは頭かしら?」
真顔で自分を見る母親の言葉にベアトリスは困惑する。
「お母様?」
「貴方の様子がおかしいから、」
「はい?」
「今まで一度も不満なんて言わなかったじゃない。あとは時を待つだけなのに。王妃教育もせっかく終わったのに」
「お母様、私は今までの日々に不満はありません。殿下を想いながら学ぶことは幸せでした」
公爵夫人は王子のためと、努力を惜しまず弱音も不満も言わずに、いつも笑顔を絶やさない娘を誇りに思っていた。婚約破棄したいと言った愛娘は王子のことを話すときに浮かべる幸せそうな微笑みを浮かべているので嫌っているようには見えない。
「ならどうして、突然そんなことを」
「殿下の幸せのためです。殿下と婚約破棄しても家の役に立つ縁談を結んでみせますのでお任せください」
「ベアトリス、本気なの?」
「はい。私は殿下のために婚約破棄します。そして新たに利のある婚約を結びます」
「お母様は婚約破棄が必要な理由が見えないわ」
「お母様、未来とは不確かなものですわ」
「頑固ね。貴方のことだから、私が言わなくてもわかってるでしょ?」
「もちろん家の不利にならないように努めます」
公爵夫人の言葉が愛娘に伝わっていなかった。
公爵夫人は現実を理解できていないわからずやな娘に教えることを諦め、現実に向き合わせることにして「がんばりなさい」と言葉を残し退室した。現実の厳しさをしるのも大事な経験とラグレー公爵夫人は娘を突き放した。
***
王子はベアトリスの調査報告書を読んでいた。
変わった行動もなくベアトリスに近づく男の影もない。王子はベアトリスのことは誰よりも大事にしてきたつもりだった。自分を慕ってくれているベアトリスから婚約破棄したいと言われるなんて夢にも思っていなかった。
夢なら覚めてほしくすでに何度か部下を訓練に誘い、厳しくしごき、痛みに苦しんでいたので現実だった。
途方に暮れている王子を気にせずシンシアは両手でバンと机を叩いた。
「殿下、お姉様に何をしたんですか!?」
「シンシア、やめなさい」
シンシアは大好きな姉の頼みなら何でも叶えたい。ただベアトリスが王子のことを慕っているのを知っているので素直に頷けなかった。そして目の前の王子のことも姉以上によく知っていた。
「お父様、私はお姉様に幸せになっていただきたい。いつまでもお姉様から与えられてばかりの殿下に不満を持つのは仕方ありません」
「言葉や態度にすることが苦手な者もいるんだよ」
「殿下がはっきりしないからです。お姉様にばかり愛の言葉を捧げさせて、自分は見惚れて微笑むだけなんて。お姉様も趣味が悪い!!」
王子は目の前で自分を睨む将来の義妹が出会った時から不思議でたまらなかった。王子にとってベアトリスは女神だがシンシアは魔女。
「本当にベアトリスの妹なんだよな?」
「当然です。血という切れない絆で結ばれてます。甲斐性のない殿下より、他の方のほうがお姉様を幸せにしてくれるかしら」
「シンシア、不敬だ。やめなさい。殿下、恥ずかしながら娘は頑固で。隣国に留学したいと。いつまで、宥めておけるか私にはわかりません。娘からの初めてのお願いが留学とは…」
ラグレー公爵も困惑していた。公務に励んでいるベアトリスは時間があると、ずっと読書をしていた。そして真剣に読んでいるのは隣国の文献ばかり。毎日隣国の分厚い歴史書を読み込んでいるとも報告を受けていた。
ベアトリスは真っ直ぐな性格で一度決めたら突き進むところがあることを父はよく知っていた。
「ベアはどこに」
「護衛騎士を口説きにいくとおっしゃってましたよ」
ベアトリスは有言実行である。
王子は慌てて立ち上がり部屋を出ていく。
二人は自分達のことなど目に入らずに、ベアトリスを探しに走り去る王子をあきれた顔で見送った。
「お父様、どう思われますか?」
「ベアの目にはフィルターがかかっているから、どんな殿下も素敵と言うだろうな」
「本当にお姉様が他の方との縁談に踏み切ったら殿下はどうされるのかしら…」
「殿下がベアを選んだのは私情だ。まず婚約破棄していただけるとは思えない」
***
公務を終えたベアトリスは騎士団の見学をしていた。
どうしても自分に忠誠を誓う騎士がほしかった。
ただ優秀な騎士は王子のために残しておきたいので騎士団の中でも、お荷物とされている存在を探していた。
真剣な顔で騎士を物色しているベアトリスに騎士団に所属する幼馴染のトマが近づき肩を軽く叩いた。
「ベア、何してんだ?」
「驚いた。休憩?」
「まぁな」
「トマ、騎士団でお荷物で役に立たない騎士はいないかしら?」
「は?」
「将来の見込みのない騎士がほしいの。教えてくれるだけでいいから」
トマはベアトリスが突拍子もないことを言うのには慣れている。
外面は完璧だが、内面は夢見心地で変わっていることもよく知っている。そしてその夢見心地なところを溺愛している人間達も。
「騎士団にはいない。なんのために試験があるんだよ」
「そうなの…。どこにいけばいいの?」
「公爵に内緒で出かけたいなら俺が護衛してやるよ」
「トマは優秀だから駄目。私のための騎士が欲しい。もちろん給金は払うわ」
「いずれは近衛に囲まれた生活が約束されるベアには必要ないだろうが」
「どうしても欲しいの。どこに行けば出会える?」
王子の婚約者の近くにそんな弱くて怪しい者はおけない。騎士団を束ねる父を持つトマは妥協案を出すことにした。
「うちの騎士を一人やるよ」
「トマの家の騎士は優秀だから駄目」
「弱い騎士は護衛として役に立たないだろうが」
騎士団には目当ての騎士がいないことがわかったので、ベアトリスは立ち上がる。トマに会ったおかげで、貴重な時間を無駄にしないですんだと上機嫌に笑う。騎士団が駄目なら実は次の候補があった。
「もういいわ。じゃあ頑張ってね。私はこれで」
「ベア!?」
ベアトリスはトマの咎める声は聞こえないフリをして立ち去った。残された時間はあと2年。
急いで準備を整えないといけないベアトリスには貴重な時間を無駄にする余裕はない。トマが上機嫌で手を振って立ち去った幼馴染を心配そうに見送り訓練に戻ると、王子が騎士団に顔を出した。王子の視線を受けてトマが近づく。
