第72話「夫婦喧嘩」
『愛』か──────。
はははー!
そんっっなもん。
───どっこにもなかったけどなッ!!
はッ!
ははッ!
はははッ!
乾いた。
それでいて、空虚な笑いが漏れるナセル。
「───お前みたいな女を愛した、俺がどうかしてたぜ……」
諦めた声のナセル。だがそんな彼に追い討ちをかける愛妻アリシア。
「や、やかましい!! お前なんて、ただの踏み台だぁぁ!!」
はっはー!
「言うじゃないか、アリシアぁぁぁぁあああ!!!」
言うね、言うね、言うね!
言うねぇぇぇぇええ!!!
「そこまで嫌われたとは、俺も落ちたものだ! はは、目が曇っていたよ、我が愛しの妻よ!!」
「黙れぇぇぇぇええ! 衛兵! 衛兵ぃぃぃいい! さっさと来いよ、ボケぇぇええ!」
ははははは。
この期に及んで、まだ他人任せか?
「────呼んでも来ねぇよ。家の周りにはドイツ軍しかいない」
「な、なにを? 衛兵! くそ、役立たずどもがぁぁあ!」
バッと身を翻すと、ベッドの下に手を伸ばし何かを引っ張り出す。
ギラギラと装飾過多なソレは、華奢な見た目に反し、ボンヤリと光る不思議なレイピアだった。
「──ほう? 魔法剣か」
「ふふん! コージがわたしに贈ってくれた護身用の剣よ! これはねぇぇえ、帝国からレンタル中の────伝説の細剣よぉぉぉお!」
シィ────!
アリシアが鋭い突きを放ってくる。
それはかつての彼女の動きではない。
冒険者時代よりも洗練されたソレ────。だが!!
キィィン!
「やるじゃないか、アリシア」
その一撃を危なげなく剣で払ったナセル。
「ふん……! 剣が魔力を吸って身体能力を向上しているのよ! そして────」
シャシャシャ──!
鋭い連撃がナセルを襲う。
「──コージが私に手ほどきしてくれたのよぉぉぉお! ベッドの上でも、どこでもねぇぇぇえ!」
らぁぁぁぁあ!
連撃連撃ぃ!
「───連撃ッッ!!」
猫のようにしなやかに動くアリシアの動きは、なるほど……並みの剣士以上。
魔法剣の効果もさることながら、コージの手ほどきも確かに適切だったらしい。
だけど、
「───少々剣を齧ったくらいで、俺にかなうわけねぇだろ!」
「黙れ! ドラゴン召喚術しか取り柄のない召喚術士ふぜいがぁぁあ────」
はッ!
「男に媚びるしか能がないクソアマにだけは言われたくはない!」
大上段からのぉぉぉおお!
「もらった!」
「貰ってねぇ、ボケッ!」
強打!!!
「あづッ!」
────ギャァァァアアアン!!!
アリシアのレイピアが、ナセルのブロードソードに上から叩き伏せられる。
さすがは伝説の細剣、へし折れることはなかったものの、強打の衝撃によってしなり、地面で跳ねる。
「いった……たた……」
ジンジンと震える手を茫然と見つめるアリシア。
キャリンキャリン……────。
澄んだ金属音を立ててレイピアが転がっていく。
「は! 大した腕前だな」
「く……! こ、」
───コージぃぃぃい!!
アリシアは気丈にも、ナセルをきっと見据えると、サッとその脇を駆け抜ける。
だがそれを見逃すナセルではない。
足をヒョイっと掬ってやると、アリシアの華奢な体が跳ねた。
「ひゃ! だッッ……」
顔面を強打しつつも、まだまだ諦める気もないらしく、ナセルを睨む。
コージは来ねぇよ……。
床に転がったレイピアを蹴り飛ばし、遠くにやるとブロードソードを肩にして言う。
「はは。お前────たいして強くもなってねぇぞ?……なんだっけ、コージに教えてもらっただぁ?」
ハッ……!
「───あのクソガキの腕は、ガキのお遊戯と変わらん。勇者としての膂力と装備が豪華だから強く見えるが、」
「な、なによ! 負けたくせに!」
ふん。
「──……あのクソガキの剣の腕前は並みの剣士以下だ。ベッドのほうがどうか知らんがな」
「く、口だけなら何とでも言えるわよ!」
ほぅ? 口だけねぇ……ま、どーでもいい。
もう、コージは俺の敵じゃなねぇ、ただの雑魚だ。
「──こ、コージ! コーーーーーージぃぃぃぃい!!」
どこかにいると思って勇者コージを呼ぶ。
まったく、どこまでも……愚かな女だ。
「コージは来ねぇよ」
「──来るわ! コージは来るわ!!」
はッ……大した自信だ。
「こねぇよ……ほれ」
キィン……と、ネックレスのようなものをアリシアに投げ渡す。
「な、なによ! こんなも────……え?」
反射的に受け取ったそれをマジマジと見る。
「あ、え? こ、これって、神の涙…………え? なんで? え?」
やはり知っていたか。
コージのことだ。装備品自慢くらいしていると思ったが……。
「あのクソガキの使用後だ。中古のお前に相応しいぜ。……くれてやるよ」
「え? え? こ、これ……もう、使えないじゃない……え?」
物わかりが悪いな。
「そうさ。都合5、6回は殺してやったよ──今も継続中だな」
「────……嘘よ」
アリシアは認めない。
認められないだろう。
最強の勇者。
勇者コージが消えるなど思いもよらない。
まさか、寝ている間に王都が壊滅しているなど思いもよらない。
教会が潰れ、ギルドが崩壊しているなど夢にも思わない。
家が燃え……。
この部屋以外は、全て消し飛んだなんて想像すらしていないだろう。
「全部嘘よ!!」
信じない。信じない!
「信じない! 信じない! 信じない! 信じない! 信じない! 信じ───」
あぁ、そうだろうさ。
俺も信じられん。
お前がこんなクソ野郎で、それを愛していた俺が信じられん。
「────えろ!」
ん?
「──消えろ! 消えろ! 消えてなくなれぇぇぇえ! 亡霊ぃぃぃぃいい!」
口汚く罵るアリシアに向かって───!
「ふっ……!」
──────ッッゴキィィイ!
「アブッ!!」
アリシアの顔面にナセルの拳が炸裂した。