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wipe-swipe  作者: grace
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【第2話】chill-out jazz(後)

ちょっと服装を改めてきます、とにっこり鷹司に言い置いて、ひなは一旦パウダールームへと下がった。

腹が立つ。無性に腹が立つ。

片思い、片思いと鷹司なんかに揶揄されたくない。

大体それを言うなら、自分だって片思いではないか。

・・・くすくすと、思わずひなは笑った。

鏡の中の自分は随分と荒んだ、ひどい顔ををしている。

鷹司は自分とは違う。鷹司のそれは、決して片思いではない。

彼は自分を本気で好きなわけではない。単なる気まぐれか、遊びに過ぎないのだから。

ひなは、泣きたいのを辛うじて我慢した。

ここには、鷹司がいる。あの男は大嫌いだ。鷹司のような人間に弱みなど決して見せたくない。


「なあ、ひな・・・。お前、大丈夫か?」

パウダールームの扉がわずかに開いて、そこからスーツで身を固めた若い男がちらりと顔をのぞかせた。どこか垂れ目で困り顔の小犬を思わせる、奇妙な愛嬌のある男だ。

「馳さん・・・ああ、平気です。大丈夫」

「そうか」

ほっとしたように馳はパウダールームの扉を開け、ひなの横に座った。

「馳さん、席を離れて大丈夫なんですか?今日も英明さん来てるんでしょう?」

「うん・・・まあ。グラス乱暴にがしゃーんって置いてたひなが心配だったし」

「私なら大丈夫です。早く戻らないと、後が怖いんじゃないですか?」

「あー・・・」

馳は微妙な表情を見せた。

英明・・・久保英明は馳の上客で、某財閥唯一の後継者だった。ただ、腐るほどの金に囲まれて育ったせいでいささか根性が悪い。

早く席に戻らなければ、そんな彼の不興を買うのではと、ひなはそれを恐れた。

その馳の袖からは、その英明からの貢物のブルガリ・・・腕時計がのぞいている。

ここでは賓客が同性のキャストを指名してもいい。色恋だけの場ではない為に何の問題もないのだ。もちろん同性同士の色恋があってもいい、今日日珍しくもない。

それがこの店の方針なのだ。

馳大地は、この「wipe-swipe」の男性ナンバーワンキャストだった。

おどおどと上目使いに見上げての頼りない接客が、何故か男達、女達の心をひきつけて離さないらしく、かなりの極太客を持っている。とある噂によれば、「銀座の帝王」と呼ばれる影の大物フィクサーも彼のパトロンであるとも言う。黒服達からの受けもいい。ただ、店長の吉川はどちらかといえば馳に厳し過ぎるきらいがあるような気もする。


「ひな・・・お前さ、鷹司様の何がダメなんだ?職業か?」

隣に座った馳が、心配げにひなの顔をのぞき込んでくる。

下手なナンバーワンキャバ嬢も顔負けの、魅力のあるしぐさだ。

頼りない困り顔。ちょっと首を傾げた様子も、保護欲を掻き立てるには申し分ない。

「全部ですよ。本当にもう大丈夫ですから、ちょっとほっといてください」

生憎、自分にそういうところはない。

鷹司が自分の何を気に入っているのかも、自分をどうすれば自分の好きな人・・・黒崎が自分を意中に入れてくれるのかもわからない。いつもいつもこうして途方に暮れる、だけ。

かけるべき言葉を見失い、気まずくうなだれる馳をよそに、軽くドアがノックされた。

「どうぞ」

扉を開いたのは吉川だった。


「ひな君、鷹司様がお帰りだそうです。お見送りを」

ひなは黙って立ち上がった。

「ああ、服装を改めるといって中座したでしょう?ストールくらいは変えておきましょう。佐野、あれを」

吉川の後ろに控えた佐野は、広いクローゼットに姿を消したかと思うとすぐ戻って来た。

その手には、以前鷹司からひなに贈られたエルメスのストールが恭しく乗せられている。吉川はすっとひなの前に立ち、そのストールをふわっと引っ張り抜いて佐野から受け取ったエルメスの上品なストールををひなに纏わせてやる。

