第七十四話 魔姫ふたり
エレナさんの家でのスキル上げは半刻ほどに及び、みんな騎士団の駐屯地に戻ったらまず水浴びをしたい、というほどに汗をかいてしまった。
「メアリーちゃん、肌が繊細そうだから、ちゃんと拭いておかないとあせもになっちゃうよ~」
『ありがとうございます』
「何いってんの、マールだってちゃんと拭いておかなきゃ。あ、これはヒロト君への誘惑になっちゃうか……」
ただ身体を拭いているだけで、そこまで心を揺らしたりはしない――と言いたいところだが、つい視線が留まってしまう。
「や、やだ……ヒロトちゃんったら。そんなにじっと見られたら、私……」
「ただでさえ、戦いの後で気が昂ぶっているので……このままでは、寝付きが良くなさそうです。い、いえ、ヒロト様のせいなどではないのですが……」
マールさんとジェシカさんの気持ちをひしひしと感じる。しかしそんなに待たせるつもりはないので、俺は今までと違って焦りは感じなかった。
「二人とも、大丈夫だよ」
「……んん。ヒロト君、ほんとにいいの? 念のために聞くけど、私たちはすごく……その、望んでるけど、ヒロト君には、全員の気持ちを受け入れる義務は……」
「義務というのは、ヒロトちゃんが嫌いな言葉です。そうですよね?」
土壇場になって遠慮するクリスさんに、アレッタさんが微笑みながら言う。
「みんなを受け入れることを義務なんて言ったら、それこそ罰が当たるよ。俺の方こそ、こんな俺でいいのならって思ってるくらいだ。みんな、すごく綺麗だから」
「……そういうの、真顔で言えるっていうのもヒロト君の才能かもね。全く姉さんったら、どういうふうに育てたら、こんな子に育つんだか……」
クリスさんを異性として見て、それを行動に移したら、母さんは何て言うか……お説教くらいはされるだろうか。だとしても俺は、彼女が母さんに似ているからといって、もう禁忌に感じたりはしていない。
似ているだけで、クリスさんは別の人だ。俺と御前試合で出会い、今日まで戦いを共にした。彼女のことを尊敬しているし、異性として惹かれてもいる。ジェシカさんはもう少し話をしてみたいと思うが、どのみち手に入れたいと思っていることに変わりはない。『恭順』やスキル上げで好感度を最大にしていることは別として。
「今日の夜は一緒に居られないから……ヒロトちゃん、順番にぎゅーってしていい?」
マールさんにそう言われて、断る理由は何もなかった。何度抱きしめても、そのたびに感極まっているみんなを見ていると、愛おしいとしか感じなかった。
◆◇◆
ミゼールの町の被害状況を見まわり、緊急の措置が必要な場所――小火が出ている場所などは、全て消火された。復興については改めて、避難しているセディが戻ってきたら、領主の館で話すことにする。
家に戻ってきたあと、みんなで夕食を摂った――料理スキルを持っている人たちが主に調理を行い、まだスキルを習得したばかりのメンバーが手伝う。そして入浴の時間になってから、俺は入る順番を最後にしてもらい、リリムとイグニスがいる居室に向かった。
一応ドアをノックしてから入ると、リリムとイグニスはベッドに座っていた。来客用の服を身につけ、その姿を見る限りでは、外見に相応の少女にしか見えない――特にリリムは魔力をほとんど失っており、『メイヴ』というメイドとして俺の前に現れたときの、そのままの能力値になっていた。
◆ステータス◆
名前 リリム・メディア・シェルナハト
夜魔 女 17歳(128歳) レベル1(70)
ジョブ:奴隷
ライフ:40/40
マナ :24/24
スキル:
×夜魔族 120
×魔王 32
×黒魔術 120
×屍術士 108
×杖マスタリー 105
×術装マスタリー 88
×恵体 110
×魔術素養 105
母性 22
房中術 84
×限界突破 20
アクション
魅惑の指先(房中術30)
流し目(房中術40)
密会(房中術60)
授乳(母性20)
パッシブ
艶姿(房中術10)
芳香(房中術30)
房中術効果上昇レベル2(房中術70)
【対異性】魅了(房中術80)
