第七十五話 決意のとき
イグニスから取得できた魔王スキルは、かなり時間をかけたにも関わらず3までしか上がらなかった。魔王の力を得るには一晩にしてならず、それ以上は採乳には励まなかった。
「……ヒロト様は、小柄なほうが好きなのね」
「リリムには、こういうお仕置きの方が効きそうかな……と思ったけど、やっぱり性格悪いな。これは今回限りで、今後はしないから安心してくれ」
「……しないの? 私のことも、誰かに……卑しい男たちや、オークたちに見せつけたりはしないの……?」
「そういう発想はあんまりないな。他の男に見せるとか、そういう趣味はない……というか、俺の趣味は普通だと思ってくれていい。胸に触ったりするのも、俺にとっては大事なことだからしてるだけだ」
きっぱりと断言しておいた方が、誤解を受けずに済むかもしれない。幼い見た目の少女が好きと思われては困る。
「リリムもおとなしくしてて、ちゃんと反省してると分かったら、宝珠を返してもいい」
「それは、私が魔王の力を取り戻したら、イグニスと同じようにしてくれるということ……?」
「……え、えーと。仕方ないのかもしれないけど、ものすごくしてほしいとか、そういうことなのか?」
「っ……そ、それは……私は、悪事を働いたから……」
力を失ったからなのか、俺に魅了されているからなのか。
戦っているときは凶悪そのものだったリリムが、今はどうも、普通の女の子に見えて仕方がない。
油断するな、と俺の冷静な部分が警告する。しかし今の状態で、俺を騙せるわけもない。
「俺は一度リリムに負けた。こんな強敵がいるのかと驚いたし、魔王のことを恐れもした。でも、今は違う……俺はお前たちを倒して、大きく前に進むための足がかりを得た。そのことには、ある意味では感謝してる」
「……どうしてそんなふうに考えられるの? 私は何度もあなたを殺そうとしたのに」
「さあな。それが、勝者の余裕ってやつなのかもしれない。馬鹿だと思うなら、笑ってくれ」
リリムはベッドの端に腰かけたまま、俺をじっと見ていた。戸惑うように瞳が揺れ、彼女はうつむく。
「……あなたは優しすぎる。強くて優しいなんて、卑怯だわ。何も言えなくなる」
「本当に優しかったら、今みたいに見せつけて焦らしたりしないさ。俺だって悔しいと思うことも、仕返ししたいと思うことだってある。ずっとは引きずらないけどな」
実際にそうなのだから仕方がない――俺の中に、もうリリムに対する負の感情はない。
「じゃあ……俺は、風呂に入ってくる。リリムとイグニスはしばらくここに滞在してくれ。明日の予定だけど、俺は町の復興の件で領主代理のセディと話し合いに行ってくる。二人は好きに過ごすといい」
「……分かったわ。おとなしくしているから、私たちのことは気にしないで。イグニスにもそう伝えておくわ」
リリムの返事を聞いたあと、俺はくったりしているイグニスをしっかりベッドに寝かせて毛布をかけてやり、部屋をあとにした。
最強のスキルの一角を担うだろう、『魔王』のスキルを手に入れた。これを他のスキルと並行して育てていくことで、俺の個人としての戦闘力は、また一つの壁を超えるだろう。
勝てない者は誰もいない。その高みが見えてきている。
魔王に対応した聖なる武器とその選定者を仲間に加え、魔王全てを倒す。それもまた、女神の元に近づく方法のひとつなのではないか――魔王も、八つの武器も、全て女神が作ったのならば。
あの女神の手のひらの上で踊らされているにしても、俺は生まれた途端に、女神が想定外の行動を取った――赤ん坊からスキル上げ。そんな俺を見て、女神は本当に楽しそうだった。
俺は、今も女神の想像を外れることができているだろうか?
それともすべてが彼女の思い通りに動いているのか。やはり女神から真実を聞きたい――魂だけを呼ばれるのではなく、本当の意味で、彼女の元に辿りつくことで。
◆◇◆
ミゼールから避難した人々は、全員が一気に戻ってくるのではなく、何回かに分かれて帰ってくることになっている。
母さんとソニアが帰ってくるのが、今日の午後。俺はそれまでに、朝食を摂ったあと、第一陣で戻ってきているセディに会うため、領主の館に向かった。相談役としてメアリーさんも同行している。
メアリーさんは俺と顔を合わせるとお澄ましをしていたが、やはりセディのところに行くとなると三人での時間を思い出すのか、そわそわとし始めた。
「……ん? どうした?」
『公私混同は良くないとわかっていますが、やはり上官殿とともに過ごす時間は、私の癒やしとなっています』
「そ、そう言われると照れるな……」
エルフの耳を隠すためにフードをかぶっているが、それが彼女の幼いイメージをさらに強調している。それが外套の下の発育といったら――と想像している場合ではない。
(よし、俺は今日一度も『採乳』をしないぞ。そういうことを忘れる日が、一日くらいあっていい)
◆ログ◆
・《メアリー》は『軍規』を発動した!
