第一話 始まりの夜
空気を切り裂くエンジン音の中、着陸態勢に入ったことを告げるアナウンスが機内に響き始めた。
耳元で発せられる人工音声が男の意識レベルを夢から現実へと引き上げていく。
ぼんやりと霞む意識の霧が晴れて、頭の芯が次第に透き通っていくのを感じながら、まだ自分の温かさの残る窓ガラスに、男はそっと顔を寄せた。
降下し始めた小型高速輸送艇バルバトスのシートの中で、男は渋々短いまどろみに終止符を打ったのだった。
「目標降下地点まで、残りおよそ二万。各員作戦開始位置について下さい。」
此処の所の連日連夜の任務でくたびれ果てた体は、まだ起きたくないと悲鳴を上げる。
そんな僅かな体の抵抗を強靭な意志で振り払い、男は両肩を固定していたベルトを外した。
既に降下用ハッチの前に整列している隊員達を一瞥すると、一つ大きく深呼吸をして、内務局特別情報局インペリアル特派バード隊隊長、近衛純は重い腰を上げた。
最後のヘルメットを手に取ると、先に準備を終えていた、黒ずくめの装備した大きな体躯の男が、純に話しかけてきた。
「さすが、余裕っすね。」
そう声をかけられた純は、若干顔を上げ、気だるそうにヘルメットを装着しながら応える。
「むしろ働き過ぎで余裕がないから寝てしまったんだよ。」
「斎さんが失踪してからもう二か月。俺たち働きづめっすもんね。」
「ああ、早くアダマス本体を叩かないと、こっちが先に潰れちまうよ。」
そう言いながら、純は男の肩を叩くと、天井部のモニターに向かって話しかける。
「響、見てんだろ。準備完了した。今回の段取りを頼む。」
すると、モニターに、金髪で抜けるように白い肌に菫色の瞳を湛えた艶やかな女性の顔が浮かびあがる。
「はぁーい、了解よ。 じゃあ、純、お約束通り点呼して頂戴。それから説明するわ。」
「はいはい、俺はバード1近衛純だ。
次、バード2 時任 駿。」
「居るよ」
「バード3 高橋 総一郎」
「うーっす」
「バード4 九条 輝」
「はいよ」
「バード5 清水 家正」
「ウィ」
「バード6 如月 聡」
「はい」
「点呼完了ね。現在バルバトスは、高度一万五千メートルを飛行中。
目標地点との直線距離二万メートル。
機はこれより高度七千メートル、目的地上空まで降下。
バード隊六名投下後、一気に高度二万メートルまで上昇し、帰路に着く。
隊員は投下後、高度二千五百メートル到達までに、軌道を所定の落下ポイントへ修正。
千五百メートルに到達後、ウィングスーツで落下ポイントへ移動せよ。
尚、今回の任務は敵の警備網も厳しく、バルバトス降下中に発見される恐れ有り。
敵の地対空装備の有効射程距離は、およそ高度五千。
敵攻撃に遭遇した時は、高度九百に到達後、人型ダミーバルーンを射出と、まあこんな感じかしら。
要するにいつも通りってことね。」
「いつもどおりか、了解した。
地上到達後、各員は、俺の指揮に従って、エリア30のアダマスの拠点を叩き潰す。」
振り返り隊員五人にそう話す純の顔には、最早先ほどまでの微睡の気配は無い。
「はい、作戦開始まで六十秒、各員、配置について。」
そのアナウンスと共に、六人は、降下用ハッチの側壁の金属のバーに各々のハーネスのカラビナを掛けた。
「作戦開始まで三十秒。バルバトス、パルスエンジンへシフト。」
純は、バード6の肩が小刻みに震えているのに気が付くと、増大するエンジン音にかき消されないように、自分のヘルメットを震えるヘルメットにコツンとくっつけて声をかけた。
「どうした、怖いか?」
「すみません、実戦は初めてで……。」
「大丈夫だ。訓練通りやれ。チームを信じるんだ。」
そう言いながら、純は新入りの左胸を軽く小突いた。
「はい、ありがとうございました。」
「作戦開始まで十秒、パルスエンジン、点火。」
このアナウンスが終わるや、機体が前方に傾き始め、モニターが天井部に格納されると、高周波のエンジン音が機内に響き渡った。
「五・四・三・二・一・作戦開始。」
アナウンスの合図と共に、とてつもない重力が隊員の体中の骨をきしませた時、打ち上げ花火のように幾筋もの光線が側壁の小窓を照らすのが見えた。
「なんだ、あの光は。」