育成(母性10)
・紅雫の宝珠を取り込むことで魔王となり、能力が大幅に強化される。
・『ヒロト・ジークリッドの生命力』を内包している。
・あなたの奴隷となっている。
(俺の生命力は、今のリリムの中にある……でも、能力が封じられて力が引き出せないのか。それとも、今までまったく使わずにおいたのか……どちらにせよ、良かった)
宝珠を失ったことで、リリムの能力は大半が封印されている。そのライフとマナは、生まれたばかりの子供の基本値と同じだ。
魔王になってみなければ、彼女が使い、猛威を振るったスキルの数々の詳細は分からない。魔王スキルがかなり低いのは、上げることが困難だからか――間違いなく、これは最上レアの部類に入るスキルだ。
「……そんなに見なくても、今の私には、貴方に逆らう力はありません。少し武術を習った子供にすら、簡単に負けてしまうでしょうね」
敬語を使うリリムというのもイメージに合わず、未だに慣れない。しかし今後は、常にそうなるのだろう――それは、少し堅苦しい気もする。
しかし今のところは、奴隷にしたばかりということもあるし、すぐに態度を和らげることはしないことにした。俺も勝利した軍の将として、相手に見せなければならない態度というものがある。
緊張しているリリムを見て、イグニスは彼女の隣にやってきてぽすんと座った。
「心配せずとも、あるじ殿は力のなくなったおまえを、子供にいたぶらせるような真似はするまい」
「まあ、その通りだけどな。でも、弱体化してても、異性をとりこにするくらいはできそうだ」
「……私の種族は、それだけがとりえのようなものですから」
リリムは服の胸元を押さえる。母性は低いながらも、夜魔族の特徴なのか――その身体は、同じくらいの年頃の女性と比べても、あらゆる点において男を引き付ける魅力を備えている。
「夜魔は魔界においても、その力で男の魔族を惹きつけて、女王を頂点とする国をつくる。リリムはこの国を盗み、悪魔の国を作ろうとしていた……と言いたいところじゃが。どうやら、その目的は、昔とは変わっておるようじゃな」
「それは……どういうことだ?」
「……そんなことをしても、意味がないと思ったからです」
リリムは感情を込めずに言う。戦いの中で俺たちに憎しみと怒りを向けたあと、彼女の中にはそれ以外の感情が残っていなかった――そんな気さえする。
魔王であれ、生きる希望というものがなければ、ここまで衰えるものなのだ。まして、俺たちに負け、その力をすべて失った今となっては。
「……そんなふうに自暴自棄になったのは、リリスが死んでしまったからか」
「っ……!」
イグニスが目を見開く。ずっと楽しそうにしていた彼女が、久しぶりにその顔を曇らせる。
リリスはイグニスを魔界の扉の向こうに押し戻した。そのときに、命を落とした――自分の身を賭して、イグニスを封じたと考えるのが自然だろう。
「……わらわは……リリスの気持ちがわからなかった。なぜ、そこまで人に肩入れするのか……ただ、人間の姿をして戯れていたリリスを、ヒューリッドは気まぐれで助けただけ。それなのに、恩は恩だという。わらわには、リリスが死ぬ理由を探していたようにしか見えなんだ」
「どうしてそう思ったんだ……?」
そう問いかける俺に対して、イグニスは、ぐしゃぐしゃになった感情を無理やり塗りつぶしたような、泣き笑いのような顔で答えた。
「……リリスはわらわの炎に自ら飛び込み、焼かれながら言った。『ありがとう』と」
「……姉さんは……やっぱり、決めていたのね。あの時には、もう……」
リリムが遠いものを見るような目をして言う。
在りし日のリリスが、どんな存在だったのか。俺には、二人の話を聞いて想像することしかできない。
しかし――どうしても、思ってしまう。
俺を救うために、魔王の力を目覚めさせたリオナと同じように。
リリスも救いたいと思う何かのために、自分の全てを投げ出すことができたのだと。
リリムの頬には涙が伝っていた。その気持ちがわかるとは、俺にはとても言えなかった。