・『ジークリッド隊』において、新たな軍規が施行された。
・軍規に従い、あなたは《メアリー》と手をつないだ。
「おおっ……!? め、メアリーさん。ちょっとそれは直接的すぎやしないか?」
手がふさがっていると文字が書けないので、メアリーさんは久しぶりに声を出すからか、パクパクと口を動かす――声が出しにくいらしい。俺も前世で引きこもっていたとき、ヘッドセットで音声チャットをしながらゲームをするというスタイルに行き着くまでは、会話しなさすぎてよく声が出なくなったものだ。
しかしメアリーさんの手だが、ひんやりして小さく、握っていると心地よい。彼女は容姿にそぐわず俺よりはるかに大人の女性なので、手をつなぐことの意味も、紳士としてしっかり考えねばならないところだが。
「……私は上官殿が生還されたこと、無事にこうしていられること、領主殿との交渉に同行させていただけることを、とてもうれしく思っています。でも私は、昔から読書ばかりで、うれしいという気持ちの表し方が、あまり上手ではないと思うのです」
「俺には十分伝わってるけどな。それに俺の方こそ感謝してるよ、首都からここについてきてくれて。メアリーさんはこの国の軍師だから、そうそう動けないくらい忙しいはずなのに」
「魔王との戦いは、この国の存亡をかけたもの……選ばれた人たちだけが戦っていたとはいえ、戦争なのです。軍師は戦争に勝つために存在しています」
「そうか……そうだよな。でも俺は、戦争以外でも、メアリーさんの才能は活かせると思うよ」
「……そのように努力はしますが。専門分野ではありませんので、これから勉強をします」
その飽くなき向上心は素晴らしいと思う。俺がエルフの寿命を持って長く生きたら、そこまでずっと学び続ける意欲が湧くだろうか。
――スキルにはいつまでも興味を持ち続けるのだろうから、俺はいつまで経っても、いろんな意味で現役であり続けるのだろう。肉体年齢14歳、実年齢8歳で考えることではないが。
ふと、メアリーさんが立ち止まる。彼女は空いている手を胸に当て、俺を上目遣いに見上げている。
その瞳は、まるで眩しいものでも見ているかのようだった。
「……私は……上官殿の、戦闘以外においても、いついかなるときも、軍師であることを望んでも良いのでしょうか」
「……ん? いついかなるときも……って……」
戦闘以外でも、いつでも俺の軍師でいたい。
それはもしかして、俺の味噌汁――もとい、異世界におけるコンソメスープを一生作ってくれる的な、そんな意味にとれなくもないのだが、待て冷静になれ、俺はそこまでメアリーさんの好感度を高めていたか。
――答えはイエスであると言わざるをえない。俺の神の手がメアリーさんからスキルを分け与えてもらう過程において、好感度がうなぎのぼりになり、カンストするまで出会って数日であったことは記憶に新しい。というか、まさにカンストした現場こそが領主の館であった。
メアリーさんは俺を見つめている。彼女は女性として、男性の俺の答えを待っているのだ。
上官と部下。そんな、思いがけずに始まった関係に、俺は自ら終わりを告げる。その先へと進むために。
「ああ。俺は気が多いように見えるかもしれないが、みんなを幸せにしたいと思ってる。メアリーさんも俺についてきてくれるか?」
「……っ……」
「め、メアリーさん?」
俺を見ていたメアリーさんの瞳に涙が溢れて、ぽろぽろと頬を雫が伝い落ちる。
「……うぅっ……ひっく……ぐすっ……」
俺に女の部分を見せても、どこかまだ余裕を残すように努めていた彼女が、子供のように泣きじゃくっている。
「……わたし……私は……上官殿と、いっぱい歳の差があって……ほんとは、人間から見たら、おばあちゃんみたいな歳で……ひゃ、ひゃくじゅう、にさいなのにっ……ヒロトさまの、ことがっ……うぅっ……」
そんなことを気にしていたのか。エルフなら、その年齢から100を引いたら、外見の年齢になるくらいなのに。そして、話していても俺は歳の差なんて意識はしなかった。
彼女が生きた年月の長さと、その知恵の深さに憧れた。
俺が触れることを喜ぶ姿に魅惑され、軍規を定められて求められることに、戸惑いながらも嬉しいと思う自分がいた。
――それでも普通に考えればつきあいは短く、彼女がこれほど泣くくらいに想ってくれているのは、本当に俺が恵まれているからだと思わざるをえない。
