六話「簡潔とは?」
泣き崩れそうになる自分を必死に堪え、俺はすぐに体をカルナの正面にするよう移動させて抱擁する。あぁ、今だけ、今だけは神様を信じよう。今ならば大神官に祈りを捧げろと言われても、その通りにしよう。
「えと…その…」
俺は顔を戻し、カルナをまじまじと見る。少し赤面しているように見えるが、特に風邪を引いているわけではなさそうだ。おそらく何かあって気持ちが高揚してしまっているのだろう。
「とにかく無事でよかった。逃げ道はあとででも確保する。とにかく安全な所へ逃げよう」
俺はカルナの手を握って先程の道を戻ろうとする。あ、でも、今戻るとゼオンと鉢合わせするか。
「あ、あの!」
考えに考えを巡らせていると、カルナが握った手をほどいた。
またか…。
俺はすぐにカルナのほうへと向き直す。
「今は子ども扱いが嫌とか言ってる場合じゃないんだ。分かってくれ」
しかし、カルナはかぶりを振った。
「違う。私…今までの記憶がないのっ」
言葉を失う。
き、記憶がない…?
「ごめんなさい」
頭を下げて謝るカルナに対して…俺はかけるべき言葉が見つからなかった。
今までの記憶がない…って。
「ホントごめんなさい…」
二回目のカルナの謝罪にようやく我に返る。いや、記憶がないからどうした。今はこの窮地を先に……。
「このっ」
俺はショックを紛らわすために顔を両手でたたく。今はとにかくこの危険を潜り抜けることを考えないと。
「カル…あぁ、いや。俺は君の味方だ。というより、部下なんだ。信じろって言っても無理なことかもしれないけど」
カルナはがぶりを振った。
「信じる。なんか…懐かしい感じが…あるから」
懐かしい感じがある…。それだけで報われた気がする。
「よし、今君は危険な状況にあるんだ。どうにかしてみせるから、俺の手を信じて離さないようにしてくれるか?」
一瞬、ほんの一瞬、カルナは悩む素振りを見せたがすぐに頷いた。よし、すぐに動こう。
俺はカルナの手を再び握って、先程のように同じ道を戻る。
よくよく考えてみれば、こんな人混みの道をゼオンや軍が使うとは思えない。このような道を使えば、到着するまでいくら時間がかかるか分からないし、そもそも大軍が来れるような状況ではない。それに…ゼオンなら抜け道くらい確保しているだろう。
「こっちだ」
俺は広場のほうへと抜ける。読み通り、もうそこにはゼオンの姿も軍の面影もなかった。
「ここ…私が最初にいた場所…」
こんなところにいたのか、どうして?
いや、考えるのはあとにしよう。とにかく今はどうにか身を隠せる場所が欲しいな。
今まで来た道で隠れ家になりそうなところはいくつか目星をつけてはいたけど、ゼオンにすべて見られていたとなれば隠れ家としては不安が残るし…。
少し頭の中を張り巡らせる。隠れれそうな場所は…。
「あそこくらいか。ついてきて」
俺は手を握りしめたまま、再び足を動かす。
「わっ」
驚いた様子ではあったが、同じように走ってきてくれる。今はそんな些細なことが何よりうれしい。
信じる…か。
広場を出て、ある程度走った時
「ちょ、ちょっとしんどい!」
とカルナが悲痛の叫びをあげた。
「あ…」
俺はすぐ走る速度を緩めた。いつものカルナならば簡単に…というか俺よりも体力があるんだけど、今のカルナは違うのだ。
気を付けないと。
足を完全に止めて、すぐに手を放すと、カルナは胸に拳を置いて、少し屈んだ状態になって息を整え始める。
「ご、ごめんなさい」
「あぁ、いや、俺のほうこそ悪かった…。今みたいに辛いときは辛いと言ってくれ」
なんて、見知らぬ他人であろう俺に、簡単に言えることではないか。
カルナは姿勢をピンっと伸ばして、深呼吸をした。
「よし、もう大丈夫です」
本当かな?
「まぁ、ここら辺なら大丈夫だろうし、歩いていくか」
カルナはかぶりを振った。
「ホントに大丈夫です。その…なんというか…恥ずかしかったせいというか…体力は大丈夫ですので」
「あぁ。人見知りってやつか」
「えと…、そーいうわけじゃないんだけど…」
違うのか?