「トマ、ベアを見なかったか?」
「ベアは帰りましたよ」
「ベアが誰と話していたかわかるか?」
「俺ですけど」
ベアトリスとトマが親しいことを知っている王子はトマの肩に手を置いて冷たい声を出す。
「ベアに口説かれたのか?」
「はい?」
「ベアに口説かれて手を出してないだろうな!?」
「殿下落ち着いてください。ないですよ。俺達は単なる幼馴染で、ベアに手を出すほど女に困ってません。でも妙なことを言ってましたね」
「妙?」
「将来性のない騎士がどうしても欲しいと。あいつが欲しがるなんて初めてですね」
「なんで・・」
能天気に笑っているトマに王子は顔色を悪くしていた。自分の婚約者が全くわからなかった。
王子はベアトリスの願いなら全力で叶えたい。いくらでも騎士を用意した。ただベアトリス自身が騎士を欲しがるなど不愉快で、もしも口説いていたらその男を地獄を見せるつもりだった。自分だって、口説かれたことはない。物騒な顔をしている王子を見つけた侍従はため息をつく。
「殿下、こんなところにいていいんですか?執務が終わらなければ、明日のお茶会には行かせませんよ」
侍従の声に我に返った多忙な王子は大人しく執務に励むことにした。いつものベアトリスとの恒例のお茶会の時間を潰されないように、仕事を終わらすことを選んだ。
***
ベアトリスは王子とのお茶会をシンシアに任せていた。ベアトリスの中では、いずれ婚約者でなくなることがわかっていたので、シンシアと交流を深めてもらうことが優先である。
ベアトリスには王子との幸せな思い出がたくさんあるので、愛しい王子に会えなくても平気だった。そして楽しいお茶の時間よりもやるべきことがあった。
ベアトリスは侍女の私服を借りて、町娘を装い騎士の養成所に来ていた。
目的は半年に一度の騎士養成所の入学試験。
入学試験の模擬戦は公衆の前で行われるが受験者の家族が応援にくる程度で、そこまで人が集まるものではない。
静かに試験の様子を眺めていたベアトリスは3戦目で気付いてしまった。
武術についての知識のないベアトリスには剣の腕などわからず誰が見込みのない者なのか全くわからなかった。
勝者も敗者も強そうである。重たい剣を軽々と持ち上げるだけで力のないベアトリスは感心してしまう。
「あの子可哀想に」
目の前では珍しい髪の色を持つ少年が大柄な青年に圧勝をしていた。
少年を哀れんだ目で見る夫人にベアトリスは声をかけた。
「奥様、どうしてですか?」
「お嬢ちゃんは知らないのか。今日の試験官は外人嫌いなんだよ。どんなに腕があっても合格しないだろうね」
「まぁ!?あんなに強いのに」
「養成所を出ないと騎士として認められないだろう。運がなかったね」
ベアトリスは少年には申し訳ないが神に感謝した。
騎士になれずに埋もれてしまうなら、自分が拾ってもいいとベアトリスは考えた。
試験官のことはいずれ処罰しないといけないが今は騎士の確保優先である。
ベアトリスは異国の少年が出て来るのを待っていた。他の男に声をかけられても、大事な人を待ってるのでと穏やかにあしらい、ベアトリスは目の前の男を無視して、目的の人物を見て駆けていく。
「待って」
異国の少年はベアトリスの声に足を止めた。
美少女の待ち人を見て、振られた男が近づく。
「姉ちゃん、待ち人はそいつか?」
ベアトリスは少年が逃げないように腕を抱いた。
「はい。私の大切な方です」
「趣味が悪い」
「あら?私はこの国で一番趣味が良い自信がありましてよ」
「そいつは試験に落ちた才能なしだぜ」
「試験官の見る目がないだけです。私の騎士を侮辱するのは許しません」
「姉ちゃんなら美人で引く手数多だろう。そんな欠陥品を」
「私、侮辱は許しませんと言いました。私は弱い女です。ですが、貴方を裁く権利も持ってましてよ。荒事は好みません。最後の忠告です。私達の事は気にせず、立ち去っていただくことを望みます」
ベアトリスが冷たい空気を出して、冷笑を浮かべる。
男は寒気がして立ち去っていった。ベアトリスは邪魔者がいなくなったので、戸惑う異国の少年を連れて近くのカフェに向かった。今のベアトリスは町娘であり誰も公爵令嬢とは気づかない。異国の少年は強引なベアトリスにされるがままだった。
「騎士様、お金は心配しないで。お時間をいただくお礼に御馳走します。お好きなものを頼んでください」
「え?」
「苦手なものはありますか?」
「特には」
ベアトリスは注文する様子のない少年を見て、軽食とお茶とケーキを注文する。
「騎士様に相談がありますの」
「俺は騎士じゃないんだけど」
「見事な試合でした。私は剣の腕などわかりませんが貴方が強いことはわかりました」
「俺は見込みがないって」
「それは試験官の目が節穴だったのです。貴方は立派な騎士になります。私が保証いたします」
「君に保証されても」
「貴方が生涯騎士として生きることを望むなら、その道をご用意します。他にできることがあるなら、この国に害がなく、犯罪に手を染めない限りはどんな願いも叶える努力を致します。ですから貴方の6年を私にいただけませんか?」
「話が全然わからないんだけど」
「騎士としてあなたを雇いたいんです。うちはお金持ちなので給金も弾みます」
「なんで俺がいいの?」
少年は目を輝かせて絶賛する美少女に困惑していた。
ベアトリスは試験に落ち、この国の騎士になれないからとは言えなかった。
「私は自分の直感を信じてます。模擬戦をずっと見た中で貴方が一番印象的でした。それに私と共にいれば箔がつきます。絶対に貴方の将来に役に立つと思います。長い人生の中の6年間を私に捧げていただけませんか?私は貴方がどうしても欲しいんです!!お願いします」
「頭をあげて。話が飲み込めない。まず誰?」
少年は頭を下げる美少女に困惑しながら警戒していた。自信満々な町娘に力があるように見えなかった。
人目を引きたくないベアトリスは頭を上げて、少年の耳に顔を近づけそっと囁いた。
「ここでは目立つので内緒にしてください。申し遅れました。ラグレー公爵家のベアトリスと申します。ベアとお呼びください」
ベアトリスは驚く顔の少年にラグレー公爵家の家紋のハンカチを見せた。