俺が母さんを失っていたら、それこそ死ぬまで悔やみ続けただろう。彼女のために出来たことを考え続けて、後悔して、目の前のものを大切にできなくなっていたかもしれない。
想像しただけでも心が曇りそうになる。リリムは、今も深い暗がりの中に、一人でいる。
それを償いとして、彼女の心を閉じたままにしておくつもりはない。そんなことには意味が無いからだ。
「リリムに償いをするべきは、わらわなのじゃろう。リリスの心が死に傾いておったというのは、わらわにとって都合のいい想像にすぎぬ」
「……私がしたことは、あなたには関係ないわ」
「そう言ってくれるな。わらわも犯した過ちを償わねば、そなたと傍にいるだけで、胸が苦しくてかなわぬ」
人間を憎み、滅ぼそうとする存在――魔王とその軍勢。
人の心など介さないと思っていたのに、その認識はもう過去のものとなった。
人間の価値観とは違っていても、彼女たちには心があった。
聖なる武器を使って、魔王を滅ぼす。あと六体の魔王もまた、人間に敵意を向け、罪のない人々を苦しめるのなら、戦わなければならないと思っていた。
――しかし今は、別の可能性を見出している。
魔王と交渉することで、戦いを終わらせる。二人を配下にした今、それが不可能ではないと分かっている。
今回は武力交渉ということになったが――いや、基本はそれしかないのかもしれない。聖なる武器で力を封じなければ、彼女たちは話を聞き入れないだろうから。
「ふぅ……何とも、やりきれぬものじゃな。都合よく忘れていた自分にも、腹が立つ。本来なら、姿を見せることすら、リリムにとっては……」
「……いいえ。私はあなたをこの世界に連れてきたら、もう一度暴れてもらうつもりでいた。姉さんを悪気があって死なせたわけじゃないとは分かっていたわ」
「理由はどうあれ、お主が姉を慕っておったことは分かっていた。わらわが自分の炎を止められれば、殺めることもなかったものを……」
イグニスは自分のしたことを悔やんでいる。いつも悪戯な微笑みを浮かべている彼女が、沈痛な面持ちで胸を押さえている。
その姿を見たリリムは、何かを言おうとして――それをやめると、イグニスを横から抱きしめた。
「っ……な、何を……」
「私はあなたを慰める立場ではないけど、姉さんは敵をとってほしいなんて言っていなかったわ。そして、まだこの世界から失われたわけじゃない」
「そうだ……そのことだけど。二人なら感じ取れると思うが、リオナにはリリスの魂が宿ってる。そのことは、今はまだ伏せておいてくれ」
「あの小さな娘が……と知った時は驚いた。しかしリリスの波動は確かに感じる。リリスはリリムにも増して、魔王の中でも随一といえる美貌を誇っていた。わらわも憧れるほどに」
イグニスはそう言うと、在りし日のリリスの面影を思い出すように目を閉じた。
リリムはイグニスからそっと離れると、立ち上がって俺の前に来る。
「……これからあなたは、私にどんな罰を与えてくれるの? どれだけ奉仕しても愛されない罰かしら」
「その言い方だと、俺に愛されたいって言ってるみたいだけど……いいのか、そんなにあっさり」
「人間のときにも言ったのだけど、聞こえていなかったの? どうしようもなく、あなたに惹かれてしまう。だってあなたは、姉さんの匂いがするもの」
「それでは姉の面影を追いかけているようじゃな。わらわは、あるじ殿が単純に強いというのと、ういやつじゃというところに惹かれておる」
「い、いや……良いとこ探しをされても照れるんだが。そんなに俺はいい奴じゃないかもしれないぞ」
忠告するつもりで言うが、俺の奴隷となった二人は何の不安もない、という様子だ。
――いや、別の不安というか、緊張はしているようだが。この部屋に来たときから、時折ベッドの方を見るのは、何か期待を感じさせる気がしなくもない。
「……私に触れて、あなたの手が汚れてしまうとは思わない?」
「昨日の敵は今日のなんとやらってやつだな。俺から奪った生命力、返してもらうぞ」
「ええ……分かったわ。どうやって返せばいい? 私の血を飲めば……」
