第8話 死が踊る 後編
―――ギイィィ、バン
「全く………、待ちくたびれたぜ。ビビって小便でもちびったかぁ、あぁ!?」
上から降りかかる声に目を向けると、影が立っていた。狙ったかのように逆光の中立つ男。ただ、以前見た時と異なるのは、その目が爛々と紅く輝いていること。
「万が一、一般の生徒や先公に見られてちゃぁお互いに困る。鍵を閉めてもらおうか」
不良男こと鬼龍院の指示を受けて、わざとらしく鍵をかけてやる。
「ほぉお。仲間がいるってわけじゃぁなさそうだな」
何のためらいもなく鍵を閉めたことで、相手は俺が一人だとアタリをつけたらしい。なるほど。その判断をするために自分ではなく俺に鍵を閉めさせたわけか。だが半死人には、鍵くらいどうにでもなるだろう?
「俺の仲間が鉄扉を蹴破って突入してくる可能性は?」
「ないな」
即答。
「何故?」
「ここが学校だからだ。学校。一見するとどこにでもある普通のただの施設のようだが、他の施設と見比べてみるとこれほど人口が密になる施設は珍しい。それに施設の利用者は未成熟な人間ばかり。俺らみたいな奇怪で異常な出来事が最も騒ぎになりやすい施設。まともな思考力があるやつなら、ここで事を荒立てることは避けてぇはずだ。鉄扉なんか蹴破ってみろよ。先公も生徒もすっ飛んでくるぜ?それに―――」
影になったままで表情がわからないが、声には侮蔑の感情が滲み出ていた。
「ハッハハハハ!今!俺はお前に負けることはないと確信した!扉を蹴破る?馬鹿かお前。最初に、この四方を囲むフェンスを飛び越えてA,Sクラスがやってくる可能性を示唆しろよ?たかが知れるぜ?三流以下が!」
鬼龍院は足で淵を蹴る。ガスッ、とおおよそ人間の蹴りごときでは出ないような音が屋上に響いた。
「かわいそうだから教えてやんよ。俺は仲間をつれて待ち伏せしてたわけじゃねえ。俺もお前と一緒で独りきりだ。警戒しなくていいぜ?」
相変わらず表情は見えない。が、乗ってやることにする。俺はゆっくりと息を吐き、緊張を解いた。
「―――ハンッ」
俺が本当に緊張を解いたのに気がついたのか、面白くなさそうに再び淵を蹴った。
「さっきも言ったが……。ここは学校だ。特異な施設なんだよ。社会的に先公と生徒と呼ばれる奴以外の通常の人間は入れない。なのにお前みたいなのが今更やってきた?なんの目的で?そこだけが解せねぇんだよ」
奴は早嶋美奈津を殺しに来たんじゃないのか?今までの口ぶりを聞いていると、どうにも偶然居合わせたように聞こえる。死止め人がこの学校に通っている事を知らないかのようだ。
なら、馬鹿正直に答えるべきではないな。
「学校に通う理由?何を言っているんだ?そんなこと決まっているだろう?」
煽り文句に鬼龍院は黙り込む。
ならばこちらから質問させてもらうか。
「俺にも教えてくれ。どこで気がついた?俺が半死人であると」
眼を閉じ、大きく見開いて、死印を覚醒させながら問う。
俺の威嚇には動じず、鬼龍院はなんでもなさそうに答えた。
「転げ落ちただろ、お前。なのに両足でしっかり着地しやがった。たった3メートルの高さしかないんだぜ、ここの高さ。滞空時間はおよそ0.8秒。そんな芸当ができるのは猫か俺らくらいのもんだろ」
つまり、俺とエルが3メートル越えというありえない跳躍高度から鬼龍院を半死人だと断定したのに対し、鬼龍院はたった3メートルという高さから転げ落ちたはずなのに見事着地してみせたことから半死人だと断定したわけか。
「随分と頭が回るんだな。唯の単細胞かと思っていた」
「他はてんで褒められたモンじゃないが……、度胸だけは認めてやんよぉ、三下!俺はお前と謎解きがしたくて呼んだわけじゃねぇ。このまま押し問答続けても始まんねぇんだよ!なぁおい………、覚悟はいいか?」
正直に言えば鬼龍院がこの学校にいる理由を問いただしたいところだ。だが、俺がろくすっぽ真面目に答えなかった質問に、コイツだけが正直に答えるわけもなし。ならやることは一つだ。