声を荒げる隊員たちを遮るように、インカムの向こうから響の慌てた声がする。
「敵、地対空高速弾発射。そんな、有効射程距離が大幅に伸びてるわ。」
慌てる響に、純が冷静に問いかける。
「響、どうするんだ。」
「どうって、そんな、危険すぎるわ。」
「だが、機は高度一万を切っている。作戦中断は不可能だ。バード隊は、このまま作戦を続行するぞ。」
「わかったわ。高度八千、七千五百、ハッチオープン。」
ただでさえ、圧し潰されそうな重力がのし掛かる中、ハッチが開いたことで、全員の体が強風に煽られ、機体の外へ投げ出されると、隊員たちの体は腕と腰のハーネスのカラビナだけでつながれ、ゆらゆらと機体と繋がって揺れた。
しかも、眼下からは、ここぞとばかりに、飛距離を伸ばした光弾が、バルバトス目掛けて花火のように打ち上がってくる。
純にとって降下任務は慣れたものだが、眼下の光弾の強烈な光と、その向こうにかすかに見えるエリア30の穏やかな町の灯りに、何故か胸騒ぎを覚えた。
「降下ポイント到達まで三十秒。落下ポイントまでの誤差十一度、七時方向への風二十三メートル、ガイド転送完了。降下ポイントまで五秒前四・三・二・一・降下!」
これを合図に、バード隊六名はカラビナを外すと、重力に身をまかせ、光弾の飛来する夜空へと飛びたった。
撃ち上がってくる光弾は、バルバトスを追いかけるように、執拗に幾筋もの光線を夜空に描き続けている。
六人は降下を続けながら、ウィングスーツの脇と両足の間に張られたモモンガの様な強化繊維で出来た薄い膜を開くと、ゴーグルに表示されるマゼンダのガイドラインに軌道を合わせ、なおも降下を続け、高度九百メートルで人型ダミーバルーンを射出後、各員散開し、到達ポイントへ向かった。
純は、目標地点の屋上に近づくと、高度五百メートルで、上体を立て腰に携帯した小型の銃を発射した。
すると、屋上の降下ポイントが一瞬歪み、そこに直径1.5メートルの反重力空間を作り出すと、純の体は、ふわりとA地点の屋上に降り立った。
素早く腕のスイッチを押すとウィングスーツの膜は、スーツの脇にシュルッと吸い込まれた。
近くで何発かの銃声が響く。急いで、発電機の陰に隠れて、ヘルメットのインカムに話しかける。
「こちらバード1、各員状況を報告せよ。」
「バード4、C屋上ポイント1、配置についた。」
「バード3、B屋上ポイント2、配置完了。敵四名が地対空高速弾を発射していますが、ここからは、ちょうど建物の死角になって、四人を一気に仕留めるのは無理っす。」
「バード2、誤差八メートル、間もなくB屋上ポイント1に着地する。」
「バード5、C屋上ポイント2、敵二名排除します。」
「バード6、A上空で銃撃を受け左足被弾、敵二名を排除し、残る敵は二名。
ただ今よりA屋上ポイント2を確保します。」
「バード1、了解した。バード6、無理するな。残りの敵は俺がやる。
降下地点をAからEポイントへ変更し、足の傷の手当てをしておけ。
その後余力があれば、B内部の妨害電波の有無を調べてみてくれ。バード6の任務は、俺が引き継ぐ。」
「バード6、了解。」
「バード3、敵四名はこちらから確認できる。俺が仕留めた後、ジャミンググレネードで地対空高速砲を無力化してくれ。」
「バード3、了解っす。」
「バード2、B屋上に居る敵4名を避け、十時の方向から、所定の位置に配備せよ。」
「バード2、了解だ。」
通信を終えると、純は、足に装着してあった銃剣型の銃を構えた。
そっと発電機の裏から顔を出し、暗視スコープで辺りを伺うと、五十メートル程離れた位置に、武装した男二人が銃を構え、Eポイントへ移動するバード6に狙いを定めているのが確認できた。
純はすかさず、座って銃を構えている敵を音もなく狙撃すると、撃たれた男の体が闇の中に崩れ落ちる音だけが響いた。
あわてて銃口をこちらに向けたもう一人の敵も、純の放った銃弾によって、あえなく仲間の屍の上に重なるように崩れ落ちた。
純は、二人の沈黙を確認すると、他に敵影がないことを確認しポイント2へ小走りに走り、 着地した屋上の対角にあるもう一つの発電機の下に移動すると、バード6が仕留めた敵が二人、頭から血を流し折り重なって横たわっていた。