「それ以外の方法で回収できないか試させてくれ。ちょっと、くすぐったいかもしれないけどな」
「っ……そ、そう……やっぱりあなたも男性なのね。奴隷にした女を放っておくわけがないと……物好きね」
自分の美しさに自信があるように見えたが、今は卑下してばかりいる。それほど、俺のことを敬ってくれているということなのだろうが――魅了とは、やはり恐ろしい。
「わらわは魔王として生まれついたゆえ、これと認める男に会ったことがない。つまりあるじ殿が何をするにしても初めてということになるが……それだけが心配ごとかの」
リリムに続き、イグニスのステータスを見る時がきた。リリムのスキル「魔王」は封印されていて、詳細が見られなかったが、彼女ならば見ることができる。
◆ステータス◆
名前 イグニス・イフリース
炎魔 女 108歳 レベル70
ジョブ:魔王
ライフ:1660/1660
マナ :1284/1284
スキル:
炎魔族 132
魔王 35
踊り子装備マスタリー 83
恵体 135
魔術素養 105
母性 19
限界突破 35
アクション
火炎弾(炎魔族10)
炎ブレス(炎魔族30)
火柱(炎魔族50)
【火炎】身体変化(炎魔族80)
炎魔召喚(炎魔族100)
フレアカウンター(炎魔族110)
【火炎】転移(炎魔族120)
装備再生(魔王10)
王の領域(魔王20)
無敵(恵体100)
マジックブースト(魔術素養30)
多重詠唱(魔術素養100)
パッシブ
戦闘時能力強化(魔王30)
踊り子装備強化(踊り子装備マスタリー50)
舞姫(踊り子装備マスタリー80)
育成(母性10)
・火炎に対して完全な耐性を持つ。
・水に弱い。
魔王の強さの秘密を握っているスキルが明らかになった。どうやらスキルが異常に上がりにくいようだが、魔王スキル30の『戦闘時能力強化』が、彼女たちの戦闘時のステータスを無視した強さを示している。
魔王を倒した俺が、そんなものを手に入れたら――女神はそこまで、果たして予測できただろうか。
魔王スキルに30振るだけでも以後の戦闘では苦労をしない。100振れば、どれだけ強いのかと思いもする。
しかし難関は、スキルの持ち主であるイグニスが、どう見ても10歳くらいの容姿だということだった。ステラ姉と同い年くらいということだから――しかし、自分で言っている通り108年は生きているわけで。
「あるじ殿、何か迷っておるようじゃな。今日は気乗りせぬのならば、わらわは別の日でも……」
「……そう。やっぱり私たちには興味がないのね……それも仕方がないわ。私は憎むべき相手で……」
「い、いや……そりゃ憎いけど、もう無力化してるからな。わかった、イグニス。ちょっといいか」
「む……?」
イグニスは素直に俺の近くにやってくる。俺はルシエとのスキル上げで使った手法を使うことにした――手で触らなくても、おんぶをすればスキルを上げられる。
「ふ、ふむ……そのようなことでよいのか。つまり、あるじ殿を甘やかせば良いのじゃな」
「っ……そ、そんなことでいいの……?」
「ああ、それでいい。イグニス、頼むぞ。変な感じがするかもしれないが、少し我慢だ」
◆ログ◆
・あなたは《イグニス》から『採乳』した。
・『魔王』スキルが獲得できそうな気がした。
「……何か、照れて仕方ないのじゃが。こんなことが罰で良いのかや?」
「ああ、これでいい。もうしばらく頼むぞ」
10回繰り返しても、まだマナが1184も残っている。俺は魔王スキルを1獲得するまでどれくらいかかるかと思いながら、根気よくイグニスに寄り添ってもらった。
その姿をリリムに対して見せつけていたのも、ある意味お仕置きと言えなくはない。魔王スキルを1獲得するころには、リリムは放っておかれたことで、あまりにも切なそうな表情になっていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
7月発売の書籍版2巻の表紙が公開されましたので、活動報告でアップさせていただきます。
ぜひご覧いただければ幸いです。