「なんで、そんな方が俺なんかを」
「私には貴方が必要なんです。やりたいことがあるんです。そのためには、私の騎士が必要なんです」
「何をやらせたいの?」
「私の護衛とお使いと剣術指導を。私は剣を持つことを許されませんので」
少年は貴族の裕福な令嬢が自分を求める理由がわからず、事情を話せば離れていくことも知っていた。
「俺は記憶がない。傍に置いて、記憶が戻れば君を殺すかもしれない」
真剣な顔で話す少年にベアトリスはふわりと微笑む。
「それならそれで仕方ありません。私の見る目がなかっただけです。でも犯人が貴方だと見つからないように処理してください。私を殺せば死罪。自殺にみせかけてくれるなら遺書でも書いておきましょう。できれば殺す前に一言相談してほしいものですが」
「え?恐ろしくないのか?俺は自分のことがわからない」
「人は死ぬときは死ぬんです。恐れても何も得られません。私は前に進むことを望みます」
少年は凛としたベアトリスの瞳に吸い込まれそうだった。
目が覚めたら教会にいた。何も思い出せなず、剣を持ったら、体が勝手に動いた。異国人で記憶のない少年に向けられるのは奇異と同情の視線ばかり。いつまでも教会に世話になるわけにもいかず、何をするにもお金が必要なため、騎士養成所の試験を受けた。ただ試験官や周りのやつらは自分を蔑みの視線で聞くに堪えない言葉を話すだけ。
ベアトリスの視線は不快でなく、突然の褒め言葉に困惑しても同情も憐れみも感じない。居心地が良いのは初めてだった。
「雇われてやるよ」
「衣食住はお任せください。二人の時は敬語も敬称もいりません。人目があるときだけ気をつけてください。なんてお呼びすれば?」
「好きに呼んで」
「では、カルロと呼びましょう。さて、本当は祝杯をあげたいのですが、今はお茶で我慢してください。足りなかったら好きなものを頼んで。命令です」
カルロとなった少年は当然のように自分に命令する人物になぜか不快に感じない。空腹だったカルロは遠慮なく注文した。ベアトリスは、記憶喪失のわりに綺麗な所作で食事をするカルロを見ながら、ケーキを口に運ぶ。期待外れの味に眉を潜めるベアトリスを見てカルロは笑う。
「ベア、気に入らないなら俺が食べるよ」
「いいんですか?」
「腹が膨れればなんでもいい」
「ありがとうございます」
心底ほっとした顔をするベアトリスにカルロは自分の雇い主が愉快な人間だと知った。愉快に笑ったのは初めてだった。ベアトリスは薄い紅茶を飲みながらカルロの育成と父の説得を考えていた。そして物足りなそうなカルロに笑い、騎士に人気の定食屋に移動しよく食べるカルロを楽しそうに見つめていた。思考がまとまり久しぶりの一歩前進にベアトリスは極上の笑みを浮かべて微笑んだ。
***
王子はいつものサロンに行くとシンシアが待っていたので落胆した。王子は執務をすませ、ベアトリスとの癒やしのお茶会のはずだった。
「ベアは?」
「お姉様に代わってほしいと頼まれました。殿下と親睦を深めてきてと素敵な笑顔で送りだされましたわ」
「私はベアに会いたかったのに」
王子は定期的に婚約者と二人でお茶をする日を決めていた。多忙な二人が会える月に3回の貴重な時間だった。
恒例の二人のお茶の時間にベアトリスが現れなかったのは初めてだった。
「お姉様はいまだに殿下の婚約者なので、他の公務はこなしてますが私的なお茶会は参加しなくてもいいと。私だって殿下とお茶なんてしたくありません。でもお姉様に頼まれたら断れません。義務を果たしたので私はお暇してもよろしいでしょうか」
立ち上がったシンシアに王子は慌てて声をかけた。
「ベアは今日はどうしているんだ?」
「殿下に話す必要性は感じられません。可愛いお姿で出かけていきましたよ。私のお姉様はどんな服でも着こなすのです」
「どんな服装?」
「教えませんわ。私が髪を結いましたの。三つ編み姿のお姉様は可愛らしく、失礼しました。これ以上は減りますので、お話できません」
うっとりとベアトリスの姿を思い浮かべていたシンシアは余計なことを話していることに気づいて言葉を止め、王子は忌々しそうにシンシアを見て吐き捨てた。
「本当になんで純真なベアの妹がこうなったんだ・・・」
「どっかの王子が私からお姉様を引き離そうとしたからです。私の至福の時間を邪魔して」
「一緒に暮らしているシンシアと違って俺は時々しか会えないんだ。譲れよ」
「3日に1回会いにきてた人間の言葉とは思えません。変装してお姉様に近づいて、お姉様の理想を聞き出して、理想通りの演出で出会って・・」
「夢を叶えてあげたかったんだ。丁度絵本の王子と同じ外見だったしな」
「その絵本を贈ったのは殿下でしょうが。全然優しくて穏やかな陽だまりのような人間じゃないのに。純真なお姉様を騙して」
「ベアにとって優しくて陽だまりのような人間であれるように努力するよ」
「化けの皮が剥がれて怯えられればいいですのに」
「そんなへまはしない」
「お姉様に自分の気持ちも伝えられないのに?私は失礼します」
シンシアは王子のことなど気にせず立ち去った。ベアトリスは気付いていないが二人は仲が悪かった。
王子はベアトリスに会いたくても二人での公務の予定はなく、シンシアは王子が自分から会いにいけばいいと気付いていたがわざわざ教える優しさはない。
***
ラグレー公爵はベアトリスの願いにまた固まった。
「お父様、記憶喪失の少年を保護しました。剣の腕が確かなので私の騎士にします。使用人宿舎を一部屋貸してください。給金は私がお支払いします」
「ベアトリス、彼は安全なのか?」
「はい。お父様達に決して危害を加えないと約束してあります。もしも彼がラグレー公爵家に害をもたらすなら私の命で償います。反対されたら家を出る覚悟もあります。お傍においてもよろしいでしょうか?」
「ベア、お前はまだ殿下の婚約者だ。不誠実なことはしていないか?」
「私の心は殿下のものです。それに子供に手を出す趣味もありません」
「ベア、彼は子供には見えないが・・」
「成人しているようには見えません。未成年は子供です。使用人宿舎の一室を与えても構いませんか?」
「わかったよ。好きにしなさい」
「ありがとうございます。」
