第七十八話 ミコトと名無し・1 再びのパーティ
フィリアネスさん、マールさん、アレッタさんは風呂から上がると、夢心地というか足元をふわふわさせつつも何とか自力で着替え、客室に戻った。
「今日は俺もここで休んでいいかな?」
「えっ……い、いいの? ヒロトちゃん」
「何だか、贅沢すぎて、ずっと夢を見ているみたいです……」
アレッタさんは頬を熱そうに両の手のひらで押さえる。控えめな彼女だから、俺と一緒に過ごせることを、そこまで喜んでくれているのだろうか。
(『だろうか』なんて、俺はまだまだだな。もっと、みんなのことが分かるようにならないと)
客室のベッドは四つあるので、一つずつ使うこともできるのだが――三人は目くばせして、まずマールさんがそろそろと俺と同じベッドに入ってきた。
昔は女性としては、メイスを使うだけあってすごく体格がいいと思ったけれど、今となっては俺のほうが腕枕でもしてあげられるくらいだ。
マールさんは枕に頭を預けると、俺を見つめて微笑み、小さな声でささやいた。
「……雷神さまにヒロトちゃんが寝かしつけてもらってるの、ほんとはうらやましいと思ってたんだよ」
「そ、そうか……わりと早いうちから、気づいてたんだな。ごめん、こそこそしたりして」
「ううん、雷神さまがここにくるときうきうきしてたからいけないんだよ。でも私とアレッタちゃんもね、そんなフィリアネスさまを見てて、うれしい気持ちになってた。私たちも女性だから、戦うばかりだけじゃさみしいもんね……」
マールさんが手を伸ばしてきて、俺の頭を撫でる。照れてしまうが、このまま眠ってしまいそうに心地よい。
「あとで二人と交代しなきゃ……ねえヒロトちゃん、ぎゅってしていい?」
「ふむっ……ま、マールふぁん……」
「ああっ……もう、マールさんったら……そうやって、大きいことをアピールしようとするんですから……」
「二人が気になっちゃうみたいだから、ヒロトちゃんと一緒に毛布にもぐっちゃおっと」
「……マール、見えないからといってヒロトを誘惑したら……わかっているな?」
「だ、大丈夫ですよ~。ちゃんと交代するって言ってるじゃないですか~」
そう言いつつも、マールさんは俺の顔を胸の間に挟んだままだ。
石鹸の匂いだけではなく、どうしてこうも女性というのは、いい匂いがするのだろう。
「ふふ~……はふぅ。二人とも、やっぱりこのまま寝ちゃってもいいですか?」
「なっ……そ、それは困る……どうしてもというなら譲るが、できるなら私もヒロトと……」
「わ、私は添い寝をさせてもらうのは初めてなんですから、期待させておいてそれはひどいです」
(早急に、みんなで寝られる大きなベッドが必要だな……)
みんなと暮らす拠点というか、家が必要だ。それも、早急に。
家といえば、ゲーム時代の俺のギルド――『天国への階段』のギルドハウスは、人数が多いだけに世界の各地に分所が存在した。
ギルドの本部があったところはこの大陸ですらないので、そこに家を作るというのはまだ先の話になるだろう。
そうすると、どこに建てるべきか。
(待てよ……そうか。リリムの力を借りれば、転移用の扉を設置できるんじゃないか? だったら、各地の拠点を移動できるようになるな)
「ヒロトちゃん……むにゃむにゃ……」
そんなことを考えているうちに、二人がしびれを切らして、ほとんど寝ている状態のマールさんを起こしたそうにしている。
副王の寝室にあるベッドは、多くの妻と同衾するために規格外の大きさを持つ――なんてことが噂にならないといいが。奥さんたちのストレスを溜めないためにも、俺には規格外の寝室が必要だった。
「……ヒロトちゃん。考えたんですけど、3つくらいベッドをくっつけてしまえば、一緒に寝られませんか?」
「あ……」
「もう遅いので、音を立てないようにしなくてはな。しかし、良いのだろうか……客室の模様替えをしてしまって」