「俺は魔王を倒したことで、この国の副王の座につくことになると思う。そうしたら、俺はみんなのこれからの人生に責任を持とうと思ってるんだ。何人が俺についてきてくれるかわからないけど、もし迷う人がいるなら、改めて口説くつもりだ」
「……私は、口説かなくてもついていきます。そういったことに憧れがあるのは、確かですが……」
「……わかった。メアリーさん、俺は君が深い知慮を持っているところと、ときどき大胆なところが好きだ」
俺は自分が結婚したいと思う相手に、それぞれ言葉を尽くして、その魅力と、自分の思いの丈を伝えることになる。考えただけで恥ずかしくて目眩がするが、絶対に必要なことだ。
メアリーさんは頬を赤らめ、ハンカチで涙を拭いたあと、とても嬉しそうに笑ってくれた。
「私は……あなたが戦いの中で見せる凛々しさと、私の話を、優しい顔で聞いてくれるところが……とても、好きです。夜ごと、夢に見るくらい」
「……そうか。じゃあ俺はこれから、いくつもの夢を並行して見られるようにならないといけないな」
「大丈夫です。ヒロト様の妻になる女性が、全員出てくればいいのですから」
そんなことを即答する彼女は、嫉妬というものをしないのだろうか――と思うが、そんなことはありえない。
嫉妬をして誰かが傷つくことのないようにするのも、俺に求められる甲斐性だ。
「……そうすれば、毎夜私がヒロト様の夢に出てくることも、できるのではないかと考えます」
「そうかもしれないな。夢の中ばかりじゃ、物足りなくなりそうだけど」
「は、はい……そのときの合図も、規定しておくべきでしょうか。夕食のあと、私の肩に手を置いてくださったら、そのときは……それとも、みなさんで会議をして決めるべきでしょうか」
「え、えーと……何か良さそうな方法があったら、考えておくよ」
妻が多いと、夜の過ごし方はどうすればいいのだろう――メアリーさんは結婚という過程より、すでに先のことを心配しているようだ。
「……ヒロト様が、寝室を共にしたい方が入浴されているとき、ご一緒されるというのはいかがでしょうか」
「それを自分もされるかもしれないって分かってるか? わりと恥ずかしいと思うぞ」
「恥ずかしいのは、当たり前です。でも、好きな人と一緒ならば、それが嬉しいと思うものなのです」
寡黙なメアリーさんが、今は頑張って気持ちを伝えてくれる。
色んな方法があると思うが、それも日々に変化をつけるための手段にすればいい。
――そんなふうに自分を落ち着かせなければ、俺は若さゆえの期待を、どうにも抑え込むことができなかった。
◆◇◆
領主の館を訪問し、セディの部屋を訪ねる。彼女は溜まっていた執務に早速取り掛かっていた。
騎士団が調査した町の損害報告を見ているようだが、セディはそこまで深刻な顔はしていない。
「セディ、仕事中に悪いけど、今後の町の再建について話させてもらっていいか?」
「ボクもちょうど、その件についてヒロトくんと話したいと思っていたんだ。実はね、避難している間も、魔鉱石の採掘は進んでいてね……ラムリエルの商人には、良い値段で買い付けてもらったよ」
「そいつは僥倖だな。どれくらいの値段で売れたんだ?」
「魔鉱石は結晶の単位で取り引きがされるんだけど、大きなものは金貨120枚。小さいものが50枚で、採掘して一度に輸送できる数は、大小合わせて500くらい。それを全部換金して、4万2000枚の金貨が手に入る。あまり輸送しすぎると相場が下がってくるのが、今後の課題点だね」
一般的な4人家族が住む二階建ての家を建てるのに、金貨一千枚ほどが必要だ。町の被害状況を考えても必要な金貨は二万枚弱なので、ミゼールの財政にはほとんど影響がない。
もっとも建築費がかかる教会でも、三千枚だ。この状況なら、大工さえ人数を集めれば、完全に復興するまでそれほど時間はかからないだろう。
「ヒロトくん、魔鉱石の交易で得た金貨は、君に使途を任せるよ。採掘を始められたのは、すべて君のおかげだから」
「まずは復興に充ててくれればいい。俺はミゼールを領地としてもらおうと思ってたけど、これからもセディに領地の運営を任せるよ。俺はミゼールを拠点に動くけど、遠出をしなきゃならないこともあるから」
「本当に……いいの? ボクは領主の器じゃない。お父様の代理で……」
「何言ってるんだ、ちゃんとやれてるじゃないか。俺はセディが頑張ってきたことをよく知ってる。まだ知り合ったばかりだけど、十分に見せてもらったから」