ベアトリスが家出をして、保護した騎士と出ていけば大問題である。ベアトリスの不在を知った王子が軍を派遣して捜索する姿が頭をよぎりラグレー公爵は娘の提案を受け入れた。
ベアトリスはカルロを侍女に任せ、自室に戻りトマに手紙を書いた。
ベアトリスに騎士の指導はできないためトマに休みの日にカルロの指導を頼むことを計画していた。
やることを終えたベアトリスは部屋に訪ねてきた妹と一緒にお茶を楽しむ。
王子が元気な様子を聞いて、幸せそうに微笑むベアトリスの考えていることがシンシアにはわからない。誰よりもわかりやすかったベアトリスの変化にラグレー公爵家は困惑し適応していなかった。
***
トマはベアトリスにカルロを紹介されて困惑していた。
休みの日に呼び出されて見知らぬ異国の少年を紹介されれば戸惑うものである。ベアトリスは同じ言葉を繰り返した。
「トマ、私の騎士です。指導をお願いします」
「ベア?」
ベアトリスはカルロに聞こえないようにトマに囁く。
「試験官の私怨で試験を落とされたんです。それなら私がもらってもいいかなって。カルロには内緒にしてください」
トマは幼馴染が念願の騎士を見つけたことを察した。
確かに自分が将来性をないことを買われて雇われたとしればやる気がなくなる。
幼馴染に騙された可哀相な少年の面倒を見ることを受け入れたトマは今日もベアトリスが王子とのお茶会をシンシアに押し付けてここにいることは気付いていなかった。
剣を合わせると、トマはカルロに負けた。
トマは実力者を落とした試験官に呆れ、武門侯爵家として放っておけない案件に顔を顰める。ベアトリスはトマが負けるとは思わなかったが、カルロの事情を聞いて動いてくれるだろう幼馴染に笑った。もちろんカルロの指導が一番だけど、養成所のことも考えていた。ただベアトリスが動くよりもトマが動く方が適任だった。久しぶりに思った通りに事が運び上機嫌なベアトリスが二人の様子を眺めていた。騎士は手に入ったので次に必要なのは隣国の王子との出会いだったが父からの留学の許可がまだおりなかった。
「カルロが強いのは知ってたけど、トマより強いなんて思わなかった」
「まだまだです」
「素直に賞賛は受け取って。当分トマに預けるから行儀作法や騎士としての教養を学んで。私はカルロが帰ってくるのを楽しみに待ってるね。カルロがいないと困るからできるだけ頑張って」
「はい。ご期待にそえるように」
「私の騎士だもの。気負わなくていいわ。トマ、なにかあれば連絡を。いじめたら許さないから覚えておいて」
「そんなことしない。むしろ俺が教えを乞いたい。金はいらない」
「ちゃんと指導料を払うわよ」
「幼馴染のたのみだからな」
「トマの気持ちが良いところ好きだわ。なんで婚約者ができないのか。私が紹介しても断るし」
「俺はまだいい。女にかける時間があるなら剣を振りたい」
「まだまだ子供ね。邪魔をしないように退散するわ。カルロまたね」
ベアトリスは二人に手を振って立ち去った。
夜には夜会があるのでそろそろ帰らないといけなかった。
***
ベアトリスは夜会の準備を整え、部屋を出ると王子がいたので礼をした。ベアトリスは久しぶりの愛する王子に花のような笑みを浮かべた。
「ごきげんよう。殿下」
自分にいつもと変わらない笑みを浮かべられた王子は安堵していた。
「ベア、せっかくだから一緒に行こうと迎えにきた」
「殿下が顔を出すほどのものとは思えませんが」
「いや、いくつか用があって」
「かしこまりました。よろしくお願い致します」
ベアトリスは王子の差し出される手に、微笑んで自分の手を重ねる。
そっと二人の様子を見ていたシンシアはベアトリスに会うために予定を無理やり調整した王子の言葉に失笑する。ベアトリスに会いたかったとさえ言えないヘタレ王子に。
王子は馬車の中でも、いつもと様子が変わらないベアトリスに安堵していた。ベアトリスの瞳は愛しそうに自分を見つめている。王子にとって二人っきりの時間はすぐに終わりをつげ、会場についてしまった。参加する予定がなかった王子の参加に主催者は慌てていたが王子は笑顔で押し通した。
ベアトリスは挨拶を終えても自分の傍を離れない王子に困惑していた。
「殿下、私は一人で大丈夫です。どうぞご用をすませてください」
「いや、」
自分に遠慮している王子の優しさにベアトリスは微笑んで手を放した。
「私はバルコニーで休んでます。いってらっしゃいませ」
ベアトリスは王子が傍にいたいことなど気付かずに、一人で立ち去った。
ベアトリスが去ると、王子は令嬢に囲まれる。ベアトリスは王子が好きでも独り占めしたいとは思わず、政略結婚なので、わきまえていた。
「ベアトリス嬢、お一人ですか?」
「ええ」
「殿下とはいえ、こんな美しい婚約者を放っておくとは感心しませんね」
「お上手ですわ。殿下は魅力的な方ですもの。仕方ありません」
「寛大な心をお持ちですね。殿下が他のご令嬢に心を奪われても言えますか?」
「殿下を支えてくださる方なら歓迎いたします」
ベアトリスは慣れていた。自分を追い落としたい者がいることも。それに一度目の人生で夢は叶ったのでもう十分だった。隣にいることを望まず最愛の王子の顔が曇らないように願うだけだった。
夜会の終わりまで王子は解放されなかった。ベアトリスはワインを飲みながら、話しかけられる貴族と談笑を交わし、夜会が終わるのを待っていた。
王子が一度も自分に近寄らず、社交をこなしているベアトリスを複雑そうに見ていたことなど全く気付かない。
王子は帰りの馬車の中で平静な顔を取り繕う。
「ベア、最近は君がわからないんだ」
「どうされました?」
「どうしてお茶会に来なくなった?」
「私よりもシンシアとの時間の方が有意義だと思いましたの。私の妹は聡明で話上手ですから」
「私はベアと過ごしたい」
「あのお茶会は人目もありません。気を使われなくていいのです」
「私はベアがいいんだ」
「お気遣い不要です。私は婚約者でなくなっても殿下のために尽くします」
「私はベアと一緒に国を守りたい」
「殿下、私では力不足なのです。貴方は私と一緒になると不幸になります。ベアの心は殿下のものです。ベアは殿下のためなら命も惜しくありません。殿下の幸せを心よりお祈りしております」