「はふぅ……あ、ベッド動かすんですか? 私も手伝います~」
(その手があったか……みんなのほうが、俺より発想が柔軟だな)
俺もベッドを動かし始める。しかし三人では、川の字では寝られないので、どうなるのだろう。
「私がヒロトちゃんの下になれば、完璧な布陣ですよね~……あ、あれ? どうしてそんな呆れた顔するんですか~!」
「順番が終わったのだから、次は私とアレッタの番だ」
「すみませんマールさん、私の後ろで控えていてください」
「はぁ……もう寝たふりしちゃえば良かった。ヒロトちゃん……」
指をくわえつつも、マールさんはおとなしくアレッタさんの後ろで寝る。アレッタさんとフィリアネスさんは最初は少し遠慮しつつも、俺の胸のあたりに手を置いて寄り添う。
「……腕枕というのは、ヒロトもできるのか?」
「うん、できるよ。アレッタさんもしたい?」
「は、はい……あ……すごく落ち着きます。ヒロトちゃんの腕、頼もしくて……」
「すー……すー……下がだめなら、上に……ヒロトちゃん……」
マールさんの寝言を聞いて申し訳なく思いつつ、俺はアレッタさんとフィリアネスさんの柔らかい髪を手で梳きながら、心地よく眠りに落ちた。
◆◇◆
翌朝、食事を終えたあと、俺は町の宿に向かった。ミコトさん、名無しさんがそこで宿を取っているからだ。
一階の食堂で食事を取っていた彼女たちは、俺の姿を認めると、笑顔で小さく手を振る。
「ギルマス、お疲れ様です。何だか久しぶりに会ったような気がしますわ」
「ふふっ……そうだね。やはり、ヒロト君とは毎日顔を合わせないと落ち着かない」
いつもと変わらない様子の二人。俺は少し緊張しながら、彼女たちと同じテーブルの席に着いた。
「ミコトさん、名無しさん。二人に、大事な話があるんだ」
「大事な話……ですの?」
ミコトさんは聞き返すが、名無しさんは何か察したようだった。
「二人に、付き合ってほしいことがあるんだ」
「つ、付き合う……というと、交際ということですの……?」
「そんな定型的な天然を……やはりミコトは時々侮れないね。ヒロト君、一緒に来てくれということなら、モニカ嬢とウェンディ嬢も一緒でなくていいのかい?」
「モニカ姉ちゃんとウェンディには、帰ってきてからまた改めて会うよ。今回は、二人に来てほしい。『天国の階段』で、俺と戦ってくれた二人に」
その名前を出すと、ミコトさんと名無しさんの表情が変わる。
イキイキとする――というと、いつも俺といるときは機嫌がいいし、この世界で生きることを楽しんでいるから、ちょっと違うか。しかし、俺だけに見せる顔をしてるのは確かだ。
「……いけませんわね、その名前を聞くと、昂ぶりがすぐに蘇ってしまって」
「今となっては、ギルドの名前にも違う意味がついてしまったね」
「はは……そうだな。そんなつもりじゃなかったけど、多少皮肉が効いた名前になっちゃったな」
『天国への階段』の『天国』とは、エターナル・マギアにおけるギルドバトルの勝者のみが入ることのできる場所のことを指していた。
行ったことのないエリアに行きたい、その権利を手に入れるために、俺はミコトさん、名無しさんと共に作ったパーティを基礎として、総勢千人という、すべてのネットゲームを含めても最大規模のギルドを作った。
いや、いつの間にかそこまでに膨らんでいたというべきか。入団テストの基準は易しくなかったのに、みんなが『天国』に行くために力を合わせ、同じ目的のために戦った。
――しかし、俺のアイテムと金を奪い、溜まっていたボーナスを平均的に適当なスキルに割り振り、未来のないキャラに貶めたプレイヤーもまた、その一員だった。
プレイヤー名、乃希亜。彼か彼女か分からないが、俺のアイテムを競売にかけて売り払い、そのあとに別のアカウントに財産を移して姿を消している。
