怪物
「――良かった、それじゃあクリア条件の競合の件は大丈夫みたいだね」
僕がクリア条件を話すと、金木はそう言って心底ほっとしたように息を吐いた。
確かにクリア条件が競合していないことは良かった。しかし、お互いのクリア条件を見れば、ほっと安堵するような生ぬるい内容ではないだけに、その仕草とのアンバランスさが余計際立ってみえた。
「ちなみに斎藤君の役職はどっちなんだい?」
「役職が変わっても村人サイドのままでした。ですから先生がクリアするには、依然として村人サイドのプレイヤーを三名以下にしないといけないわけですね」
「うん、なんでだい?」
「え」
意外なところで食い違いがあって驚く。
喰人サイドが喰人二人、狂人一人という構成ならば、金木の『村人サイドのプレイヤー数を喰人サイドのプレイヤー数以下にする』というクリア条件を満たすためには、村人サイドの人数を三名以下にしなければならないはずなのだが……。
「ああ、そうか。君はこのままゲームが順調に進んだときの話をしているんだね? でも、それは喰人サイドのプレイヤーが一人も脱落しなかったらの話だろう? でも、もし喰人サイドで他に脱落者が出た場合、それだけ村人サイドを追加で削らなきゃならない」
「ああ、そういうことですか」
その可能性についてはもちろん僕も考えていた。
しかし、次に金木の発した言葉は、僕の全く予想していなかったものだった。
「うん。それに狂人は脱落させるから、どのみち最低でも二人以下にしなきゃ僕はクリアできないことになるね」
「…………は?」
何を言っているのか、本気で理解できなかった。
しかし、金木は今の話をなんでもないかのように話を続ける。
「だから、もし僕の相方がヘマして脱落しない限りは、君と、あと一人分だけ余裕があるってことだね。今生き残っているプレイヤーの中で、誰か特別見逃した方がいい人はいるかい? 非常事態のときは保証できないけど、なるべくその人だけは襲わないように注意することくらいは――」
「ちょ、ちょっと待ってください! 先生、さっき喰人サイドのプレイヤーが一人脱落するって言いましたか!?」
「うん、正確には脱落させるんだけど」
「どうしてですか! 同じサイド同士のプレイヤーならクリア条件が競合することもないでしょう!」
「うーん、それはそうなんだけどね……」
金木は頭を掻くと、少し言い辛そうにこう言った。
「あの子、あんまり得意じゃないんだよね」
それはあまりにも自然に、当たり前のように紡がれた言葉だった。
これがクラスメイトなどに対するただの感想だったら良かっただろう。しかし、それで、それだけで他人を殺す理由になりえるのか? ましてや、そのプレイヤーを脱落させれば、自分の生死にも関わってくるのだし、それが分からない金木でもないだろう。
今まで多少の紆余曲折はあったものの、ゲーム開始時から僕は一貫してゲームをクリアするために合理的な行動を取ってきたつもりだし、その自負もある。だからこそ、「得意じゃないから」という曖昧な理由だけで自分を不利な立場に置こうとする金木のことが全く理解できない。僕は急に、目の前の男と手を組んだことは失敗ではなかったのかと思い始めた。
それに気づいたわけでもないだろうが、金木は慌てて訂正を入れる。
「あ、もちろんそれだけが理由じゃないからね。その子、喰人のために一応行動はしてくれるんだけど、なんていうか……特定のプレイヤーへの執着が尋常じゃないんだよね。そのせいでイレギュラーな行動を何回か起こしてるし、ここで不安要素を摘んでおけば一石二鳥かなあとかも思ってたり」
「…………そうですか」
「うわーすごい冷たい目。この理由じゃ不服だったかい?」
「詳しいことが分からないので何とも言えませんが、正直先生と組むのは失敗だったかなと思い始めてます」
「正直すぎるよ……」
結構凹んだようで、金木は痩せた顔に苦みを持たせた。
「ただ、相手を聞いたら、君も今僕が言ったことに納得してくれると思うな。なんてったって、君が一度死んだ原因を作った張本人だから」
「…………言っておきますけど、私怨で自分が不利になるようなことは僕は絶対しませんよ」
「君は大人びてるなぁ。そんなんだと人生愉しめないよ?」
「余計なお世話です」
くつくつと笑う金木。彼は一体何を考えているのか。僕は底の見えない目の前の男が不気味で仕方がなかった。
「まあ分かったよ。それじゃあこの話は無かったことにして、別の用事を片付けてしまおうか」
「別の用事?」
立ち上がった金木を見上げると、彼は軽く腕を回した。
「うん。何かに使えると思って生かしておいたプレイヤーなんだけど、特に使い道はなさそうだから始末しようと思ってね――所詮はどのプレイヤーにとっても邪魔にしかならない『賞金稼ぎ』だ。僕が殺しちゃっても誰も文句は言わないだろうさ」
「ッ!」
そのときだった。
遠くから空気を裂くような音がすると、何かが高速で飛来した。
咄嗟に鉈を持つが間に合わない。音は、金木の背中めがけて一息に迫ると、
「ん」
振り向いた金木に難なくキャッチされた。
「――――」
誰かが遠くで息を呑んだのが分かった。
金木は掴んだ矢をしげしげと眺めると、
「矢を泥と土で黒くして、夜に紛れるようにしたのか。うん、良く考えているとは思うけど、僕が『夜目』のスキルを持ってるのは知らなかったようだね」
「せ、背中を狙ったんだぞ……」
遠くから聞えて来た声は震えていた。
それには答えず金木は肩を落とす。
「もう分かってはいたけど、自分で居場所を伝えてどうするのさ。今君がすべきは、必死に僕から逃げることだと思うけど」
「……ッ!」
物陰から飛び出し、弾かれたように駆け出した人影。
それを金木が笑って追う――かと思われたが、意外にも走りだす素振りはなかった。
「え、追わないんですか?」
「あの程度なら放っておいて大丈夫さ。それに、今の僕はしばらく何も食べてないせいでかなり消耗しているからね。ここで余計な体力を使いたくないんだよ。何なら、君が倒してきてもいいけど?」
「…………いえ、やめときます」
僕にはあの男が弱いようには見えなかった。超聴力をすり抜けて潜伏していたこと、黒塗りされた矢、逃げていく速度、どれをもってしても油断できる要素はないし、下手すれば、追撃して返り討ちに遭う可能性すらあった。
先ほどの奇襲とて、僕ならば怪我を負っていた可能性が高い。それだけで脱落するとも思えないが、あれを片手で難なく掴むことは僕には到底できない芸当だった。
「そっか。まあ泳がせてれば、彼が一人くらいなら始末してくれるかもしれないしね――それじゃあ、そろそろ休もうか。君は今日ここで寝るかい?」
毛布くらいなら用意するけど、と言った彼は実際に大きな背嚢の中から毛布を取り出すと一つあくびをした。本当に寝るつもりらしい。あんなことがあった直後に、だ。
「…………いえ、お気持ちだけ受け取っておきます。明日の午前七時に、またここに来ますので」
「あ、そうかい。分かったよ」
おやすみ、と金木は毛布をゴザ替わりにして横になった。
こちらに背中を見せて横たわった彼だが、今僕が襲い掛かっても、不思議と勝てるような気持ちが全く起こらなかった。
――化け物め。
僕は踵を返すと、金木から遠ざかるべく歩き出した。
今はとにかく、彼から少しでも距離を置いて休みたかった。
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