俺としては、当然のことを言ってるつもりだった。俺はミゼールを自分の領地にしたいと思ったが、それは、自分が統治者でなければならないということじゃない。
セディの統治下にあるなら、彼女が俺の理解者でいてくれるのならば、それで何も問題はないのだ。
「……ありがとう。ボクは君からこの領地を預かったものだと思って、これからも頑張るよ。お父様はもう隠居してしまった気分でいるみたいだから、ボクは君の指示通りに領地を運営できる。そのことが、すごく嬉しい。誰にも文句は言わせないよ、君はこの国を救った英雄なんだから……」
「俺は英雄なんて大それたものじゃないけど、それでみんなが穏やかに暮らせるなら、その役割を担いたいと思ってる。協力して、ミゼールをいい町にしていこう」
セディが席を立ち、俺の前にやってきて、握手を求めてくる。
――それだけでは足りないという顔をする彼女を、俺は驚かせないように抱きしめた。
男装していても、彼女は胸をさらしで押さえなくなり、柔らかな弾力が伝わってくる。初めて会ったとき、男性かもしれないと一瞬思ったのは、もう昔のことだ。
「……メアリーさんの前だから、ちょっと恥ずかしいな。ボクたちは、もう仲間みたいなものだけど」
メアリーさんはセディに紙を借りて羽ペンでさらさらと書き込み、筆談で返事をする。
『私もそう思っています。セディさんも、上官殿のご寵愛を分けていただく同志です』
「ご、ご寵愛……それって……メアリーさん、ヒロトくんと……?」
こくん、と照れながら頷くメアリーさん。俺も、もう誤魔化したりはしない。
「セディ、俺についてきてくれるか? 少しミゼールを離れなきゃならなくなるけど……俺は、みんなとのことを、しっかりしたいと思ってるんだ」
「……ボクのことも……ヒロトくんの、奥さんにしてくれるの……?」
「あ、ああ……本当は、一回ずつ結婚式を挙げるべきなのかもしれないけど。俺が副王の地位をもらったあと、みんなと式を挙げたいと思ってる」
ずっと、みんなを待たせてきた。だから俺は、みんなそれぞれのために、できる限りのことをして求婚したい。
「セディ、俺に何かできることはあるかな。それとも、俺と結婚するなんてまだ考えてないか」
「そ、そんなわけない……でも、本当にいいの? ボクより魅力的な人が、ヒロト君の近くにはいっぱいいて……ボクなんて、その中に入っていいのかどうか……」
「……俺は自分が手に入れたいと思った人を、誰一人として離したくないと思ってるんだ。呆れるくらい強欲なんだよ」
そんな俺と一緒にならなくたって、セディには良い人が見つかるかもしれない。それは、他のみんなにも言えることだ。すごく魅力的で、俺が独り占めをしようとするなんて、おこがましいくらいの人たちだ。
だから俺は改めて、一人ずつに改めて求婚しなければいけない。これから一生をかけて守り、愛するということを、伝えなきゃいけない。
言葉にしなくても、自分が相手を求めることで好感度が上がり、慕われ、裏切られることなんてありえない。
それでも大切な時は、言葉も行動も尽くすべきだ。これから一生傍にいてくれと約束してもらうのなら。
「……ヒロトくんがついてきて欲しいって言ったら、誰も断ることなんてできないよ」
「そうだといいんだけど……改めてとなると、やっぱり緊張するな」
『もし誰かが断るようなことがあっても、それは照れ隠しか、理由あってのことだと思います。上官殿なら、全ての問題を打破できます。よろしければ、微力ながら私も策を出します』
これで二人――セディとメアリーさんは、俺との結婚を承諾してくれた。
フィリアネスさんを始めとして、これ以上なく気持ちを確かめた人たちにも、改めて伝えなくてはならない。
みんなで首都に行き、俺の副王としての戴冠を見届けてもらう。そして、結婚式を挙げる。
父さんと母さんは驚くだろうが、もちろん両親にも、妹のソニアにも式に出てもらいたい。
準備をすることは山ほどある――けれど、けじめをつけてから次の段階に進みたい。ジュネガン公国の副王となり、『真王国』に入る資格を得て、『世界の枢軸』に向かうために。
※いつも本作をお読みいただきありがとうございます!
今月30日に発売の書籍版2巻の情報になりますが、活動報告で
二巻で新登場となるネリス、ミルテ、ユィシアの
キャラクターデザイン画をアップさせていただきました。
よろしければぜひご覧ください。