「……ずっと、聞こうと思っていたのですけれど、聞けずにここまで来てしまいました。名無しさん……いえ、マユさん。私が託した、ギルマスの件については……」
「うん……そうだね。勿体ぶることでもないけれど、ヒロト君……いや。ジークリッドにとっては、良くない記憶だろうから、言うべきかどうかと悩んでいた。でも、伝えないままというわけにもいかないね」
「まさか……二人とも、俺のアカウントをハックした犯人を……」
みなまで言わずとも、二人の様子を見ればわかった。
ミコトさんは、名無しさんが話すのを待っている。名無しさんは唇を引き結んでいたが――ふっと笑って言った。
「犯人は突き止めて、アカウントも特定した。警察に通報するかどうかは、会って話して決めようと思ってね……でも彼女は、ヒロト君の財産を利用して築いた新しいギルドでは、うまくいかなかったみたいでね。結論から言うと、私が公表する前に、彼女は自分の仲間に告発されて、エターナル・マギアから姿を消したよ。運営処罰の対象となって、起訴もされたんだ」
「……そこまでしてくれたのか。ありがとう、麻呂眉さん……俺、なんて言っていいか……」
麻呂眉さんは今、『小生』と言わなかった。それで、前世における現実で、彼女が本来どんな話し方をしていたのかが想像できた。
「君が亡くなったと聞いたときは、アカウントハックの件が原因になったのかと疑ったよ。ミコトもそう思って君の仇をとろうとしたけれど、彼女にはもう、犯人を探すだけの時間が残っていなかった。だから、私は何としても犯人を告発しようと思った」
「……ごめん、心配かけて。アカウントハックの件は確かにショックだったし、自暴自棄にもなった……でも、俺が死んだのは自殺したからとかじゃないよ。事故に巻き込まれたんだ」
「っ……そうだったのですね……事故で……」
「24時間いつでもログインしているくらいだった君が、事故に……それは、想像がつかなかったな。だから、君がログインしなくなって半年経つくらいまでは、何か理由があってネットができなくなったんだとくらいに思っていたよ。けれど、その間にミコトは……」
俺が死んで半年。その頃に、ミコトさんも長く患っていた病気で命を落とし――転生した。
麻呂眉さんの話を聞く限りでは、彼女はまだあの世界で生きられたはずだ。それとも、彼女もまた、何かの理由で――想像するだけで陽菜のことが頭をよぎり、胸が苦しくなる。
「……おっと、真剣な話だからといって、口調が崩れていたね。小生としたことが……」
「そうだな……その口調のほうが落ち着くな。でも俺は、本当のマユさんのことにも興味あるよ。ギルドに居たころは、リアルの詮索はご法度だったけど……名無しさんのことなら、少しでも知りたい」
「……君はやはり、昔から押すところがわかっているね。だから小生は、いつも君に心酔する」
「まあ……マユさんったら。ロマンチストなんですから……こちらの頬が赤くなってしまいますわ」
名無しさんの目は仮面に覆われて見えない。けれど、じっとこちらを見られていると顔が紅潮してくる。
「し、心酔か……そう言われると恥ずかしいな」
「飾ることのない気持ちだよ。そうでなければ、こんな姿になってまで君を追いかけてはいない……と言いたいけれど。この仮面を着けられたのは、本当を言うと想定外のことだった」
「それは、何かのペナルティ……ということですわよね。私はなぜか、ボーナスをもらえましたけれど……」
ミコトさんは若くして病死したということ、俺に匹敵する廃プレイヤーだったことが女神に気に入られたのかもしれない。それを言うなら、名無しさんも相当なヘビープレイヤーだったのだが。
「ペナルティを受けることは分かっていたけれど、仮面とはね……まあ、それだけの要求をしてしまったということだろうけれど」
「要求って……名無しさんも、女神に会ったのか?」
