第十話 過去の代償
一章 第十話
始めに起き上がったのはメリーだった。
〈奇跡〉によって強化された肉体は、辛うじてその音響攻撃を耐え抜いた。
だが、種族的に耳が優れているタロと、五感全てを強化していたハオスは、完全に意識を失っていた。
緋色の頭の近くにいたヤト、サカロ、キヌは気を失ってはいないものの、動けるような状態にはいなかった。
――|神よ我らに大いなる癒しを《ミドルエリアヒーリング》
メリーはパーティー全体を〈回復〉させた。だが、失った聴力を取り戻すことは叶わない。
〈奇跡〉も魔法と同様、行使するには〈気〉を練って作り出した〈力〉を消費する必要がある。
ヤトを救い出すため、すでにゴッドレイを使ったメリーの〈法力〉は枯渇寸前だ。
恐らくこれが、最後の〈奇跡〉だ。
『アカツノ』の全員が立ちあがり、その鮮やかな緋色を睨み付けた。
幾人かはふらつきながらも戦闘態勢をとり、剣士二人は駆け出した。
「ガアァァァィィギャァァァァ!!」
叫ぶ〈九頭竜〉。その緋色の属性は音。再び溜めた〈竜の息吹〉を放った。
分かってしまえば何てことはない。ハオスとヤトの顔には余裕すらあった。
二人は地を蹴り、その“轟音”に向かって飛び上がる。
剣士は、下級で大木を切断し、中級で鉄すらも切り裂く。
――――〈上級剣技・斬音〉
音速を超えて放たれたその二閃は、容易に音を切り裂いた。
――剣先、『揺光』!
そして、ヤトの黒い閃刃は、寸分の狂いなく緋色の頭を斬り離した。
後方から放射された炎によって、瞬く間に燃やされ、その首は地面へと落ちた。
残り二本。
空中で迎撃したヤトは、ハオスが着地するまでの間、一気に空を駆け、メリーの元へと向かった。
着地したハオスも、急いで駆け出した。
〈法力〉をほぼ使い果たしたメリーは、すでに満身創痍だ。
まずはヤトが一本。そしてハオスが一本を抑える。そして隙ができたその頭をヤトが落とせば……。
四年間、共に戦い続けた仲間たちだ。
言葉など無くとも、作戦は決まっていた。
――これで最後だ
そう思ったハオスの目の前には、鮮血を撒き散らしながら飛んでくるヤトがあった。
「――は…………?」
とっさに右手から剣を離し、ヤトを両腕で受け止めた。だが、理解できないこの状況に、一瞬、ハオスは放心した。
腕の中には、肉を削ぎ落とされたような重症のヤト。
目の前には二本の首と戦うメリー。
そして、宙に浮くヤトの血肉。
否。それは何か壁のようなものにこびりついていた。
血肉は、何かと共に動き始める。
「そぉれいぃ!!」
後方のサカロが叫び、何かを投げた。
サカロは、錬金術師だ。
何か有用な錬金薬だろうか?
壁に当たり弾けたそれは、その不可視の壁に色を付けた。
泥のような色に染まった壁は、無色の鱗に覆われている。
竜の武器は、爪、牙、鱗、角、翼。全身凶器の竜は様々な武器を持つ。そして――
――それは九本のどの首よりも太く、凶悪な『尻尾』だった。
無色の尻尾は、目で見ること能わず。
耳なき『アカツノ』には、それが動く音を聞くことも叶わない。
何故か先端から頭が生えているその第十の頭は、その色から察するに、無属性なのだろう。
属性が無いのではない。
〈気力〉に干渉することができるのだ。
そしてこの尾の干渉の仕方は――
「――炎槍投擲!」
放たれた炎の投槍は、徐々に減衰し、尾に当たることもなく掻き消え、紫頭が溜めもなく〈竜の息吹〉を放った。
――〈気力〉の吸収である。
吹き飛ばされたメリーの元へ、遅い足を必死に動かして、サカロが向かった。
メリーには〈奇跡〉は起こせない。今すぐに解毒水薬を飲ませる必要がある。
「――|神よかの者に大いなる癒しを《ミドルヒーリング》」
どうにか正気に戻ったハオスは、ヤトを急いで癒す。だが、ハオスも上級補助の使いすぎで、〈法力〉はさほど残っていない。
もとよりメリーより少なかった〈法力〉は、メリーと同様、底が見え始めた。
満身創痍。決して戦闘ができるような状態ではない。それでもヤトは剣を構えた。
ハオスを一瞥し、次にサカロ。言葉はない。
ヤトはやはりこの状況でも、怪我などないように、走り出した。
先ほどは、迫る不可視の壁に衝突し、鱗で肉を削られた。
だが、見えるならば問題はない。
両手ともに一瞬、ぶれて見えなくなり、黒と白の軌跡は交錯しながら、〈九頭竜〉の尾を通過する。
だが、ヤトでさえもその太すぎる尻尾を切断するには至らなかった。
二本の刀によって削られたその尾は、まるで伐採されようとする巨木のようであった。
――――!?