王子は慈愛に満ちたベアトリスの顔に見惚れていた。馬車が着いたので、ベアトリスは降りて礼をして王子を見送った。王子が気付くとベアトリスはいなかった。
王子はベアトリスの言葉が頭から離れなかった。
ベアトリスが本気で自分から離れるつもりと気付き強硬手段に出ることにした。
***
ベアトリスは夜会で知り合った隣国の大使と交流を深めていた。
留学が無理なら訪問すればいいだけである。ただ残念ながらベアトリスにはそんな時間がなかった。過去最大の多忙な日々だった。
王妃に頻繁に呼び出され、なぜかドレスの採寸をされ、王家の社交に連れまわされていた。
ベアトリスは渡された来賓客のリストにも戸惑っていた。国王陛下の生誕祭はしばらく前に終わった。こんなに来賓が多いパーティは考えられなかった。疑問を口にする暇もなく、時間に追われていた。終わったはずなのに王妃教育と言われ、パーティーの食事や装飾の打ち合わせに出るのも不思議で仕方なかった。そして、誰もパーティーの概要は教えてくれない。ただ国と王子にとっての一大イベントと言われれば、ベアトリスには完璧な用意をする以外の選択肢は残されていなかった。
トマはベアトリスを見つけて声をかけた。
「ベア、おめでとう」
「トマ、なにが?」
「もうすぐ婚儀だろう?」
「誰の?」
「ベアと殿下の。忙しくてボケたのか?」
「嘘・・・・」
固まっているベアトリスにトマは本気で言っていることを察した。
「おまえ、知らなかったのか?」
「来賓客のリストは頭にいれました。準備も滞りなく進んでおります。ただなんのパーティーが行われるかはわからなかったんです。婚姻は私が18歳になったらというお話だったのに。どうしよう」
トマはベアトリスに知らせずに婚礼の準備が進められてるとは思わなかった。
途方にくれる幼馴染にトマはかける言葉がわからず、本気で困惑しているベアトリスの肩を叩いた。
「嬉しくないのか?」
「私は殿下と婚姻する予定はありませんでした」
今日の幼馴染から出てくる言葉は想定外のものばかりだった。トマとしては、幸せそうに微笑んで感謝を告げられる予定だった。
「どうする気だったんだよ」
「隣国に嫁ぐように動く予定でした」
「え?」
「隣国の王太子の籠をもらえるように頑張るつもりだったのに・・・」
トマはベアトリスの言葉に真っ青になる。
王子がそんなことを許すようには思えなかった。ベアトリスの幼馴染として何度も王子の嫉妬を受けてきたトマはこの言葉が王子に届かないことを祈るばかりだった。
「もう最終手段しかありません。カルロは今は侯爵邸よね…」
「最終手段って?」
トマの願いは届かない。トマが声の主を探ると冷たい目をした王子がいた。
王子は気配を消すのが上手かった。
「お父様に内緒で隣国に行ってきます。あとはシンシアに任せます。カルロをありがとう。私、行ってくる」
決意して、顔をあげて踵を返したベアトリスは王子を見つけて礼をした。
「ごきげんよう。殿下。私はこれで失礼します」
「ベア、話をしようか」
「え?」
王子は強引にベアトリスは抱き上げる。
トマは困惑しているベアトリスを心配して念のため口を開いた。
「殿下、婚姻前です。節度をお守りください。皮剥がれてますよ」
王子は自室にベアトリスを連れていき、人払いをした。
王子の冷たい雰囲気に耐えきれず、全ての使用人が出て行った。ベアトリスの前だけでは穏やかな王子は使用人にとっては違っていた。
ベアトリスは目の前に座る王子をじっと見つめた。
「殿下、婚姻前の男女が二人きりなど許されません。」
王子は必死に平静を装い穏やかな顔を作った。
「もうすぐ婚姻するから大丈夫だよ。ベア、隣国で何をしようとしてたんだい?」
ベアトリスは柔らかい笑みを浮かべた。
「殿下の幸せのために必要なことです」
「隣国の王太子に寵を求めることが?」
「はい。精一杯努力します」
「私の婚約者なのに?」
「シンシアがいます。」
「残念ながら、招待状にはベアトリス・ラグレーとの婚姻と書いてあるんだが」
「え?」
「国のためを思うならベアは私と婚姻するしかないんだよ」
「私は殿下と一緒にいるわけにはいきません」
王子は穏やかな顔を向ける婚約者の言葉を受け入れる気はなかった。
「ベア、もう少し詳しく話してくれないか。どうして私の幸せが隣国の王子とベアが結ばれることなんだい?」
「私、最近前世の記憶を思い出しました」
「前世の記憶?」
「私は殿下と婚姻して幸せな日々を送っておりました。ですが隣国との戦争がはじまり、殿下はお一人になるといつも暗いお顔をされていました。私は何もできませんでした。ですから、そのようなことがないように隣国との戦争が起きないように努めます。本命は王太子妃ですが無理なら愛妾でも構いません。戦争を止められるように動きます。もしも防げないなら私が殺します。ですから、私は殿下と婚姻するわけにはいきません」
聡明と言われる王子も理解に苦しむ内容だった。
ただベアトリスは嘘も冗談も言わない。王子を見つめる瞳には迷いはなかった。
「ベアは私の傍を離れても平気なのか?」
「私は幸せをたくさんいただきました。思い出だけで十分ですわ。今度は私がお返しする番です」
王子は優しく微笑みながら言われた言葉に心をえぐられていた。
ベアトリスの思い描く未来に王子がいないことを受け入れている最愛の婚約者に平静を保てなくなった。
「その思い出は私とベアのものじゃない」
「どちらも私の愛する殿下には代りありません。殿下、私がお守りします。ですから私のことは忘れてください」
王子はベアトリスの言葉を受け入れたくなかった。
トマとの話を聞いただけでも嫉妬で狂いそうだった。婚儀まで離宮に軟禁してもいいかと頭をよぎった。なけなしの理性が仕事をした。ベアトリスに怯えられるのは避けたかった。
「私の幸せを願うなら傍にいてくれないか」
「できません」
迷うことない即答だった。
ベアトリスから拒否の言葉など、聞いたことがほとんどなかった。軟禁という言葉がまた頭に浮かんだ。
離宮は整えていたが泣いて怯えるベアトリスの顔が浮かんで保留にした。