「女神……? いや、小生は姿は見ていないから、声しか聞いていないけれど。あれが女神の声だったということかな」
女神が姿を見せたのは、どうやら俺だけということになるのか。
銀色の髪を持つ、エルフのような少女。その美貌は憎らしいほどに、一度目にすると忘れられない。
「ヒロト君は、転生するときに女神に会った……ということかい?」
「……ああ。でも話を聞いてると、姿を見たのは俺だけみたいだな」
「女神さまに気に入られるなんて……さすがとしか言いようがありませんわね。それも、トッププレイヤーの証明ということになるのでしょうか」
「でも、エターナル・マギアのプレイヤーのほとんどは夢にも思わないだろうね。あのゲームは、この世界の一部を再現したものにすぎない。それでも、あれだけの奥深さを備えていたんだから」
そもそも、なぜゲームという形で『エターナル・マギア』が存在していたのか。女神が作らせたというのも、何か違うような気がする。
「もっと早く話すべきだったのに、この世界を冒険することで精いっぱいで、失念していたね……ヒロト君、すまない」
「いや、俺も魔王のことで頭がいっぱいだったから……祝祭の後に約束したのにな。名無しさんの仮面を外すって」
「ギルマス、いよいよということですの? わたくしも、ずっと名無しさんの仮面のことは気にかかっていましたの」
名無しさんに求婚するのは、その仮面を取ったあとだと決めていた。
彼女が仮面を取る方法を見つけていることは聞いていた。『隠者の仮面』に関わるクエストということなら、俺たちで協力してクリアすればいい。
「ヒロトさん、きっと見とれてしまいますわよ。マユさんはとてもきれいな女性でしたから」
「……そんなことはないよ。私は大学に入ったはいいけど、水が合わなくてね。最低限だけしか通わないで、残りの時間は全てエターナル・マギアにログインしていた。ミコトのお見舞いに行ったときも、久しぶりに外に出たから、化粧の仕方も忘れていたくらいだよ」
「麻呂眉さん……そうだったのか。あれだけ長くログインしてたのは……」
「カミングアウトするのは、なかなか気が引けるけれどね……もう、何も隠すべきではないだろう。私は両親の指示に従って受験したけれど、大学で勉強したいことがあるわけじゃなかった。本当は、家を出てでも自分のやりたいことをやるべきだったんだろう」
俺たちは別の経緯ではあるが、エターナル・マギアを始め、そして出会った。
今にしても思うが、星の数ほどあるゲームの中で一つのタイトルを選び、そしてパーティを組むことが、どれだけ奇跡的なことなのか……。
「ご飯も食べないでゲームをしていた頃よりは、今のように冒険者として生きるほうが、よほど人間らしいと言えなくはないね」
「ふふっ……その通りですわね。私もよく、食事の時間にもログインしたままで、看護師さんを困らせたものですわ」
音声チャットを必須とせず、グラフィックが美しいにも関わらず処理の軽いゲームだったから、ミコトさんも病室でプレイすることができたのだろう。
「さて……名無しさん、教えてくださいませ。その仮面はどうすれば外せますの?」
「この仮面の力を解放すると、ある場所に強制的に転移させられる。『狭間の妖館』という場所らしい」
「聞いたことがない場所だな……未実装だったエリアか。そこに転移すると、仮面を外すための何かがあるってことか?」
「わからない。小生も、なかなか決心がつかなくてね……本当は一人で解決すべきなのかもしれないが、ここまで挑むことができなかった」
転移した先に、一人では到底勝てない魔物がいたら。転移した先から、戻ってくることができなかったら――それを考えると、名無しさんの気持ちは痛いほどわかる。