まぁいい。気を遣って違うと言ってくれているかもしれないから、あんまり鵜呑みにしすぎてもいけない。
「とりあえず、もうすぐだから歩いていこう」
大事をとって。
しかし、再びカルナはかぶりを振った。
「正直に言うと歩きたくはないんです。その、怖いから…」
怖い…?
やっぱり、宿屋で何かあったか。となると、スパイが行動に出たのはカルナを見つけたからと考えるのが合理的だよな。
スパイに襲われて逃げてきた…。記憶がない人間にとって、いきなり殺されかけるというのはトラウマでしかないよな。
「わかった。でも辛かったら言えよ?」
俺は再び手を伸ばしてそう言う。
カルナは少し恥ずかしそうに
「うん」
と小さな声で返事して手を握ってくれた。やっぱり人見知りを発動しているなぁと感じつつ、再び足を進める。
「ここだ」
数分後…五分くらいかそれくらいに、ある古い建物前に着いた。物小屋に間違われそうな作りをしているが、中身は確か人間一人が静かに暮らしていたはずだ。
子供のころの経験がこんなところで生かされるとはね…。人生何があるか分かったものじゃないな。
「小屋ですか?」
そう思うよね。
俺はニヤリと笑って、小屋の扉にノックをする。一回、二回、不自然な間を空けて、三回。
一分くらい待つと扉は開いた。
「懐かしい暗号だなぁ。よく来たね、坊や」
中にいたのはすっかり老けた男性の人間。腰は猫背がひどくなり、顔のしわも断然増えて白髪もひと際目立っている。
「お久しぶりです。おじさん」
「おーおー、あんな小さかった坊やがこれほど大きくなってるとはね。長生きしてみるもんだねー」
俺は笑顔を見せる。ほんとに懐かしい…。
「そこのお嬢さんは?」
「あ…えと…」
困惑し助けを俺に求めるカルナ。
あぁ、そうか。記憶がないから知り合いか初対面なのかも分からないんだった。
「彼女はカルナ。可愛い子だろ」
「か、かわいい!?」
カルナが悲鳴を上げる。そこら辺はホント前とそっくりなんだけどなぁ。
「ほんとだねー。おまえにはもったいないくらいだな」
まったくもって…その通りだな。
「それで、また匿って欲しいのかい?」
おじさんは続けてそう言った。
昔のままだな、おじさんは。
「少しの間でいいのでお願いできますか?」
俺の言葉におじさんは何度も頷いて、扉を大きく開けた。
「ほら、入っておいで」
困惑しているカルナの背中をポンっと叩いて、大丈夫だと伝える。
俺が先導する形で扉の中へと入り、後ろをカルナが付いてくる。
前とは違ってだいぶ錆びれた感じになってしまっているな。
「あ、ドア閉めておいてね」
「あ、はい」
おじさんに言われて、最後尾のカルナが扉を閉める。それを確認し終えて再び足を進める。
「そこの部屋使ってええよ」
おじさんが指さしたのは、天井が落ちてきそうな古い建付けの部屋の中に、違和感の塊として奇麗な机と椅子がある。
「これ、崩れ落ちてこないですよね?」
そう聞かずにはいられないレベルで古い。
「まぁ、大丈夫だろ。危なくなれば魔法で何とかしてね」
おじさんはそう言い捨て奥の部屋へと消えていく。
事情を模索せずに助けてくれるところは全く変わらないな。
「わっ、これ、上質な椅子ですよ!!」
気づけば椅子に座って嬉しそうにはしゃぐカルナ。
ホントそういうところは変わらないな。
俺は安堵の息を吐いて、対面の椅子に座った。
「ようやく一息付けた。それで…記憶がないとなると、知りたいことが多いよね?」
先程の子供のような表情から急に真剣になるカルナ。
「教えてください、えっと…」
まぁ、そうだよな。どう呼べばいいか分からないよな。
「まずは名前から。俺はフィルド。フィルド・レムアロー」
「フィルドさん…」
つぶやくように俺の名前を言わないでくれ。そんな他人みたいに…。
「フィルドでいい。それで君の名前はカルナ・アヴリル」
「カルナ・アヴリル…」
「まぁ、色々言いたいことはあるけど、大事なことを簡潔に述べると、君はアヴァロン帝国アヴリル領領主、そして俺はその部下、軍師という役割をしている」
「りょ、領主!?」
大声を出して驚くカルナ。そのあたりの知識はあるんだね。
「驚くのも無理ないけど、そのために俺は君を守りに来たんだ」
カルナの頬が少し赤くなる。どうして恥ずかしくなることがある?
