最悪のプレイヤー
――どういうことだこれは!
クリーム色の壁を叩くと、モニタールームの一同が沈黙する。
彼らはゲームの観測、データ収集が目的であって、プレイヤーの人選を担当していなかった以上、これが八つ当たりだということは私自身も分かっている。それでも、目の前で起きた衝撃的な映像は、黙して一人で抱え込むには重すぎる内容だった。
「驚いた。人事部がまさかあんなプレイヤーを用意していたとは……」
いつものアルカイックスマイルは影を潜め、本気で驚いているらしい彼の顔など初めて見たが、今はそれどころではなかった。
――呑気にしている場合ですか! あんな化け物がいればゲームなど成り立たない! “あいつ一人で他を全部殺せますよ!”
彼はしばらく考え込む素振りを見せたが、再び口を開いたときには、再びあの真意の読めない笑みを浮かべていた。
「いえ、むしろデータ収集にはちょうど良い。私の作った“ユウマ”はエゴ、いわば自分が生き残るために合理主義をとことんまで追い求めるように“設定”してある。そのユウマが、あんな化け物を前にしたとき、どんな行動を取るのか……興味深いとは思いませんか?」
一言で言えば、なんだこれ、である。
「この……ッ!」
いくら目が慣れても、今日の夜は相当暗いはずだ。
投げれば獲物をめがけて駆ける鎖を、男はギリギリまで引き付けてから体を捻って躱し、後ろの木に先端を食い込ませる。
それで一瞬動きが止まった僕へ向かい一直線、男の脚力は人間離れしており、やはり相手が喰人なのだと確信させるには十分な速度だ。
だが、ここまでの戦闘で彼が接近戦を選んでくるのは分かっていた。彼がこちらに駆けてきたのと同時に、僕は鉈を逆手に持って投擲する。あの速さで突っ込んでくれば、向かって投げられた鉈の相対スピードの相当なものになっているはずだ。普段の体ならともかく、一時的に向上しているだけに過ぎないその脚力では、その速さに動体視力が対応できないだろう。
だが、それを男は避けた。避けやがった。多少バランスは崩したものの、かすり傷一つ負っていない。掠りさえすれば、確率で破壊の鉈の効果が発動し、傷口が一気に広がると期待したのだが。
「お」
男が意外そうな声を上げた。何故なら、鉈を投擲した直後に僕も走り出し、男が鉈を避けたときには、既に僕は彼の目と鼻の先にいたからだ。
何か武器を隠していようが、この距離とタイミングでは間に合わない。がら空きになった男の鳩尾を、ふり抜くような勢いで拳を叩き込む。
「は?」
気づけば宙を舞っていた。僕が。
受け身はなんとか間に合った。体勢を即座に整え立ち上がるも、今起こったことが信じられない。
何故、あのタイミングで僕が投げ飛ばされるんだ?
投げた鉈は僕の手の届く範囲にはない。ならば、と再び鎖を投擲するが、それを当たり前のように奴は躱し、攻めに転じる。
――今だ。
男の蹴りを受け止めた腕が軋む。凄まじい威力だ。しかし、それを受け止めただけで投げた鎖が踵を返し、男の頭を狙うまでには十分な時間を稼ぐことができた。
男の後頭部を狙った完全なる死角からの一撃は、しかし彼は見えているかのように首を逸らすだけで躱す。
だけでなく、顔の横を風を切る速度で通過した鎖を難なく掴むと、しげしげと物珍しそうに覗き込む。
「追尾機能があるのか。つくづくこのゲームは常識が通用しないね」
「あんたこそ……一体どんなとんでもスキルを持ってるんだよ……」
「おっと」
男が掴んでいたのは鎖の前方だったが、先端ではない。動きを封じられた呪いの鎖だったが、掴まれた先の僅かなリーチを活かし、再び反転して彼の頭を狙うが、それも躱されてしまう。
いくら身体能力が高い喰人とはいえ、この反射速度は異常だ。そのうえ、死角からの攻撃にも対応されるとなれば、残るのは――
「ッ!」
「へぇ」
鎖を放り投げ、単身で突っ込んできた僕を見て男は嗤う。小手調べとばかりに放ったローキックは、膝を立ててガードされ、逆に僕が苦痛に顔を歪める結果となる。
怯んだ隙を見て、今度は男が攻撃を仕掛ける。蹴りの間合いから飛び出すような勢いで拳を放ってくる。なんとかそれを腕でガードすると、逆にその腕を両腕で掴むと、男の突っ込んできた勢いも利用して背負い投げに持っていく。
「――!」
背負った男の雰囲気が変わったのが分かった。それでも、ここまで来たらどうしようもない。
事実、投げは見事に決まり、男も受け身こそ取ったが、多少ダメージは入ったようだ。地面に叩き落す際に威力を軽減させないよう、途中で腕も放したせいもあるだろう。
男の顔をそのまま踏みつけようとするが、転がってそれは躱される。距離を取り、立ち上がろうとした男に向かって、僕はソレを蹴とばした。
「!」
僕の足元にあったのは、先ほど捨てた鎖の先端。普通に蹴っただけでは、男に届くはずもなかったが、僕が標的を定め、蹴りで初速さえ与えてやれば、あとは自律して飛んでいく。
狙いは奴の腹部。体の中央にある分避けづらい部位だ。それを男は四つん這いになり身を限界まで低くすることで避けたが、想定内だ。あれを躱せるとしたらその体勢になるしかないよな……!