「とっくに出来てる」
「……いい返事だ」
ズザッ―――と音が聞こえた時には、視界は白一色に染まる。
そうか、太陽を後ろに話しているのはてっきり表情を悟らせない為だと思い込んでいたが、陽の光を遮る自分が動いた時に、相手の視界を奪うため………。眩む目をこすり強引に視界を確保しようと試みるが、鬼龍院の姿は確認できない。
本当に頭が回る。何もかもが計算ずくってわけだ。経験の違いとも言える。
保険をかけておいてよかった。
奪われた視界。
どう対処すべきか。
相手は緻密に計算された戦いをする。なら、意表をついて崩すべきか?しかし保険として準備しておいた切り札は一つだけ。まだ早いだろうか。
半死人の戦いにおいて勝敗を左右するのは何だ。
経験。技術。それもあるだろう。
だが、半死人にはもっと重要な特性がある。
『等級』。『能力』。そして『死印』。
想定される戦いは基本、等級差による力技。この差を補うのが経験と技術。戦況をひっくり返す要素として、能力と死印の二つと考えられる。
……駄目だ。相手の強さがわからないのはもとより、俺は俺自身の強さを知らない。今更になって、無責任に俺を放り出した七姫への恨みが湧き上がってきた。
どう考えても様子見しかない。
何が来るかはわからないがこの場に留まるのは危険だ。右足に力を込め、左前方へへ跳んで避ける。瞬間、先程まで俺のいた場所を震源に屋上が震えた。
遅れて轟音が鳴り響く。取り戻した視界は、凹み、割れた屋上の真ん中に佇む一人の男を映した。
「大事にしたくないんじゃなかったか!?」
俺の泣き言には構わず、鬼龍院は微塵のよどみもない動きで幽鬼のようにゆらりと立ち上がるとそのまま特攻してきた。
風切り音を纏う拳の連打。見切ることは早々に諦め、バックステップで回避する。
攻撃することに戸惑いがない。様子見をするつもりがない。
経験ゆえに様子見を必要としないのか?それとも戦術か?後者だとしたら目的は俺に余裕を持たせないことになる。様子見を歓迎していないようだ。
姑息とも取れる手練手管の数。発言こそ俺を見下し威圧しているが、異常とも言える緻密な計算は臆病さを内包しているとも取れる。
奴は言葉ほど驕り高ぶってはいない。あまりにも地盤を磐石にしすぎている。
………連打に付け入る隙はないが、俺には覆す手札があるのだ。磐石な地盤ごとひっくり返す一撃。
その前に、最後の仕上げ。俺と鬼龍院の等級差を確認する。
胸の前で腕を組み、わざと連打を受け損なった。
「ガ……ッ!」
たった一撃。両腕に叩きつけられた拳は、俺の背中をフェンスに打ち付けた。
両足を踏ん張り、受け止め切るつもりだったのだが、随分と簡単に吹き飛ばされてしまったな。フェンスに背中を預け、崩れ落ちる。
始終無言を貫いていた鬼龍院だったが、今の結果に面食らったようで呆然と口を開いた。
「………お前、相当等級低いな」
俺は強打を胸に受け、まともに呼吸できない。平衡感覚も失われている。だが、聞かなくてはならない。フェンスに手をかけ、腕力だけで立ち上がる。
「カッハ……最後に………、確認だ。今、俺はどう見える?」
「どうって………?」
十分だ。
質問の意図が理解できていない時点で、俺の切り札を行使すると決めた。
「行くぞ」
鬼龍院はさぞ驚いたことだろう。
見違えるような速度で迫る、俺の姿に。
背面にめいっぱい伸ばした右腕を大振りで鬼龍院に叩きつける。音もなく吹き飛び、無様に横転する鬼龍院。続く攻撃を警戒してか、すぐさま飛び起きる。
ただ、俺に連撃は難しい。まだうまく使えないのだ。
佇む俺を見、次いで自身の身体を確認する。大した傷ではなさそうだが、ブレザーが肩口から裂け、血が流れていた。
「何を………?」
鬼龍院の顔に浮かぶのは、驚愕、困惑、そして疑念。
計算が崩された気分はどうだ?