「・・・行きましょう」

吉川に連れられてパウダールームを出るひなの背を、馳は心配げに見つめながらついていく。

「・・・仕事ですよ、ひな君。お客様にはもうちょっと愛想よく。ね?」

吉川は微笑し、ひなは黙って歩く己の靴先を見つめる。

「私だって、仕事のためならこのドジでクズで無能で何のとりえもない、そんな馳君にこーんなにやさしくしてあげられているわけですから。できないなんてことはありません。馳君だってなけなしの根性を総動員して、あの大財閥・久保家のバカ息子のセクハラにもパワハラにもこうやって耐え抜いているわけですから。ね?馳君」

「へ!?あ・・・あああ、ああ!!」

あわててぶんぶん頭を縦に振る馳。

「馳君にできるなら、ひな君にできないわけはありません」

「よく言うぜ・・・。お店引けた後で客にちゃらちゃらしやがってとか言いたい放題のくせに・・・」

ぼそっとうつむいて愚痴る馳の声が聞こえたような気がした。

しかし吉川はいつもホールの様子をよく見ていて、わがまま放題に育った大財閥のボンボンである英明のパワハラ交じりのセクハラ・・・もとい友情表現が度を越しそうになるとすぐにさりげなく割って入って馳をかばっている。ひなはそれを知っている。

「とはいえ、ひな君の売り上げの半分程度は鷹司さんの飲み代ですよ。少しはありがたく思わなければ」

ひなは押し黙ったままだった。

「・・・そんなに辛いなら、別に彼でも彼女でも作ったらどうです?」

ちらりと吉川がひなを見る。

「昔の花魁には間夫がいました。君達キャストに居たっていいでしょう。多少のことは目をつぶりますから」

そう言われてすぐに浮かんだその顔に、ひなは思わず狼狽した。


黒崎、慎。

かつて誰にも負けたことのない自分が、一度だけ負けた男。


「・・・どっかで見たストールやな」

すでに黒服達に囲まれてコートを背中から着せ掛けられていた鷹司は、じろりとひなを見た。

「・・・前に鷹司さんがくれたやつですよ」

少しは悦に入るかという予想に反して、鷹司は何も言わなかった。

そのまま、エレベーターを一緒に降り、既に迎えに回された組織の車に乗り込むその直前。

鷹司はふと足を止め、振り返ってひなを見た。

何故かそのまま車に引きずり込まれそうな不穏な気配を感じ、ひなは思わず身構えた。

「ひな、別に余計なことせんかてええ。俺は手練手管いうヤツがほんま、嫌いやねん」

ひなは思わず淡い笑みを浮かべた。


・・・そうでなくては。

面白くない。


もちろん、吉川がそうした通り客の機嫌を取るために、客からのプレゼントを身に着けて披露するのはこの業界では至極当たり前のことだ。別にキャストやホストでなくても、普通の恋人同士でもそうするだろう。けれど、鷹司は不要だと言い切った。

手練手管は嫌いだと。

鷹司には少なくとも、まともに自分という人間と向き合おうという気があるのだ。

少なくとも、鷹司を嫌っているというひなの正直な気持ちを受け入れた。

「違いますよ。これ、エルメスでしょ?私エルメス好きなんです。別に鷹司さんに喜んでほしいからじゃないので」

気にしないでください、とひなは笑って車中の鷹司に手を振った。


背後の吉川や佐野、なぜかついてきていた馳と黒服達が微妙に緊張する気配がありありとわかる。

鷹司は声を上げて笑った。

「ほな、ひな。またな」

「だから、もう来ないでくださいって」

深々と頭を下げて見送るひな達を後ろに、黒い高級車はスピードを上げて夜の歌舞伎町から走り去った。



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