悲劇の引き金
Side 悠馬
今日のご飯は乾パンだ。ひゃっほう。
「…………味気ない」
「こら、文句を言わずに食べなさい」
折角僕が気持ちだけでも上げようと思いながら食べていたのに、白けちゃうじゃないか。
「え、てかお前本当に食べないの?」
「……ごめん、気持ちだけは受け取っておくから」
「食べるもの食べなきゃ治らないぞ」
「うん、でも、今日だけはちょっと遠慮させて。わざわざ気を遣ってもらったのに、ほんとごめん」
「……まあ食糧が減らない分には僕も困らないけどさ……」
あまりにも真剣な表情で謝るので、僕もそれ以上なにも言えなくなる。
辺りは既に日が落ち、夜の帳が下りていた。
今日の探索で未使用のアイテムキーは合計四つになった。これは柚希が探索に加わったことで探索効率が上がったことが理由だが、なかなか良いペースだ。
とはいえ、アイテムキーの存在は交渉にも使えるし、多くて損をすることはない。この調子でどんどんゲットしたいものだが……。
「柚希、そろそろ気持ちの整理はついたか?」
「…………」
僕の言葉は聞こえているだろうが、柚希は乾パンに目を落としたまま反応がない。
とはいえ、僕は十分に待った。そろそろ話を聞かせてもらってもいいはずだ。
「柚希、僕は妥協する気はないよ」
「…………」
「柚希」
「……先輩はさ、なんでゲームに勝ちたいの?」
催促の末に帰って来たのは、全く関係のない質問だった。
戸惑いながらも、それに答えなければ話が進みそうになかったので正直に答える。
「別にゲームに勝ちたいわけじゃない。ただ死にたくないだけだ」
「でも、勝つために私たちを襲ってくる人だっているし、先輩と同じように死にたくないって人を傷つけなきゃ生き残れないことも出てくるかもしれない。そういう人を傷つけて、殺してしまうかもしれないのに、それでも先輩はゲームに勝ちたいの?」
「うん、勝ちたいね」
「怖くないの? 嫌じゃないの? 自分のせいで、他の人を傷つけることが」
「僕は知っての通りそこまで善良な人間じゃないからね。そりゃ誰だって死にたくないだろうし、傷つけられるのは嫌だろうさ。けど、相手を傷つけちゃだめだから自分が犠牲になるしかないって考えはしないな。だって、誰もが生きたいし、死ぬのは嫌なんだから、みんな必死に生きようとする。その過程で誰かを傷つけたり、迷惑を掛けるかもしれないけど、それは仕方のないことなんじゃないか? 生きるって本来、何かに迷惑を掛けるってことなんだから」
「迷惑を、掛けること……」
「そうだろ? 僕や柚希が赤ん坊の頃は、僕達を食わせる、生かすために両親は苦労しただろうし、その両親だって、そこまで生きるためには迷惑を掛けて、ぶっちゃけ言えば他の生命を喰らって生きてきたわけだ。誰にも迷惑を掛けずに生きてきた人間なんてこの世にはいないんだよ。なら、このゲームだってそれと同じ。生きる為に、他の人に迷惑を掛けるんだよ」
出来るだけ掛けたくはないけどな。
そう言って僕は取り直すように笑ったが、柚希は笑わなかった。
まずい、答え方を間違ったか。
うじうじ考えてても仕方ないから他のことなんて考えずに生きるために行動しろ、的なことを言いたかったのだが、柚希は僕の言葉を果たしてどう受け取ったのか。
僕は内心不安になりながら柚希の言葉を待っていると、やがて彼女は顔を上げた。
「…………!」
彼女の顔に僕は一瞬見惚れる。
柚希の表情は決意に満ちており、瞳の奥に折れることのない強い意志のようなものを感じたからだ。
「――分かった。先輩、私はもう迷わない」
はっきりと、そう言い切った彼女は立ち上がると大きく伸びをした。先ほどまで何かに悩んでいたようだったが、今それを完全に吹っ切ったようだった。
「柚希、それじゃあ――」
「うん、先輩。全てお話します。だから、その前に……ちょっとだけいい?」
それを聞いて、僕は思わず溜息が出そうだった。
「おいおい、この期に及んでまだ先延ばしにするつもりか? 一日待った僕の身にもなってくれよ」
「いや、ちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけだから、話をするために準備させて!」
「話をするために準備って……まさかトイレにでも行っておきたいとかか?」
軽口を叩くが柚希から返事はない。全くの無言。まさか……。
「お前、ほんとにおしっ」
「先輩のばかっ! ほんとにデリカシーない! まじ死んじゃえ!」
空になったペットボトルを投げられ、顔を庇ったときには、柚希は草むらの向こうに走っていくところだった。
ちょっとイラッとしたのでその背中に声を掛ける。
「ペットボトル持って行かなくていいのか!」
「まじ最低っ!」
吐き捨てるような言葉が返ってきた。とりあえず元通りの彼女に戻ったようで一安心だ。
さて、これで柚希から晴れてお話を聞けることになったが、彼女は一体、誰に襲われたのだろうか。優真のグループにいた彼女が手負いになってこちらに逃げて来たということは、やはり可能性としてはあの中で襲われた可能性が高いか。いや、未だ正体を見せていない賞金稼ぎに襲われたという線もある。どのみち、彼女の口から答えを訊かないと分からないか。
「…………遅いな」
時計を見ると、気づけば五分以上経っていた。女のトイレは長いと聞くがどうなのだろう。
七分経ち、八分が過ぎた。
流石におかしい。十分経ったら様子を見に行こう。
そう思ったとき、突然悲鳴が聞こえた。
「ッ!」
先ほどまで話していたのだ。間違いない。今の悲鳴は柚希のもの――
僕は立ちあがると駆け出した。無意識に懐に入れているドスの存在を確認する。相手が銃などを持っていたら話にならないが、丸腰よりは遥かにマシだろう。
先ほど見た柚希の顔が脳裏に浮かぶ。彼女がやっと、心に踏ん切りをつけて一歩前へ踏み出したのだ。その矢先にそんなこと……。
最悪の状況が浮かび、僕は全力で声の方に走る。幸いスキル『超聴力』のおかげで声の出所ははっきりと分かっている。もうすぐだ……!