とりあえず、ベアトリスの前世の記憶について考えてみることにした。
王子は戦争がおこっても、自分の顔が絶望に染まるとは考えられなかった。両親が死んでも暗い顔などしない自覚があった。もしもベアトリスの話が本当で自分が絶望するとして思い当たるのは一つだけだった。
「ベア、前世で私は君の元に帰ってこれたかい?」
「私は殿下のことを待てずに病で命を落としました」
王子の中で辻褄があった。ベアトリスが不治の病に侵されていたら絶望する自信がある。
「きっと私はベアが病にかかったから暗い顔をしていたんだよ。戦争は必要な時もある。戦争くらいで気持ちが揺らぐなら王にはなれない」
「殿下、ありえません。私は大事にしていただきましたが、義務です」
堂々と言うベアトリスの言葉に王子はまた心をえぐられた。彼女の話では婚姻していた。
一度も婚約者に想いを告げたことはなく、ベアトリスが自分の想いに全く気付いてないことも気づいていた。ベアトリスに近づく男は排除した。国内ではベアトリスに近づくと王子の逆鱗に触れると言われるほどに。シンシアのヘタレとあざ笑う顔を頭をよぎった王子は見たくもないイメージを打ち消し、ベアトリスの手を握る。
「ベア、私は君を愛しているよ」
「はい?」
「ずっとベアに甘えていた。私は君のように気持ちを言葉にするのが得意ではない。これからも傍にいてほしい。戦争を防ぎたいなら手を回すよ」
ベアトリスは一度も想いが叶うことなど考えたことはなかったため困惑していた。
「え?」
王子は困惑している婚約者に優しい笑みを浮かべる。ただし目が笑っていないが混乱しているベアトリスに気付く余力はなかった。
「でも残念ながらベアには私と婚姻するしか選択肢はないけど」
「殿下、私はあと6年で死にます」
「未来はかわるものだ。決まっていることなどなにもない」
「お傍にいてもよろしいのでしょうか」
「ベアがいれば幸せだよ。私はベアといる時間が一番好きだから」
「私も殿下との時間が一番です」
「私と婚姻してくれるかい?」
ベアトリスだって一緒にいられるならいたい。でも頷くのが怖かった。自分の大好きな陽だまりみたいに暖かく微笑む王子にどうすればいいかわからなかった。自分の頬に手をあてる暖かい手の持ち主の顔が絶望に染まらない方法がわからなかった。
「ベア?」
「怖いんです。このまま貴方がまた」
王子は初めて不安に揺れるベアトリスの瞳を見つめ、頬に添えていた手を顎に滑らせゆっくりと顔を近づける。互いの吐息が感じられるほど近づく瞬間に勢いよく扉が開き王子の動きが止まる。
「お姉様、この冷血王子は慈悲の心など持ち合わせていません。殿下、お姉様から不埒な手を放してください」
「なんで!?」
「トマから連絡があり駆けつけました。お姉様の貞操の危機と」
シンシアは王子の手を振り払いベアトリスを抱きしめる。
「お姉様、シンシアがおります。そんな悲しい顔をしないでください」
王子はベアトリスの顔がシンシアの胸に押し付けられ隠れているので、不機嫌を隠さず睨む。
人払いして勇気を振り絞り必死に作ったいい雰囲気を壊したシンシアを。
「なんでここに入れた」
「自分の手札を教えるほど愚かではありません」
「シンシア、私より貴方の方が殿下に」
「ベア、ないから。シンシアと結婚なんて俺には不幸の始まりだから」
「俺?」
聞き覚えのない一人称と話し方の違いにベアトリスは首を傾げる。
「お姉様、この男はソンです」
「ソンって昔うちによく迷い込んでた?」
「シンシア!?」
「この男は狡猾な男です」
シンシアの言葉にベアトリスがクスクスと笑う。
「ソンが殿下のわけないわよ。全然似てないもの。ソンは行商人になるために他国をまわってるはずよ。欲しい物を手に入れるって意気込んでいたもの。あのわんぱくなソンと似つかないわ。殿下は犬に追いかけられても泣かないもの。でもシンシアがそこまでソンと仲良かったとは。私は二人が仲がよくないと思ってたわ」
「私のお姉様をとる男は嫌いです」
「シンシアはいくつになっても可愛いわ」
頬を膨らませる妹にベアトリスは優しく笑い頭をゆっくり撫でる。
王子はベアトリスの様子にごまかせそうだと安心した。子供の頃の情けない自分が同一人物とは思われたくない。
変装してお忍びをしていた頃に、犬に追いかけられた王子を助けてくれたのがベアトリスだった。情けない自分に無垢な笑顔で笑いかけて手当をしてくれたベアトリスに心を奪われた。そのあともソンとして迷い込むふりをして近づいた。シンシアとベアトリスの取り合いの喧嘩をするといつも優しく微笑んで嗜め抱きしめてくれた。シンシアがいない時は膝枕をして本を読んでくれることもあり年下の少女に甘えるのはくすぐったくても、至福の時間だった。
ただソンにとってベアトリスは特別でもベアトリスには違った。ソンに見せる顔は領民の子供に向ける顔と同じで面白くなかった。そんな時に自分の婚約者選びの話が浮かび上がった。母にどうしても特別になりたい女の子がいると相談すると楽しそうに計画をしてくれた。母は自分にそっくりな王子がでてくる絵本をベアトリスに贈るように提案した。ベアトリスは初めて読む色鮮やかな絵本に心を奪われた。絵本の話にうっとりして夢中で読んでいた。それから母と一緒に理想の出会いや王子を演出した。王妃は荒くれ者の王子が好きな子のために変わっていく様子に微笑んだ。ベアトリスの憧れの王子は文武両道でいつも穏やかで笑顔を浮かべていた。母親が王太子として相応しい王子像を絵本に書かせたとは気づいていなかった。
ただ二人の演出がすごすぎて、ベアトリスには曇ったフィルターを身に付けてしまった。幼いベアトリスには王子と王妃の策略に抗うすべはなかった。
王は二人の勢いに負けて婚約の手続きを整えた。王としては他国の姫を指名するつもりだったが荒くれ者の息子が王太子として相応しくなるなら構わないかと王妃に説得されて諦めた。
エグレー公爵家は恐れ多いと断ったが、王妃と王子に頭を下げられたら断れなかった。
そして外堀を埋めた後に、王子はベアトリスとの運命的な出会いを果たした。数日後、婚約者として王子と再会したときに、ベアトリスは恋に落ちた。王妃の書いた脚本通りに進み、王子は頬を染めて自分を見つめるベアトリスにご満悦だった。
