ユウマ
「……金木」
「生きていたのか、と言いたげだね、その顔は」
僕の表情を見て金木はしたり顔でうなずく。
まるでそちらの考えは全てお見通しだとも言いたげな態度だ。彼が教員のときは何とも思わなかったであろう態度だが、今の僕にとっては無性に腹が立つ行為だ。
「お姉ちゃん!」
隣であずさが悲痛な声を上げる。妹の呼びかけにひよりは反応しない。気を失っているだけなら良いが、あるいは……。
「大丈夫だよ、あずさ君。ひより君は生きてる。今はまだ、って言葉がつくけどね」
くつくつと、さもおかしそうに金木は笑う。しかし、笑う度に彼の体は風にあおられたかのようにふらつく。奴がそこまで弱っているのも当然だ。金木の体は右腕がなくなっていた。
一応簡単な止血はしているようだったが、専門的な手当てがされているようには全く思えなかった。回復薬も持っていなかったらしい。土気色になった金木の顔は、まるで墓場から起き上がって来た亡者のようだった。
「……あんた、そんなことしている余裕あるのかよ。その体、そんなに保たないように見えるけど」
こんなことしてる暇あったら回復薬でも探して来いよ。
言外にそう言ったのだが、金木は出来の悪い解答をした生徒を前にしたかのようにやれやれと首を竦めた。
「君は一時でも僕と共闘していたのだから、もっと僕のことを分かっていると思ったんだけどねぇ――あのね、今更僕が命を惜しむとでも思っているのかい? 人間、どのみちいつかは死ぬんだ。むしろ、死期がはっきりしているなら、全力で今を楽しむことが出来るってもんだよ」
やっぱりこの男とは相容れない。ここで命を繋げば、彼の言う楽しいことを続けられるということになぜ気づかないのか。
「この人……狂ってる」
隣であずさが呟く。あずさからすれば、彼の思考回路そのものが理解できないだろう。金木も理解されるとは思っていないようで再び肩を竦めた。
「まあ理解されたいわけでもないから良いんだけどね……。それより、いい加減、始めていいかな? 見ての通り僕にはあまり時間がないんだ」
「ひよりを返してほしければ回復薬を渡せ、てわけでもないんだろ?」
「もちろん。僕の要求はこうだ――あずさ君、お姉さんを殺されたくなかったら、隣にいる悠馬君を殺すんだ」
「ッ……」
とことん下衆な男だ。あずさの肩が小さく震えるのが視界の端に見えた。
「別に悪い話ではないだろう? 斎藤君と君のクリア条件は完全に競合している。これを機に危険なプレイヤーは排除しておいた方が良いと思うけど」
「おい、そもそも僕が黙って殺されると思ってるのか?」
「動けないよ、君は。非情になりきれない。そういう人間だ」
「……まるで僕を知っているような口ぶりだな」
「その通りだよ。今の僕には悠馬くん、君の考え方が手に取るようにわかる」
次に金木が紡いだ言葉は、僕を金縛りにあったかのように硬直させた。
「だって、さっき会ったからね。君の製作者さんに」
「――なに?」
一蹴するのは簡単だった。自分を動揺させるためのブラフだと。しかし、僕は反射的にそれを否定することができなかった。それはあの日――一度僕が殺され、生まれ変わったときから、ずっと心の根底にへばりついていた疑問の核だったからだ。
黙った僕の代わりに質問したのはあずさだった。
「製作者……? なにわけわからないこと言っているの! それよりも早くお姉ちゃんを――」
「あずさくんだって知りたくないのかい? 彼、悠馬君の製作者っていうのは、このゲームを、カニバリズムゲームを作りだした張本人でもあるんだよ?」
「なっ……」
絶句するあずさの反応を見て満足気に笑う金木。
あずさにとって目下の最優先事項はひよりを奪還し、回復させることだ。しかし、その目的さえも一時的に失うほどのインパクトが金木の言葉の中にはあった。
「それってどういう……」
「言葉通りの意味だよ。今の悠馬くんがゲーム開始当初の、君を守ってくれた優しい斎藤悠馬くんでないことは君にだってわかっているだろ? それはなぜかというとね……、彼が一度死んだとき、斎藤悠馬という人格の上から、さらに運営側の手によって作られた新しい人格、ゲームクリアのためなら手段を選ばずに合理的な選択をする“ユウマ”を、元あった人格の上に上乗せしたからなのさ」
あまりにも突飛な話だった。
しかしこの話に、僕は心のどこかでひどく、当たり前のように事実として受け入れている自分を悟った。