「………そんなものか?鬼龍院大輔」
「くっ………。舐め……るなぁぁ!!」
愚直なまでにまっすぐ突っ込んでくる。人間を超えた凄まじい速度だ。明らかに鬼龍院の方が等級が高い。朝の跳躍能力から推測される等級はB~S。細かく絞るなら、計算の裏に見える臆病さからAあたりが妥当だろうか。
俺の能力ならどうにか誤魔化しが効く相手らしい。
「エルマー、行けるか」
『俺は全然問題ないぜ』
「よし……《纏腕》」
叩きつけた反動ですっ飛んでいたエルマーは俺の呼び声に反応すると、高く飛翔する。原型を失い、霧のような形状になったかと思えば、俺の右腕は飲み込まれ、肘関節から先に仰々しい獣の顎が顕現する。
鬼龍院の速度に俺は回避距離で対応する。
一回いっかいエルマーが離れてしまうようでは常に攻勢に出ることはできない。だからこそ回避に専念し、確実なタイミングで右腕を振るえばいい。相手は連撃に専念しているので一歩自体の踏切はそう大きく出てこない。一撃に最低限の威力は確保できるように地に足をつけておきたいのだろう。
正直に言えば、鬼龍院の一撃はその等級差から、どんなに弱くても致命的と思われるからこれは悪手だ。ただ、鬼龍院は俺と自身の等級差を図り兼ねているのだろう。俺にとっては好都合だ。大きなステップで回避を続けていれば、能力を使わずに攻撃を避け続けられる。
それに、戦場を広く戦うことは俺にもうひとつの副次効果をもたらす。だが………、これを解説するにはまず、俺の能力についてここで明示しておかなくてはならないだろう。
【赤目】の能力は多種多様、有り体に言ってしまえばなんでもありで、似たような能力でも個人差があり、誰ひとりとして同じものを持たないらしい。………いや、実際にはなくはないかもしれないが、一生のうちにまったく同じ能力とお目見えすることはねえんじゃねえか、とはエルの談。20もの命を経験したエルマーさんだ。その言葉の信憑性はどこの馬の骨とも知れぬ奴ら………例えば、テレビのコメンテイターなどとは段違いだ。
で、だ。オンリーワンの能力であるため、個々の能力に名前など存在しない。故に能力の説明には長い文章が必要となるのだが………、俺の能力にあえて名前をつけてみれば、『死霊使い』となるだろうか。名付け親はエル。
能力を簡単に説明すると、この世界に溢れている死者の魂魄を使役し自らの力に変える、といったところだろうか。現状把握している使い方としては、魂魄を体に纏わせて武器や防具のようにするくらいだ。
武器や防具とは言うが、エルのような高位霊はともかく、一般霊は唯の青白い狐火の形で存在する。纏わせたところで傍から見れば青く燃えているようにしか見えないだろう。初めはそうだった。しかし俺は3限と4限の時間を使いある程度この問題を克服した。俺の肩に付きまとっていた魂魄、席の周りにいた魂魄をかき集め、机の下で試行錯誤したおかげだ。青炎の状態ではただただ冷たいとしか感じられなかった魂魄装備は硬度を増し、纏った四肢に身体強化をもたらした。鬼龍院に初撃を与える為肉薄したときの速度は、身体強化の恩恵によるものだ。
が、所詮は付け焼刃。まさかの欠点が存在した。
鬼龍院に呼び出された後、「準備が出来たら―――」の言葉に甘え、俺は授業中に判明した能力についての一部始終と切り札とする節をエルマーに知らせた。『すげえな、坊ちゃん!早速俺を纏ってみてくれよ!』と興奮するエルマーで試したところ、纏った魂魄が使用後離れ、霧散してしまうとわかったのだ。結局俺らはその問題を解決するには至らず仕舞い。合言葉《纏腕》でエルマー側から飛んできてもらうことにした。
ただ、この方法には欠点が残る。高位霊で、自身の意思で動き回れるエルマーは言いにしても、意思があるんだかどうかよくわからない、『ふよふよ』組の一般霊は俺が自ら集めなおす必要がある。
戦場に散ってしまった魂魄をかき集める方法は一つ。俺が触りに行く、こと。戦場を大きく使えば使うほど、俺は魂魄をかき集めることができ、エルマーの一撃頼りの戦いを改善出来る。
長くなったが、そう言う事なのだ。
余談だが、最後に付け加えるとするなら。
俺は戦闘開始時から魂魄まみれだった。校内を歩き回り、できる限りの量を集めていた。ただし、「纏っていた」わけではなく「貼り付けていた」というのが正しいか。その塩梅はもはや俺の中でしか感じることはできない。だからうまく説明できてはいないだろうが………、装備としていたのではなく、運んでいた。エルが言うには『武器は装備しなきゃ意味がないぞ!』状態らしい。よくわからない。
それであの質問に至る。「今、俺はどう見える?」だ。まだまだわからない事だらけの半死人だが、ここで『死霊使い』がデフォルトの力でないと判明した。鬼龍院が魂魄を纏わせている様子はなかったが、万が一を考えた「確認」だった。