純は、手際よく発電機の下の隙間から、白い文字で『6』と書かれた黒い大きなケースを引きずり出す。そして、手品師顔負けの素早さでスコープ付きのライフルを組み立て、その銃口を隣のビルの屋上に向けた。
スコープ越しに、打ち上げられた光弾が四人の敵のシルエットを黒く映し出すのを確認し、狙いを定めると、
「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ」
と、微かな音を四回響かせた。息つく間もなく、今度は吸盤が付いたドラムワイヤーをライフルに装着し、隣のビルの最上階から二階下の真っ暗な窓に向けて発射した。
先ほどより大きめのプシュッという音を響かせて発射された吸盤が窓ガラスに張り付き、隣のビルにワイヤーがピンと張られると、吸盤に取り付けられたライトが緑色に点滅するのをスコープ越しに確認した。
その時バード3の放ったジャミンググレネードの鈍い銀色の光がB屋上を包み込むのが見えた。
純は、またしても早送りのような素早さで、ライフルを分解しケースに収納すると、元の場所に蹴り込んだ。そうしておいて、ドラムワイヤーの本体を、後ろの発電施設にひっかけると、ハンガーフックと腰のハーネスをワイヤーに繋げるや隣のビルの外壁に向かって漆黒の闇にダイブした。
瞬く間に隣のビルに張り付いた純は、微かにキッという音を立てるとサークルカッターで分厚い窓ガラスを円形にくり抜き、カッターの吸盤に巨大なガラスをくっつけたまま、Bビル内部に潜入した。
内部に入ると、腰のハーネスにつながっているハンガーフックを取り外し、ワイヤーを強く引張っるや、ワイヤーは、ヒュルヒュルと音を立て、さっきまで純のいた屋上の、ワイヤードラムに、吸い込まれるように巻き取られていった。
「こちらバード1、各員報告しろ。」
「こちらバード5、C屋上で敵二名を排除しポイント制圧後、CよりB五十一階に侵入完了した。これよりダクトを伝い警備センターに向かう。」
「こちらバード3。バード2と合流。B屋上で敵四名の排除を確認。地対空高速砲を無力化し制圧。
隊長、流石っすね四人とも眉間に命中っすよ。バード3これより五十六階へ移動するっす。」
「こちらバード4、地下駐車場出口付近に怪しい装甲車両を発見。」
「こちらバード5、Bの建物内部に敵影なし。敵拠点の五十六階に灯りは見えない。」
「こちらバード6、Eポイントに到着。」
「こちらバード1、了解した。これより五十六階へ潜入する。
バード5はそれまでに警備センターを制圧して、各階の状況を把握してくれ。
バード4、不審車両に追跡弾を撃ち込んでおけ。
バード2とバード4は、各屋上より引き続き各員をバックアップしろ。」
「バード2、了解。」
「バード4、了解。」
「バード5、了解。」
応答が終わると、純は銃剣を構え侵入した無人のオフィスから、非常灯も灯っていない暗闇が続く長い廊下に出た。
時刻は深夜三時四十三分。
明かりが消えた廊下は深海のように濃紺に静まり、敵に制圧されたにしては、あまりに人気がなかった。
不気味なほどの静寂を警戒しながら、純は非常階段に向かう。
五十五階の金属製の非常階段の扉を細心の注意を払い、そっと開ける。
だが、そこにも敵の姿はない。
その時、インカムから応答があった。
「こちらバード5、警備センターを制圧。
おかしい、どの階にも人影なし。誰も居ない。」
「バード1、了解した。地下駐車場も確認してみてくれ。」
純は、小声で応え、ふつふつと湧き上がる不吉な予感を抱きつつ非常階段を駆け上がり、五十六階の非常階段の重い金属製の扉を押し開けた。
五十六階は、ガラス張りの広い展望テラスで、中央には巨大なモニターが、そして、周囲にも多くのモニターが備え付けられている。
昼間には多くの人が賑わう観光スポットであるが、深夜の展望デッキには人影はなく、電源の落ちた黒いモニターが四角い口をぽっかり開け、眼下には、エリア30の夜景が広がっていた。
純は、テラス内にふんだんに備え付けられている熱帯植物の繁る優雅なロココ調の大理石の花壇に身を隠しながら慎重に進んでいく。