「おおっ!」
体に力を入れれば人体とは自然に声を発するようで、渾身の蹴りを放った瞬間、僕の口からは裂帛の気合が漏れた。
僕の声に反応して、男がこちらを向くが、すぐさま後ろからUターンして戻ってくる鎖の存在にも気づく。四つん這いの状態で前後からの挟撃。これが決まらなければ今僕はこいつには勝てないだろうさ。
「ッ!」
男は全身に力を込めると、両腕と両脚を使い跳躍した。
え、と僕は声が漏れた。
まるでバッタのように真上へと飛んだ男の高さは丁度170センチの僕と視線が合うくらい。あの体勢でそこまで飛んだ男は、更に体を回転させると、
「――シッ!」
右足の足刀を伸ばし、回転した勢いで僕と鎖、二つを同時に蹴り飛ばした。
有りえない、とかそんなことを考えている余裕すらない。奴の足刀はあれだけの状況にも関わらず、正確に僕の顎を打ち据えていて、視界が一気に覚束ないものになる。
流石に後退せざるをえず、数歩引き下がると、傍に落ちていた鉈を拾い上げる。それだけでも頭がふらつくあたり、ダメージは深刻なようだ。
「今のは驚いたよ」
まるで生徒の解答を褒める教師のような口調で男は言った。
なんだこれは。
やっとまともな思考を取り戻したときに僕が思った最初の言葉がこれだ。今の僕では到底勝ち得る要素が見当たらない。
確かに、今まで会った相手は全て村人サイドのプレイヤーで、目の前の喰人がそれらとは一線を画した役職であることも分かる。だが、この男は今まで会ったプレイヤーとは、そう、次元が違う。
戦闘能力だけでこれほどの力を持っていれば、戦士や聖職者が相手でも、倒すことが容易いだろう。それにも関わらず、なぜこんな化け物が未だに行動を起こしていないのか。
「戦闘能力は申し分ない。先ほどの追い詰め方を見る限り、頭も悪くない。あと確認したいところといえば……心かな」
その途端、男から途方もない殺気が放たれる。おおよそ普通の人間が放てるような生易しいものじゃない。そこで僕は、ようやく彼が最初に言った「試す」という言葉の真意に気づいた。
意図を察した僕は、溜息を吐き、肩を竦めると男から殺気も消えた。
「これで満足ですか?」
「本気の殺気にも臆することがない……うん、出来過ぎて多少可愛くないくらいだけど、合格かな。人が変わったようだとは思っていたけど、本当に別人みたいだね」
「それを言うならあなたの方もですよ――金木先生」
「……ははっ」
男は携帯を取り出すと、何かを操作して身に纏う影を霧散させた。
そして現れた人物が予想通り、浦星高校の教師、金木亮だったことに乾いた笑みを浮かべた。
「それで、喰人の先生が僕に何の用ですか?」
「うん、実は手を組める人を探しててね――斎藤悠馬くん。きみ、僕と手を組まないかい?」
そうして金木は笑みを浮かべた。
見た人がほっと安堵するような、恐ろしくなるくらい優しい笑顔だった――
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