第69話「君に花束を────(後編)」
───いい加減出てこい!
───クソ女ぁぁぁああ!!
癇癪紛れに壁を思いっきり蹴り飛ばすナセル。
ズガァァァアン!!と盛大な音とともに、家全体が揺れ動いたような気さえする。
くそッ!
俺を焦らすのも大概にしろよッ!
「…………まぁいい。逃げられるはずもないからな」
家の周囲はドイツ軍が包囲している。
逃げた所でどこにも行けまい。
ましてや、我が家に隠し部屋などないからな。
隠れてやり過すことも出来ないだろう。
───精々ガタガタ震えてろッ!
出てこないならコッチはこっちで、アリシア、コージといった連中のような不義理の匂いが染み付く場所を全て破壊するまでだ!!
まずはコージに貸してやった客間ぁあ。
まっっっっっっったく、興味がないのでさっさと終わらせてやる。
背負っていた火炎放射器を構えるとノズルを突き出し、コージの部屋の扉をブチ蹴り、開ける。
「……あの野郎ぉお───」
中を一目見て見れば……、まーーーーーーーーーー汚い。
人様から貸してもらった部屋だというのに、使い方が荒いの何のって。
今さらこの家がどうなろうと知った事ではないが、掃除もロクにしていないであろう部屋は何かが酸えた臭いがしている。
ゴミは床に散乱しているし、脱ぎ捨てた肌着は部屋の隅で丸くなっている。
どこからか、カッパらって来たらしい様々な武具が無造作に転がっている。
それらは、まったく手入れされていない。
まるで、子供が玩具を拾ってきて、すぐに飽きて放り出している───そんな感じだ。
(しょせん、ガキか……)
図体だけデカくなった、子供の部屋って感じだな。
臭い。
汚い。
気持ち悪い。
よって、
「汚物は焼却しないとな────……」
人様に部屋を借りたら──。
「掃除くらいしろ! クソガキ!!!!」
はい、消毒、消毒ぅぅう!!
キュバァァァアア!!
キュバァァッァアアア!!
強力な火炎が部屋を焼き尽くし、勢い余って窓枠を吹っ飛ばす。
あっという間に灼熱地獄になったコージの部屋は、瞬く間に熱線消毒されていき、コージの私物が焼け落ちていく。
どうせ奴はもうここには帰れない。
後始末してやるだけでもありがたいと思ってほしいね。
バチバチと、全ての物が燃え落ちていく音とともに、むわぁ……と、熱が押し寄せてくる。
早晩、この家もそろそろ持たないだろう。
ナセルが攻撃するたびに、ギシギシと家が軋み音を立てている。
爆発に、火災に、銃撃。
よく倒れないと元の我が家ながら感心する。
建てた大工は相当腕が良かったのだろう。
もしかすると、ドワーフの棟梁だったのかもしれない。
ま、どーでもいい。そんなこたぁ、余計なことさ。
さて、
「あと、二部屋……」
ナセルの居室と……寝室。
コージの部屋にアリシアがいる可能性も僅かにあったのだが……。
どうやら行為の真っ最中にコージは出撃していったらしい。
しっぽりしてる所に──とか言ってやがったしな。
ならばやはり、寝室にいるのだろう……。
まったく反応がないのがさすがに気になり始めたが、ここ以外にいる場所などない。
気配はあるのだが、もしかしてそれもブラフか……?
案外、ドイツ軍が攻めてくる気配を感じて逃げた?
………………まさかな。
そんなことは、ありえない。
ナセルは知っている。
いや、知っていた───。
「お前はそういう女だもんな……」
アリシア───強い男を渡り歩く女……。
かつては、ナセルの強さに惹かれた。
───かと思えば、それを上回る男にさっさと乗り換える節操のなさ。
そして、それを裏付けるだけの強さが────確かに、勇者コージにはあった。
あらゆる面で、圧倒的にナセルを超える強さを持つ男……。
金。
地位。
名誉。
若さ。
容姿。
そして、───強さ。
全てが上位互換と判断して、アリシアはナセルを裏切った。
「──ならば、コージが負けるとか、帰ってこないなんて、微塵も考えていないだろうさ……」
だからいる。
必ずいる。
そこにいる……。
ふはははは!
「今からその顔を拝むのが楽しみだ……」
あの綺麗な顔がどう変化するのだろう。
家族を殺され、奪われ、理解者を失った男。
そして、異端者となり、国から徹底的に虐げられた男がまた現れたら……───。
ふふふふ……。
「───その前にケジメをつけようか」
この家の最後の居場所───。
俺の部屋────。ナセルの居室……。
ナセルは感慨深げに、その前に立つ。
あぁ、
(久しぶりだ……)
あの日から、ここには足を踏み入れることができなかった。
そんなに日が経っていないとはいえ、扉の前に立っただけで胸に来るものがある。
異端者に貶められてから、ずっと非日常を味わっていた。
だが、この先にあるのはあの日より以前の日常だ……。
アリシアから『床』を別にしようと言われた時以来───ナセルはここで寝て、日々を過ごした。
だから、きっとあの日のまま────。
時が止まったかのように残されているはず。
そして、コージに媚びを売るアリシアがここにいることは絶対にありえない。
──あり得ないだろう。
だが、もしかして……。
そう……。もしかして、だ。
ほんの少しでも、ナセルに対する思いが残っていて、コージの不在間にこの場所でナセルを想ってくれているかもしれない──……なんてのは、甘ッちょろい考えだろうか。
でも、だ。
「だが!」なのだ。
本当に愚かしいが──────僅かに期待している自分もいて……。
(全く……嫌になる───)
ドイツ軍を召喚して以来、そんな甘い考えは捨てたはずだ。
それでも……。
それでも!!
それでも、ナセルという人物の本質は、暗く沈んだ感情の底に──確かにあるのだ。
家族の死に怒り、
リズを救いたい気持ちに偽りはなく、
大隊長の死に際に慟哭したナセル。
けれども、それがナセルの全てではないはず。
だが、もう思い出せない───。
それ以前の自分がどういう人間だったのか…………。
いや……────いい。
もういい。
俺は俺の思ったように行動しよう。
だから、
「───もし、俺の部屋にさ。アリシア……君がいれば俺は、」
……………お前を赦そう────。
裏切ったことも、コージを選んだことも、ナセルと結婚したことも、全て許そう。
過去を清算し、一からやり直して見せよう。
たとえ、どんな理由でこの部屋にいたとしても赦す。
掃除のため入ったとか、
酔っ払って間違えて入っていた、
ただ、なんとなく入った……とかさ。
────そんな理由でもいい。
どんな理由であっても。
君が────アリシアがここにいて、
ナセルの日常と繋がるこの空間にいて、
ここで、今この瞬間に、ナセルと相対したなら…………。
「お前を赦そう────アリシア」
そう決意してナセルは部屋を開ける。
最後の良心を信じ。
愛妻の中に残る僅かな愛情の欠片を信じ。
そして、アリシアの運に掛けよう。
ガチャ、
「────ただいま……」
俺の日常──────────。