ゲーム時代は、一人で新ダンジョンに挑むのは完全に自殺行為だった。俺のように事前に情報を得る手段があっても、一人では攻略は不可能だった――みんなに知られないように攻略するときは、強力なNPCを交渉で仲間にして連れていったものだ。
「大丈夫、心配ない。転移した先から戻って来られないリスクは、リリムが解決できる」
「リリム……彼女に、一時的に力を戻して、転移魔術を使ってもらうということかい?」
「リリムは俺の奴隷になっているから、命令には逆らわない。魔王の本性に立ち返って、また牙を剥いてくるということはないよ……と言いたいが、待てよ……」
俺は前々から、一度は前世からのギルドメンバーである二人と、久しぶりに水入らずに冒険がしたかった。なので、『狭間の妖館』から脱出する際に、転移魔術を使ってもらうためだけにリリムを連れていくというのはちょっと違う。
ならば、転移魔術を使う方法をリリムから聞き、必要によっては――俺が覚えればいい。
「いや、問題ない。場合によっては三時間くらい必要になるかもしれないが、何とかする」
「ギルマス……もしや、リリムからスキルを取ろうとしていませんか?」
「なるほど……同じ女性としては、両手を上げて推奨はできないけれどね。三時間も耐久でされ続けたら……」
名無しさんとミコトさんが顔を見合わせ、自分の胸を俺からかばうようにする。三時間というだけでそこまで見破られてしまうとは、さすがは俺の右腕と左腕だ。
「転移するために必要なアイテムが、この世界ではあまりに貴重すぎますわよね……ゲームでは誰でも持っている消費アイテムでしたのに」
「アイテムの流通の仕方が、ゲームとこの世界じゃ違うから仕方がないな。もしかすると、別の大陸から仕入れないといけない可能性もある」
「そうだね。それを考えると、一度は港町に行っておきたいところだけど……もしくは、商人ギルドに伝手を作って代わりに仕入れをしてもらうかだね」
そうすると、アッシュに相談してみるのがいいだろうか。衣服を扱う豪商の跡継ぎである彼だが、扱っている商品は衣服や布地だけではない。
「まあ、ここで俺が転移を習得してしまえば、急ぐ必要も……そ、そんな目で見ないでくれ」
「いえ、リリムに同情の余地はないのですが、これも拷問の一種なのかと思うと……いえ、リリムはこういったことは喜びに変えてしまう人種のようにも見えましたし……ああっ、複雑ですわ」
「ヒロト君、ほどほどにするんだよ。あまり吸いすぎると、マナ切れを起こしてしまうからね」
名無しさんは冷静なようにも見えるが、顔は赤らんだままだった。
転移した先にユィシアを呼ぶことも考えられるが、遠すぎると念話が届かなくなってしまう。それを考えると、やはり転移魔術の取得は必須だろう。
◆◇◆
急ぎ家に戻ってくると、リリムは軟禁場所である部屋から出されて――あろうことか、スーさんの指示を受けて家の掃除をしていた。イグニスも一緒になって、メイド三姉妹のような状態となっている。
「坊っちゃん、お帰りなさいませ」
「ただいま、スーさん。ちょっとリリムを借りてもいいかな?」
「……やはり、私を追放するの?」
諦めたような顔でリリムが言う。栗色の長い髪を二つのおさげにした彼女は、人間にしか見えない――そしてメイドの格好が、『メイヴ』として変装していた時にも思ったが、よく似合っている。
「そんなことはしないが、一つ聞きたいことがあるんだ」
「あるじ殿、やはりリリムにも『お仕置き』する気になったのかや?」
「リリムは大罪を犯した魔王……坊っちゃん自ら、お責めになられるのですね」
スーさんはなぜか感心してくれている。どんな想像をめぐらせているのか、その頬はほんのり赤くなっていた。
「ご主人様がそうおっしゃるのなら、どんなことでもすればいいわ」
「……言ったな?」
「っ……おどしをかけても無駄よ。私はもう死んだも同然の身だもの。苦痛なんて感じないわ」