何か閃いたのだろうか。
ハオスは、離した父の形見を拾い上げ、肉を削がれてのたうちまわる尾へ、一閃。
ヤトが削ったちょうど反対側の鱗を斬った。
「ううおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
竜にも負けぬ雄叫びをあげながら、サカロはその背に背負った戦斧を振り上げ、全身全霊をもって、振り下ろす。
ヤトが削った場所から肉を両断し、鱗に当たることなく反対側へと突き抜ける。
タロの『詠唱』が後を追う。
「――盛る火、癒えぬ火傷、燃やすは命、想いを運ぶ風を纏いて全てを滅す業火となれ――――焼き焦がす爆風ゥゥ!!」
最大火力の〈爆発属性魔法〉。
それは、いとも容易く、吸収された。
「――――――――!?」
一瞬にして、闇属性と毒属性の〈竜の息吹〉が放たれた。
迫る毒液をヤトは、水を斬る要領で切り裂いた。
だが、闇の直線上には、メリー、サカロ、タロ。
「くっ、……――|神よ我らを守護する聖なる盾をここに《ホーリーシールド》!!」
残る〈法力〉全てと神への狂信を代償として、メリーが最後の〈奇跡〉を起こす。
聖盾は闇の奔流をわずかに押し留め、砕け散った。明らかに〈法力〉不足だ。
それでも、その稼いだ時間は、値千金である。
斧を盾とし、サカロが防ぐ。
そして、キヌはタロの前へと躍り出た。
メリーとサカロが吹き飛んだが、キヌは膝をつきながらも闇を防ぎきった。
――ドンッ!
紫の頭が地に落ちる。
すぐさま放たれた火炎が断面を炙るが、すでに再生し終えた無色の尾がその威力を減衰させた。焼き尽くせていない。しかし……
「――――――業火球」
……断面を包み込むように展開された炎の球体は、減衰される前にそれを焼き焦がした。
ハオスは何とか間に合ったことに安堵しつつも、剣を構え直す。
「尾は任せるのじゃ! 黒いのから落とすのじゃ!」
キヌは無色の尾を挑発しながら、全員に声をかける。
メリーとサカロに意識はもうない。
他の三人も聴力は失っている。
しかし、意図は伝わった。
〈九頭竜〉は、ヤトをひたすらに警戒していた。
尾を除けば、全ての頭を斬ったのはヤトである。時間さえ稼げば、尾の放つ〈竜の息吹〉で確実に勝てる。
尾の持つ能力は、一定以上の〈気力〉を同時に吸収することができず、また吸収して溜め込める〈気力〉の最大量も決まっている。
つまり、吸収した〈気力〉を一瞬で溜め込み、〈竜の息吹〉とし放出する。
吸収量と蓄積量は、生えている頭と尾の数に比例するが、この〈九頭竜〉の核は、無色の尾にこそある。
尾が再生しなければ、例え九本全ての頭があろうとも死んでしまうという、この突然変異を起こした〈九頭竜〉は、自身の心臓であり、最大の切り札である尾を使い始めた。
それは絶対の確信があったのだ。
この女剣士さえ倒せば、自分の勝利は揺るがないという確信が。
黒頭は動く。
慎重に。そして確実にヤトを殺すために。
無色の尾もヤトを挟み込むように動き出す。
「ぬしの相手はこっちなのじゃ!!」
盾からうねる蔓を伸ばし、尾の動きを阻害する。
成長し続ける大樹は広範囲に渡って根を張り、キヌに不動の防御力を授けた。
キヌは、尾の動きを止め、時間を稼いだ。
黒い頭と、ヤトたちは睨み合いを続けていた。
迂闊に動けばどちらかが死ぬ。
〈九頭竜〉の頭は、尾を除けば残り一本。
しかし、満身創痍のヤト、近接戦闘ができず、自慢の〈魔法〉を掻き消されてしまうタロ、さらに〈法力〉も〈魔法力〉も枯渇し始めたハオスだ。
実力は、三対一でようやく五分か、わずかにヤトたちが劣る。
無言で、ヤトが疾走した。
右手に黒い妖刀。左手に白い霊刀。
なけなしの〈剣力〉を纏わせ、斬撃を飛ばす。
最小限の動きで避ける黒頭に肉薄しながら放つのは〈中級剣技・斬鉄〉。
鉄を遥かに越える硬度を持つ竜鱗だが、妖刀ならば容易に切れる。
すでに音速を越えて剣を振ることは叶わないが、少しずつ鱗を削っていく。
隙さえあれば両断できる。それは紫頭を落としたことで証明されているからこそ、黒頭は多少の傷は再生能力に任せて、常に警戒を続けた。
そこにハオスが加わろうとも、状況は変わらずに時が過ぎた。
牙が迫ってきた。それはハオスの持つ剣よりも遥かに大きく長く鋭い。
それを受け流しつつ、鱗を剥がしていく。
鞭のように振るわれる首は大きく避けて、動きを止める一瞬に斬りかかる。
ハオスは何度となくそれを繰り返すも、頭を切断するには至らない。
ヤトとは違い、決定力が無かった。
対してヤトは、ひたすらに警戒する黒頭の隙を見いだせないでいる。
(クソッ、もう少し……)
ハオスがさらに深く踏み込んだ。
そこへ狙いすましたかのような黒頭の牙が迫った。
――――〈上級剣技・斬音〉!!
咄嗟に放った不完全な〈斬音〉は、亜音速で黒頭の牙を切り裂き…………
――――抜け、……ない!?
…………深く食い込んだ。
迫る黒い頭。白い牙。
ギロリ、と。その目は血走ってはいないものの、ハオスを恐怖させるのに十分な殺気が込められており――――
(……ヒッ!)
――――ハオスは衝撃とともに吹き飛ばされた。




