最後の喰人
Side 優真
森は葉の擦れるわずかな音の他は不気味なほどの静寂に包まれていた。
時刻を確認すると八時を少し回ったところだ。
「静花、クリア条件は」
「ううん、まだ達成されてない。けど、もう少しだと思う」
静花のクリア条件は『任意のプレイヤー一名と150時間行動を共にする』こと、つまりは俺とゲーム中一緒にいることだ。ゲームの中で静花と合流できたのは一日目の昼間、それから俺を任意のプレイヤーに指定したので、大体一日目の午後四時くらいだったと思う。とすれば、静花はあと二時間程度でクリア条件を達成、一足先にゲームから解放されるはずだ。
「静花、何度も言っているが先にクリア出来たならすぐにゲームから脱出するんだ。俺のことはきにするな」
おそらくゲームをクリアした時点でプレイヤーの意志を問わずにゲームからは退場できるはずだが、心優しい静花はそれを拒否する可能性があった。それはひとえに俺という存在が足枷になっているのだろうが、これだけは絶対に静花には守ってほしい俺の唯一の我儘だった。
「うん、わかってる。だから、今のうちに優真くんも時間まで隠れられる場所を探しておこう? じゃないと、私もクリアするにしきれないから」
「……だな」
長い付き合いだからこそ、静花の言葉が嘘じゃないことは分かった。恥ずかしい話だが、静花なら俺の無事が確認できるまでは絶対にゲームを退場しないだろうということはハッキリと理解できた。こうなれば静花はてこでも動かない。
しかし、油断する気もなかったが、なにせ初日と比べ総プレイヤー数が激減していることもさることながら、恐らくは喰人サイドのプレイヤーも既に一名は脱落しているはずだ。当然、喰人サイドのプレイヤー数を計ることのできない俺たちに確証はないのだが、そうでもなければ、これほどまでに俺たちが順調に森に身を隠すことが出来ているのが、あまりにも“出来過ぎている”。少なくとも喰人の一人である金木は、それほど簡単に御すことのできる相手ではないだろう。
「もしくは、あいつ自身がやられたか……」
昼間に出会った最悪のプレイヤーの末路を考え、途中で思考を遮る。決めつけは命取りだ。あくまでこれは俺の“推測”かつ“願望”であり、確証はどこにもないのだ。ならば今は、あらゆる可能性を考慮して行動することが最も俺たちの生存率を上げるはずだ。
残りプレイヤー数は五人。その中で少なくとも村人サイドのプレイヤーは二人、流石に残り三人全員が喰人とは思いたくないものだが、最悪の想定はしておいた方が良いのかもしれない。
そもそも、『賞金稼ぎ』の存在からも、村人サイドの人間全員が味方とは限らないのだ。
一陣の風が木々の間を通り抜け、俺と静花の髪を揺らした。
……これも、『戦士』になったことによる恩恵なのだろうか。その風に運ばれて届いた僅かな気配を俺は敏感に察知することができた。
「静花――――いる」
「え?」
「敵だ」
俺は友樹の魔剣の柄に手を添えると、油断なく辺りを見回した。
地面には短い草しか生えておらず動きやすいとはいえ、全方向に木々がそびえているために相手はどこからでも仕掛けてこられそうだった。
静花の魔法は先ほど回復して一回分は使える。しかし、発生まで多少のタイムラグを必要とする静花の魔法は奇襲に対する防御としては有効とは言い難い。
構えた俺を見て、向こうも存在が認知されていることに気づいているだろう。相手はより警戒して、じっくり隙が生まれるのを窺っている。今の俺には相手の心、考えていることが手に取るように分かる。まるで自分の体から意識が離れ、上空から全てを俯瞰しているような気分だった。
「……」
そのまま一分、二分と時間が過ぎた。向こうはかなり慎重なタイプのようだ。とすると金木の可能性は低い。斉藤悠馬か、他の喰人か。
このまま見合うかどうか考えた俺は、試しに少し釣ってみることにした。
「そこだっ!」
俺は後方にあった木に向かって接近、抜刀と同時に切り倒した。
すさまじい切れ味とさらに強化された腕力で、木はたちまち倒れた。
木の先にはもちろん誰もいない。そのとき、殺意と共に発砲音が聞こえた。
俺は振り向きざまに一閃。飛んできた銃弾三発を全てたたき切った。
「っ……!?」
息を呑む音とともに消されていた気配が揺らぐ。見つけた。
「はっ!」
再び跳躍した俺は、その気配に向かって斬りかかった。木に隠れていた相手は、慌ててそこから飛び出した。隠れていた木ごと切り伏せる俺の狙いに気づいたようだ。
派手な倒木の音を背後に、俺はついに相手に向かい合った。向こうの顔は夜の闇よりも深い深淵に隠れ分からない。間違いない。喰人だ。
格好からして女性、しかも俺たちと大した歳が変わらないだろう。つまりは初日会ったメンバーの誰かである可能性が高い。俺はその顔を思い出しかけ、そしてやめた。ここで余計な感情を持ち込んで剣を鈍らせるわけにはいかない。
喰人の武器は大型銃のみ。接近戦に持ち込めば今の俺なら喰人であろうと勝てる――
刹那の間時間が止まる。その時間を動かしたのは俺だ。
「ッ」
躊躇なく一直線に向かってくる俺に対し、喰人もすぐさま照準を合わせ発砲。しかし、着弾するときには俺はもうそこにはいない。
喰人の呼吸が分かる。引き金を引くタイミングも、瞬殺を狙うべく俺の頭に照準を合わせていることも。
「な……どうして!?」
しかし、喰人の攻撃が当たることはない。全ての銃弾が目視できる。そしてそれを見てから躱すことさえ今の俺ならば可能だ。ほとばしる高揚感。漲るアドレナリン。右手に持つ魔剣の影響か、今の俺は敵を気遣う甘えを捨てることができる!