「そうか。それなら、俺も何も遠慮することはないな」
リリムは気の強い瞳を俺に向けてくるが、じっと見つめることはできないらしく、目を伏せる。
「……わらわも近いうちに、罰の続きをいただくのかや?」
「あなたには、当面の間坊っちゃんに、そしてこの町に奉仕していただきます」
スーさんはぴしゃりと言うと、小柄なイグニスを抱えて別の仕事場所に連れていく。残されたリリムは俺のほうを恐る恐るという様子で伺う――その身体が小さく震えている。
魔王として強い肉体と力を与えられただけで、それが封じられた今となっては、俺は恐怖の対象になっているということか。
(……そうなると、拷問のごとくスキルをもらうとか、酷いことはしづらくなったな)
「そんなに怖がらなくていい。教えてほしいことがあるだけだ」
「……遠慮しないって、言ったじゃない。どんな責め苦でも、私は……」
「俺にはそういうのは向いてないからな。まあ、どうしてもと言うなら、教えてもらってでも責めてやってもいいが」
「っ……そ、それは……ご主人様が、私に罰を与えるのは、当然のことだから……」
真に受けて怯えているあたり、力を失ったことの意味がだんだんと分かってきたということか。
「……覚悟はできていると言ったはずよ……は、早く、どんなことでも……」
(……ん?)
リリムが震えているのは、怯えているのだとばかり思っていたが――改めてよく見ると、顔が微妙に赤らんでいる。
「……もしかして期待してるのか?」
「そ、そんなことは……ないわ。苦痛は怖くないけれど、それを望むほど壊れてはないつもりよ」
「どうだかな。破滅願望があるんじゃなかったのか?」
「……あの時と今では、状況が違うわ。あなたが私を殺さなかったから……」
それで自分を大事にする気持ちが芽生えたというなら、大きな進歩と言えるだろう。
「じゃあ、俺の部屋に来てもらおうか。俺も急がないとならないんでな」
「……かしこまりました」
リリムのメイドとしての振る舞いは、意外にも板についていた。俺の数歩後ろから、しずしずと部屋までついてくる。
彼女はドアを前にすると俺の前に回って、代わりに扉を開ける。そこまでメイドぶりを発揮しなくてもと思うが、リリムが黙って控えているので、主人らしく部屋に入った。
◆◇◆
リリムは後から部屋に入るなり、ドアを閉めて、ちら、とベッドの方を見やる。
あからさまに彼女が『お仕置き』を期待しているのが分かって、さすがに気恥ずかしくなる。
(あれだけ死力を尽くして戦った相手同士、好かれる理由はないはずなんだが……リオナと親しいから、そのせいか?)
「あー……その、すまない。最初は、イグニスにしたようなことをリリムにもするつもりだったけど、やっぱりそういう罰はリリムには逆効果みたいだから……」
「っ……そ、そんな……」
リリムは本気でショックを受けたらしく、可哀想なほど落胆している。
「……私が奔放だからということ? イグニスと違って、そう見えるのは無理もないと思うのだけど、わ、私は……」
「そういう印象はあったけど、どうも違うらしいな。それだけ強いんだから、男なんて怖くないし、頼る必要もなかったんじゃないか」
「私は生まれながら、男性を篭絡するための術を知識に刻み込まれているの。そういう魔王だから……だから、印象というのは間違っていないわ」
房中術84というのは、つまり生来与えられたスキルということになる。耳年増というか、スキル年増というのか。
しかし、経験がないのに知識が豊富というのは複雑な気分になるんじゃないだろうか。魔王だったリリムには、そんなことは些事なのかもしれないが。
「……だ、だから……そういう罰なら、ある程度は上手くこなすことができるのだけど……」
「ま、まあ……でもそうすると、リリムは喜ぶだろ?」
「っ……」
リリムは顔を真っ赤にしてうろたえる。どうやら図星のようなので、やはりお預けした方がいいらしい。