「なんだぁ!こんっ………どはぁ……!逃げてばっか………かよっっ!」
連打。その中に鬼龍院は言葉を紡ぐ。
「押し問答は無意味だぞ?鬼龍院」
攻撃は少しずつ激情を滲ませ始めた。相当に冷静さを欠いてきている。
俺の方は俺の方で、準備が整いきろうとしていた。そろそろかましてやるか。
「ッソ………がぁぁぁあ!!」
ちょこまかと跳ね回る俺に合わせ、鬼龍院も一歩が大きくなっている。技が精細を欠くに比例して、隙も随分大きく、見えみえだ。咆哮とともに放たれた大味の左ストレートを避けると、俺も一足飛びにバックステップした。
距離は目算5メートル。
着地。と同時にエルマーを纏う右手を地にめり込ませ、両足と右手で踏み切って跳躍する。前方倒立回転の要領で空中で身体が回るが、右手一本、肘を曲げた踏切であったためにちょうど両足が鬼龍院へと向く。
集めた魂魄は両足。西洋甲冑の脛当てを模した纏。身をひねりながら、絶対の攻撃を見舞うために大きく両足を開く。右足のつま先と左足のかかとで挟み打つ蹴り。体全体が獣の顎となって鬼龍院に喰いかかる。
「何っ!?」
「……………………なめんじゃねぇぞ、雑魚が」
―――しかし鬼龍院は両肘を立て、俺の二撃の一撃を受け止めた。
受け止め、やがった。
鬼龍院は右足を蹴り上げる。宙に浮いた状態の俺は避ける術を持たず、直撃。大型車両に直撃されたかのような衝撃が背中に打ち付ける。
「ごばっ………ッ!」
体中を走り抜けた衝撃は、口から多量の血液とともに外へ流れゆく。が、俺の体は許されず、紅い残光を散らしながら更に、更に高くへ。
『秀!!』
前方倒立回転の踏切で霧散していたエルマーは再び形を取り戻し、空中で俺を受け止める。ブレザーの襟首を咥えられたまま、左手で口元を拭った。
随分高く打ち上げられたようで、鬼龍院は俺の左手の甲よりも小さく見えた。そのまま鬼龍院を確認すると、肩を荒げ、両腕をだらりと垂れ下げたまま、鋭い眼光でこちらを睨んでいた。
左右合わせて4つの紅い文様は、未だ爛々と光を放っている。
………打てて、一発。なら迎え撃とうじゃないか。
「《纏腕》」
『お、おい、秀!?この高さからじゃ危険だ!それにあいつはまだやる気―――』
「わかってる!!!」
服を咥えたまま愚図るエルマーに怒鳴り返す。決定事項なんだ。俺はあいつにあえて迎え撃たれようとしている。そうしたいと思っている。
「いいから………行くぞ」
『ああもう!?お前がやると決めたなら、オレは手助けしてやんなきゃだったな!』
右手に纏う、三度目の獣の顎。俺の体は支えるものがなくなり、落下を始める。真下に待つ―――、紅い目をした鬼のもとへと。
「来いよ、三下ぁぁぁぁぁあああ!!!」
俺の言葉が聞こえていたのか、エルマーが形を失うとともに鬼龍院も深く腰を落とした。血を滴らせる両腕はもう上がらないのだろうが、意志の宿るその紅い眼はいっときも離れることなく俺を掴んでいる。俺が加速するに連れて、深く、深く身を落とす。
俺に鬼の咆哮は届かなかった。そんなものは無いに等しかった。ただただ負けじと俺も紅い眼で睨みつけていた。その身に掛かる圧も、耳に打ち付ける風の音も知覚していなかった。目の前。刻々と近づく鬼。それを捉える視覚の情報だけが俺を支配していた。
いつしか俺は、空中で抵抗の違いから地面に水平に、大の字に落ちていた。
霧散していた一般霊。その最も高い位置にあった集団にたどり着くと、蹴り付け、上下反転する。脚力によって加算された速度。だが、俺と鬼龍院は互いに身じろぎ一つせず、相手の体を捕捉しつづけていた。
「はああああああぁぁぁあああぁぁぁぁあああ!」
「うぉおおぉぉぉおおぉおぉぉおおおぉぉおお!」
気が付けば咆吼していた。あと2秒。それだけあれば決着がついていたことだろう。
―――しかし、いつまでたってもその瞬間が訪れることはなかった。
俺たちの戦いの場を壊したのは、勢いよく屋上の鉄扉を開け放つ騒音と、場に似合わなく冷静な、凛とした一声だった。
「――やめなさい、大輔」
鬼は驚いたように飛びのいた。そのまま俺は右腕ごと墜落する。轟音。学校の屋上を盛大に破壊し、砂塵が立ち込める。
「ぐ………」
『大丈夫か秀……って、多分オレのほうがダメージでかいけどな………』
俺は屋上に右手を体の下敷きにしうつぶせの状態になったまま、しばらく動けそうになかった。
かろうじて顔を上げると、そこに映っていたのは薄れゆく砂塵の中、軽くこちらを睨んでいる鬼龍院の姿と……、鬼龍院を背後に控えさせ、黒髪をたなびかせて佇む、端麗な顔の少女の姿だった。
「初めまして、少年君。私が死止め人、早嶋美奈津よ」