狩り
Side 将人
陽が沈み、厚い雲のせいでいつもより暗い林の中を歩き続けてかなりの時間が経った頃、遂に遥香が音を上げた。
「ごめん……そろそろ限界……」
「……分かった、少し休憩しよう」
昼間から歩き通しで、将人にも少なくない疲労が溜まっていた。
そうして足を止め、二人が座り込もうとしたとき、後方――それほど近いわけではなく、されど決して遠くはない距離から、金属のぶつかる音が聞こえた。
「ッ!」
将人と遥香は同時に下ろそうとしていた腰を上げ、音の方向に杖を向ける。
二人の間で高まる緊張感、しかしそれとは裏腹に一分、二分、三分経っても、音の先からは何も姿を現わさない。
そうして二人が再びほっと息を吐けば、またあの音――鎖が擦れてぶつかり合う音が聞こえてくるだろう。昼間からずっとそうだ。二人が休憩を取ろうとすると、まるで見透かしたようなタイミングで後ろからあの音が聞こえてくるのだ。まだ明るかった頃は、それもそれなりに遠いところから聞こえてきたものだが、夜になってからは、その音も段々近づいてきているようだった。
明らかに将人たちはあの男に未だ追われている。しかし襲撃されることはなく、ただただ「ここにいるぞ」と示すかのように聞こえてくるあの音が、二人の体力、そして心までをも蝕んでいた。
隣で遥香が深く息を吐いた。途端、また「ジャラリ」と奥で鎖がぶつかる音がした。
「ああああッ、もう来るなら来なさいよ!」
突然叫んだ遥香が、音のした方向に向けて突然魔法を――風の刃を打ち出した。
風の刃は途中にあった枝を切り裂き、闇の中へと消えていくが、もちろんその先から何の反応もない。将人は思わず声を荒げていた。
「バカ野郎! 無駄撃ちすんじゃねえ!」
「うるさい! 私の勝手でしょ! それに、昼間からずっとこうやって追われ続けておかしくなりそうなの!」
気持ちは将人にも痛いほど理解できた。しかし、それでは斎藤悠馬の思う壺だ。
「お前だって分かってるだろ! それがあいつの狙いなんだよ!」
「でも……だって……ッ!」
悔しさか、恐怖か、いつしか遥香の目尻には様々な感情を含んだ涙が溜まっていた。
それを見て将人は改めて追跡者に恐怖する。斎藤悠馬は、学校ではどう見ても気の弱そうな大人しい生徒にしか見えなかった。ゲーム序盤で会った時も、気の弱さこそ多少薄らいでいたものの、本質はそれほど変わっているようには見えなかった。
しかし今はどうだ。正確に追跡を続けながらも決して襲撃してくることはせず、暗闇という視覚的な恐怖、そして音という聴覚的な恐怖を最大限まで引き出し、ただ将人たちが弱っていくのを待っている。まるで百戦錬磨の猛獣の狩りのようだ。彼のどこにそんなものが眠っていたというのか。やはり、それは遥香が見たという彼の死と関係しているのか、いやそもそも、将人たちを狙う奴は、果たして本当に斎藤悠馬なのか……。
「ひっ」
遥香が引き攣った声を上げる。金属音が、これまでよりずっと近くで鳴ったのだ。
見れば、遥香はもう限界だった。かろうじて音の方向に杖は向けているものの、その先端は細かく震え、歯の根もカチカチと音を鳴らしている。明日になれば、ひよりと合流することが出来るのだが、それまで遥香……いや将人自身もこの恐怖に耐えられる自信はなかった。
ここで腹をくくるしかあるまい。不利なのは明らかだが、ここで反撃にでなければジリ貧になる一方だ。幸い、魔法自体はお互いまだ残っているので、ここでそれを全て使ってでも、奴を追い払わなければ――
「…………あれ?」
隣で遥香が声を上げた。
「なんか……おかしくない?」
「…………ああ、気配が、消えた」
見えずとも、先ほどまで確かに感じていた視線、追手の気配が、急速に薄まっていた。
これはどういうことか、それを考える前に将人は体を動かすことを優先した。
「よし、今のうちに少しでもここから離れるぞ。お前らがいたっていう山小屋に行けば誰かがまだいるかもしれねえ」
「う、うん!」
限界が近いことを訴え続けている足腰に鞭を打ち、将人たちは再び歩き出した。
Side 悠馬
遠ざかっていく二人の足音を聞きながら、僕は目の前の相手を見据えた。
「ここで彼らを見逃がす意図が理解できないんだけど」
黒い靄がかった影。しかしそれは明らかに人だった。
輪郭はぼやけているが、身長は180センチに届かないほどの高さ、体格は少し瘦せ型か、見たところ何か武器を有しているようには見えない。
その人物こそが、数時間前からまるで僕の真似をするかのように、時折存在を僕にアピールしつつ、しかし適度な距離を保ったままずっとついてきていたのだ。最初はもちろん気になったが、相手が一向に襲撃してくる様子がなかったので、最低限の警戒だけして、強引に意識から追いやっていたのだ。
だが、そんな態度をとった束の間、まるで今までの行動が嘘かのように、奴は僕の前に姿を現わした。流石に追跡の片手間というわけにもいかず、将人たちは一旦泳がせ、今はそのモヤモヤと対面しているというわけだ。まったく、先ほど言ったように、相手の意図が全く分からない。
だがこのスキル、僕の記憶には一つだけ心当たりがあった。
それは「闇纏」という、発動することで夜になると村人プレイヤーは喰人の顔を判別できなくなるというある役職専用のスキル――
「……あなたは喰人の方ですか? だとしたら、狙うなら僕より向こうの二人組を狙った方が効率が良いと思うんだけど。荒木くんたちが目的なら、僕は一切手出ししないよ」
目の前の影――喰人らしきプレイヤーに僕は言う。
将人たちを脱落させることはクリア条件を満たすためには必要事項であるが、それは別に僕が直接手を下す必要はない。彼らが知らないところで勝手に脱落してくれるならそれに越したことはないのだ。
「――いや、用があるのは君の方なんだ」
その影は、初めて言葉を発した。どこかで聞き覚えのある、男の声だった。
「はぁ……それじゃあ、僕に一体何の用で?」
「いや、なに。ちょっと試してみたくなってね」
「試す?」
嫌な予感がした。
男の影が構える。それだけで、嫌な予感が的中したことを悟る。
「僕はあまり美味しくないと思うよ」
「大丈夫。好き嫌いはするなって友達だった人から良く言われてたから――」
そうして僕は、初めて出会った喰人プレイヤーと訳も分からぬまま戦闘を始めた。
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