自分が“あの日”から何か、決定的に変わってしまったことは自覚していた。それを疑問に思うことはあったが、今はゲームをクリアすることが先決だと考えないようにして過ごしてきたが、金木の話を聞いた後は、ストン、と驚くほどに納得してしまった。
むしろ、金木に噛みついたのは僕ではなくあずさの方だった。
「そ、そんな話、誰が信じると思ってるの!」
「もちろん、根拠もなきゃこんな話はしないよ。僕は嘘が嫌いだからね――」
そうして彼が取りだしたのは、自分の端末だった。
「さっきは悠馬くんにああは言ったが、僕だって簡単に命を捨てるのは惜しかったからね。しばらくは回復薬を探していたんだ。だが、そのとき僕は、奇しくも見つけてしまったんだよ。自分の命なんてどうでもよくなるようなものをね」
金木が言葉を切ると、僕と、そしてあずさを見る。僕たちが無言で先を促していることが分かると、彼は満足そうにうなずき、
「電話番号さ。君たちプレイヤーの端末に、じゃない。このゲームを運営している“管理者”のね」
「……!」
隣であずさが息をのんだ。
先ほどから金木の言っていることはあまりにも荒唐無稽な話ばかりだ。しかし、彼の弁舌の巧みさ故か、それが不思議なほど全く嘘には感じられない。僕に至ってはそれだけが理由ではないのは確かだが。
「彼ら、僕にはどうすることもできないと分かっているからなんでもぺらぺら教えてくれたよ。このゲームの手品みたいな超常現象の類もすべて合点がいった。いや、考えてみればそれくらいしか可能性なんてないものだったけどね――」
「そ、それって一体――」
「いや、別に教えてもいいんだけどね? お互いそんなに時間に余裕があるのかな?」
「ッ!」
そこであずさは切羽詰まった現状を思い出したように歯を噛みしめた。金木が抱えるひよりは未だにピクリとも動かない。
「ほら、終わったあとならなんでも話してあげるから、早く隣にいる悠馬くんを殺してくれたまえ。ああ、さっきも言った通り、彼じゃあ絶対あずさ君を殺せない。安心して殺りたまえ」
「さっきから黙ってればペラペラと……!」
僕は腰に提げてあった呪いの鎖を解き放つと、瞬時に金木に狙いを定める。
「ふん――」
僕の手から鎖がまさに放たれようとしても金木の顔から余裕は消えない。
そして、抱えていたひよりの首を猫をつまむかのように持ちあげると、見せつけるかのようにこちらに突き出した。
「君が攻撃した瞬間、この首をへし折るよ」
「――」
金木の言葉が冗談なんかではないことはすぐに分かった。そのうえで僕は、鎖を投擲しようとした。
だが――できなかった。頭は体に攻撃命令を出し続けている。しかし、それに反するように体の方はぴくりとも動かなかった。
――なぜだ、なぜ動かない……!
「……ふふふ……あははははは!」
そんな僕を、金木はさも可笑しそうに笑った。
必死に立ちあがろうとするも転んでしまう赤ん坊でも見るようにその瞳は不気味なほどに慈愛に満ちていた。
「……悠馬くん。僕はこれでも君のことは評価しているんだよ。美学はないが、ゲームをクリアするためならどんなことでも辞さないという精神性も共感はできなくとも理解はできる。けどね、生憎君の精神性はそうでも、体はそうはいかないんだよ」
「……?」
「君の今の自我、精神こそはゲームの運営によって作られた人格だけど、体の方はそうじゃない。君の中には今もなお、元の“斎藤悠馬”の人格というのがわずかに、そう、“本当に彼がしたくない行動を抑制する”くらいの力は残っているみたいなんだ……ここまで言えば、わかるよね?」
「――――ッ」
その瞬間、僕はすべてを悟った。
そうか、だから僕はあずさを――
「さぁ、あずさくん。見ての通り悠馬くんが君に攻撃することはない。姉のひよりくんのため、遠慮なく殺したまえ!」
「あ、あずさは……」
「さぁ!」
首を振るあずさは、金木はひよりの首を掻き切るジェスチャーを見て肩を震わす。胸元から伸びたうなじなど青白いを通り越して透けてしまいそうなほどだ。
「ッ!」
じんわりと、ひよりの首から鮮血が滴った。
金木が軽く振るった手刀で、ひよりの首が浅く切り裂かれたのだ。
時間はないよ。
無言でそう訴える金木に、ようやくあずさも震える手で拳銃を握り、僕に向き直った。
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