情報では、エリア30のクレメントビル展望デッキ裏の関係者専用室が『アダマスの鎌』の拠点なのだが、ジャミンググレネードで無力化された地対空高速弾の光も夜空を飾ることを忘れ、張り詰めた静寂だけが展望テラス内の空間に充満していた。
純が、正面の扇芭蕉の根元に素早く移動したその時だった。
真夏の陽射しさながらに、ぎらぎらと輝く照明が展望テラスに一斉に灯った。
「……っ。」
暗視スコープを装着した眼を突然射る強烈な光に、純の声にならない声が漏れる。
それと同時に、中央の巨大モニターに白髪で赤い瞳のピエロの様なメイクに厚塗りされた男の顔が映し出された。
「隊長、……罠だ。ガト……ング……が…。……げて……!」
途切れ途切れではあるが、バード5が叫ぶ声が五十六階の妨害電波をかいくぐり届く。
純は、強い光によって眩んだ網膜で、ようやく捉えたモニターの中の男は、不気味な化粧の奥で薄笑いを湛えていた。
「ようこそ、インペリアルの捜査官様。
私は『アダマスの鎌』のエースという者です。以後お見知り置きを、フフフフ。」
そうモニター越しで挨拶する男を観察しながら確実に自分が罠にかかったことを理解し腰からImperial guard と刻印された銃剣を取り出す。
「おおっと、そう警戒しないでくださいよ。
私は、今そこにはいませんからね。そこに有るのは、そう、ガトリング砲がたった十五門ほど、捜査官様に向いているだけです。ヒーヒヒヒ。」
男がそう話し終わるのと同時に、とんでもない量の銃弾が雨のように純の隠れる花壇の周りに降り注ぎ、扇芭蕉の葉を盛大に震わせて無数の穴を空けた。
「おおっと、まだまだ当てませんよ。次は当てるかもしれませんがね。ククク。」
またしても、大量の銃弾が、ロココ調の花壇をより複雑な形に削り、純の足元で雹のように弾んだ。
「まーだ、当てないよー。フフッ。そうそう、捜査官様の声も聞こえるようにしてありますから、大きな声で話してみて下さいね。ヒーヒヒヒ。」
男の大きく開いた下卑た口元が、全てのモニターにてらてらと光り、赤く大きく映し出される。
「アダマスのおかま野郎が、このエリア30に何の用だ。」
すると、男が口元に笑みを湛えて画面に近づくと、今度は全く笑っていない不気味な赤い瞳が、モニターに大映しになった。
「教えっちゃおっかなー、教えないでおこうかなー。でも、もう捜査官様は、何もできないでしょ。此処は、ちゃんと妨害電波も張ってあるから、情報が洩れる心配もないしね。だ・か・ら、教えてあげる。
わたし達は、この少女を探しているのですよ。この娘はこのエリア30に居るはず。ああ、ご心配には及びませんよ、もう、大体の目星はついてるんですから。」
そう言いながら、男は手の上に乗せたホログラフ映像をモニター越しに見せた。
純は、その少女に見覚えがあった。
そう、インペリアル内に激震が走ったのは、ちょうど一年前のことだった。
『ソロモンシステム』の生みの親、稀代の天才と呼ばれた水無瀬光、彼の残した『ソロモンシステム』は、難解な三次元言語で書かれた上、天才ゆえの簡潔すぎる数式の羅列で構成されていたため、この二十年、どんな優秀な学者たちも、その論理の段差を埋めることは出来なかった。
なのに、若干十九歳の女子大生がそれを読み解き、大学の卒業論文として発表したのだった。
彼女の書いた、【現人工神の解体新書】は、発表後数秒でソロモンシステムによって封印され、内務省どころかインペリアルでさえ閲覧禁止の厳重な鍵がかけられてしまった。
皮肉にもソロモンの迅速で厳重すぎるこの隠ぺいの事実が、彼女の論文の優秀さを関係者に知らしめるところとなったのであった。
そのうえ、ソロモンは、国の重要保護対象者リストのトップに彼女を記載し、そのデータも、厳重に封印されたのだった。
純は、かつて失踪した斎局長から、
「近い将来、インペリアルは、全力を挙げてこの少女を護ることになるだろう。」
と、この少女のホログラフ映像を見せられたことがあった。
「その反応だと、やっぱり捜査官様は、彼女のこと知ってたみたいねぇ。で・も・ね、これはどうかしら。『ソロモンの鍵』そいつがぁ、彼女の手の中にあるってこと知ってた。」