しかし、今更なのだが――リリムの話し方は誰かに似ている。そう、女神にどことなく似ているのだ。
「……リリム、最初に戦ったときに使ってた偽名だが。メディアって言ってたよな? それは、イシュアラル神殿で祭られてる女神と同じだと思うんだが……」
「……私は女神がこの世で一番嫌いだから。その名前を少しでも穢してあげたかっただけ」
しかしおそらく、女神のイシュア=メディアという名はかりそめの名前だ。真の名前は、リリムも知らないということだろう。
「どうしてそこまで、女神を憎むんだ? 女神が、魔王を作ったからなのか」
「それを答えられるのなら、答えているわ。それでも一つ言えるのは……女神は魔王にも人間にも、特別な肩入れなどしていない。作っておいて、そのまま放っておいて眺めているだけ。きっとこの世界であなただけよ、女神の予想を破ることを許されているのは」
(……眺めているだけか。本当にそうだな)
女神の本体がいる場所に辿りつけば、そこに彼女の実体がある――それすらも、希望的な観測だ。
どれだけ女神に不信を抱くことがあっても、女神が世界のどこかで俺を待っているということだけは、ただ信じるほかにはない。
「……申し訳ありません、話しすぎました」
「いや、気分を害したわけじゃない。俺だけが運命を変える力を持ってる、か……」
みんなそれぞれに必死に生きていて、自分で運命を切り開いている。
しかし魔王のように、人間を憎悪する宿命から抗えない者たちもいる。他の人たちも、決められた人生から大きく外れることなく、歩いているのかもしれない。
俺だけが運命を大きく変えられるというなら、名無しさんの運命を変える――転生の代償として与えられた仮面を外してみせる。
「リリム、転移の魔法を使えるはずだな。黒魔術を極めているお前なら」
「……何度か、見せた通りよ。イグニスにしたように、その力を吸うというの?」
「いや、何か方法があるなら、その力を借りるだけでもいい」
奴隷にした状態でも、元の職業の固有スキルを吸えるならば、リリムから黒魔術スキルをもらうことはできる。しかし、奴隷スキルを取得してしまうという可能性も否めない。
スキルをもらうために一旦『隷属化』を解除すると、それでは罰にならない。ならば、スキルを借りるということはできはしないだろうか。
「……私の力は、ご主人様が持つ『紅雫の宝珠』に封じこめられている。それの力を引き出す資格を得れば、封印されている黒魔術の力を使うことができるわ」
「っ……ほ、本当か!?」
「そのためには、私と魔力の接続を行わなくてはならないのだけど……私が吸い取ったご主人様の生命力があれば、それで資格が得られるはずよ。私から、改めて譲渡の許可をしてあげないといけないけれど」
一度リリムに吸われた生命エネルギーを利用すれば、宝珠の力を引き出すことができる。
それは素晴らしい情報だが、喜ぶ前に一つ確認しておかなければならない。
「宝珠の力を引き出すと、俺が魔王になったりということは……」
「私と宝珠の組み合わせでしか、魔王化は起こらないわ」
「なるほど。嘘はついてないみたいだな……それなら、俺にその、許可とやらをしてくれるか」
「……いいの? ご主人様に触れる必要があるのだけど」
許可とはリリムに触れてもらうことで得られるものなのか。しかし、あまり遠慮されると何というか――リリムがしおらしく見えてくる。
「触れるだけでも、今は……少しでも、ご主人様に尽くせるのなら……」
ユィシアとはまた違う響きを持つ『ご主人様』。そこには、リリムが俺に従うことへの確かな喜びが込められていた。
◆◇◆
◆ログ◆
・あなたは《リリム》から宝珠の力を引き出す資格を譲渡された。
・『紅雫の宝珠』が淡く輝く……あなたは《リリム》のスキルを利用できるようになった!