「シンシア、ベアと二人にしてほしいんだが」
「婚前に二人っきりなど許されません。どうしてお姉様との婚姻を無理やり早めたんですか!?」
王子はエグレー公爵家には内密にして婚姻の準備を進めていた。
シンシアに妨害されないために。
「私がベアと1日も早く夫婦になりたかった。教会に相談に行けば方法があったから。ベアも私と一緒にいたいと言ってくれている」
「お姉様、こんな男でよろしいんですか」
「シンシア、殿下に失礼よ」
「空気を読んで、二人にしてくれ」
「嫌です。婚儀は延ばせないので、それまでは私がお姉様と一緒にいます」
「私は嫁いでもシンシアの姉であることには変わりはないわ」
王子はベアトリスの言葉に目を輝かせた。
「ベア、婚姻してくれるのか!?」
ベアトリスには頷くしか選択肢が残されていない。
「ここまで準備を整えたら中止は国の威信に関わります」
「最低」
「シンシア、殿下へ無礼よ。帰りましょうか」
「ベア、婚儀が終わるまでは国を出たりしないか?」
「え?」
ベアトリスの首を傾げる様子に王子は決断した。最近のベアトリスの行動は王子の予測を超えていた。
「まだ準備が終わらないんだ。離宮を用意してあるから儀式が終わるまで泊まってくれないか?」
「え?」
「仕事が忙しくて、手伝ってほしい」
「かしこまりました」
シンシアは王子を睨む。
「シンシアも泊まればいい。護衛をつけるから。公爵夫妻も招いていい。ただ王宮から出る時は護衛の兼ね合いで連絡が欲しい」
シンシアは王子が姉を離宮に閉じ込めて、婚儀から逃げないようにしたいことを察した。
ベアトリスは公務で王宮に泊まることもあったので疑問もなく頷く。本当は家に帰りたくても、公務が優先だった。
***
ベアトリスは離宮で生活していたが泊まるほどの忙しさには思えなかったので、王子がつけた護衛騎士に家に帰ることを伝えると真っ青な顔で引き留められていた。
「ベアトリス様、御考え直しを」
「いえ、もう今日の執務もすみました。私は帰ります。護衛は不要ですよ」
「殿下より、御身をお守りし決してお傍を離れるなと」
護衛騎士は王子の命令に逆らえば、自分達の首が飛ぶと思っていた。
真っ青な顔の騎士にベアトリスは心配になった。
「具合が悪いのでしたらお休みください」
慈愛に満ちた笑みを浮かべるベアトリスを王子は静かに見ていた。王子は穏やかな顔を作って入室した。
「ベア、どうした?」
「殿下、騎士を休ませたいのですが・・・・」
「そうだね。具合が悪い時は休んだほうがいい。別の騎士を手配しよう。ゆっくり休んでくれ」
「お世話になりました。ゆっくり休んでくださいませ」
騎士は王子のさっさと立ち去れという視線を受けて、青い顔で礼をして退室した。
王子はベアトリスが心配そうに騎士の背中を見送っており、自分よりも騎士を気にかけているのが気に入らなかった。
「ありがとうございました。私に護衛はいりません。一段落つきましたし、帰りますわ」
「ベア、儀式の確認をしたいんだが、夜しか時間がとれないんだ。だから泊まってくれないか?」
「かしこまりました。お体に気をつけてください」
「ああ。また夜に」
ベアトリスは婚儀の日まで公爵邸に帰ることは許されなかった。
そして忙しさに追われ、気付くと婚儀の日を迎えていた。
王子はベアトリスに婚姻の祝いに贈り物を尋ねるとカルロを自身の忠臣として傍におきたいと願われた。カルロはベアトリスの騎士として表面的には快く受け入れられていた。
王子の婚姻祝いに訪ねた隣国の王太子がカルロを目に止めて驚き肩を掴んだ。
「お前、なんでここに」
ベアトリスはカルロに詰め寄る王太子に笑みを浮かべて近づく。
「王太子殿下、申しわけありません。なにか粗相がありましたか?」
「いや、彼はどうして」
「事情がありまして。彼をご存知ですか?」
「ああ。よく知っている」
ベアトリスは王太子に近づき耳にそっと囁く。
「事情があります。どのようなご関係ですか?」
「弟だ」
「まぁ!?宴の後に別室をご用意致します。お時間を」
ベアトリスが隣国の王太子と顔を近づけて親しそうに話す様子を見た王子が慌てて腰を抱き寄せて引き剥がす。
「ベア、なんの話をしてるんだい?」
「私事です。殿下のお耳に入れることではありません。」
「言えないこと?」
「今のところは。殿下はどうされましたの?」
「いや、」
「私は大丈夫ですので、どうぞ行ってらっしゃいませ」
王子は隣国の王太子にベアトリスを近づけたくないため、強引にエスコートして、ダンスに誘う。
ベアトリスはよくわからなかったが、微笑んで誘いを受けダンスを踊る。そのあと王子はベアトリスを離すことなく社交をこなしていた。不思議に思いながらも最愛の王子のエスコートにベアトリスは甘え幸せそうに微笑む姿に王子の顔が緩んでいた。
夜会が終わると、初夜の用意のため王子と別れたベアトリスは隣国の王太子をカルロと共に訪ねた。
「夜分に申し訳ありません」
「こちらこそ、すまない」
「お話する前に、彼に危害を加えないと約束していただけますか?」
「もちろん約束する。事情を話してくれないか」
ベアトリスがカルロを見ると静かに頷く。
「彼は記憶がありません。剣の腕が素晴らしいので、私が雇いました」
「記憶がないだと!?」
驚いた顔の王太子にベアトリスは静かに頷く。
「はい」
王太子は思考を巡らせた後カルロを静かに見つめた。
「今の生活に不満はあるか?」
「ありません」
「君は私の異母弟だ。国に帰って王族として生きる道もある。どうしたい?」
ベアトリスは黙り込むカルロの顔を覗き込み微笑みかける。
「カルロ、私のことは気にせず好きなように答えなさい。命令よ」
カルロがベアトリスに命令されたのは2度目だった。カルロはベアトリスの顔を見つめる。
「ベア、俺の契約期間は6年。その後は更新する気はないの?」
「私はカルロが側にいてくれると、助かるけど、生きてるかわからないわ。私、22歳で亡くなる気がするのよ」
「は?」
カルロはサラリと言われた言葉に目を丸くする。