「シッ!」
遂に喰人を射程圏内に捉える。慌てて喰人も銃口を向けるが引き金を引く前に倒すッ!
「……ふ」
そのとき、喰人の口からわずかに呼気が漏れた。それは、笑い?
次の瞬間、喰人の持っていた銃の銃口の下、右手に手を添える辺りから突然刃が伸びた。まさか、銃剣!?
「これで終わり!」
勝鬨を上げる喰人の刺突は直線距離な分俺の袈裟斬りより早い。
心臓に吸い込まれるようなまさに必殺の一撃。それを俺は――――
「う、そ……」
銃剣が皮膚を突き破り骨にまで達するほど奥へと突き刺さる。
しかしそれは俺の心臓部分ではなく、咄嗟に出された左腕に、だった。驚き硬直する喰人の右腕を俺は握った銃ごと叩き斬る。
悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる喰人。体から殺意が消え、失った右腕の付け根を左腕で抑える。
勝負は決した。それを感じ取った静花が後ろから駆け寄ってくる。
「優真くんっ、左腕が!」
「ああ、平気だよ。それより――」
足元に蹲り、やがて嗚咽を漏らし始めた喰人を冷たい目で見下ろす。
すると、喰人の顔にかかっていた靄が晴れていき、弱い月明かりの下にその素顔が露わになった。
信濃柚希。その少女の名前を俺は小さく口にした。彼女はしくしくと泣きながら肩を震わせた。まるで自分が世界で一番不幸だとでもいうかのように。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。死ぬのが怖くて、誰かを殺せば助かるって、心の弱さに負けてあなたたちを襲いました……ごめんなさいごめんなさい」
「優真くん……」
静花が俺の服の裾を握った。心優しい彼女が言いたいことは分かる。俺も襲われるのではなく、最初にこういう態度をされたら戸惑っていたかもしれない。
だが、今の俺は違った。
「――――下手な演技はよせ」
「え……」
驚きの声を上げたのは静花だ。柚希は俺の声など聞こえていないかのように肩を震わせ、涙声で謝罪を繰り返す。規則的に。
「一度戦えば相手がおおよそ何を考えているのかわかる。お前はさっき積極的に俺たちを殺そうとした。しかも最後に切り札を隠しておくほどに周到的に、だ。そんな理知的に戦ったお前が今更泣き落としをしても俺はなびかない」
俺は剣を振り上げる。静花は何かを言おうとしたが、思いとどまってぎゅっと唇を引き結ぶ。
いつの間にか鳴き声は止んでいた。柚希は凍えるように肩を震わせ――今度こそ本当に震えながら、足元にへたり込んでいた。
願わくば、これが最後の罪になりますように。
剣が肉を突き破り、血しぶきが舞った。
「……かふっ」
「え……?」
右手を上げたまま俺はゆっくりと振り向いた。
静花は茫然とした瞳で自分の胸元に目を落とした。彼女の豊かな双丘からは、それと不釣り合いな鈍く光る刃が顔を出していた。
「――やっぱり、今の天道くんでも自分への殺意は分かっても、他の人への殺意には反応できなかったみたいだな」
「お前……」
静花の背後、ナイフを突き刺した悠馬が無表情でそう言った。視界が白黒に明滅する。足元が液状化したみたいに不安定になる。静花が再び吐血した。それで世界は色を取り戻した。
「お前ェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッッ!!」
俺が襲い掛かる刹那、悠馬は自分の左手――静花で死角になっている腕を小さく動かした。
次の瞬間、静花の体の内から出現した幾つもの風の刃が俺の体を切り刻んだ――
読んでいただきありがとうございます。
あと少し……もう少しです……。