このとき僕は相当焦っていたらしい。林の中の少し拓けた場所で、倒れている女子生徒の姿を見たとき、僕は他に人がいるかも確認せず、真っ先に彼女の元へ走っていた。
幸い待ち伏せしているプレイヤーはいなかったようで、僕はすぐに倒れている女子の元へ駆け寄り――愕然とした。
「ゆ、ずき……」
うつぶせに倒れているため顔は分からない。しかし、小柄な体型に少し長めのボブカット。首元からは未だに赤い液体が草を濡らしている。
生々しさの残る現場の跡。僕は、震えそうになる手でそっと少女を抱き起こした。昨日倒れた柚希を背負ったときよりも軽いのは、流れ出た血液の多さのせいか。
「――ッ!?」
しかし、抱き起した彼女の顔を見て僕は二度目の衝撃を受けた。
――死んでいたのは、僕らのクラスの委員長――間島芽衣子だった。
「どう、なって……いる?」
目の前の事実に理解が追い付かない。なぜ、彼女がここでこんなことに……?
背中からは分からなかったが、芽衣子の遺体はひどいものだった。胸部の制服はズタボロに引き裂かれ、中に隠された未発達の胸部は切れ味の悪い鋸に引き裂かれたような有様で、薄い脂肪の奥に隠されていた薄桃色の内臓は破け、ドロドロと未だに血ではない何かを零し続けていた。
咄嗟に喉までせりあがってきた何かを感じ、僕は口元を抑える。
そのときだった。超聴力が足音を捉える。
隠す素振りさえない大地を踏みしめる音。しかも、それは常人では考えられないような速さでこちらへと近づいてくる。
混乱する頭は正常な判断を下すことが出来ない。それでも芽衣子の遺体を横たえると、吐き気を強引に呑み込み、懐からドスを取り出し構えた。
やはり襲撃者の罠だったのか。今からでも逃げるべきか――
しかし、姿を現した来訪者を見て、僕はようやく自分が本当の罠に嵌ったことを理解した。
「…………おい、斎藤、だよな? これ、どういうことだよ……」
「須藤くん……」
須藤友樹。僕と同じクラスの生徒で、優真たちと仲が良く、彼と出会った将人の話では、戦士の役職らしく、それで隣にいた少女を護ってみせる、と嘯いてたらしい。
そして、そのとき隣で恥ずかしそうにはにかんでいたという少女こそ、今僕の後ろで息絶えた、間島芽衣子――
「お前が、やったのか……?」
「違うっ!」
僕は全力で吠えた。こんなに大きな声を出したのは生まれて初めてなんじゃないだろうか。しかし、これは深く考えなくても分かる。
今ここで、自分の身の潔白を唱えなければ、僕は、僕は彼に――殺される。
「僕はただっ! 悲鳴が聞こえたから来ただけでっ! 彼女は、委員長はそのときには既に死んで――」
「死んだ?」
まずい。
まずいまずいまずい。
友樹の瞳から理性の光が消え去り、漆黒に塗りつぶされていた。
「委員長……芽衣子は初めて会った時、冷たそうなやつだなぁって印象だった。けど、部活終わりとかに会ったら、いつもお疲れ様って言ってくれた。それだけかって思うかもしれねえけど、俺はその一言だけで毎日辛い練習も頑張れた。そんなときにこのゲームに巻き込まれたんだ。俺に彼女を護れ、誰かがそう言ったような気がしたんだ。だから、俺は何があっても芽衣子だけは護るって……」
「須藤くん、だから――」
「お前が芽衣子を殺したァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
いつの間にか空にあった月が、眼前でぐるぐると生きているかのように動いた。
直後に、頬に堅い感触。全てが横になった風景の中で、首から上を無くした僕の体が見えた。
上から重い感触。視線を上げると、友樹が感情の読めない瞳で僕を見下していた。
「死ね」
僕の頭を踏みつけていた足に力が籠る。
その瞬間、僕の頭はぺしゃんこに潰れた。
読んでいただきありがとうございます。