ベアトリスはクスクスと笑いながらカルロの肩を叩く。
「女の勘よ。先のことは気にしないで。これからも側にいてくれるなら心強いわ。でも戦争は嫌だから、殿下が貴方を取り戻すために手段を選ばないというなら手放すわ。私の我儘で国を危険にさらせないわ」
「さすがに弟のために戦争はおこさないよ。」
「安心しましたわ。これからもよいお付き合いができることを願います」
「こちらこそ。君はここにいて、大丈夫なのか?」
「そろそろ戻りませんといけませんね。カルロ、私は大丈夫だから今日は自由に過ごして」
「かしこまりました」
「貴方の心のままに選んで。私はどんな選択も快く受け止めるわ」
ベアトリスはカルロを残して礼をして部屋から退室し、足早に自室へ向かう途中で王子に会った。
王子はベアトリスの姿がなく探していた。まさか隣国の王太子の部屋の廊下で見つけるのは嫌な予感しかしなかった。
「どこにいた!?」
ベアトリスはいつも落ち着いている王子が慌てる様子に驚いても本当のことは言えないので微笑んで口を開く。
「お散歩をしていただけですよ」
「誰と?」
「カルロと一緒でしたが疲れてるようなので今日はもう下がらせました」
「隣国の王太子と会ってたのかと」
「王太子殿下に何かご用ですか?」
「いや、なんでもないならいいんだ。見つからないから心配しただけ」
「ご心配いただきありがとうございます」
「ベア、なにがあっても私の側から離れないでくれないか。私の幸せはベアなんだ」
「殿下、私は殿下の妃になりました。精一杯努めます」
王子は全く伝わってないことを察した。
ベアトリスは自分を好いてくれても、距離が遠かった。
言葉にするのは苦手でも少しずつ変わっていこうと決めていた。ベアトリスの前世の話が本当なら自分は全く彼女に気持ちを伝えてこなかった。シンシアもベアトリスも変わらないなんて思われないように。ベアトリスが死なないように世界中の薬を取り寄せるためには戦争なんてする無駄な時間はなかった。王子はベアトリスが死なないように力を尽くすことを決めた。
またカルロはベアトリスの側にいることにした。兄に戻りたくなったらいつでも帰ってこいと言われたが6年後に死ぬと思うのと朗らかに笑うベアトリスを放っておけなかった。それに自分を必要としてくれるのはベアトリスだけ。なによりもベアトリスとの時間は中々楽しかった。
「カルロ、最近殿下の様子がおかしいんだけど、大丈夫かな?」
「は?」
「なんとなくなんだけど」
「なら気のせいじゃないか?」
「そうよね」
「ベア、俺と二人になって平気なの?」
「だって、近衛の前だと猫かぶらないとだもの。カルロがいるから離れてもらった。疲れた」
カルロは庭園の木陰で自分の肩に体を預けて眠るベアトリスを好きにさせることにした。
嫉妬に狂う男は見ないフリ。ベアトリスの寝不足はその男のせいでもあった。
「距離が近すぎないか」
「私は妃殿下の騎士ですから。」
「トマは仕方ないけど、他にも現れるとは」
「ベアが戸惑ってますよ。その二面性中途半端すぎますよ」
「妃殿下だ」
「申し訳ありません。気をつけます。執務はよろしいんですか?」
「休憩だ」
「殿下が抱き上げると起きるので、私が運びますよ」
ベアトリスがぼんやりと目を醒ました。
「なに?」
「なんでもない。まだ寝てなよ。公務の時間に起こすから」
「うん」
再び眠ったベアトリスとカルロの様子を王子は忌々しそうに見ていた。ベアトリスがカルロに信頼をおくのはおもしろくなかった。ベアトリスのお願いに負けて、カルロを側に置くことを許したことを後悔していた。
***
シンシアは姉の前では穏やかな王子が陰で嫉妬に狂っていることに気付いていた。おかげで姉が連日寝不足。風の噂で姉が早死にすると聞き、王子のせいではないかと思い始めていた。
「殿下、嫉妬に狂ってお姉様を抱き潰すのやめてください。連日寝不足で足腰フラフラ、いい加減にして下さい」
「ベアが可愛いから」
「そんなの当然ですよ。体によくありません。抱く前にやることがあると思いますよ」
王子はシンシアの言葉に控えることにした。
それに確かに一理あった。
「おかえりなさいませ。殿下」
「ああ。何してたの?」
「星を見てました」
「ベア、もし私が君の知る王子ではなかったらどうする?」
ベアトリスは王子の言葉に不思議に思いながらも答えは決まっていた。
「私はどんな殿下も愛してますわ」
「君の好きな理想の王子じゃなくても?」
「もう理想の王子様に憧れるほど子供ではありません。それに理想と現実は違います。私が愛しているのは、殿下だけです。物語の王子様には温もりはありませんもの」
「私が嫉妬に狂ったただの男でも?」
「いささか想像できませんが、私の心は殿下のものです」
「名前で呼んでほしい」
「ハリソン様?」
「ベア、出会ってからずっと好きだった。愛してるんだ。ずっと君の特別になることだけを考えていた」
「殿下?」
ベアトリスは突然甘い言葉を言い出した王子に頬が赤くなっているのがわかった。どうしようもなく恥ずかしかった。
「殿下、おやめください。私、おかしくなりそうです」
王子は自分の言葉に赤面する妻を抱きしめ自重するのは明日からにすることにした。
***
ベアトリスは前世との違いに戸惑っていた。それでも、王子が幸せそうに見えたので、これでいいかと思った。王子は国の医学の発達に全力を注ぎ余計な執務が増えないように戦争を起こさないように外交にも力を入れた。
ベアトリスは時々子供のようになる王子も変わらず愛していた。
ただ王子は自分がソンということを打ち明けることはなかった。
前世とは違ってもベアトリスは幸せな日々を過ごしていた。
王子はベアトリスが手に入ったことに安堵しても、満足はできなかった。ヘタレ王子は妻の前では穏やかな夫を演じていた。王子が冷酷な判断をしようとも、ベアトリスの自分への慈愛に満ちた愛情が変わらないと知ってからは少しずつ嫉妬を表現するようになる。
シンシアやカルロはベアトリスの王子への曇ったフィルターが剥がれないことが不思議だった。
王妃は自分の筋書き通りの結末に微笑んでいた。そして、脚本通りに動く息子で遊ぶ趣味はかわらなかった。