「あ、と、その、アヴァロン帝国ってこの大陸にある五大国の一つですか?」
大事なことは覚えているんだな。
確かにその通り、この大陸には国と呼ばれるものは五つしかない。
原則ある種族を中心にして国と成り立っている。例えば、この東和国はドワーフ族中心であり、俺たちアヴァロン帝国は人間が中心となっている。
「その通りだ」
「すると、私は国の一領主だから狙われているのですか?」
俺は小さく頷いた。
「じゃあ、私のせいでヤーさんは…」
カルナがそうつぶやく。
ヤーと言えば、あの時若い兵が言っていた重傷を負った元将軍か。やはり、あのスパイエルフと言われたのはギンの部隊員だろう。
「怖い思いをしたんだよな、悪かった…」
「ちょっとだけ…あ、でも、フィルドさんが謝ることじゃ…」
いまだに、さん付けか。
「そう言えば、最初広場にいたって言ってたよね?」
ふと思い出す疑問。
「あ、はい」
「しかし、襲われたのは宿屋だろ? どうして?」
瞬間、カルナが立ち上がる。それと同時に、部屋が軋む音が鳴ったような気がするけど、気のせいと開き直っておこう。
「どうして宿屋で襲われたって分かるのですか!?」
天才軍師と呼ばれた推理力を見せつけて。なんて胡散臭すぎるよね。
「宿屋でスパイが出たって話を聞いてね、それと結び付けたんだ」
「なるほど。あの子スパイ…スパイなんですか…」
あ、そう捉えるのか。
「いや、それは単なる向こうの主観でね。スパイなんて生易しいものではなく、暗殺部隊の人間だと俺は思っているんだ」
一応、確定しなかったのは少しでも自分を味方に見せかけるためだ。いや、見せかけるというか事実なんだけども、今じゃ信頼関係は薄いからね、現状では少しでも寄り添わないとね。
「あ、暗殺!?」
そりゃあ驚くよね。簡単には受け入れられないよね…。
「大丈夫、そのために俺たちが来たんだから」
見知らぬ人間に大丈夫と言われても安心できないだろうけど。
「うん。その、ありがとう…」
え、納得できるの?
カルナは静かに座り、強張らせていた肩を下した。
「それで、どうして宿屋に?」
「あ、そうでした。あの、ヤーさんってお婆さんが私を助けてくれて…」
「助けてくれた? 広場でなにかあったのか?」
「いえ、どうしてか、噴水の中で倒れてたらしくて…」
「噴水の中!?」
どうしてそんなところで倒れて…いや、あの皇帝のことだ。それくらい造作もないのかもしれない。
「はい。それをヤーさんが介抱してくれて…。濡れたままだと風邪ひくからって、ヤーさんの管理する宿屋に連れて行ってもらいました」
ほう。裏がありそうだな。もしかしたら、危険な存在かと予期して監視できるところに呼び込んだのかもしれない。
まぁ、可能性の一つでしかないけど、それでも、あり得ないことではない。
「なるほど」
まぁ、何はともあれカルナを助けてくれたことは事実。たとえ、敵になるとしても、今だけは感謝しておこう。
「ところで、私はどうしてそんなところで倒れていたのでしょう?」
「それは俺が聞きたい案件なんだけど、まぁ、記憶がないんじゃあしょうがないよね。俺が最後に見届けたのは、皇帝陛下と謁見するとこまでなんだ。そこから先はどうも分からなくて」
どう考えても、皇帝陛下がここまで送り込んだとしか思えないけどさ、目的がいまだにはっきりしないのが分からない。
殺すつもりなら、自分で殺せばいいだろうに。
「皇帝陛下って、アヴァロン帝国の一番偉い人ですか?」
偉い人なんて言ったら可愛く聞こえるけど…。
「間違いではないよ」
奇麗に正しいとも言えないけどね。
「聞けば聞くほど、信じられないような大きな話になりますね」
でも、疑っている様子ではないみたいだ。