「はぁ?、『ソロモンの鍵』だって。ソロモンの開発者が残したと囁かれているデータのことか?」
「そうそう。さ・す・が・よく知ってるわねぇ。大あたーりぃー。」
「そんなものはこの世に存在しない。頭のおかしな連中が作った都市伝説だ。
『アダマスのお鎌』は、よっぽど頭が弱い集まりか、それとも都市伝説大好きオカルト集団なのか。」
「んーっ、どっちも違うかな~。
だって、考えてもご覧なさいよ。今まで数多くの研究者が頭を突合せて二十年、全く解読できなかった『ソロモンシステム』の『ヒカルレポート』を読み解きし、その設計と構成を発表しちゃった女の子なのよ。」
「ははは。お前たちは、つくづく妄想と虚言が大好きな集団みたいだな。
たとえ、百歩譲って、その少女がそんなことを出来たとしても、彼女が『ソロモンの鍵』を持っていると決めつけるなんて、笑えるほど荒唐無稽で、馬鹿馬鹿しい話だ。」
「ん~っ、もう、すっとぼけっちゃってぇ。でもね、それだけじゃないんだなぁ。
言っちゃおうかな~どうしよっかな~。まあ、捜査官様は、もうすぐ死んじゃうし、冥途のお土産に教えてあげるわね。
彼女はね、水無瀬光のむ・す・めなのよ。」
「ほう、しかし残念ながら、博士の娘は、今頃水無瀬夫妻と仲良く天国にいるよ。」
「あら、嘘ばっかりぃ。内務局は、人の死も捏造しちゃうのね。
でもね、彼女が娘のつ・か・さ・ちゃん、ってことは、お見通しなのよねーっ。」
そう言うと、彼は舌なめずりしながら、ぼさぼさの白髪をかき上げてレンズに近づき、画面に赤い口だけが大写しになった時、モニターの画像がジジジ……と小刻みに乱れ始めた。
インカムから、
「こちらバード6、五十六階の妨害電波を逆探知し解除しました。」
「こちらバード4、地下駐車場の不審車両が出口に向かい急発進していく。」
「こちらバード2、不審車両捕捉。こっちも追跡弾を撃ち込む。」
この報告と同時に、純の真上のテラスの天井に張り付いたバード3が、コンパスカッターでガラスに穴を開けるのを、純は目の端にとらえた。
電波の乱れに気付いたエースの赤い目が大きく見開かれると、ドスの利いた低い声で、
「もう話すことも無いわ。あなた達、みんなまとめて地獄に送ってあげる。」
と、言い放った。
十五基のガトリング砲が、一斉にその銃口を微調整し、純に標準を合わせて動ききはじめた時、間髪を入れず、バード3がジャミンググレネードを発射し、全てのガトリング砲を鈍い銀色に輝く光に包んで無力化してから、純の傍らに降り立った。
「高橋、助かったよ。」
「何の、お安い御用っすよ。」
高橋と純がグータッチした時だった。
今度は足元で爆発音がして、ゴゴゴ…と地響きがすると、純の足元の展望デッキの大理石の床が軋みを上げてデッキのガラス窓の方に徐々に傾き始めた。
アンスリウムの生い茂る花壇に足をかけるようにして、純と高橋は辛うじて体を固定した。
滑り台を上回る急こう配に傾く床の上を、まずは、食器や書類が宙を舞い、固定されていない椅子やテーブルが勢いよく床を滑り落ち、ガラス窓に激突して、山のように積み重なっていく。
更に角度が増すと、固定していたはずのモニターやカウンター、照明器具も、重力に逆らいきれず、勢いよく滑り落ちはじめ、ついには窓ガラスを突き破りあらゆるものを外へと放出し始めた。
「各員、直ちにB地点より離脱せよ。」
「バード2、了解。屋上よりハングライダーでテイクオフする。三・二・一・ゴー。」
応答を聴き、純と高橋は目で合図を交わすと、はじかれたように急こう配のフロアを一気に駆け下りた。
そのまま二人は、展望デッキの端を力いっぱい蹴ると、大量のガラス片と共に窓の外へ大きくジャンプして、ウィングスーツの膜を張り、前方に降下中の大型のハングライダーのバーにカラビナをかけた。
「時任、ナイスタイミングだ。」
凶器と化した無数のガラス片と瓦礫が容赦なく襲い掛かってくる中、その間隙を縫うように、バード隊は、崩れ落ちる展望デッキを後にして、まだ明けやらぬエリア30の空に吸い込まれていったのだった。
「響、聞こえるか。『アダマスの鎌』のターゲットは、つ・か・さ、神山司だ。」