一刻ほどの時間をかけ、俺はリリムによって許可を貰い、所持している紅雫の宝珠から力を引き出せるようになった。
レベル10の黒魔術の中に、『転移』『転送』『送還』の三つがある。正直を言って、これは便利すぎる――種族スキルである『夜魔族』は利用できないが、『ネクロマンシー』まで利用できるようになってしまった。使う場面はおそらく無いと思うが。
「……すぅ……すぅ……」
しかし譲渡にも体力を使うらしく、リリムは眠ってしまった。『恵体』『魔術素養』が封印されてゼロになっている彼女は、少しアクションを使っただけで力尽きてしまうのだ。
(いつかは返してやることも検討するが……もし、宝珠を全部集めたら俺は……)
八体の魔王の宝珠を集め、その力を引き出すことができたら、俺は一体どうなってしまうのか。
それはさておき、これで名無しさんの仮面の呪いを解く準備はできた。俺は服を元通りに着直すと、愛用の斧槍を携え、一度『転移』を試してみることにした。
◆ログ◆
・あなたは「転移」を詠唱した!
――そうして俺が転移した先は、ミゼール西にある森の中だった。
懐かしい景色と、風の匂い。転移に成功した興奮が静かに沸き起こって、思わず喜びを声にしたくなる。
しかし、近くから物音が聞こえてきて、俺は動きを止める。
バシャバシャ、という水音。この近くには湖があるので、そこから聞こえてきているようだが――。
◆ログ◆
・あなたは「忍び足」を使用した。あなたの気配が消えた。
特に理由はないのだが、俺は隠密スキルを発動し、森の中をしずしずと移動していく。
そして見つけた音の主は――。
「きゃっ……もう、ミルテちゃんったら。私からも、それっ」
「っ……冷たい。でも、気持ちいい……」
「ふふっ……みんな、無邪気なんだから。きゃっ……!」
そこで遊んでいたのは、リオナとミルテ、そしてステラ姉だった。ユィシアが連れてきてくれたのか、彼女は少し遠くで、尻尾を湖につけている。
(……下着同然の格好で……こ、これだと俺は、分かっていて覗きに来たみたいじゃないか?)
「ヒロちゃんも来られたらよかったのに、いないんだもん。どこに行ったのかな?」
「……ヒロトはいろいろ忙しいって、おばあちゃんが言ってた。全然会えなかったら、探したほうがいいって」
「……そうね。ヒロトは放っておいたら、遠くに行ってしまいそうだから。そんなことは、絶対にさせられないわ」
(……ステラ姉)
俺だけが早く成長してしまったから、そんなふうに不安にさせている。
しかし、俺がずっと一緒にいたいからといって、まだ幼い三人にまで、大きくなったら俺の奥さんになってくれなんて、言っていいのだろうか。
「私はヒロちゃんが遠くに行っても、見つけちゃうから。どれだけ遠くても、絶対に」
「……私も。私も、リオナと一緒に探しにいく。ヒロトともっと遊びたいから」
「二人とも……そうね。三人で探したら、どこに行っても見つけられるわ」
三人が笑いあう。それを見ている俺は、胸が苦しくなるような気分を味わう。
俺は、何を遠慮していたんだろう。『普通』の生き方をするつもりはないと、ずっと昔に決めていたのに。
今はみんな幼くても、いつか大人になる。その時に俺を選んでくれるように、ひたすら努力すればいいだけのことだ。
「……あ。ユィシアさんがいたら、ヒロちゃんのところに連れていってくれるかな?」
「ご主人様がいいというなら。いやということは、ありえないと思う」
ユィシアが三人のところにやってきて答える。彼女の笑い方は、本当に自然になった――三人がユィシアを慕っていることがよくわかる。
四人で一緒に遊び始めたところを見て、俺はその場を後にする。
先送りにするんじゃなく、リオナ、ミルテ、ステラ姉にも、俺は求婚する。
大人のみんなと同じように、まだ少女である彼女たちにも、気持ちを尽くさなければならないことに変わりはないのだから。




